第三十話 新薬の誕生
裸の王様大作戦が終わって暫く経って、少しは平穏が戻って来たんだ。学校に行って、バイトに行って、勉強して、寝るっていう平凡な毎日だよ。
当たり前の日常って良いと思わない? そんな頻繁に大事件なんて起こらなくて良いと思うんだよ。だって、日本に限らず世界中で貧富の差は広がる一方だし、そのせいで紛争が起きている地域も有るし。
いつも通りの日常を送れない人だって居るはずなんだよ。勿論、いつも通りの日常が不幸って人も沢山居るんだろうけどね。だからさ、こうやって何も無く暮らせる事が幸せだって思うんだよ。
特に、僕に関しては姉が暴走しない限りは平和なんだよ。
ただね、嫌な予感がしててね。一昨日くらいから姉が帰って来ないんだよ。たまに、いなくなる事が有るけど、何処に行ってるんだろうね。
仕事で帰れなくなったとか、出張とかなら、そう言ってくれるしね。だから、仕事関係じゃないと思うんだよ。それにね、こういう時ってだいたいが、変な薬を作って帰って来るんだよね。
姉の行先を小野寺さんに聞いても教えてくれないしね。間違いなく知ってる癖にね、「存じ上げません」とか言うんだよ。ケチだよね。少し位は教えてくれても良いのにね。
でも、知ったら知ったで色々有るんだろうな? だって、変な薬を作ってる現場を見つけたら、何が何でも阻止したくなるのが人情ってもんでしょ? だって、薬の被害者が減るでしょ?
あぁ、でも今の所の被害者は、宇宙人に憑依された人と僕だったか……。
養父母の話では、宇宙人に憑依された元議員の人たちは、組織で面倒を見る事になったんだって。議員として再起するのは難しいだろうしね。それ以外の仕事をするのは難しくないんだろうけど、ずっとマッパの人って後ろ指を指されるんだろうしね。
組織が面倒を見てくれるなら、幸せに暮らせるかもしれないね。組織なんて言ったって、大元は製薬会社なんだから。
ただね、僕の経験上では幸せっていつまでも続かないんだよ。人生はいつも波乱万丈なんだよ。
だってね、コツコツと聞こえない? コツコツコツ、ガチャって悪魔の足音がさ。ん? ガチャは余計じゃない? それから僕の後ろでささやくんだよ、「帰ったぞ」ってね。
「帰ったぞ。これで良いか?」
「っているぅ!」
妄想を広げていたら本物が背後に居たなんて、どんなホラーなの? 思わず叫んじゃったよ。怖いよ。
「びっくりしたか?」
「びっくりどころじゃないよ! 心臓が飛び出るかと思ったよ!」
「尻からか? それは消化された後だな」
「心臓はそんな所から出ないよ! 例えだよ、例え!」
終わったんだね。僕の平穏は終わってしまったんだね。グッバイ、僕の幸せ――。
「幸せというのは、鳴かせてみなければわからんぞ」
「いや、それはホトトギスね! それに姉さんの場合は、殺してしまおうだと思うけど?」
「そんな事は無い。私は常に試行錯誤を続けている」
「そうだね。姉さんは直情的って感じはしないもんね。どちらかと言うと策士型?」
「馬鹿か、お前は。私はそんな一義的な言葉に収まる様な人間ではない」
「つまり、自分は天才だと?」
「そうだ。わかってるじゃないか」
「その天才が、三日も何をしてたの?」
「それは、これだ!」
そう言って、姉が自信満々に懐から取り出したのは、液体の入った試験管だった。やっぱね、そうだと思ったよ。もうね、言わなくても分かるよ、新しい薬だね。こんどはどんな薬なのか気になるけどさ。
「所で海よ。私が何故、これを作ったと思う?」
「新薬なんだよね? 新しい被害者は誰なの?」
「良い着眼点だ。海よ、特定非営利活動法人ヒューマニティ・リンクという名前を聞いた事が有るか?」
「え~っと、知ってる様な知らない様な?」
「地上の人たちを救済し、貧富の差を解消しようと活動をしている団体だ」
「良い団体じゃない。そんな人たちをターゲットにするの?」
「そこで働いている者や、ボランティアに精を出している者は真っ当だ」
「じゃあ、そこを仕切ってる人が悪い人なの?」
「いや、理念そのものは立派だ。それなりの活動実績もある」
「じゃあ、何が問題なの?」
「最近、悪い噂が流れていてな」
姉の説明では、ヒューマニティ・リンクというNPO法人の理事が、寄付されたお金を着服しているらしい。NPO法人にもそういう悪い目的で作った組織ってのは、前から存在するんだって。寄付金の使途が不透明だったり、豪邸や高級車を団体名義で買ってるけど実は理事が自分で使ってるだけだったりってね。
でも、ヒューマニティ・リンクってNPO法人は、元々はそんな団体じゃ無かったんだって。
目的を『貧富の是正』を掲げている団体で、日本の現状を憂いた人たちが立ち上げたんだって。そんな人も上空には居たんだね。
実際にそれを目的としちゃうと、政府の方針と反発するし、富裕層は納得しない。だから、『貧しい人に愛の手を』ってスローガンを掲げて活動しているんだって。
世界中に貧富の差は広がってるからね。それに手を差し伸べるのは、凄く良い事だと思うよ。
ただね。ここの所、少し状況が変わって来たんだって。それが、着服だね。
「今度はその人たちをマッパにするの?」
「同じ事をしてもつまらん。だから、一捻りする事に決めた」
「一捻りって?」
「先ずは、冷蔵庫の中からプリンを持ってこい。昨日、お前が自分の分として買って来たやつだ」
「なんで、それを知ってるの?」
「プリンを持ってきたら、目の前に置くのだ」
「いや、無視なの? 僕の質問はスルーなの?」
このプリンは、かなり高いんだよ。一個千円もするんだよ。スーパーやコンビニで買える商品じゃないんだよ。だって、並んで買ったんだから。自分へのご褒美なんだから。姉が居ない隙に、ゆっくりと食べようと思ってたのに。このタイミングじゃないのに。
結局、僕はプリンを冷蔵庫から取り出して、スプーンと一緒にテーブルに置く。その後すぐに、姉は新薬を飲めと言ってきた。
「やだよ。また僕が実験台なの?」
「そうでなくては、効果が分からんだろうが」
「効果が分からない物を作ったの?」
「揚げ足を取るな! お前に伝わらんと言ったのだ」
そうですか。やっぱりそうなりますか。
仕方なく僕は薬を飲んだ。姉の事だから、味に関しては心配してない。寧ろ、姉の変な薬は無味無臭なんだよ。『すっぽんぽんにしちゃうぞ』みたいにね。
それに、姉の薬を飲んだ所で、一切苦しむ事は無いのも知ってる。例え、体が女性になったとしてもね。
そう言う意味では安心なんだよ。でもね、不安なのは『どんな効果か』なんだよ。そして、効果は現れた。不思議な事に、プリンを姉にあげたいと強く思う様になって来た。
「ね、姉さん。ぷ、プリン。このプリン、食べる?」
「なんか片言なのが気に食わんな。まだまだ、薬の改良が必要か?」
「待ってよ。何で、姉さんにプリンをあげたくなってるの?」
「そういう薬だからだ」
僕の中には、姉にプリンをあげたい自分と、あげたくない自分が戦ってる。そして、残念な事に、戦いの結果はプリンをあげたい自分だった。
僕が差し出した高級プリンを、姉はペロリと平らげて「美味かった」と一言だけ言った。違うと思わない? もっと感動とか無いの? 「美味かった」じゃなくて、「何これ、すっご~い! おいし~い」なんて大袈裟なリアクションとかさ。
でもね、薬の効果は理解したよ。これまで姉が作って来た中で、一番危険な薬だね。世に出してはいけない類の物だね。そう言った所で、姉の発明は全て世に出してはいけないんだけどさ。その中でも、今回の薬はトップクラスだと思うよ。




