許されざる罪
人が傷つく場面があります。苦手な方はご注意ください。
私は許されざる罪を犯した。
私、メイジー・アージェントゥムには婚約者がいる。5歳のときに初めて出会ってから、ずっと好きな相手だ。
彼の名前はサミュエル・エクシティウム様。由緒正しい公爵家だ。親同士の仲がよくて、私達の婚約に至ったらしい。
私の家は侯爵家だ。公爵家より身分が低い。私よりも身分の高い家の彼と最初に会うときはすごく緊張していた。
「はじめまして、君がメイジー?」
そう言って私をみて微笑んだサミュエル様はとてもかっこよくて。その後に私のことを気遣いながらお話してくれるのがとても優しくて。私がサミュエル様に恋をするのは必然だったといえるだろう。
1つ年上のサミュエル様は、私を婚約者として尊重してくれて、丁寧に接してくれた。この人と結婚して一生添い遂げることを疑ったことはなかった。
学校で彼が女の子と親しくしているところを見るまでは。
私より先に学校に入学していたサミュエル様だったから、私の知らない交友関係があるのは当然だろう。それでも、サミュエル様は手紙で「誰と仲良くなった」「この人と親しくなった」など教えてくれていたため、そこまで女の人との仲を疑っていたことはなかった。
しかし、入学して初めて知った。サミュエル様はレイラ・スペキュラム公爵令嬢と仲が良かった。2人の距離は近くて、サミュエル様は私が見たことがないくらい優しい笑みを浮かべていた。
「サミュエル様とレイラ様って仲が良いですよね」
「あれ、でも2人とも婚約者がいらっしゃるんじゃなかったかしら?」
「そうでした?」
そんな話を耳にしたとき、心臓がバクバクするのを止められなかった。噂になるくらいサミュエル様はレイラ様と仲が良いようだ。
大丈夫。婚約者は私だ。他の女性に取られることなんて、ありえない。そう自分に言い聞かせた。
しかし、いくら自分に言い聞かせたところで効果は少ない。芽生え始めた不安は気づけば根強く残っていた。
不安だけを抱える状態が続いた。サミュエル様に直接尋ねればいいかもしれないが、もしきいたらサミュエル様に嫌われてしまわないだろうか。それだけは嫌だ。私がサミュエル様を愛するのと同じくらいの愛がほしいとは思わないから。嫌われたくない。
サミュエル様は以前の手紙で「メイジーが入学したら一緒にいられる時間が増えるね」と書いてくれていた。しかし、実際にそんな機会はなく、サミュエル様とレイラ様が親しくしているという噂が耳に入るのみ。どんどん不安になっていった。
ある日。私はサミュエル様と会おうと思って、彼の教室に向かった。レイラ様との関係を勘ぐる気はなく、サミュエル様が私にどのような態度をとるかを知りたかったのだ。
彼の教室の後ろのドアから教室を覗いてみる。教室はがらりとしていたが、2人だけ人がいた。
それは私の婚約者のサミュエル様とレイラ様だった。サミュエル様とレイラ様は仲がよさそうに1つの参考書をみていた。声をかけていいか分からないぐらいお似合いだった。2人だけの世界が成立しており、邪魔をしていいのか躊躇した。
そんな中、不意にレイラ様が動いた。彼女はサミュエル様の顔をじっと見つめるとサミュエル様に自身の顔を近づけた。
口づけをしたか、していないか。私にはどちらか見えなかった。いや、どちらでも構わない。
私の婚約者を、サミュエル様を奪おうとする人は許せない。許さない。
私の婚約者を奪う人は、消してしまえばいい。
そう決意した。
次の日、私はレイラ様を校舎裏に呼び出した。レイラ様は少し面倒くさそうにしながらも来てくれた。
「お呼び立てして申し訳ありません、スペキュラム公爵令嬢様」
「ええ。それでご用件は?」
興味がなさそうな顔をしている彼女をみるとドロドロした気持ちがわき上がってくる。
「貴方とサミュエル様のご関係をお教えいただけますか?」
「なんで貴方がそれをお知りになりたいの?」
「私がサミュエル様の婚約者の婚約者だからです」
「ああ、貴方が……」
彼女は私のことを意味ありげに見た。それを不思議に思うが、話を続ける。
「お願いします。サミュエル様との距離感に気をつけてもらえますか?」
「……それを貴方に指図される謂れはないわ。私とサミュエルのことだもの」
そう言って私から顔を背ける彼女を見ていると不安が募る。
「貴方とサミュエル様はどういった関係なのですか?」
レイラ様はくすりと笑った。その笑みは艶やかなものであった。
「人には言えないような関係ですわ」
無理だ。もう無理だ。この人は侵略者だ。私とサミュエル様の関係を破壊しかねない。サミュエル様の心を惹きよせかねない。私は絶対にこの人より優れているところはない。
この人がいなくなれば。そうすればサミュエル様は私のところに戻ってくる。きっとそうだ。
「……きえて」
「え?」
「消えてください!」
私は隠し持っていたナイフを取り出した。もう目の前の敵しか見えていない。この人さえいなくなればいいのだ。私はナイフを突き刺そうとした。
「メイジー!」
叫び声とともに私とレイラ様の間に1人の男が割って入ってきた。突然の行動で私はナイフで刺す手を止めることができなかった。
「え、サミュエル様……」
間に入っていたのはサミュエル様であった。それに気がついて背筋が凍る思いがした。
私はサミュエル様を傷つけてしまった。全身の血の気がひき、手が震える。サミュエル様は、私のことをどう思っただろうか。嫉妬深い女を嫌いになったのだろうか。
「メイジー、怪我はない?」
なんでこの人は。私のことをこんなに心配そうに見つめてくるのだろう。私は加害者なのに。
「サミュエル様の方こそ、腕を治療しないと!」
「ああ、大丈夫だよ」
そう言ったサミュエル様は私のナイフによって傷つけられた腕に治癒の魔法をかける。傷は一瞬にして塞がった。
それでも、罪は罪だ。傷がなかったからといって、やってしまったことも消えるわけではない。
「メイジー」
「はい」
「どうしてナイフを?」
「……レイラ様と、貴方が恋仲だと思って、サミュエル様を取られたくなくて……」
断頭台に立たされている気分だ。それでも仕方がない。サミュエル様を傷つけてしまった時点で、私は終わりだ。このまま婚約は破棄されるのだろう。
「どんな罰でも受けます。申し訳ありませんでした。サミュエル様」
「メイジー」
「なんでしょう?」
「僕と結婚しないか?」
「……え?」
婚約破棄だ、と言われると思ったのに。この人は何を言っているんだ。
「貴方は被害者で私は加害者です。貴方は私を好きなように罰する権利があります」
「だからこそ、僕と結婚してほしい。それが僕が君に与える罰だ」
サミュエル様はどんな意図があるのだろう。分からない。分からないけれど、この人が私を必要とするならそれに感謝して、この人の側にいよう。
「貴方がそう望むのなら」
「良かった」
そう言ってサミュエル様は私を抱きしめる。釈然としない気持ちと、サミュエル様への申し訳ない気持ちが浮かんでくる。そのどちらも見なかったことにしながら、サミュエル様を抱きしめ返した。
僕は、頬が緩むのを堪えることはできなかった。ああ。やっとだ。
「やっと、墜ちてきてくれた」
その言葉は、彼女には届かなかっただろう。僕の心底嬉しそうな笑みを見たレイラが顔をしかめている。しかし、そんなことはどうでも良かった。
これで彼女は僕のものだ。
最初に会ったとき、天使は存在したのだと衝撃を受けた。それぐらいメイジーは可愛かった。少し恥ずかしそうにしているのも、段々打ち解けてきて笑顔を向けてくれるのも全部、全部愛おしかった。
そしてそのかわいらしさに気がつくのは僕だけではなかった、当然だ。こんなに可愛いのだから。サラサラとした髪も、真っ直ぐな瞳も。全部、全部。人を惹きつけるのには十分だった。
不安で、不安でたまらなかった。彼女が人に好かれるのは当然の摂理だろう。疑いようもない。それよりも彼女が他の人になびかないか心配で。普通の僕に彼女をつなぎ止めておくものは何もない。
ずっと、ずっと不安だった。
その不安をなくすにはどうするか。僕から離れないようにしてしまえばいい。
従妹のレイラ・スペキュラムに協力を依頼したとき、彼女は嫌そうな顔をした。
「なんで私がそんなことしないといけないの?」
「なんでって、お前も分かるだろう。お前と俺は似たもの同士だ」
僕は知っている。この従妹が自分と同じような性質を持っていると。彼女も婚約者との関係が不安で不安で仕方がない。どんな手段を使ってもつなぎ止めておきたいと思っている。
「お前が協力してくれるのなら、僕も協力しよう」
「……二言はないわね?」
「ああ」
そうして僕はレイラとの協力体制になった。
学校に入学してから、レイラと仲良くするところを周囲の人間に見せつける。メイジーが入学することは良い具合に噂になっていた。そしてメイジーとは全く連絡を取らない。そうすればメイジーは教室を訪ねてくるだろう。そこでレイラとの仲を疑わせる。不安が蓄積していれば、彼女は暴力的な手段に出るだろう。
「貴方の婚約者の子が暴力的な手段を取るってなんで分かるの?」
メイジーが入学したころ、レイラに作戦の進捗と今後の作戦を伝えると、彼女はそうきいてきた。
「昔、僕の母とメイジーが話しているところを聞いたんだ。母がメイジーに、浮気されたら相手の子と本気で戦うんだよって教えてたから」
「……貴方も大概だけど、叔母様も結構過激ね……」
「君も人のことは言えないはずだ。血筋だ。仕方がない」
レイラも婚約者に対して過激なことを考えているようだ。協力する気はあるが、あまり興味がないため、僕を必要とするときに教えてくれ、と言ってある。
「それでレイラには、僕とレイラの関係を匂わせる演技をしてほしいんだ」
「面倒くさいわね……」
「協力するって約束だろう?」
僕の言葉に、レイラはため息をつきながら頷いた。
レイラは僕の想像以上に上手いことやってくれた。メイジーは彼女を傷つけようとし、それを僕が庇う形で怪我をする。
その状態で彼女に結婚を提案すれば、彼女は断ることができないはずだ。
優しい彼女は、罪悪感を覚えることだろう。その罪悪感は彼女を縛り付ける。
作戦は全部上手くいった。メイジーは僕の腕の中だ。
「これでメイジーは僕から離れられない。ずっと、ずーっと一緒だ。愛しているよ、メイジー」
「許されざる罪」を犯したのは、誰でしょうね。