表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

千年の恋partⅡ マシュウ・ブレイクの場合は


 木漏れ日の中をリュウトが歩いてくる。こちらに向かって。私の方へ。風に揺れる木漏れ日のまだら模様が、十歳に満たない細身の少年の姿をシルエットに変える。トレーニング用軍靴の重さに抗い、緩斜面の草地を一歩一歩踏みしめながら登って来る、動作そのものが際立つ。


 近づいてくるシルエットのリュウトが、あの人に瓜二つだと気づき、私は胸を突かれた。喉元に熱いものが込み上げる。空を仰いで両目を瞬いた。もう一度確かめようと、木漏れ日の中にリュウトを追った。


 ほら、あれだ。

 繰り出した左腕を追うように、右脚を踏み出すあのタイミング。それが連続して生まれたリズムと、生真面目な軽快さ。愛らしさとひたむきさが相まって、いっそ傍若無人なほどの勢いで突進してくるその姿。まるで、あの人が戻って来たようではないか。

 

 私はリュウトの養育係官に志願した。少々難儀だったが、過去三回と同様に八方手を尽くし、その任を得た。けれども今日まで、幼いリュウトの面立ちと容姿に、あの人と似たところを見出せずにいたのだ。

もう少し大きくなれば。きっと来年には。そんな淡い期待を抱いては落胆する。その繰り返しのさなかにあった。


 折りに触れ、疑念が脳裏をかすめもした。

 たとえば長期にわたる保全手続きの途上で、なにかしらの間違いなり取り違えなりが、あったのかもしれない。つらいことだったが、心構えとして万一の可能性を検討した。リュウトは、はるか遠い昔に凍結保存されたあの人の卵子の、最後の一個から生まれたはずなのだ。


 かくも貴重な最後の一個が、なんらかの手違いによってすでに失われ、結果としてリュウトは、あの人の遺伝子を受け継いでいないのかもしれない。そんな仮定はどうにも受け入れ難く、私の心は千々に乱れた。


 なんのことはない、私は怯え、怖気づいていたのだ。ついにそのときが来た。あの人の名残りをとどめる者たちが途絶えるとき。正真正銘の別離、容赦なく押し寄せる孤独。そういったものの気配に身構えた。そうしてつくづく、長生きし過ぎてしまった自分の運命を呪った。


 ところが、どうだ。すべては杞憂だったじゃないか。

 あの人はまだここにいる。私のもとに、リュウトの中に、確かにいるのだ。私はうれしさのあまり、声を上げて笑い出したくなった。口と両手を思い切り大きく広げて、リュウトを待ち受けた。


「なに?」

 息が切れたらしく、それ以上口が利けない有り様のリュウトは、困ったように眉をひそめ、私を見上げている。口を尖らせて、不服そうだ。

 たしかにこの程度の山歩きでへばってしまうようでは、困ったものだ。先行きが不安でいっぱいになる。それでも私は愉快な気分が止まらない。リュウトが幼い頃はよくやったように、その丸い頭頂部をつかんでグリグリと撫でた。


 私の掌を振り払い、するりと逃れたリュウトは、不愉快をあからさまにしてムクれている。閉じられた作業テントの中にいるときは、これほど感情を露わにしない子だったのだが。

 或いは、開かれた空間と陽ざし、木々や風といった外的要因が、良くも悪くも、リュウトになんらかの作用をもたらし、解き放ったのかも知れない。不機嫌さを隠そうともせず、ふつふつと滾る怒りを持て余しているような面構えで、私を睨みつけている。


「なんか文句があるんなら、言ってみろ」

 いつもなら「いい」とか「べつにない」などとつぶやき、かわしてしまうリュウトが、私の挑発に乗ってきた。

「ボクの腰まわりが七十センチオーバーって、なんなのさ?」

「ああ。昨日来たやつらが言ってたアレか?」

「そうだよ。アンタは知ってるくせに知らんぷりしてる。なんにも教えてくれない。あいつらの仲間みたいだ」

 

 あいつらの子分みたいだ。

 本当はそう言いたかったニュアンスが、ひしと伝わってきた。私のことをアンタ呼ばわりで悪態ついたのも、これが初めてだ。ついに反抗期の到来か。思わず身構えたが、なんのことはない、来るべき時が来ただけなのだと思い直す。


 そうだった。

 こんなふうに納得いかない疑問に直面した場合、黙っていられないのが最もあの人らしい資質だ。前の三人の子たちは、内心がどうであれ、面と向かって私に歯向かいはしなかった。決して、ただの一度も。私としてはそこのところが、少々もの足りなくもあった。

 リュウトはだれよりも色濃く、あの人の資質を受け継いでいるようだ。十歳を目前にしてようやく目覚め、それらを発揮し始めたのだ。


「長い話になるぞ。お前にとっては、面白くない話もいくつかあるだろう。それでも聞きたいか?」

「聞かないわけにはいかないよ。どっちにしたって、いいことは起こらないんでしょ?だったら、聞いておいたほうがマシだもん」

「そうか。お前は勇気があるな、四人の中では一番かも知らん」

「四人って、なにそれ?」


 そうだ、四人だ。

 あの人が残した凍結卵子を体外受精させた結果、この世に生を受けた子どもたちが、お前を含めて四人いるのさ。ちなみに、精子提供者は一人じゃなかった。人種とDNA配列の特徴がかけ離れていて、あの人と共通する部分の少ない者の中から選ばれた。より優れた生命力を持つ子どもを生みだすために、当局は種としての進化を期待したのだ。


 あらかじめ言っておく。私は一度も精子提供者にならなかった。選ばれなかったと言うべきだな。選ばれたい気持ちは山々あったが、その立場になかった。したがってお前とも他の三人とも、血縁はまったくない。その点で私は、いわゆる公平な位置づけの第三者なのだ。


 私は、国防軍情報部に属する軍人だった。

 情報部と聞けばスパイを連想するか?それとも、そんなものは知らないか?まあ、そうだろうな。ここ数十年、スパイをネタにしたエンタメ作品なんてものを、目にした記憶はないからな。国益のために、自分の人生を捨てる覚悟で働く公務員。そんな人物像はダサくて、ウケないに決まっている。想像もつかなくて、設定のしようがない存在だろう。


 およそ六十年前のことだ。

 国防軍情報部マシュウ・ブレイク大佐だった私は、ある民間人の行動監視を命じられた。対象者はロージー・“スノウ”・グレイス博士と呼ばれる生物学の研究者で、都心の公園内にある家族型老人ホームに入居していた。

 

 私は常駐の警備員という身分を与えられ、その家族型老人ホームに潜入した。原則としてひとりの高齢者につき介護役の家族がひとり、同居しているアパートメントタイプの施設だった。食事も各自の部屋で取るという。私が到着したときは朝食中だったらしく、共用スペースはひっそりと静かで、居住者にはひとりも出会わなかった。


 初日に案内してくれた女性は、介護スタッフというよりアパートメントの管理者のような物腰だった。つまり、よほどの緊急事態でないかぎり、あがらない腰の持ち主だ。そして彼女の話から、居住者たちの日常生活は戸別に自立しており、全員が共用スペースに集まる機会は滅多にないのだと知った。


長年在籍した軍隊生活とは、あまりにも勝手の違う場所だった。私は大いに面食らい、戸惑った。それでも型通りの巡回をこなし、ドアボーイよろしくエントランス扉の脇に立った。そしてアパートメントに出入りする人々の数は、格段に少ないことを知った。生活必需品の搬入と不用品の搬出のほかは、ときおり子どもたちが行き交うのみだった。


 いきおい、警備員の私が為すべき仕事もごく少ない。これ以上増えるとも思えなかった。なんでアンタが来たのよ?案内役の管理人的介護スタッフはそう言いたげに、あからさまな不審の目で私を睨んだ。


 初日から三日目までは何事も起こらず、だれからも話しかけられずに過ぎた。私はエントランス扉の脇で、警備員姿の置物と化した。長時間不動の姿勢を保っていられるのは、情報部員としての訓練の成果であり、さほど苦もなく実行できた。


 しかしながら三日経っても、監視対象であるロージー・“スノウ”・グレイス博士を確認できていない事態に、私は少なからず困惑していた。どうにかして打破しなくてはならない。不動の姿勢でアタマだけをフル回転させ、考えあぐねた。

 なんといっても新入りの警備員にすぎない私は、呼ばれないかぎり居住者のアパートメントに立ち入ることができない。密かな侵入であれ暴力的な乱入であれ、敵陣襲撃ならば過去に何度も経験した。どちらかと言えば得意な方だったが、ここでは軍隊で培ったスキルをまったく行使できない。まさに徒手空拳、無為無策の有り様だった。


 居住者の中でも子どもたちは目敏く、いち早く私の存在に気づいた。

 ナンダナンダアレナンダ?口々にざわめく声が私の耳にも届いた。用もないのにエントランス扉を出入りしたり、わざわざ私の前を通ってジロジロ見たりした。その際、私の軍服の裾を摘まんでみた子、大胆にも膝カックンを試みた子もいたが、もちろん、私は一切動じなかった。


 やがて子どもたちは、反応ナシの私に飽きて立ち去った。静かになった共用ホールのテーブルに頬杖ついて、私をじっと見つめる小さな女の子がひとり残った。数分経っても私と同様、微動だにしない。十歳未満だろうに、なかなかの意志力だ。気を惹かれたが、話しかけるにはやや距離があり過ぎた。


 そこで私は、大袈裟に伸びのポーズをして自分にかけた呪文を解くフリをした。女の子にニヤリと微笑みかけてから、おもむろに歩き始めた。ついさっき済ませたばかりの館内巡回に、もう一度踏み出した。すると目論見通り、女の子は私の後について来た。合わせて歩調をゆるめると追いすがり、私を見上げて話しかけた。


「ちゃんと歩いてる」

「もちろん、歩くよ。キミと同じだ」

「オジサン、なにする人?」

「私は警備員だよ。このホームと、ここに住んでいる人たちを守るんだ」

「ふうん。なにから?」

「ええと。いつか来るかも知れない怖いモノや出来事から、だな」

「オジサン、スーパーヒーローかAIポリス、だったりする?」

「どっちでもない。ただのヒトの警備員だ」

「そんなヒト、前はいなかった。なんで来たの?怖いことが起きるの?」

「いやいや、そうじゃない。そんなことは滅多に起こらないと思うよ。しかし私は軍人なので、軍からの命令に従ってここに来たんだ」

「ふうん。それってつまり、わかんないってこと?」

「まあ、そうだな」

「オトナのヒトにもわかんないことが、あるんだ」


 女の子は突然スキップで駆け出し、少し先のドアの中にするりと消えた。ぶ厚い鋼鉄製のドアはぴたりと閉じられ、ロックのかかる音がした。その前を通過しながら、片目で部屋番号を読んだ。E―206。胸が高鳴った。そこはロージー・“スノウ”・グレイス博士の居室だった。


 私が目にしたロージー・“スノウ”・グレイス博士の身上調査書には、子や孫等の親族の存在は未確認と記載されてあった。私はその部分を、身を入れて確認しようとした者がいなかったのだと解釈した。役所仕事にはままあることだ。そして、出来事には時間差というものがある。あの小さな女の子は、この身上調査書が提出された後で、ここの住人となったのだろう。


 その解釈を確認すべく、私は女の子に話しかけるチャンスを待った。すると翌日、彼女のほうから私の手助けを求めて来た。曰く、『ロージー・“スノウ”・グレイス博士は、車椅子の上で正座したいと仰っているの。でも、あたしがひとりでロージー博士を持ち上げるなんて全然ムリだから、スミマセンけど手伝ってくれませんか?』


 お安い御用だった。

 私は車椅子の中の萎びた小容量の身体をそっと持ち上げ、その両脚が膝を折ってきちんと正座するのを助けた。脚が痛くならないかと尋ねたら、ロージー・“スノウ”・グレイス博士は予想外にしっかりした口調で、正座していると仕事が捗る、だからこれでいいのだと答えた。


 仕事が捗る?

 聞き捨てならない発言だった。しかし正座したロージー・“スノウ”・グレイス博士はどう見ても、高齢の老人らしくうつらうつらと微睡んでいる。あるいはこうして心地よく微睡むことこそ、彼女にとっては大切な『仕事』なのかもしれない。いずれにせよ、高齢の老人が発した言葉だ、捕らわれるまでもないはずだ。


 ようやく対面できた監視対象者であるその人物を、私はついまじまじと見つめてしまった。車椅子の中で小容量に萎んだロージー・“スノウ”・グレイス博士の両手の十指は、おそらく関節炎を患って麻痺したのだろう、人の指というより枯れ枝と呼ぶほうが相応しかった。心地よさそうに、うつらうつらと微睡む様子からしても、この人物が当局を警戒させるどんな所業を為したのかと、私は内心首を傾げた。


 それにも増して。

 私の耳と意識には、さらに聞き捨てならない発言がこびりついていた。ついさっき、あの小さな女の子が言ったことだ。

『ロージー・“スノウ”・グレイス博士は車椅子の上で正座したいと仰っているの…』


 それは孫娘が祖母について語るような言い方ではなかった。親族や友人とも違い、私にはむしろ、召し使いが雇い主からの言いつけを伝えている、そんなふうに聞こえた。

それは、度重なる違和感の中でも、最たるものだった。




 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ