第二十六話 予定外の状況
秘書に指示を出してから三日が過ぎた。その間、奴は報告もせずに姿をくらませていた。件の女については気になるが、それより重要なのは国会をどう乗り切るかだ。野党の追及がしつこいからな。それに、高野や東島の関与も疑われ始めている。
最近はそればかりに気を取られて、何も調査が進んでいない。そんな時だ。行方がわからなかった秘書がふらりと戻って来た。
「先生。連絡も出来ずに申し訳ございません」
今更何しに戻って来たと言いたい所だが、呆れて怒る気にもならない。だが、この秘書は以前と違って、ぎらついた目付きでは無くなっている。この三日でこいつに何が起きたと考えてしまう程にだ。
別の秘書をスケープゴートにするつもりだったが、こいつでも構わないのかもな。勿論、犠牲になった後の事は俺が面倒を見るつもりでいる。それ位の事をしないと割に合わんだろう。地球人は平気で嘘をつくが、我々は約束を守る。そういうものだ。
「先生。申し訳ございません。道明寺翠嵐の件ですが、失敗しました」
「はぁ? あぁ、そうだったな。そんな指示を出したな」
「奴隷を使って脅す様に探偵に依頼しましたが、当の奴隷が逮捕されてしまい……」
「それで?」
「仕方なく、次の作戦に移行しました」
「そうか」
「同じ探偵に依頼し、スラムの連中を使って件の女を始末する為に動きました」
「うむ。それで?」
「スラムの連中と金額交渉で揉めまして。ついては、一千万をご用意頂けないかと?」
「一千万? ……女一人を始末するのにか?」
「はい。事は道明寺翠嵐だけに留まりません。明薬科学研究所にも大きく関わってきます」
「道明寺空海を相手にすると言う事か……」
「はい。ですから、その辺りを穏便に済ます為に――」
「わかった。何とかしよう」
「ありがとうございます」
こいつはこいつで、ちゃんと仕事をしていたのか。それなら失態を責める訳にもいかんだろう。仕方ない。金は別の秘書に用意させよう。
「それより、先生」
「なんだ? まだ用が有るのか? 俺は忙しいんだ!」
「ここの所、かなりご心痛の様子かと……」
「そうだ! わかってるなら独りにしろ!」
「先生。心を落ち着ける良い薬がございます」
「はぁ? 薬だと? そんな物には頼らん!」
「それが、明薬科学の新薬でして」
「お前は皮肉でも言いたいのか!」
「いえ。明薬科学の薬は良く効くと評判ですし。試しに服用してみては如何でしょう」
確かにな。ここの所ずっと胃が痛い。それに頭もだ。余り眠れてもいないしな。これも野党の追及が影響しているのだろうな。七十を超えた体には、耐えきれん苦痛なのだろう。
しかし、矢場夜風の体を手放すのは惜しい。積み重ねた経験と築き上げた人間関係が特にな。もう少し、この体を利用したい。だから、今回ばかりは薬に頼るのも良いかもしれんな。
「わかった。飲んでみよう」
「では、先生――」
秘書に手渡された錠剤を口に入れ、水で流し込む。薬なんていうものは、即効性など無い。しかし、胃が少しスッキリした気がする。頭の痛みも和らいだ感覚も有る。きっと、気のせいに違いない。昔からこの国で言われてきた『病は気から』という言葉の通りだろう。
「では、私はこれで」
「ちょっと待て」
「何か?」
「今回の質疑で、別の奴をスケープゴートにしようと思っていたが」
「私になれと?」
「あぁ」
「女の件も含めて、私に罪を背負えと?」
「あぁ。ムショから出た後の生活は保障してやる。一生贅沢をさせてやる」
「それならわかりました」
よりにもよって、全ての罪を背負えとはね。流石は政治家ね。でも、ここは頷いておかないといけない。私は敢えて口角を吊り上げる様な笑みを浮かべて頷いた。
「段取りはこちらでやる。お前はお前で上手くやれよ」
「必ず、やり遂げます」
「あぁ」
一応、殊勝な態度を見せる為に深々と頭を下げてあげたわ。それだけで満足気にしてるんだから、お偉い政治家の先生ってチョロいわよね。それから事務所を出て、私は変装を解く。
それにしても、翠嵐お嬢様は賢いわね。奴隷化させた秘書の変わりに私を潜入させて、薬を飲ませるなんてね。これで矢場は、完全に政治家生命の終わりね。
「じゃあ~ね、せ~んせい。お元気で~」
☆☆☆
やはり気のせいだと思うが、体が軽い気がする。相変わらず議員会館前でたむろしている記者たちの騒音すらも、今日は心地よく感じる。今日の国会は乗り切れるだろう。そんな確信めいた感覚が私の中に有る。
これは、経験に裏付けされた自信というものだろう。何せ、矢場夜風の体を操っているのは、この俺なんだからな。
これまでの間、私がただ漫然と追及を受けていた訳ではない。当然、与党だけでなく野党の議員も懐柔すべく働きかけていた。そろそろ、その効果が現れる頃だ。仮に刑事告発に至ろうが問題ない。警察も買収済みなのだからな。
やはり、私の政治生命はこれからだ。幹事長の席も確約されているし。ここから更に飛躍して、この国を仕切る他所の連中を追い出してやろう。
既に儀蔵は議員退職している。こいつの中には同胞がいない。だから、幾らでも罪をなすりつけられる。
小金に関しては「何も知らない」との一点張りだ。それは当然だ。闇献金に関わったのは同胞であり、小金本人ではないのだから。同胞が離れた今、小金にも罪をなすりつけても問題なかろう。
高野と東島まで守る事が出来れば上々だが、それは望むまい。彼らは自身で何とかしてもらう。勿論、例の秘書をスケープゴートにする。捕まれば、道明寺翠嵐の件も余罪として追及されるだろう。予定通り全ての罪を背負って、何年か刑務所に入ってもらおう。
そして、質疑が始まる。
「これだけの証拠が上がっているのに、まだ惚けると言うんですか?」
「矢場議員――」
「当然です。何度も申し上げている通り、私には身に覚えがありません」
「奏野議員――」
「証拠が揃っているんですよ!」
「矢場議員――」
「それは、秘書が行った事です。儀蔵元議員と小金議員の両名に密かに接触して行った事です」
ここまではいつもの繰り返しだ。ここから、どうやって躱すかが最大の争点になろう。寧ろ、家宅捜査が行われた方がこちらとしては都合が良い。
「奏野議員――」
「いつまでそんな言い訳が通用すると? あなたが関わっているのは、全て証拠として出ているんですよ!」
「矢場議員――」
「それなら、家宅捜査でも何でもするとよろしい!」
あくまでも堂々とだ。ここで少しでも動揺を見せては、余計に疑われる。事実無根だとアピールしなければならない。
そう、上手く出来ている。俺の演技は完璧だ。このまま思惑通りの事が運べば、今回で追及は終わりだ。そういうシナリオになっている。
さあ、私の勝ちだ。
だが、どうした? なんで、皆が驚いている? 何て表情で俺を見ている? 何が起きている? 何だ? そんな目で俺を見るな! 何だ? 一体何なんだ?
違う。違う。俺の表情をみているんじゃない。俺の体をみている? 何が? まさか?
ふと、俺は自分の体を見た。私はいつのまにか、真っ裸になっていた。中継もされている中で、俺は真っ裸になっていたのだ。
その瞬間、俺の意識は遠退いた。それ以降の事は覚えていない。多分、憑依が解けてしまったのだろう。
全ての計画は、失敗に終わった……。




