第二十五話 組織の強さ
結局、一時間が過ぎてようやく私は宮司から解放された。尋問部屋から出ると養父が待っていた。身元引受人として来て下さったんだな。連絡したのは海か。
一時間ぶりとは思えない程の時間が経った気がする。再会した時の海は、酷く不安そうな表情を浮かべていた。
心配しなくても良い。そう伝えたい。でも、こんな時は言葉よりも有効な事が有る。私は、思いっきり背伸びをして海の頭を撫でる。それから、海を抱きしめた。
わかるか? 私は大丈夫だ。こんな事では負けはしない。安心しろ。
抱きしめると少し安心したのか、海はいつもの優しい優しい表情に戻っている。会社では、あんなにも頼もしかったっていうのにな。まだまだ子供なんだな。そんな所も愛おしい。
そして、私たちは警察署を出る。本当に酷く無駄な時間を過ごしてしまった。養父は私を半休扱いにして下さった様で、私たちは養父の車で帰宅する事になった。
養父は車を走らせるや否や、ラジオをかける。私は瞬時に養父の意図を理解した。全て事情を話せという事だ。
これはラジオと見せかけた盗聴防止のシステムだ。詳らかに話しても聞かれる恐れはない。勿論、私が開発したんだから、性能は折り紙付きだ。
それから私は恫喝された事から宮司が話した黒幕までを、全て養父に話した。
「そうか。翠嵐、よく耐えたね」
「当然の事です」
「海もよく頑張ったね。翠嵐を助けるなんて凄いね」
「いや、僕なんて何も……。結局は、警備員さんが全部片付けてくれましたし……」
「全て警備員に任せれば良いだけだと思ったかい?」
「はい。それなら姉さんが警察に連れてかれる事は無かったかと」
「それは違うよ、海。どの道、どちらも警察に行くことになっただろうね」
「そうなんですか? 不公平では?」
「片一方の言い分だけ聞く方が不公平だよ。だから、両方から事情を聞かなければならない」
「なんか釈然としませんけど。悪いのは明らかに向こうだし」
「そういうものだよ。それより重要なのは、君が翠嵐を守ろうとした事だ。翠嵐は君が来てくれて、とても安心したと思うよ」
「そうなの、姉さん?」
「そうだな。お前が正義のヒーローに見えたぞ」
「大袈裟だよ、姉さん!」
「大袈裟なものか」
それから屋敷に着くまでの間、海をからかって楽しんだ。可愛い反応をみせてくるんだ。眺めてるだけでも癒される。屋敷に車が到着すると、ジェニファーが出迎えてくれる。車から降りた養父は、何処かに電話をしているようで。私たちは先に屋敷へ入った。
リビングに入る頃には養父の電話が終わった様で、私たちを追いかける様にして入って来る。
「翠嵐。今回の件は、私に任せてくれないか?」
「はい、養父様。お任せ致します」
議員が絡んでいるとなれば、私の手には余る可能性が有る。こんな時は組織に任せてしまった方が良い。事が迅速に片付けば、海がターゲットになる事は無いだろう。
私なら何とでもなる。涙と鼻水が止まらなくなる『花粉症マックス』を常に携帯している事だしな。あんな輩程度なら撃退してみせるさ。
それより私のせいで、海が狙われる事になるのだけは避けねばならない。
「あの、養父様。任せると言っても、何をなさるんですか?」
「海。それは、蛇の道は蛇ってね」
「意味がわかりませんが?」
「スラムのボスとは旧知の仲でね。今回の事は、彼らに始末をつけて貰うよ」
「ま、まさか! そんな事! 始末って!」
「翠嵐を襲った男達は、直ぐに釈放されるだろう。しかし、元の場所に戻れはしない。それは、スラムを仕切る者達が絶対に許さない」
養父曰く、姉を脅した人達は罰金刑になるんだって。それは逃れられないんだって。だから、罰金を払う為と生活の為に、今まで以上に過酷な労働をしなければならない。でも、今まで生活してた場所では暮らせなくなるんだって。何せ、そこを仕切るスラムの人が許さないから。
今なら、震災被害から未だに立ち直ってない、東海地方辺りの復旧に行かされるだろうって。
少し同情はするよ。何て議員にそそのかされたんだから知らないけど、どうせ「逮捕されたら、後の生活は保証する」とか何とか言われたんでしょ? でも、実際に逮捕されても守っちゃくれないんだろうね。
良い悪いに関わらず、有言実行の人ばかりが政治に関わってたら、日本は今頃こんな酷い世の中になってないと思うよ。
☆☆☆
「何だと! 失敗しただと!」
「も、申し訳ありません!」
「脅していう事を聞かせるだけだろ! なんでこんな事も出来ない!」
「申し訳ありません!」
「くそっ! 使えない奴だ!」
失敗したなんて報告が出来るか! 矢場は完璧を求める。結果が全ての人間だ。自分の事は棚に置いてもな。
呑気に「失敗しました、どうしましょう」なんて報告をしたら、私のキャリアは終わりだ。それは絶対に駄目だ!
奴隷を扱う業者と繋がりの有る探偵に仕事を依頼したのに、こんな結果になるとはな。そもそも奴隷を扱おうとしたのが間違いだったのか? いや、そうではなかろう。
聞けば、社内で脅したとか? それでは警備員が直ぐに飛んで来て終わりだ。何で奴隷たちはそんな事も考えられんのだ! 愚かにも程が有る!
これで、明薬科学側はセキュリティを強化するだろう。下手な奴を潜り込ませる事は、これまで以上に難しくなる。その上、件の女にもガードがつく可能性も有る。おいそれとは襲えなくなる。
まったく。余計な真似をしてくれたもんだ。こうなったら、始末するしか無いな。どうせ矢場もそのつもりだろうしな。
「おい、聞いてるか?」
「聞こえてます」
「お前はスラムの連中と繋がりが有るか?」
「いや、そりゃまあ、仕事がら少しは」
「それなら話は早い。道明寺翠嵐を始末しろ! 金は百万でも二百万でも言うだけ払ってやる!」
「わかりました。取り合えず当たってみます。でも、期待はしないで下さいよ」
「何を言ってる! やるんだよ! お前を事件の首謀者として、警察に突き出しても良いんだぞ!」
「それは勘弁してください」
「嫌だったらやれ!」
「はぁ。わかりましたよ」
探偵に命令してから連絡が返って来たのは、三日が過ぎた時だった。どれだけヤキモキさせるんだ! 使えない奴だ、本当に!
「当が付きました。ただし……」
「あぁ? 何が有ったと言うんだ!」
「金額交渉で揉めまして。本人に直接足を運ばせろと……」
「はぁ? 私がか? あんな汚らわしい場所に行けと?」
「そうでなくては、この話は無しだと言われ……」
「奴隷の分際で、私の足元を見ると言うのか! 生意気な!」
「それでは、手の打ちようが有りません。依頼はこれまでと言う事に――」
「ま、待て! 仕方ない。あ、案内はしろ!」
「その位でしたら幾らでも」
結局、スラムに足を運ぶ事になった。あんな汚れている上に危険な場所に行くことになるとはな。でも、これだけ我慢すれば矢場も私を信用するだろう。それなら、我慢するしかないのか。
ただな、スラムだしな。安全対策は万全にしていかないとな。銃とアレだ。巷で話題になっている置換撃退スプレー。確か『花粉症マックス』とかいう変な名前の商品だ。効果が高いらしいからな、アレも持って行こう。
連絡が有った翌日、私は探偵に案内されて地上へと降りて行った。臭いし、汚いし、ごちゃごちゃとしている。最悪の場所だ。だから、最悪の人間が出来上がるんだろうな。
そして、取引先だろうスラムの人間を、探偵に紹介された。
紹介された男が言うには、「仕事を受けるには、ボスの指示を仰がなくてはならない」との事。まぁ、それもそうだろう。それに、末端へ任せるよりはボスに話を通しておいた方が良い。加えて、ここでスラムのボスと顔を繋いでおけば、今後政治家になった時に役立つだろう。
だが、ここで私の想定は大きく狂った。どこで狂ったのか、どうして狂ってしまったのか。時を巻き戻す方法は無いのか? 散々考えた。でも、時を戻せる訳ではない。やり直せる方法なんて何処にもない。
今、私はスラムの連中に拳銃を突き付けられている。
「のこのこやって来やがって。馬鹿だなぁ、あんた」
「な、なんだと! この私に向かって何て口の聞き方をする!」
「あんたこそ、ここが何処だか分かってんだろうな? ここはスラムだぜ。治外法権だぜ。俺がルールなんだ」
「く、くそ……。何で私がこんな目に……」
何でこうなった。件の女を始末する為に依頼をしただけだ。それの何が悪い。悪いとすれば、こんな命令を出した矢場だ。こんな目に遭うのは、矢場で良いはずだ。私は悪くない。絶対に悪くない。
「あんたさぁ。分かってないから教えてやるが」
「な、何をだ? 金か? 金だろ? 幾ら欲しい?」
「そうじゃねぇよ。お前の持ち金は全部頂くがな」
「な、それじゃ話が違う!」
「そもそも、俺はあんたと交渉する気はねぇんだよ」
「はぁ? じゃあ、何でここまで来させた!」
「それは、あんたの馬鹿さ加減を教えてやる為だ。いいか、あんたはこれから奴隷になるんだ。あんたが最も嫌う奴隷にな」
「なっ!」
嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だぁ! 信じない、信じない、信じない、信じない!
私は、これから矢場に成り代わり政治の世界に足を踏み入れるのだ。私の様な優秀な人間こそが、政治の世界に相応しいのだ。だから、こんな所で捕まる訳が無い。ましてや奴隷になんてなるはずがない。
「信じられねぇって顔をしてるな。でも、残念ながら真実だ」
「待ってくれ! 金なら幾らでも払う! 百万で足りないなら一千万でどうだ? それとももっとか? 良いだろう。私と組めば、もっと稼がせてやる! どうだ? 私と組まないか? 良い考えだと思わないか? なぁ?」
「やかましいから、こいつを黙らせろ!」
私の意識はそこで途切れた。目が覚めた時には、薄汚れた布一枚にくるまれて汚れた路上に捨て置かれていた。
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜこうなった! 違う、こんなのは違う! 誰か、誰でも良い。そうだ、矢場に! 矢場先生に連絡を! 先生なら助けてくれるはず!
「誰か矢場先生に連絡を! 連絡をしてくれ!」
「何言ってんだてめぇ! 喚くとぶっ飛ばすぞ!」




