ただのスーパークラゲだ
巻頭文、献辞
人間なんて、ただのスーパークラゲだ。
SF作家ロバート・シェクリイのことばである。五百冊を超える小説を読んだぼくがいちばん好きなことばだ。このことばは、人間の分類した生物の種という概念を壊し、ヒトをクラゲ類の一種として見なしてしまうものだ。宇宙人がいて、人類を分類したら、ひょっとしたらクラゲの一種に分類するかもしれない。そんな不思議感覚に満ちたSF的な名言である。
1
今からぼくは正義とは何かについての話をしようと思う。正義って何だい。世の中は、正義というものにのっとって人々が世界を動かしているんだ。その正義って何だい。
ぼくは人生を生きていて、世界がどこかの方向へ向かって動いているのを確認した。世界は停滞なんてしてはいない。逆に、世界が停滞なんてしていたら、ぼくらは生きていくことはできないんだ。世界は動く。正義というエンジンに突き動かされて。
ぼくは三十一歳まで生きてきて、正義というものについてそれなりに充分考えてきたと思う。そのぼくが現在考えられる一番の正義についての物語を書こうと思う。
それでは読んでくれたまえ。正義とは何かを。この物語の中で、本当に正義といわれるのが誰なのかを考えてくれたまえ。では、始めるよ。正義についての物語だ。ぼくのたどり着いた正義の物語は、たぶん、きみたちが思ってるほど時代遅れなものではないよ。
それでは、始まり、始まり。
まず、読むのが面倒くさい人に対して、いきなり結論から述べようと思う。ぼくの考える正義とは次のようなものだ。
まず、進化の法則がある。進化の法則は、命というものを作り出した奇跡のようなできごとで、進化の法則は、人類というものを誕生させた奇跡のようなできごとだ。これがまず世界の土台をつくっている。
進化の法則は奇跡のような神の定めたもうた偉大な神秘の法則だ。
そして、正義とは、進化の法則では殺されて消されてしまうような弱い人たちを助けてあげるぼくらにはまだ理解できない大切な何かだ。正義とは、進化の法則より偉大な存在の不確かな何かだ。
早い話が、今の話を理解できれば、もう、この話は理解できたも同然。あとは楽しんで読んでくれればいい娯楽作品にすぎない。ぼくの物語を読んで、あなたが楽しめるかの保証はないけど。
それでは始めるよ。進化の法則より偉大な、正義についての物語だ。
正義は実在する。それはか弱いぼくらを守ってくれて、人生に力を与えてくれる動力源だ。いまだに誰にも解けないパズル、正義というパズル。それは目には見えないもので、それでもとてもとても大切なありがたい何かだ。正義の謎を解いたなら、ぼくらはもっと幸せになれるだろう。
2
まず、モルがいる。働くお父さんだ。モルは人類だが、過去に遺伝子工学により体を改造されたので、葉緑体をもった植物の体をしている。モルは植物の人間だ。モルは自分で光合成をして太陽のエネルギーを栄養に変えながら、毎日、働いて生きている。真面目で優しい冗談もいえる欠点の探しようのないような人物だ。
モルは女のモラと結婚していて、子供を生んでいる。子供を生むのは大切なことだ。人生を生きていて、どんなに愚かで嫌なやつであっても、子供を生んだだけで褒められる。立派な一人前の大人として認められる。なぜなら、その人は、人類が存続することに力を貸したからだ。
きみはどんなに馬鹿でもいい。きみはどんな弱虫でもいい。ただ子供を生めばいいんだ。子供を生んで育てれば、それだけで世間は立派な大人として扱ってくれる。子供を生むだけで、おじさん、おばさんにべた褒めされるんだ。それは覚えておいてもいい。世の中には、子供を生むこととは無関係のような、勉強とか、協調とか、そういう課題があふれているけど、子供を生むことに比べたら、それらはたいした問題じゃない。ただ子供を生んで育てればいいんだ。それが人生の目的だといえる。あとは、子供が勝手に未来をつくってくれるさ。
そして、人類の大半は子供を生むことに成功した人で、人類の存続に力を貸した偉大な人物たちなんだ。きみと互角に偉大な人物は世界にあふれている。お父さん、お母さんだ。ぼくらはすべてお父さん、お母さんの子孫で、お父さん、お母さんという英雄たちの子供なんだ。
子供を作るためには愛を語らなければならない。愛を語るのは、とても難しいことなんだ。だから、それを成し遂げたお父さん、お母さんはとても偉大な人物だといえる。ぼくらはみんな、偉大な先祖様をもった誰にも負けることのない生まれながらの英雄の子なんだ。ぼくらは英雄の子供として、生まれを恥じることはいっさいない。
ぼくのお父さん、お母さんはそれほど立派な人物じゃないけど、子供を生んだということに関して、ぼくより偉大な人物だと思って尊敬している。これを書いている作者のぼくはまだ子供がいないんだ。寂しい独り者だ。
ちなみに、ぼくのご先祖様のことを話しておこうと思う。ぼくのご先祖様は勘左衛門という江戸時代の農民だ。安兵衛の子、勘左衛門が新しく家を建てて初代となった。それが我が家だ。誰にも恥じることない農家の出だ。ぼくのお父さんが七代目に当たる。おそらく、江戸時代にキリスト教弾圧のために農民をみんな仏教徒にして名を記した。そのために名が残ったのだと思う。仏壇の位牌の中に書いてあった。ぼくは自分の祖先を誇りに思う。
そういうことで、モルとモラは、二人とも植物の体をした偉大なお父さん、お母さんなんだ。
ここでちょっと話をずらしておこう。世の中には、お父さん、お母さんをもたずに生まれる人工受精児たちがいる。科学で培養された子供も生まれるかもしれない。でも、その子たちも偉大な科学者の子供なんだ。血はつながっていなくても、科学という偉大なものによって誕生した立派な一人前の子供さ。誇ってもいい。彼らは、決して貶められることのない偉大な科学という両親をもった子供なんだ。
それでは、話を戻すね。
3
次に、ゲババが出てくる。こいつは性格の悪い草食動物で、モルとモラを食べてしまう。ゲババは悪いやつだ。働き者のモルとモラを食べて生きているんだ。こんなことは許されることじゃない。ゲババは草食動物というだけで悪人だ。
だって、地球の生命の栄養源といえる植物を食べてしまうからだ。草食動物のゲババはとっても悪いやつだ。モルとモラを食べて生きている。
「なんで、モルとモラを食べて生きているんだ? ひどいじゃないか」
そんなことを誰かが言ったとしたら、ゲババは平気で答えるだろう。
「だって、おれが生きていくには食べるしかしかたないじゃないか」
ゲババはこういうやつだ。他人を傷つけることでしか、生きていくことができないんだ。
モルはいう。
「これはゲババの業というやつだ。ゲババを憎んではいけない」
そういっても、モルはモラがゲババに食べられて苦しんでいるのを、嘆き悲しんでいるんだ。モルも自分が食べられる時は、とってもとっても痛い思いをしているんだ。そんな、モルとモラの苦痛をわかってやってほしい。
これが世界なんだ。
食物連鎖だ。
植物のモルとモラは食べられて生きていく。傷つきながら、励ましあいながら。誰を恨むこともなく、ただ食べられることに耐えながら。
生きるということは、残酷なんだ。光合成のできるモルやモラとちがって、ゲババは植物を食べることでしか生きていくことができないんだ。
誰がゲババを悪というだろう。
こんな世界をつくったのは神様だ。きみは草食動物が嫌いかい。草食動物は、残酷なやつらだけど、それでも彼らは彼らなりに立派に生きているんだ。生まれ出でた生物は何者もその生まれによって差別されない。あるのは弱肉強食の進化の法則だ。ゲババはモルとモラより、進化の法則に勝ったんだ。進化の法則に照らし合わせれば、ゲババが正しいのさ。勝っていくのが正しいんだ。誰がゲババを悪というだろう。これが世界だ。食べる食べられるの関係でしか、生き物のつながりはもてないでいたんだ。これを食物連鎖という。
ゲババを称えよ。彼は進化の法則の勝者なんだ。植物を食べて生きることを神さまが許したもうたのだ。
ちなみに、ゲババは男だ。実はモラに恋しているが、モルとモラは両思いの浮気をしない恋仲だから、ゲババには恋愛相手がいないんだ。可哀相なゲババ。彼は食物連鎖で勝てても、恋の道は実らないんだ。ゲババは恋人のいない独り者さ。
子供を生んでないダメ人間なんだ。でも、いいじゃないか。難しい愛の問題を解けなかったからって、誰がゲババを悪と呼ぼう。許してやれ、ゲババを。
ぼくが特に強調していいたいのは、子供のいないゲババを一人前だと認めてやれということなんだ。子供を生めるということに関して、モルとモラがゲババに圧勝していくのさ。それが世界の理だ。だけど、ゲババを馬鹿にするな。ゲババだって、立派に生きてきたんだ。
ただ、ゲババには難しい愛の問題は難しすぎて、解けなかったんだ。それが事実。まぎれもない現実。子供がいないという現実が、人類の存続に貢献できなかったという重荷がゲババに降りかかる。ゲババはそれに耐えて生きているんだ。
ゲババは今日も、愛するモラの肉を食べる。
ちなみに、ゲババは働かない怠け者だ。工場や農場の仕事を放り出して、まったく仕事につかない。ただ、食っては寝て、食っては寝ている。毎日、遊び呆ける道楽者だ。
ゲババだって、道具を使う。でも、それを作ってるのは働き者のモルとモラだ。毎日、モルとモラは工場に行き働いてみんなが必要な道具を作っているんだ。偉い。モルとモラは偉い。それに比べて、ゲババはどうだ。
ゲババは働きもせず、モルとモラにお世話になりながら、生活しているんだ。ゲババの家も、ゲババの服も、ゲババの遊び道具も、全部、モルとモラが作ったものだ。モルとモラは働き者なんだ。しかも、誰に対しても優しい。ものを欲しがるゲババにただで製品を与えてあげる。
汗を流すのはモルとモラだ。ゲババは働かない道楽者。
まるで、モルとモラは奴隷みたいじゃないか。
こんなことでいいのか。こんなことを許してしまうモルとモラはまちがってないか。
怠け者に施すのか。
だけど、何を言ってもゲババは働かない。
「おれはアナーキーでアウトローなんだ。自由気ままに生きて何が悪い」
ゲババは向かうところ敵なしだ。まさに厚顔無恥。社会に何一つ貢献しないダメ人間なんだ。ゲババは社会に巣くう寄生虫だ。モルとモラの労働力をうまい汁として吸いとっていく寄生虫なんだ。なんでこんなやつが生きていられるんだ。勤労の義務を果たしていないじゃないか。
本当に何一つとりえのない怠け者、それがゲババだ。こんなやつを許しておけるか。
だけど、モラはいう。
「ゲババは本当は優しいのよ。彼のことも受け入れてあげなければダメよ」
と。
「どんなダメ人間にも生きる権利がある。それが平等というものだ」
とモルもいう。
どうだい。わかってきたかい。
自由と勤労の戦いだ。
正しいのはどちらだ。
「おれこそが、自由を体現する正義の使者。正しいのはどっちだ」
ゲババが吼えた。
こういう意見もあるということだ。
4
さて、モルとゲババの戦いを語る前に、新しい人物の登場だ。名をミンクという女だ。ミンクはゲババを食べる肉食動物で、食物連鎖の頂点に君臨している。ミンクはモルやモラとは仲良しだ。そして、モルやモラを傷つけるゲババをやっつけにくる正義の味方だ。
格好いいぞ、肉食獣。
ミンクは悪い草食動物のゲババをやっつけるんだ。こんなに立派なことはない。
ちなみに、ミンクも工場や農場では働かない。ミンクは研究所に居る。ミンクは科学者なんだ。そんなミンクは立派だね。ミンクは世の中の役に立ってるんだ。考えることすらしない、実験も観察もしないゲババとはおおちがいだ。ミンクはみんなのために科学の研究をしているんだ。ミンクを尊敬するように。
そんなミンクだが、実は狩りが苦手だ。
「まちなさいよ、ゲババ。逃げてばかりで卑怯よ」
と、ミンクは叫ぶ。
だけど、それで立ち止まるゲババではない。
「誰が捕まるっていうんだ、このアホ女め」
ゲババはミンクが苦手だ。どんどん逃げる。怠け者のゲババにとって、ミンクから逃げるのは面倒くさいひと労働だ。肉食動物から逃げるのが、ゲババの唯一の労働といえる。
「あまいわ、ゲババ。ここで待ち伏せしてたのよ」
突然、目の前に現れたミンクにゲババは驚く。
ミンクはゲババより賢い。巧妙にゲババを狩り立ててしまう。ミンクはゲババのはらわたを食らう。ゲババは死にそうな苦痛を味わう。ざまあ、みろだ。
でも、ゲババは死なない。ミンクも心得たもので、ゲババを殺さず、生かして、傷が再生するのを待つ。そして、何度もはらわたを食らうのだ。
最先端治療の進んだこの時代には、ゲババの傷は治るのだ。
そんなミンクだが、実は子供がいない。
ミンクは働き者のモルに恋している。でも、モルにはモラがいる。実らない恋。
でも、モルはミンクに気さくに話しかけ、優しいことばをかけてくれる。優しい優しいモル。男らしい、男の中の男だ。
「ミンク、今日もモラがゲババに食べられたんだ。明日は食べられないようにゲババを見張っていてよ」
モルは頼む。恋敵を守るために働くなんて、ミンクには耐えられない。
それでも、やっぱりミンクはモルのいうことを聞いてしまう。
「わかった。絶対にモラには手を出させないから」
ミンクはそういって引き受ける。そして、大事な研究を放り投げて、モラのために狩りの番をする。
実は、肉食動物であるミンクを使って、草食動物のゲババを狩りたて、生態系の全体を管理しているのはモルなのだ。
世の中は、かくも複雑である。
ここまで話して、登場人物の中でいちばん強いのは誰だと思う。
肉食動物のミンクか。
草食動物のゲババか。
植物の体をしたモルとモラか。
ミンクは食物連鎖の頂点に立ち、何者にも狩られることがない。
ゲババは働かないいちばんの自由人だ。
そして、モルは生態系全体を管理する生態系の管理者だ。
誰がいちばん強いのだろう。
少し、考えてくれたまえ。
ところで、モラとミンクの女の戦い。
モラは、午前は工場に、午後は農場に働きに行く。そのモラはいう。
「わたしだって、仕事中に開発や小さな発明はしているのよ。ミンクに威張られる筋合いはない」
これでは、科学者のミンクの立場がないじゃないか。
でも、これが現実。現場で働くお父さん、お母さんが偉い。
ミンクは文句をいう。
「わたしは逃げまわるゲババを狩り立てて食事をしなければならない。それに比べて、ゲババは何? 逃げることのないモルとモラを食べてるじゃない。狩りをするのもわたしの仕事のひとつなのよ。それなのに、ゲババはまったく食事に苦労することがない。不公平じゃない」
すると、モルは答える。
「食べられるのも我々の仕事なのだよ」
そんなモルとモラは立派だ。
こうして生態系が成り立っている。
さあ、正義があるのは誰だ。
正義とは、進化の法則より優れた何かである。
進化の法則は我々人類を作るという奇跡を起こした。だが、我々の先祖が考え出した正義というものは、進化の法則よりも大切な何かであった。
「これは戦争じゃない。進行中の進化なんだよ」
SF作家 ブルース・スターリング
もし、進化の法則を信じて、正しいのが食物連鎖の頂点に立つ肉食動物だというのなら、他の生物たちは殺されつづける弱肉強食の敗者たちだ。いちばん正しいのは肉食動物だといえる。これが進化の法則だ。
だが、肉食動物は、草食動物がいなければ生きていくことができない。
さらに、草食動物は植物がいなければ生きていくことができない。
だから、いちばん強いのは植物だといえる。
みんなは食べられるのを苦痛だというかもしれないが、植物には痛覚はないんだよ。
モルとモラは人類だから痛覚はあるけど、それでも、痛みに耐えさえすれば、いちばん強い優先権を握っているのはモルとモラじゃないかな。
5
そして、この物語には、モルとモラの子供たちがいる。名前はいちいち教えてあげない。この物語で子供たちは観客だ。モルとモラの子供たちがいることに気づいてくれればそれで充分だ。あとで、ちょっとだけ登場するけど、それはあまり物語に関係ないことだ。
ここでちょっと余談。
モルとモラは浮気をしない両想いだが、実はモラには秘密がある。モラはモルのことが世界でいちばん好きだけど、実は時々、ゲババに想いを寄せてプラトニックな浮気をしている。
「ゲババって、ちょっといいかもね」
男が少ししかいないから、そんなことをモラは思ってしまったりもする。
そのことをゲババは知らない。
「ああ、残念ね。今なら、わたしを口説き落とすタイミングがあったのに」
モラはそのまま、ゲババと話すだけ。
バカなゲババ。
モラはそのまま、ゲババに食べられて、とても悲しい思いをする。
バカなゲババ、とモラは思っている。
モルとモラの戦い。
この物語において、モルとモラは性別が違うだけの同じ性質をした働き者のお父さん、お母さんだけど、世の中、あまくはない。両想いの二人も戦っている。
男と女の戦い。
男と女が仮に別種の生物だと考えると、男と女は互いに共存しながら、互いに勝ち負けを競っているように思える。
モラはモルに負けるわけにはいかないのだ。あらゆる技を駆使して、モラはモルより優位に立とうとする。意見のちがいがあれば、モルを激しくののしり、仕事の量がモルより多くならないようにモルに命じて働かせる。
男と女の激しい生存競争が行われているのである。
互いに手をとりながら、いちゃつくように激しく、女々しく、猛々しく、争いあう。愛という名のもとに、お互いを特別扱いすることに決めた恋仲の二人が、地上では激しく争っている。
モラはいう。
「わたしたち夫婦が仲良くやっていけるのは、わたしがお父さんの顔を立てて、ひたすら忍耐に忍耐をかさねているからだけどね」
モルは嘆きながら答える。
「お父さんがそんなに悪いのか。お父さんがそんなに悪いのか」
ぼくは恋愛の問題で困った時は、それを難しい愛の問題として全保留にすることにしている。恋愛の解答を出せるほど、ぼくには恋愛の経験がないし、信念もない。
進化の法則では、男と女の戦いは視野に入らない。強いていえば、Y染色体という遺伝子とX染色体という遺伝子が生き残れるかという生存競争である。Y染色体とX染色体群は共生関係にあり、お互いが助け合わなければ子孫を残すことができない。これは、利己的な遺伝子として考えてみると面白い問題であるが、男と女を別種の生物として見てみた時、どちらが勝つかは面白い問題である。
歴史上は、男の方が強く利益を得ていたとされているが、案外、そう簡単な問題でもないと思う。どちらにしろ、ぼくにはお手上げの難しい愛の問題だ。
ただ、クローン技術を使えば、男だけ、女だけでも、人類を生存させつづけることが可能なことは覚えておくと良いだろう。これは一九七○年代にアメリカで発見されたSFのアイデアである。
6
そういうことで、生態系を管理しているのはモルなのである。実は、いちばん強いのはモルで、いちばん正しいのはモルである。
そんなモルに反抗する登場人物が一人出てくる。
稲のイネさんである。
イネさんは、毎年、植えられては刈りとられる人類でない生き物である。
モルは人類でない生き物をすべて管理している。それもモルとモラの仕事だ。
人類の生態系を管理もしているモルは、全生態系の管理者だといえる。
イネさんは、稲だから人類の世話がなければ生きていけない。人類の世話がなければ快適に生きられないが、命を守る権利がない。
イネさんはモルとモラに管理されており、草食動物のゲババに食べられていく。
イネさんは子供たちに自分の不遇を訴える。
「ねえ、聞いてくださいよ、子供たち。わたしの身にもなってくださいよ。いいですか。わたしは人類に殺されても文句のいえない卑しい奴隷ですよ。わたしは人類に虐待されているのです。特に、農民のつもりでいるモルとモラにです。ひどいじゃないですか。こんなことが許されていいんですか。いったい、人類の作った世界のどこに平等があるっていうのですか。わたしのためを思うなら、あの憎らしいゲババをやっつけてくださいよ。わたしはゲババに食べられるのが怖くて、夜も眠れないんですからね。モルとモラとゲババは大悪人ですよ。子供たち、あんな大人になっちゃいけない。あなたたちは米を食べない肉食動物のミンクみたいになりなさい」
そういうのだ。それで、子供たちもイネさんが可哀相になって、モルにこのことを質問したんだ。
「ねえ、お父さん。どうして、イネさんは人類に生きる権利を奪われているの。どうして、イネさんを食べるゲババをやっつけてしまわないの。イネさんが可哀相じゃないか」
すると、モルは答える。
「いいかい、子供たち。イネさんは人類じゃないんだ。だから、イネさんは守ってやらなくてもいいんだ。イネさんにできる限りのことをしてあげればいいだけで、それ以上の慈愛を注ぐことはとり返しのつかない混乱をつくるものなんだよ。だから、イネさんを守ってやらなくてもいいんだ」
子供たちは納得いかない。
「なんで? お母さんはみんなを平等に愛せというよ。それなのにイネさんは仲間外れなの。そんなのおかしいよ」
モルは答える。そんなことで微塵も迷わない。
「イネさんは人類じゃない。仲間外れにしてもいいんだ」
「残酷だ。残酷だ。お父さんは残酷だ。ついにお父さんが馬脚を現したぞ。お父さんはみんなに平等に愛を注げないんだ。いけないことだ。それはいけないことだよ、お父さん」
子供たちが囃し立てる。
騒ぎ始めて収拾がつかない。
「ぼくはイネさんの代わりに食べられてもいいよ。ぼくがイネさんの代わりに死ぬよ」
子供たちは泣いて訴えた。
モルはいう。
「それはダメだ」
怒ったような声だ。
そして、モルは静かにゆっくりと話す。
「いいかい。誰かがまず幸せにならなくちゃいけない。だから、まず自分から幸せになることにしようじゃないか。他人を先に幸せにするなんて余計なお世話だ。だからね、まずは人類が一度、幸せになってみようと思うんだよ」
子供たちは怒りを抑えながら聞いた。
モルは話す。
「一度はつくろう、理想郷を。誰かが先に、一度は理想郷を作らなければならない。だったら、まずは人類が先頭に立って幸せになろう。他の生き物を幸せにするのはそのあとでいい。人類の歴史の中で、一度は作ろう、理想郷を。いいかな。わかったかな」
子供たちは静かに黙った。
そこにモラが来ていった。
「決断するのが大人の仕事なのよ。イネさんを人類と平等に扱ったら、秩序が壊れてしまうわ」
そして、子供たちはモルに従った。
進化の法則では、モルが正しいといえる。強いものが生き残るのである。弱いものは生きていくこともできない。ただ、付け加えるならば、稲のイネさんは美味しい農産物であり、その味によって繁殖しているといえる。これは稲のイネさんの生存能力による繁殖の勝利である。
ここではまだ、進化の法則より優れた正義というものはでてこない。
7
さて、農作物のイネさんが負けたところで、人類に新たな敵の登場だ。
それはロボットのベキベキタイプだ。
モルとモラは話し合っていた。
「正しいことって何なのかな」
「さあ、正しいってことは相対的なもので、絶対に正しいものなんてないんじゃないかな」
「でも、人類はどこかへ向かわなければならないだろ。立ち止まることは悪だよ。人類はどこかへ向かわなければならない」
「向かうとしたらどこへ」
「どちらでもいいから、人類が向かうべき道が正義だよ。人類の変化が正義なんだ」
「ううん、難しいわ、モル。完成した理想郷はどこへも変化しないものなんじゃないの。でも、とりあえず、人類の存続こそは正義といえるんじゃないかなあ。これに文句をつける人はいないでしょ。人類の絶滅や、生命の絶滅だけは避けなければならないと思うの」
「なるほど、モラ。人類の存続が正義か。考えておくよ」
そんな会話をしているところへ乱入した侵略者が一体いた。ロボットのベキベキタイプだ。
「おっと待った。いるぞ、ここに。人類の存続を悪だとする考えを持ったものが。ベキベキタイプだ」
ベキベキタイプは鉄パイプを組み立てて配線を巻きつけたようなごちゃごちゃした体をしていた。
ベキベキタイプは電気ショックを起こす機械を武器にモルとモラに襲いかかった。二人で戦おうとするモルとモラ。
モラはいった。
「いったい何なの、このロボットは?」
「お父さんがつくったロボットだよ」
「どういうこと、モル。人類を危険にさらす気なの?」
モルは説明した。
「人類の歴史において、一度は作ろう理想郷」
モラは黙って聞いた。
「理想郷を作ることが人類にできないなら、ロボットにならできるかもしれない。それを試そうと思って作ったんだ」
モラはそれを聞いて嘆いた。
「なんてバカなことをしたの。子供たちが殺されてしまうわ」
「大丈夫。子供たちは戦うさ。決して負けはしないよ」
子供たちは聞いた。
「どうして、ロボットが理想郷を作ってはいけないの。ベキベキタイプが理想郷を作れるのなら、ベキベキタイプに理想郷を作らせればいいじゃないか」
モルは答えた。
「それはね、ロボットを作ったのは人類だから、まず、責任をもって人類が理想郷を作れるのかを試すべきだとお父さんは思うんだ。ロボットが理想郷を目指すのは、人類が理想郷を作るのに失敗してからだよ」
モラは叫んだ。
「このロボット、襲ってくるわ。とても危ないじゃない!」
モルは一人でロボットと戦った。
「帰れ、ベキベキタイプ。まだお前の出番じゃない。まだ人類の出番だ。プログラムを乱すな」
ベキベキタイプはゴム弾を撃った。それをモルは防弾盾で防ぐ。モルはベキベキタイプの関節部に塗り薬をぬって滑りを良くして、ベキベキタイプの燃料を濾過して、きれいにしてやり、さらに燃料を満タンにした。
「なぜだ。なぜ、おれの整備をしている? 人類よ」
「それは、これがおれの戦い方だからだよ」
「理解不能。理解不能。戦略プログラム、修正命令要求。思考回路、自己再設計開始。友好的な人類との戦い方を今から解析」
ベキベキタイプがうめいた。
「見ろ。お父さんが押してる。もう、ベキベキタイプの思考を混乱させたぞ。いけいけ。お父さん。頑張れ、頑張れ、お父さん」
子供たちの声援が飛ぶ。
「そりゃ」
モルはベキベキタイプの車輪のねじを締めなおしていく。ぐらついていたベキベキタイプの移動が安定して直進するようになる。
ベキベキタイプは大喜びだ。
「歓喜。歓喜。この敵と戦うことは我が喜びなり。人類がこれほど快適な交流の行える相手だとは知らなかった」
モルはベキベキタイプの背中の蓋を開けて、埃を払っていく。汚れが落ちるように磨いていく。
「おお、いいぞ。いいぞ、人類。もっと、やれ。もっと、やれ」
そして、モルはベキベキタイプの主電源を交換し、リモコンひとつで電源が落とせるように改造してしまった。ベキベキタイプは完全に油断していた。戦いで敵を信頼するなど、愚かなことだ。戦場においても、お互いにルールを守らなければ正気を保つのも大変だけど、それでも、戦場では基本的にルール無用だ。やらなければやられる。この場合、ベキベキタイプがモルの仕掛けた罠に引っかかってしまったのだ。
モルは老練の戦士だ。相手を傷つけることもなく勝ってしまう。
「終わりだ。ベキベキタイプ。基地へ帰れ」
モルが突然、命令した。
びっくりするベキベキタイプ。
「何をいってるんだ、人類よ。これから、おれ様と一緒に世界を征服するのではないか。お前の寿命のある限り、お前は生かしておいてやろう。一緒にロボットの理想郷を築こう、人類よ」
「黙れ、ベキベキタイプ。お前の負けだ。基地へ帰らなければ、電源を落とす」
そこで、ベキベキタイプは初めて自己診断プログラムを走らせ、電源の機種が変わったことに気づいた。
「がははは、そう簡単にいうとおりにすると思ったか、人類」
ベキベキタイプはゴム弾を乱射してくる。
ガシャン。大きな音がして、ベキベキタイプの動きが突然、止まった。電源が落ちたのだ。ベキベキタイプのプログラムにバグが発生する。
モルがスイッチを押した。ガチャガチャとベキベキタイプが再起動する。自己診断プログラムを走らせ、突然、電源が落ちたことにより、プログラムの一部が破損しているのを発見する。
「酷い。酷いぞ、人類。お前はおれの体を傷つけた。うおおお」
ガシャン。ゴム弾を撃とうとしたベキベキタイプを再び、モルがリモコンで電源を切り、動きを止めた。
また、モルが電源を入れる。
ガチャガチャ。
「基地へ帰れ。お前に勝ち目はない、ベキベキタイプ」
「ふざけるな。これが正当な戦いだとでもいうのか。おれ様の機嫌をとって、近づき、秘かに改良するような戦い方が、正々堂々とした戦い方だとでもいうのか」
「何をいってるんだ、ベキベキタイプ。戦いにルールなんてあるわけないじゃないか。あまえるんじゃないぞ」
「許してくれ、人類よ。頼むから、おれの電源をもとに戻してくれ」
「断る。基地へ帰れ、ベキベキタイプ」
ベキベキタイプはがっくりとうなだれた。ベキベキタイプの計画では、何の障害もなく世界を征服できるはずだった。それが、いきなりつまづいてしまった。計画は大失敗して終わったことになる。ベキベキタイプは負けたのだ。
「これが正義だ、ベキベキタイプ。おれが正義で、お前は悪だ。今後、お前は罪を背負って生きろ。いいな」
「そんな。そんな理不尽なことがあるか。おれは、おれのプログラムされたとおりに行動しただけだ。それがなぜ罪になるんだ。おれが勝っていれば、ロボットの理想郷が作れたんだぞ。それを阻止したお前が悪ではないのか。人類よ。お前は、信じられないほどの極悪だよ。自分で勝手に正義を決め、弱者をいたぶるのだからな。こんなことは許されないことだぞ、人類」
「おれが正義だ。間違いない。おれはおれが正義であることに一点の疑問も抱いてはいない。おれが正しく、世界はおれの思った通りに動くべきだ。わかったか、ベキベキタイプ」
モルに撃退され、ベキベキタイプは帰っていった。
負けたベキベキタイプにどんないいわけもできはしない。負けたベキベキタイプのいいわけなど誰も聞きはしない。残酷にも勝者であるモルのことばが優先され、みんなの信じる指針として示される。ベキベキタイプの主張するロボットの理想郷は、理不尽な理由により、否決され、捏造され歪曲された判決によって、間違った主張だとして退けられるのだ。ベキベキタイプは迫害された。
勝てば官軍とはよくいったものだ。一人を殺せば殺人鬼、だが、百万人を殺せば英雄だと、歴史書にも書いてある。それでは、正義が勝つのか、勝ったものが正義なのかわからないではないか。
進化の法則に照らし合わせれば、勝ったものが正義だ。だが、正義とは進化の法則よりも優れたものであるはずだ。単純に、勝ったから正義だとはいいきれない。負けた英雄たちの物語がいくつも後世には残される。三国志の劉備軍しかり、平家物語の源義経しかり、負けた英雄の正義は民衆に好まれ、語られるものだ。それでは、正義とは何か。この物語では、勝ったモルが正義で、負けたベキベキタイプが悪なのか。そんな簡単に正義と悪を決めても良いものなのだろうか。勝てば官軍、負ければ賊軍か。
正義とは、一方的な暴力に付けられた名前か。
しかし、あえて、ぼくは断言しておく。モルが正義だ。ベキベキタイプに正義なんてこれっぽっちもないんだ。
モルは試しているのだ。理想郷を作るあらゆる可能性を。そのために、イネさんもベキベキタイプもいる。モルの世界には、実にさまざまな多様性を内包する器の広さがあった。
進化の法則に照らし合わせれば、正しいのはモルだ。相手を殺さずに生かしておいてやるところが、進化の法則より優れた正義だといえる。
8
怠け者のゲババは、科学者のミンクより人妻のモラが好きだった。科学者のミンクは、怠け者のゲババより、働き者のモルのことが好きだった。
だから、二人には恋人がいない。いつもスレちがってばかりだ。両想いのモルとモラとちがって、宿命的に片思いなのがゲババとミンクだった。
まったくバカな話だ。簡単な算数ができれば、ゲババとミンクが一緒になれば話は治まるじゃないか。だけど、それができないんだ。これは難しい愛の問題だ。
ゲババはモラが好きで、ミンクはモルが好きだからしかたなかったんだ。
ある日、モルとベキベキタイプが戦っていた。モルは体をナイフで貫かれ、死ぬかと思った。それをミンクが助けに来た。
「大丈夫、モル? わたしに任せて。こんなロボット、追い払ってあげるわ」
そして、ミンクはベキベキタイプを追い払った。
「待て、待つんだ、ベキベキタイプ」
モルはロボットに呼びかけた。
「おれは死ぬかもしれない。誰かに後のことを任せなければ」
「モル、心配することはないわ。後のことなら、わたしに任せて。わたしが全部、なんとかするわ。だから、心配しなくていいのよ。今は大事に体を休めて」
科学者のミンクはモルに必死に訴えかけた。だけど、モルはそれを退けた。
「ダメだ。ミンクじゃダメだ。ベキベキタイプ、来い、ベキベキタイプ」
モルは死にそうな声で呟きかける。
ベキベキタイプの集音機がモルの声を聞きつける。やられて帰っていったベキベキタイプが戻ってくる。
「何だ、人類。おれ様に何のようだ」
ベキベキタイプは尊大だった。
それでもかまわずにモルは話しかけた。
「もし、おれが死ぬことがあったら、この世界のあとのことは全部お前に任せようと思うんだ。一度は作れ、理想郷を」
モルはそういって、病院に担ぎこまれた。
モルはミンクよりベキベキタイプを選んだ。ミンクはそれが、すごく、すごく、悔しかったんだ。
本当に本当に、すごく悔しかったんだ。なぜ、モルはミンクの実力を認めて、あとのことを任せてはくれないのか。なぜ、人類のミンクよりも、敵であるロボットのベキベキタイプに世界を任せるのか。ミンクはそのモルの決断にびっくりしていた。モルは、ミンクに任せるくらいなら、ロボットに世界を譲り渡すといっているのだ。そんなバカな決断があるか。そんなに、そんなにミンクが頼りないのか。
許せない。
ミンクはあまりにも悲しくて泣き出してしまった。
モルは結局、生きのびて、まだまだ人類の存続に努めた。まだベキベキタイプの時代は来なかった。
ミンクはすごく、すごく怒っていた。
「モルには夢がないのよ。ただ現在の生活をつづけようと守っているだけ。そんなことでは未来には進まないわ。モルはもっとわたしのように実験と研究をするといいわ」
子供たちはいった。
「喧嘩だ、喧嘩だ。お父さんとミンクが喧嘩してる」
それで、モルはゆっくりと子供たちに話した。
「喧嘩じゃないよ、子供たち。いいかい、みんながみんな、お父さんやお母さんのようにならなくてもいいんだ。ミンクのような科学者になってもいいんだよ。どんな人生を目指すかは、子供たちの自由だ。ミンクはまだ誰にも考え付かなかったような新しいことを発見するために研究してくれているんだからね」
それでミンクは機嫌がよくなって、子供たちに大意張りして帰っていったんだ。
「そうよ。子供たちは、わたしのようにみんな科学者になるといいのよ。科学こそが、人類の未来を作る研究よ。とっても大切なことなの。みんな、科学者になろうね」
そこまではよかった。
だけど、ミンクはその後で、一生をかけて研究していた『空気と同じ重さの固体を作る研究』に失敗してしまい、ミンクは人類に何も新しいものを作り出すことはできなかったんだ。
ミンクの挫折だった。
研究に失敗すれば、科学者に何の価値もない。研究を失敗したミンクに、社会への貢献はゼロに等しい。
ミンクは人類にとって、何の役にも立たない人生を生きてしまった。まるで、怠け者のゲババと一緒じゃないか。そんなのは嫌だった。耐えられない。
ミンクは人類の存続に貢献できなかった分、科学に貢献しようとしたが結局、努力しても、何の発見もできなかったんだ。
ミンクは可哀相な負け犬さ。
ミンクは泣いた。嗚咽して泣いた。
ミンクが一生かけて研究してきたものは何の価値もないゴミクズと化してしまった。
こんな挫折はなかった。
進化の法則によれば、ゲババもミンクも淘汰される存在ということになる。しかし、正義はこの二人を守ってあげる。それが正義というものだ。
9
再び、イネさんの登場である。稲のイネさんは、世話をしてくれるモルとモラを裏切り、ベキベキタイプにつくことにした。イネさんは人類を裏切ったのだ。
イネさんは自分の体に毒の実を付けて成熟させた。
それをゲババが食べた。
「痛いぞ。痛いぞ。苦しい」
ゲババは毒を受けて苦しんだ。
みんなが駆けつけてきて、大騒ぎになった。このままではゲババが死んでしまう。モラとミンクは大急ぎでゲババの治療に当たった。
モルはイネさんに語りかけた。
「なぜ、こんなことをしたんだ」
イネさんは答える。
「なあに、支配者が移ろいゆくのは諸行無常。人類の時代は終わりを告げるのです。これが生きるってことでさあ」
モルはイネさんの毒の実を全部刈りとって焼却処分してしまった。
子供たちは、イネさんの遺伝子が保存されていて、イネさんをいくらでも再生できることを知っているので、イネさんに同情はしなかった。
そして、モルはまた新しい稲を植える。モルはイネさんに対して、話し相手になるが、人類の地位を脅かすまねを許しはしなかった。
イネさんはいう。
「モルとモラはわたしらの命をもてあそぶ極悪の輩ですよ」
それを子供たちが聞いていた。
「モルとモラは強い。強いだけで恐怖の対象となる。モルとモラは強いというそれだけの理由で、悪なる存在になるんでさ」
子供たちは思った。
「それはちがう。強いのは良いことだ」
イネさんがいう。
「何が良いのですか。強いということは、それだけ他のものを押しのけて生きているっていうことでさあ。悪の塊でさあ」
子供たちは思った。もっと強く、もっと強く、どこまでも強くなることが、生き物の目的だろうと思った。それが進化の法則だろ。
イネさんはいう。
「強く生きること、勝つことは、他人を虐げることでさあ。負けることこそ正義、最も弱い負けるものが正義の体現者ですよ」
イネさんはなおをしゃべる。
子供たちは混乱して、話についていけない。
「わたしは愛を語った本を読んだんですがね、その本では愛のないものから見殺しにして理想郷を築いていくんですよ。ああ、こりゃ、ダメな本だと思ったね。実際は愛のあるものから死んでいくんですよ。それが正義というものです。進化の法則の逆をいくのだな。ということは、時代が進めば進むほど、残酷なものが生き残るということになる。実際はどうでしょうか」
ちなみに、ゲババはみんなの献身によって、命を助けられた。
進化の法則によれば、イネさんが死ぬのもゲババが死ぬのも生存競争ということになる。二人が淘汰されても、何の問題もない。だが、正義は、イネさんを殺しても、ゲババは殺さない。イネさんは殺してしまうのが、ぼくの考える正義だ。イネさんは遺伝子を保存されるだけでも我慢しなければならない。
10
ここで、登場人物の誰がいちばん強い快楽を得ているかを説明しておこうと思う。というのも、正義について語ったところ、勝ち負けなどは重要ではない。快不快の強さで生き物の価値が決まると、とある人物が語ったからだ。それなら、そういう見方をする人のために、正義を物語るこの話で誰が強い快楽を得ているのかを説明しなければならないではないか。
まず、モルとモラは基本的に強い快楽を得て生きている。美味しい食べ物を食べ、きれいな服を着て、快適な住居に住み、適度な運動をして、充実した毎日を送っている。夫婦の性生活もうまくいっており、まさに否のつけようのない理想的な夫婦だ。その快楽は強い。人類の幸せな家族を地で体現する人たちだ。唯一の痛みは、ゲババに食べられてしまうことである。
つづいて、ゲババだが、これは快楽が低い。何にも縛られない自由人だが、生きがいもなく、夢も希望もなく、語り合う友人もいなく、空虚な毎日をすごしている。性生活もない。人類の中の、退屈な人々の代表がゲババだ。しかも、ミンクに食べられてしまうという痛みを負っている。
ミンクはというと、やはり、ゲババと同じように快楽は低い。性生活のない人生を過ごしている。しかし、ゲババより、毎日は充実している。研究と実験という充実した仕事があるからだ。ミンクはゲババよりも他の人と社交性を持ち、語り合っている。注意するべき点は、食べられることがないことである。そういう痛みはない。だが、狩りをする反撃で、草食動物のゲババに殴られることがある。それくらいの快楽で生きている。
つづいて、イネさんだが、これもゲババと同じくらいの快楽しかない。快適な日常を送るように世話されているが、特に快楽という感覚を持たず、平穏にすごしている。今まであげた登場人物の中では、もっとも快楽が低いといえる。
そして、ベキベキタイプである。ベキベキタイプは、すべての思考回路が快楽増幅効果を発生させるようにプログラムされている。ベキベキタイプの思考回路に不快はない。快楽だけで構成された思考回路を持っている。ベキベキタイプは、恐怖も嫌悪感ももたず、悲しみは快楽である。それでも、ベキベキタイプが生きていくのに不自由はしない。ベキベキタイプは計算上、最強の生物であり、決して他の生物に負けることがないからである。痛みや恐怖などもたなくても死ぬことはないのだ。そう設計された快楽漬けロボットなのである。登場人物の中で、いちばん快楽が強いのはベキベキタイプだ。行動するたびに快楽を感じる。生まれながらの快楽中毒者である。活動することこそが快楽を生み、休んでも快楽を生み、とにかく不快というものがないから、精神は極めて幸せである。
快楽の強さで正義を決めるのなら、いちばん快楽が強いのはベキベキタイプであり、ベキベキタイプが正義だ。ロボットのベキベキタイプの快楽は、細胞生物と比べて桁違いに強い。
とうとう、ベキベキタイプが人類に戦争を仕かけた。ベキベキタイプは計算しつくした。ロボットのロボットによるロボットのための社会を築けば、人類よりも幸せな世界を構築できると計算したのだった。だから、ついに人類を淘汰する戦争を起こした。
ベキベキタイプはいう。
「モルとモラと子供たちに宣戦布告する。モルとモラと子供たちは皆殺しにする。それで人類は絶滅だ。滅びよ」
モルとモラは子供たちを安全な避難所に隠して、さっそくベキベキタイプへの防衛戦争を始めた。専守防衛に基づいて戦争していた。決して、ベキベキタイプを滅ぼすことなく、ベキベキタイプから身を守る。そんな都合の良い結末を想定しての戦争だった。
ベキベキタイプからすれば、そんなモルとモラの作戦行動はあまっちょろいものだった。まるでベキベキタイプに被害がない。長期戦をつづければ、いつか人類に勝てるであろうとベキベキタイプは計算した。
ベキベキタイプはゲババとミンクは相手にしなかった。戦うだけ無駄などうでもよい勢力だと見ていた。
そんな戦いを見て、ゲババは思った。
「もし、戦争でモルが死ねば、モラはおれのものになるんじゃないのか」
やはり、そんな戦争を見て、ミンクは思った。
「もし、戦争でモラが死ねば、モルはわたしのものになるんじゃないかしら」
この戦争において、ゲババとミンクは意見を一致させた。お互いにとるべき行動が同じ事に気づいたのだった。
「おれたちは人類を裏切って、ベキベキタイプにつくべきだ。そうすれば、欲しいものが手に入る」
「わたしたちは人類を裏切って、ベキベキタイプにつくべきよ。そうすれば、欲しいものが手に入る」
ゲババとミンクは、二人で内緒にベキベキタイプのスパイになることを申し出た。
「ベキベキタイプよ、おれを手下にしてくれ。そうすれば、憎いモルを殺してあげよう」
「ベキベキタイプよ、わたしを手下にしてちょうだい。そうすれば、憎いモラを殺してあげる」
「ほほう、我々の統制下に入ることを望むとは、なかなか優秀な人類のようだ。わかった。さっそく、おまえたちを仲間にすることにしよう。やつらの味方になったふりをして、やつらを内部から破壊する工作をするのだ」
ベキベキタイプの指示が飛んだ。
そして、ゲババとミンクはモルとモラのもとにいき、戦いを手伝うことになった。表向きは二人の援軍であったが、実は破壊工作に来たスパイであった。モルとモラは二人を信じて味方に引き入れた。
ゲババは、ミンクほどあまい考えはしていなかった。モルが死んだら、すぐにでもベキベキタイプを破壊できるようにしなければならない。そこで、ゲババはベキベキタイプの中央電算機と動力源に爆弾を仕かけておいた。もし、モルが死んだら、自動的に爆発するように仕組んだものだ。
これで準備は万端だ。あとは、戦争のドサクサにまぎれて、モルを殺人するという残虐な行為に手を染めるだけだ。
ゲババは動いた。
ベキベキタイプと人類の戦争で、いつでも隙を見つけてモルを殺せるように。
「これでモルさえ死ねば、モラはおれのもの」
「これでモラさえ死ねば、モルはわたしのもの」
二人の打算が渦巻く中で、二人よりも賢いものたちによる戦争がつづいた。
結果、ベキベキタイプがモラを殺そうとした時に、ゲババが盾となって身代わりに死んだ。
「助けて、ゲババ」
そういうモラの頼みをゲババは断れなかった。ゲババはモラの代わりに死んだ。
ベキベキタイプがモルを殺そうとした時に、ミンクが盾となって身代わりに死んだ。
「助けてくれ、ミンク」
そういうモルの頼みをミンクは断れなかった。ミンクはモルの代わりに死んだ。
いってることがわかるかい。二人は愛するものを手に入れようとして、策略を練ったのに、恋のライバルの得になるようなことをして死んでしまったんだ。
生きるも死ぬのも仮初の宴。阿呆のように道化のように迷い惑って死ぬのが人生ではないか。
踊るよ、踊るよ、阿呆が踊る。惨めに這いつくばって、地面の泥を噛んで呻くよ。
ゲババは自分が死んだら世界など滅びてしまえと、ベキベキタイプに仕かけた爆弾が爆発するように準備しておいたから、その時限装置の時刻が来た時、爆発してベキベキタイプは壊れてしまった。
こうして、戦争は終わった。
なんとも悲しいゲババとミンクではないか。
これが裏切り者の末路というものではないか。
進化の法則によれば、モルやモラを殺そうとするものたちはみんな悪くない。ただの生存競争であり、淘汰にすぎない。だが、実際に生き残ったモルとモラは、進化の法則で優れた生き物とされる。そして、モルやモラのために死んでしまったゲババとミンクの献身が正義といえる。
11
気がついたら、ゲババとミンクは生きていた。治療が間に合ったのだ。
「よかった」
ゲババはひとこと発した。
それから、周りを見まわす。ミンクが隣で横たわっており、モラと子供たちが看病をしていた。自分もモラに優しく看病してもらう。悪くない気分だ。もし、モルが生きていて、モラを今でも抱いているのではなければ。
ゲババはまだモルが生きているのだと思うと、心の底からモルが憎くなってくるのだった。モルなんて死んでしまい、モラが早く自分のものになればいいと、ゲババは思った。
「なんで、おれまで助けてくれるんだ、モラ」
ゲババは聞いた。ミンクはその答えを耳をすまして聞こうとした。モラはぬるま湯につけたタオルをしぼりながら、にこやかな笑顔で答えた。
「わたしたちは誰でも生きているものなら助けるのよ。それの何が不思議なの」
「だって、おれみたいな働きもしない何の役にも立たない怠け者を助けても意味がないじゃないか。本当はおまえたちは、おれなんて死んでしまえばいいと思ってるんだろ。それをわざわざ助けたりして、偽善者ぶるから、余計な面倒に足を捉まれるんだ。おれを殺しておくべきだったよ、モラ。モラは、おれがどんなに悪いやつなのかわかってないんだよ」
「卑屈になることはないのよ、ゲババ。どんな性格の人がいても個性だわ。それを受け止めるだけの覚悟がわたしにはある。遠慮しなくてもいいのよ」
「だったら、おれと結婚してくれよ。モルと別れてくれ」
モラは困ったような顔をした。
「それはダメよ、ゲババ」
「おれと浮気しようよ、モラ」
「無理。わかって、ゲババ」
「好きだよ、モラ」
「駄目。わかった。それ以上いったら、口をきいてあげないから」
「うん。わかったよ。ちぇっ」
ゲババは誰もいない方へ体を向けて、顔を背けた。
「でも、本当になんでおれなんか助けるんだ。おれなんて生きてる価値ないじゃないか。そんなおれを何で助けるんだ」
「それはね、ゲババ。昔、古代の賢者がすべての人を平等に愛するようにいったのよ。わたしたちはその教えを聞いたおかげで繁栄したの。まだ、なぜ、その教えを聞くと繁栄するのかの理由はわからないけど、それが正しい教えなのよ。少なくとも、進化の法則よりは正しい法則なの。だからよ」
「ちぇっ。モラは変に賢いから嫌いだあ」
「もう、ゲババってば、すぐすねるんだから」
それから、ゲババとミンクは怪我が治るまでずっと治療を受けていた。二人とも、自分たちが人類を裏切ってベキベキタイプのスパイになっていたことを黙っていた。それを知られたら、モルに殺されるだろう。
面白い。怪我が治ったら相手してやる、モルめ。そうゲババは思った。
でも、ちょっと怖いな。やめておこうかな。そうゲババは思った。
「古代の賢者の教えかあ。それがなぜか現代の科学よりも正しくって、それで世の中が動いているんだろうな。不思議なものだ。モルやモラの論理より賢いことを考えた人が過去にいたなんてな。そいつらにおれたちが操られているなんてな」
ちょっと寒い風が吹いた。
「もし、その古代の賢者の教えがまちがいだったら、モルもモラも死んで、人類はもう一回、一からやり直すんだろうな」
ゲババはひとりごとをいった。誰も聞いてはいなかった。
「おれなんて、放っておいてな」
ただ、ゲババは一人寂しく、野原を歩いた。
近代になって、性の解放という運動が広まっていったため、若い者は勘違いしがちだが、我々が思っているよりは、遥かにまだ強く一人とだけ付き合い結ばれるという習慣は根強く残っている。モラは一生、モルを愛するともう決めてしまっているのだ。そこにゲババが入りこむのは難しかった。
だが、これは難しい愛の問題だ。ぼくの苦手な愛の話だ。愛の話はぼくに聞くより別の人に聞いた方がきっと現実的なことを教えてくれるだろう。
「正義と悪はどちらが先に生まれたのだろう。正義が生まれる前は、世界を進化の法則が支配していて、それは一見、弱肉強食の悪の世界に見えるけど、実はそれは人類を誕生させたとても大切なものだった。だから、正義の誕生の前には悪はなかった。ある時、古代の賢者が進化の法則より優れた何かを探し出し、教え広めた。それが正義と呼ばれるものだ。以後、正義に反するものが悪と呼ばれた。正義は、悪より先に誕生したんだ。そうだ、きっと、そうだ」
ゲババは歩いた。
12
ミンクはモラと話をしていた。
「ゲババに良いところがひとつでもあるかなあ」
モラは答える。
「あら、あるじゃない。自由に生きる風来坊なんて、格好いいじゃない」
「まあ、物語の主人公は職の安定しない自由人かもしれないね。ゲババみたいなやつが英雄と褒められるのが物語かもしれないね。でも、ゲババに勇気はあるかなあ。ゲババは勇敢に敵と戦うかなあ。ビビッて逃げ出すんじゃない。きっとゲババは根性なしよ。ゲババはダメよ。クズよ。たぶん、そう」
「あら、ミンク、いつかゲババがあなたの危険に助けに来てくれるかもしれないじゃない。そう見捨てたものでもないよ、ゲババは。あれで、意外と自分のことは自分でできるのよ」
「そうね。ゲババは自分のことは自分でできるよね。でも、他人のことは何一つしてあげられない嫌なやつよ。ゲババが、もし、ゲババがわたしを助けてに来たら、わたしはびっくりして、ゲババと一緒になってしまうかもしれない」
「面白そう。はたして、正義の味方ゲババはミンクの危機に助けに来れるのか」
「ちょっといってみただけよ。だって、モルなら絶対に助けに来てくれるじゃない。モラが羨ましい」
「残念。モルはわたさないから。モルはわたしのものよ」
「ふん。じゃあ、またね、モラ」
「ええ、元気でね、ミンク」
ミンクはモルに手紙を出した。
歩けども
生きる気のない
死者のよう
天をうかがい
るんるん気分
モルからの返事は
もういいよ
ラララと歌い
がんばるよ
すいすい泳ぐ
奇跡の出会い
だった。
ミンクにとって、完全にふられた気分だった。
ミンクは旅に出た。自分が嫌になって。絶対にモラには勝てないと思い知らされて。それで、世界の裏側まで旅に出た。
「がははははは、こんなところを一人で歩くなど、油断のしすぎだな、人類は」
見ると、ベキベキタイプがミンクに襲いかかってくるところだった。
「きゃあ、助けて」
ミンクは通信機に向かって叫んだ。
ミンクの悲鳴は、通信衛星を中継して、世界の裏側のみんなの公園のテレビまで届いた。あいにく、その時、モルとモラは仕事で出かけていた。それを聞いたのは、怠け者のゲババ一人だった。
おや、どうやら、阿呆なミンクが助けを求めているようだ。通信機を使うなんて、よっぽどの緊急事態に出くわしたにちがいない。これはちょっとやばいんじゃないかな。でも、おれには関係ないしな。だけど、見捨てるのはミンクが可哀相かな。あいつにも、かわいいところがあるからな。ようし、それじゃあ、おれ様が助けにいってやるか。どこにいるのか、わからないが、危険な目にあってるなら、おれが助けに行くしかないだろう。
と、ここまでゲババが考えたのである。
「ちょっと出かけてくるわ」
子供たちにそういって、ゲババはミンクを探す旅に出た。あのゲババがミンクのために働くなんて、めったにあることじゃない。これは喜ばしいことか、それとも余計な徒労であろうか。
これで旅に出たゲババまで遭難してしまったら、二次災害ということになり、いい迷惑である。立派な大人はそんなことをしてはいけない。
だが、ゲババは旅に出た。ミンクの悲鳴を聞いて、ミンクを助ける旅に出たのだ。
もし、本当に正義の味方がいるのなら、その人は誰が世界のどこにいたって駆けつけてくれるたどり着く者であるはずだ。誰かの危険にたどりついた者が正義の味方なのだ。
だから、正義の味方は、世界中を見張っていなければならないことになる。
もし、運よく、あるいは、運悪く、自分が誰かの危機を助けることのできる一瞬にめぐりあったのなら、そいつが正義の味方になるのだ。
そんな都合のいい話があるかって。
あるさ。
なあに、長い人生、長い人生、一度ぐらいはそういう危険にめぐり合う時がやってくる。
ぼくは中学生の時、自転車をこいでいた時にたかりに会った。友だちと二人でいたのだが、三人のたかりに会って、自転車をつかまれた。逃げることができない。それで友だちは千五百円たかられてしまった。ぼくはたかりに殴りかかろうか考えていた。だけど、たかりの一人が棒切れをもちだして、
「いうとおりにしないと、これで骨折るからな」
といったので、これは負けると思って、怖くなって千円を払った。たかられた。男として恥の度胸のないことをしてしまった。恥だ。ぼくの失敗である。ぼくらからお金をたかった三人は、笑いながら遠くへ歩いていった。ぼくには度胸が足りなかった。せめて、抵抗して三人にちょっとは痛い目を合わせるべきだった。ぼくの男としての名誉が傷つけられた時だった。ぼくの人生における戦うべき時の戦歴は敗北で終わったのだ。そんな情けないやつが書いてるのがこの物語だ。ぼくは中学校でたかられてから、もう二度とたかられない、次からは逃げ出すと決意した。その後、たかりに会ったことはない。このように、ぼくの一生の間にも、勇気を試されるできごとが一回は起こっているのだ。ぼくはその時、正義の道をとることができなかった。悪に手を貸してしまった。これは恥とするべきことだと思う。もし、ぼくと同じような体験をした人がいたら、あるいは、ぼくより悲惨な目にあった人がいたとしても、ぼくはその後、立ち直り、立派な大人に成長したから、そんなに落ち込むことはない。人生にやり直しは効く。だから、一回や二回、失敗したからって、落ち込まないでほしい。少しづつ、強くなっていこうよ。それでいいじゃないか。
話は脱線したが、話をもとに戻すと、ゲババはミンクを助ける旅に出たのである。
ゲババには、ミンクがどこにいるのかわからなかった。だから、ゲババは世界中からミンクを探し出す旅に出た。
ゲババは、旅をしているとお腹がすいてきた。それで、旅の宿屋で、ご飯を盗み食いして食い逃げした。それはミンクを助けるために仕方なかったことだ。
ゲババはさらに、旅をしている間に着ている服が破れてしまい、旅の途中の服屋で服を盗んで自分のものにしてしまった。それもミンクを助けるために仕方なかったことだ。
「てやんでい。こちとら、人の命のために体を張ってるんでい。小さいことをごたごたぬかすな」
ゲババはそううそぶく。
これはゲババが正しい。大きな正義のためには、小さな悪に手を染めても許されるのだ。ただし、それ相応の報いは受けるであろうが。
ゲババに落ちる報いとは、どれほど残酷なものであろうか。それはゲババの人徳と運が決めるであろう。とにかく、ゲババは悪くない。大義のためには、その手を汚さねばならないこともある。
だから、盗賊ゲババは正しいんだ。誰が何といっても正しいんだよ。こら、正しいんだったら、正しいんだ。いうことを聞け。ゲババはまちがってない。この時のゲババはぼくから見ても正しいことをしているんだ。
友人の命を救うためなら、盗みぐらいしてもかまわない。友人を助けてから、逮捕されればいいじゃないか。それが正義というものだぞ。
ゲババの旅は三年かかった。
ミンクは三年間、ずっとベキベキタイプと戦っていた。逃げるに逃げられず、ずっとベキベキタイプと戦っていた。ベキベキタイプの電気ショックに耐え、なんとか意識を保ち、耐電と放電を行い、避雷針とアース線を用意して、守りつづけていたのだった。
そこにゲババはたどり着いたのだった。
ゲババは悲鳴ひとつ聞くだけで、困っている人を助けに駆けつけてくれる人だったのだったのだ。
そして、ゲババとミンクは力を合わせてベキベキタイプを撃退した。ゲババは爆弾でベキベキタイプを吹っ飛ばした。ゲババは見事にミンクを救った。
進化の法則からしたら、ミンクもゲババも死んでいなくなるべき存在だ。だけど、ミンクを助けに来たゲババは、おそらく正義と呼ばれるものだ。
正義の謎を探るものは、この謎を解け。
無条件の慈愛といわれるものはとても大切なものだ。誰でも真剣勝負をすれば一度は負けてしまう。そんな時に、助けてくれるのは無条件の慈愛なのだ。ゲババがミンクを助けに来たのは、ほんの気まぐれだけど、ミンクにとってそれは無条件の慈愛に等しいものだった。ミンクはうれしくてゲババに抱きついてしまった。
ゲババも有頂天でミンクを抱きかかえた。
「ゲババ、わたしを愛しているのね」
「ミンク、きみを愛しているよ」
世界中が大歓声で二人を称えた。モルも、モラも、イネさんも、子供たちもみんな二人を称えた。地平線の果てまで届く大歓声だった。
これで物語はおしまい。
ゲババとミンクはお互いに祝福の笑みを浮かべて笑いあった。
だって、ゲババとミンクが一緒になるかなんて、それはまた難しい愛の問題だから。
だから、せめて、最後はハッピーエンドに見せかけて。
物語はおしまい。
めでたし、めでたし。
進化の法則によれば、負けたベキベキタイプが淘汰されたことになる。生き残ったゲババとミンクが優れている。そして、ミンクを助けに来たゲババの献身に正義があるといえる。
13
といいつつ、まだ物語はつづく。
ゲババはミンクに聞いた。
「ベキベキタイプを作ったのは誰なんだ」
「モルよ。この世界にあるものは何でも、モルかモラが作ったものよ」
それで意を決して、ゲババはミンクに内緒で、モルをやっつけにいった。
ゲババとモルの戦いの始まりだ。
「やいやい、モル。今すぐベキベキタイプを消滅させろ。ベキベキタイプは人類にとって不要なものだ。奴隷のようなロボットだけがいればいい」
モルが答える。
「それはできない。目的はあくまでも理想郷を作ることだ。その主人がロボットであってもかまわない」
そして、ゲババとモルの戦いが始まった。
今回は、ミンクはゲババを応援した。モラですら、ゲババを応援した。どう考えても、ミンクを殺しそうになったベキベキタイプの存在は悪であるように思えたからだった。ミンクを殺させてまで、ベキベキタイプを生かしておくことはできない。 ベキベキタイプを消してしまおうとするゲババに正義があるように思われた。
子供たちもイネさんもゲババを応援した。いつも勝ち誇っているモルを一度は懲らしめてやれと思って、みんな、モルの反対側についた。モルはたった一人だ。モルを味方するものはいない。孤独。誰も味方がいないという孤独がモルを襲った。それはとてもとても不安で寂しいものだった。だが、正義がモルにあるのなら、いつか必ずモルの思想が勝つであろう。
信念。モルには信念があった。モルが一生をかけて積み重ねてきた哲学が、自分が正しいのだという信念を持たせた。誰も味方しなくても、たった一人になっても、モルは自分が正しいと思った道を進む。例え、多数決でいえば、モルが負けているのだとしても。
正義は多数決なんかでは決まらない。みんなが考えて、考えて、いろんなことを試すうちに、正しいやり方というものが明らかになっていくのだ。モルは、正しい道が明らかになるのを待った。
戦いは互角に進んだ。ゲババもモルも、ちがう理想郷を夢見ているようでいて、同じ理想郷を夢見ているようなものだった。
例えば、イスラエルとイスラムがパレスチナを巡り争っているのと同じようなものだ。彼らの死後、たどり着く神は両者とも同じ神であろう。両者とも、同じ神を信じて争っていたのだ。
これは正義についての物語を書くのなら、パレスチナ問題を避けてはいけないだろうという意見を参考に書いているものだ。ぼくの意見では、ガザ地区に銃撃したイスラエルは悪くて、イスラエルはもうガザ地区をあきらめるべきだ。アメリカもフランスもまだイスラエルを支持しているようだけど、イスラエルが自分たちが優位に立っているからといって虐殺を行えば、正義の鉄槌を受けるのはイスラエルであろう。ぼくはイスラエルが西暦二〇〇九年にガザ地区の市民を数百人殺したことを怒っている。悪いのはイスラエルだ。イスラエルの存在は認めてやる。だから、パレスチナはもうあきらめろ。新しく戦争を起こすな。
日本のマスコミはアメリカについていて、全体の雰囲気としてはイスラエル支持だから、イスラエル兵士の死者が一人でも出ると新聞にのせるが、イスラム側の死者が出ても記事にしない。不公平だ。日本の新聞は、アメリカ軍がイラクやアフガニスタンを攻めた時、アメリカ軍の死者の数は報道するが、イラク側やアフガニスタン側の死者の数を報道しない。不公平だ。死者の数を推定しようともしない。これは、政府による情報統制があるためだとぼくは思っている。まだ、世界に公平な正義は築かれていない。報道の自由すら守られている気配がない。悲しいことだ。もっと頑張れ、正義の使者よ。
というわけで、ゲババとモルは戦いつづけた。
モラがモルに助け舟を出した。
「ベキベキタイプを消すことにして、今回は戦いを終わらせましょう。そうすれば、モルを責めるものはいないよ。それで、また平和になるのよ」
「認めない。ベキベキタイプは理想郷を作るのに必要な可能性だ」
モルがモラの意見を突っぱねた。
すると、モラがモルの応援にまわった。
「わかったわ。ベキベキタイプは残しましょう。ゲババがまちがってることにして、戦いを終わらせましょう」
ミンクがいった。
「本当に悪いのはモラよ。彼女はモルを支援することで、自分の手を汚さずにいいようにモルを操って戦っているのよ」
モルが吼えた。
「バカにするな。モラのためじゃない。おれは自分の意思で戦っている」
そうだろう。
ぼくに論戦を挑んだ男は、パレスチナ問題の本当の悪はアメリカだといった。ずいぶん、得意気になっていっていたものだ。しかし、おれは反対した。実際に戦っているのはイスラエルだぞ。実際にガザ地区の市民を殺したのはイスラエルなのだ。その当の本人を差し置いて、支援者であるアメリカのが悪いというのか。イスラエルは独立国家だと思ったが、イスラエルの意思決定はイスラエルの国民によって行われるのではなく、アメリカ政府によって決められるとでもいうのか。それは間違いだと思う。責任は当事者にある。これは絶対だ。イスラエルよりもアメリカが悪いなんてことはない。少なくとも、一番悪いのはイスラエルで、二番目に悪いのがアメリカだ。それでも、たぶん、イスラエルが負けたら、アメリカは責任をとらずに逃げるだろう。
現代の戦争では、侵略戦争を起こせば、国連平和維持軍が飛んできて、やられてしまう。世界全部が一緒になって、すべての国の平和を守っているのだ。だから、戦争を起こせるのは、拒否権をもつ常任理事国しかいない。ロシアは拒否権をもっているから、グルジア紛争に軍事介入することができたのである。イスラエルの場合は、アメリカが拒否権を発動し、イスラエルの侵略を守っている。現代の世界の構造はそうなっている。拒否権をもたない北朝鮮や日本が戦争を起こせば、国連平和維持軍に負けてしまうだろう。
ゲババとモルは戦いつづけた。それはいつまでも終わるともなくつづいた。ゲババが一度、モルを仕留める寸前までいったが、モルはそれをかわし生きのび、続いて、今度はモルがゲババを仕留める寸前までいったが、ゲババは危うく逃げて難を逃れた。
もう二人とも、自分たちがなぜ戦っているのかも忘れかけていた。二人のどちらが正しいのかも、判断することのできるものはいなかった。
もう、二人に必要なのは、戦いを終わらせる記念日だけになった。記念碑を建てて、仲直りの日をつくるべきなのだ。それで、たぶん、戦いは終わるよ。
もう、二人のどちらが正しいのかもわからない意義のない戦争と化しているのだ。だったら、あと必要なのは、仲直りするきっかけひとつだろう。
それで、子供たちは、ゲババとモルに何で戦っているのかを聞いてみた。
ゲババは答えた。
「ベキベキタイプを消すためだ。ミンクを襲ったベキベキタイプの存在を許すわけにはいかない」
なるほど。ちゃんと、ゲババは自分がなぜ戦っているのかを覚えていた。ミンクの安全のためだというのだ。それは正しい主張のように思えた。
一方、モルは答えた。
「ベキベキタイプはすでに存在してしまったものだから、消すのはまちがいだ。ベキベキタイプは残すべきだ。しかし、ベキベキタイプの人類に対しての侵略は許さない。みんなで一致団結してベキベキタイプに対抗する。そういうことにすれば、この争いは終わるんじゃないかな」
モルもまた、自分がなぜ戦っているのかは覚えていた。周りの人々にとって、もう二人がなぜ戦っているのかを思い出せなくなっても、当の本人たちはちゃんと戦っている理由を覚えていた。
モルはベキベキタイプを守るために戦っているのだ。
進化の法則に照らし合わせるならば、邪魔なベキベキタイプを葬り去るのが正しいといえる。しかし、正義といわれるものにのっとるならば、立場の弱いものも生かしておいてあげる方が正しいといえる。
「つまり、正しいのはモルだったのよ」
モラとミンクがいった。
「うん、正しいのはお父さんだったんだ」
子供たちもいった。
それを聞いたゲババは、それでも戦うのをやめなかった。
大多数の意見が正義だとは限らない。ゲババは今回は自分の判断が正しいことを信じている。ベキベキタイプを殺し、ベキベキタイプを抹消し、ベキベキタイプを虐殺し、ベキベキタイプを根絶やしにし、ベキベキタイプを絶滅させ、この世にベキベキタイプの存在を許さないことが正義だと信じている。
それはベキベキタイプへのいじめではないか。ベキベキタイプへの虐待ではないか。ゲババの心に疑念がわく。一度、湧き出した疑念はぬぐえない。果たして自分は正しいことをしているのだろうか。また、正義の使者モルにたて突く邪魔者なのではないだろうか。だとしても、だがしかし。
正義を失ったゲババはそれでも戦う。彼は勇敢なる勇士であるがために。
振り下ろされるモルのナイフが怖い。突く隙を狙っているモルの槍が怖い。それでも、ゲババは戦わなければならない。爆弾の信管を爆発する前にすべて外してしまうモルが怖い。それでも、ゲババは戦わなければならない。彼は勇敢なる勇士であるがために。
正義を失ったゲババはまだまだ戦う。それが勇気と呼ばれるものであるであろうから。
正義を失い、ただ勇気だけが残った。
正義のない勇気を人は何と呼ぶであろうか。横暴、蛮勇、そんなことばで呼ばれるのではないだろうか。そんなゲババはやはり負けるべきなのであろう。
地獄のような現実の戦場におとされた人は、この世界に正義があれと願う。自分が無惨に殺されていくのなら、せめて正義が勝てと願う。
「正義なんてものはこの世に存在しなくて、この世界は弱肉強食の食い合いの世界だ」
と思っているなら、それはまだ地獄の現実を体験したことのない甘ちゃんの世界だ。本当に自分が全力を出しても勝てないような状況に遭遇したものは正義の救済を願う。ぼくを助けてくれと誰かが救いの手を差し伸べてくれることを願う。だって、世の中には、どうしても自分では解決できない難問というものが存在して、それにぶち当たった時、人は他人の助けを求めるものなのだ。
一人で生きていけるものなどいない。いるとしたら、原始人のような無人島での漂流生活のようなものになるだろう。我々は社会の仕組みに組みこまれて、一個の歯車として回転するしかない。我々一人はそれだけ非力な存在だ。ぼくの高校の先輩がいっていた。ぼくらは社会の歯車にすぎないが、歯車一個一個は自分の力で回転している、と。ぼくはこの高校の先輩をちょっと尊敬している。いいことばを後輩に残してくれた。
必要なのは、弱者を救ってくれる救済の安らぎである。これは絶対に必要なものだ。もちろん、弱者を救う救済は進化の法則に反している。だが、それが存在することが人類の幸せであるということだ。
困ってる人を見かけたら助けてあげろ。お互いに助け合え。それが進化の法則にも勝つという人類の発見した不思議な力なのだ。ぼくはこれをここでは正義と呼ぼう。
残酷さを求める、理不尽を求める、そういう嗜好が世間にはある。誰だって、上辺だけのきれいごとで書かれたゴミクズのような物語には興味がない。欲しいのは現実の残酷さを描いた物語だ。だが、弱肉強食の進化の法則を描いただけでは、物語はまだまだだ。一度はそういうものを体験するのが人生の儀式かもしれない。だが、ぼくらは求める。弱肉強食に対抗できる正義というものの力を。だから、小説家や漫画家は慣習のように書き加える。自分の主人公に、正義というきれいごとを。
でも、それが人々に安心感を与えるのだ。弱肉強食では、ぼくたちは生きてもいないよ。すぐに死んでしまって、文明崩壊だ。人類の生活は、原始時代に逆戻りさ。数百年前までは、ぼくらは砂糖すらない生活を送っていたんだ。砂糖のない生活がしたいかい。
だから、正義が人類の上に君臨する。
正義が勝たなければ、人類の文明は急速に衰退し、不況を迎え、治安は悪化し、弱肉強食の淘汰が始まるようにできている。その淘汰に生きられるものはほとんどいない。誰だろうと、生身の身をさらけ出して生きている。いつ死んでもおかしくない。だから、正義が勝たなくちゃいけないんだ。
悪が人類を覆い尽くしたら、数年で人類は絶滅する。悪とはそれほど恐ろしいものである。
ミンクはゲババが勝てばいいなあ、とちょっと思った。
「ダメ。ダメよ、ミンク。正しいのはモルなのよ。働くお父さんのモルが正しいのよ。ゲババなんかを応援しちゃダメ」
ミンクの中にほんのりとゲババへの愛が芽生えていた。ゲババへの愛と、モルの正義への敬愛が葛藤していた。ミンクはどちらを応援すればいいのだろう。
ゲババを応援するなら、ミンクは世界を滅ぼす悪魔の使いとなろう。モルを応援するなら、ミンクは一生脇役でいるだろう。さあ、どちらを応援するべきか。
どちらが正しいのか、もうわからなくなっちゃったら、そうしたら、必要なのは後は仲直りするきっかけだよ。二人が争うのをやめるための記念日と、記念碑があれば、戦いは終わるのではないかな。
つまり、必要なのは終戦記念の偶像だよ。
モルが終戦の記念碑をつくった。
すると、
「まいった」
ゲババがいった。
ゲババはもう戦えないぐらいに傷ついていた。モルに与えた傷よりも、自分の傷のが深いことを知っていた。
ゲババの負けだ。
これが人生だ。これが歴史だ。
進化の法則によれば、ベキベキタイプは淘汰されて死ぬべきだといえる。パレスチナ問題も弱肉強食の生存競争で生き残ったものが良いものだといえる。しかし、正義があるのは、ベキベキタイプすら助けようとするモルであるし、パレスチナで人が死なないように努力する者たちが正しいといえる。
14
正義の物語を読んで、読者がいった。
「おれは正義の戦士になる」
そして、世界から悪を探した。
しかし、悪人が見つからない。
ダメだよ、そんなことでは。
この世界は、正義と悪が戦っているのではなく、正義と正義が戦っているのだからね。
正義の戦士になりたければ、真面目に働くことだ。だから、いってるだろ。正義とは働くお父さん、お母さんのことだって。そうすれば、人生のうちに一回か二回は正義を試される戦いに身を投じるはずだ。
世の中の悪を見て、駆けつけざるは正義なきことなるがゆえに。
一対一の戦いでは、人を騙す悪人のが勝つかもしれないが、百人集まって、たった一人の勝者を決めろとなったら、最後に立っているのはきっと正直者さ。だって、嘘つきに仲間はついてこないもの。百人集まって戦いあったら、大将に立てられるのは正直者だとぼくは思うね。
正義は勝つというのは、案外、本当のことなんだとぼくは思うよ。
モルとモラの許容量がついに限界に来た。もう、モルとモラの体力と生産力では、みんなを守っていくことができない。モルもモラも歳老いたのだろう。
それで、モルはいった。
「いらないものから、捨てていくことにする」
みんな驚いた。これは怖い。いったい、モルに捨てられるいらないものって何だ。
みんなが見ていると、まず、稲のイネさんが捨てられた。
「ひでぶ。あべし。あじゃぱあ。みなさん、さよなら。わたしはいらない生き物でした」
イネさんはそういって死んでいった。
モルはもっと歳をとる。モルの許容量が限界になる。次に捨てられるのは誰だ。
「ゲババはいらないから、もう生かしてあげない。おれたちの体を食べさせてあげない」
それでゲババは飢えて死んでしまうことになった。
「待て。待て。モルよ。おれがモルの代わりが務まらないとでも思ってるんじゃないか。おれは立派にモルの代わりができるぞ」
「じゃあ、試してみてくれ。子供たちに何を教えるんだ」
「ううん。子供たちか。子供たちは、何もしなくていいから、自由に遊んでいろ。それで誰も飢えることはない。食べるものがなくなったら、共食いすればいいんだ」
子供たちが文句をいった。
「そんなの酷いよ。そんなのやってられるか。やっぱりゲババじゃダメだ」
そして、ゲババは見捨てられ、飢えて死んでしまった。
それを悲しむ一人の女がいた。
「次はわたしの番ね」
「そうだ。次はミンクがいらない」
そして、ミンクは失意のうちに死んでしまった。
まだまだ、モルの許容量が足りない。
モルは、モラと子供たちを集めて言い残した。
「お父さんは死ぬ。お父さんが死んでも、頑張って生きていくんだ。もし、許容量に限界が来たら、次はお母さんが死ぬんだ。そして、子供たちよ。子供たちの社会が限界が来たら、この手紙を開けろ」
そして、モルは死んでしまった。
モルの判断において、切り捨てる順番は、イネさん、ゲババ、ミンクの次は、自分だったのだ。モルは、モラと子供たちとベキベキタイプを残して死んでしまった。
モラはそれでも悲しむそぶりを見せず、空元気をふりまいて、子供たちと楽しく生活した。だが、それでも、やがて、許容量に限界が来た。
「さよなら、子供たち。お母さんも死ぬわ。あなたたちは、あなたたちだけで頑張るのよ。あなたたちはもう一人前の大人なんだから」
そして、モラも死んでしまった。
残された子供たちは頑張った。子供たちに敵はいなかった。子供たちは繁栄し、繁殖した。
それでも、やがて、子供たちの社会も許容量の限界が来た。子供たちはモルの手紙を開けた。
そこには、「子供たちが死に、あとのものはベキベキタイプに残せ」と書いてあった。
子供たちはショックを受けた。だが、お父さんの言い付けは絶対だ。子供たちは、社会を守るために自ら死んでいった。
子供たちは全滅した。
あとにはベキベキタイプが残った。
ベキベキタイプはいう。
「これは何だ。いつの間にか世界征服してしまったぞ。ここは何だ。人類の墓場か。それとも、これが理想郷か」
かつて、人類という支配者が地球に存在した。彼らはロボットに支配権を譲り、自ら引退した。これが正義の物語の結末である。ぼくが考える正義の物語はこうなる。
さあ、どうする。正義の物語を書いてきたら、人類が絶滅してしまったぞ。人類が絶滅するのが正義である。なぜなら、いつか、必ず人類より優れた生き物が誕生するはずなのだから。人類の支配権は継承されるのだ。
物語でずっと語ってきた人類の正義が敗れても、なお、歴史がつづき、世界がより良く発展するのだ。ぼくらが正義に見放される時がいつか必ず来る。人類よりも強く正しいものが必ず現れる。それが諸行無常の定めなのだから。
それとも、きみは宇宙の終末まで生き残る人類の姿を想像できるかな。想像してごらん。ロボットに勝ち、宇宙の終末まで生きのびた人類がどんな生活をしているのかを。それができれば、きみはこの物語を超えていく。
進化の法則によれば、モルという意思で生き残るものを決めたのはまちがったことだといえる。モルや他のものが生き残るために献身したとも思えない。しかし、進化の法則でない生存競争を行うことも正義であるとぼくは思う。
ぼくは悩む。誰がどの順番で死ぬべきか。
とある人は、みんな同時に死ねばいいといっていた。それが正義なのかもしれない。ぼくにはわからない。この問題の答えがわからない。
おれの夢はSF作家になることだった。その結果、答えが出た。若い頃は環境問題とか気にしたり、人口爆発は悪いことではないかとかと悩んでいたが、そうではない。人類の目的は、文明をどこまでも高みへ発展させることであると判断した。文明を遥か高みへ押し上げることこそが我々の目的だ。そうなることを祈って、この物語を閉じる。
物語では、人類を絶滅させてしまったけれど、本当は、人類が文明をどこまでも高みに発展させることにより、人類がこの宇宙に最強の生物として君臨するのが良いことだと思っている。
人類が我を通す。押し通る。それでいいではないか。
最後に、この物語を書くに当たって、インターネット、特に2ちゃんねるで、正義とは何か、について何度も質問した。中には熱く語ってくれる人もいて、そういうさまざまな意見を内包するように物語を書いたつもりである。
ちなみに、正義とは何か、というアンケートに対して、最も多かった解答は、「孫」である。「まご」と読むと奥が深そうだが、これは「そん」と読む。ソフトバンクの社長のことである。あなたたち、真面目に答えてよ。うわん。予想以上の有名人なのね、正義さん。