もしも、明日世界が滅ぶなら
あらすじにも書いていますが、拙作は『純文学』をまともに読まない作者である私が、これは『純文学』だと思ったので『純文学』にジャンル分けしています。
それでも問題ない、と判断してくださったのならばお暇つぶしにでもどうぞ。
なお、異論・反論はばっちこいスタイルでやらせてもらってます。『こんなもん純文学じゃねぇ!』と憤った方がいらっしゃったら、是非私に『純文学』について教えてください。
「もしも、明日世界が滅ぶなら――君はどうしたい?」
唐突な質問を浴びせられ、彼はノートPCのキーボードを叩いていた指を止め、ブルーライトを煌々と発する画面から顔を上げた。
声を発したのは女性。彼と彼女がいるのは通っている大学の図書館で、勉強熱心な学生が少ないのか人の数はまばら。
よって、彼らの会話を聞き咎める者は近くにいない。
「……なんですか、藪から棒に?」
「聞いたとおりだよ。君に聞く耳があったのなら、の話だけどね」
「それ、ストレートに喧嘩売ってます?」
「まさか。君がワイヤレスイヤホンで音楽を聴いていたとしたら、『私の話を聞く耳』などないに等しかっただろう?」
彼が視線を向けてからずっと、机の対面にいる彼女はニヤニヤと笑っていた。
彼女の前にも自前のノートPCが首を上げており、彼よりも少し大人びて見える彼女の表情をスポットライトのように照らしている。
「見てわかりません? 土砂降りになった雨も、誰かが立てたタイピングの音も、ペンが走る音も、本のページがめくられる音も――ついでに、あなたの声も聞こえてましたよ」
「それは失礼した。君のオシャレな髪型に目がいって、ぜんぜん気づかなかったよ」
わずかに顔をしかめた彼は、耳朶を隠すほど長い髪の毛を耳の裏へかきあげる。
すると、先日美容院で整えたばかりの長い襟足が、不意に首筋をなでた。彼女の視線をよりいっそう疎ましそうに見返す。
彼女の背後には、『静粛に!』と注意喚起を促す張り紙と、当たっては伝う雨粒によって描かれ続ける透明な絵画を飾った窓枠――。
意識がPC画面から分散したためか、風通しがよくなった彼の耳に届く音はより広く鮮明となる。
ただのBGMだった物音を急に意識したせいか。くしゃり、と彼の手元に散らばる複数の論文がつぶれる音や、彼自身が吐いたため息まで耳障りな騒音に変換された。
「その話、あとにしてもらえません? あなたが言ったんでしょう? 明日提出期限の課題を一緒にしよう、って」
「ちょっとした気晴らしにくらい、つきあってくれてもいいんじゃないか? 減るもんじゃないんだし」
彼女は同期生の中でも抜きんでて整った容姿で知られている。
学士課程の二年目にある彼と比べ、彼女のキャンパスライフはすでに四年目。最初に出会ったころから、二度の留年を果たしたとは思えないほど、堂々としていた。
前屈みに着座しひじをついた手にあごを乗せる姿に、彼は眉間に刹那の連峰と渓谷を隆起させる。
もしパソコンが閉じられてたのなら、彼は立派な山と深い谷間をその目に望めた――いや、臨めただろうに……無念で浮かんだ眉根の疵は、治るまで時間がかかるだろう。
グラビアモデル並かそれ以上に魅惑的なスタイルとも相まって、彼女は前期課程が始まってすぐに多くの男性から言い寄られるほどの人気があったが、人が離れていくのも早かった。
「時間は減ります。無駄話をしているほど、俺も暇じゃないんですが?」
「私の急なお誘いにつきあう暇はあったのに?」
「……それは、たまたま時間が空いてたからで――」
「その『暇じゃない』空き時間を、私に使ってもいいと思ったから君は今『図書館』にいる。なら私の与太話にも、少しは耳を傾けられるのではないかな?」
視線を切った彼は一呼吸の間に会話の主導権を奪われ、返答の言葉すら途中で彼女によって切られてしまう。
誰が相手でも変えない人を食ったような性格と態度――彼女から人が離れた理由が、ここにある。
彼女の話し相手はいつも、数分とたたずに気分を損ねて彼女を見限った。男も女も、学生も院生も教授も、いつしか彼女とのコミュニケーションを避けるようになっていた。
そのため、現在は彼だけが彼女の人間関係における生命線と言ってもいい。たとえ一方的な我慢を強いられる、砂上の楼閣を歩む足場であっても。
この瞬間も彼はわずかに憮然としながら、舌の上にまでせり上がった文句の数々を引き結んだ唇で栓をした。
「……少しだけなら」
「真っ先に相手を拒絶しない、許容を是とする君の姿勢は素敵だと思うよ」
頬杖をつく腕とは逆の手が、彼女の手元に積み上がった本の山へ伸び、白魚のような指が書籍の縁をなまめかしくなぞる。
チェシャ猫のような笑みを深める彼女の言動に、一瞬だけ彼の心臓が不規則に揺れた。
だが、すぐさま染まった苛立ちにかき消され、彼は頭痛をこらえるような嘆息をこぼすのみ。
「もし明日、世界が滅ぶとしたら……でしたっけ?」
「そう。君が気づいた、ちょうど二十四時間後だ。未来は確定していて、避けられようもない現実を前に――君は残された時間で何をしたい?」
わずかにうつむき、思案する彼。
「俺なら……すぐに学校もバイトも休んで、実家に戻りますね」
「それで?」
「どうもしませんよ。家族と一緒に過ごすだけです。特別やりたいことも……まあ、両親に自分を養育してくれた感謝を述べる程度でしょうか? 死ぬ前なら、背負う恥も短時間で済みますし」
「ウェットなのかドライなのかわかりづらいな、君は」
「どっちでもいいですよ。生きている内しか、親孝行はできませんから。『いずれやりたい』と思ってたことが、『二十四時間以内に精一杯やらなきゃ』に変わっただけです」
すると、今度は彼女が小さくため息をつく。
「そうか。しかし、私のイメージとは違ったな」
「どんな答えを期待していたんですか?」
背筋を伸ばして深くイスに座り直すと、腕を組んだ彼女は視線を左上へ飛ばした。
「全財産を使いきるほどの豪遊とか?」
「確定した未来が万が一にもはずれたらどうするんですか?」
「『絶対に破滅が訪れる』前提の話だったはずだが?」
「世の中に『絶対』なんてあり得ません。『奇跡』とも呼べる確率で未来が変わったとき、世界が残っても経済的に破滅してたら意味ないですよ」
「それはそれは、ロマンチックなリアリストだね」
「どっちなんですか、それ……」
「他にはそうだな――気に入った女の子をかどわかして手籠めにするとか?」
「同じ理由から、選択肢にすらあがりませんね。っていうか、表現をぼかしてるだけで普通に犯罪ですからね?」
「おや、異性からの評価を気にしているからこそ、君は身綺麗にしているのだろう? ならば、そうした欲求を発散したいとは思わないのかい?」
「メリットよりも労力の方が大きいでしょう。この『仮定』はニュアンスからして『世界の破滅』を知っているのは『俺一人』。誘拐からの強姦って簡単に言いますけど、一人の人間が二十四時間でできる範囲なんてたかが知れてるんですから、疲れるだけですよ」
「『一人』が難しいなら『大勢』の人間を巻き込めばいい。それこそ、今はネットで何でもできる時代だろう?」
「『共犯者』を集めろとでも? 集まったところで、発案者である『俺』の労力は大きいままメリットも薄まる……最悪、時間切れで企画と心中するんじゃないですか?」
「すると何かい? 時間的・計画的制約がなければ、女性への乱暴も検討の余地があると?」
「あくまで『条件』と『目的』と『手段』を俺の頭で検証した結果、実現性が乏しいって答えになるだけですよ。そもそもからして、俺は『社会的な破滅』もゴメンですね」
「残念だよ。『もしも』の世界で君を待っていたかもしれない私は待ちぼうけというわけだ」
「…………あなたの話なんて、してなかったでしょうが」
「君の『仮定』と私の『もしも』が同一時間軸で進行していない保証もないだろう?」
ジト目を送っていた彼は、いつの間にか閉じられていた彼女のノートPCと、いつもより強調された胸元に気づいて、ゆっくりと視線をそらした。
「じゃあ、あなたならどうします?」
「私かい?」
「一方的に話して終わりは不公平ですよ」
「それもそうか」
数度うなずきを残し、彼女はおもむろに口を開く。
「もし私が世界の滅亡を知ったら――まず誰でもいいから男性をホテルに誘おうか」
「ふざけてます?」
「本気だよ。私だって、死ぬ前に男を知りたいと思うだけの知的好奇心はあるさ」
「そこは生理的欲求と言うべきでは?」
「あいにく、他の女性とデートする予定を控えていながら私との密会を承諾する君ほど、性に奔放な生き方はしていなくてね」
「……急に悪意の矛先がこちらへ向けられた気がしますが?」
「君が自意識過剰だったとは知らなかったな。あまり度が過ぎると女性にモテないぞ?」
「ご忠告はありがたくいただきますが……話をはぐらかさないでもらえます?」
「おっと、失念するところだった。ではホテルで男性と致した後だが――」
「そっちじゃないです」
「ならどっちだ? これ以外で戻すべき話題があっただろうか?」
「…………続きをどうぞ」
肩を大きく落とした彼に笑みを崩さず、彼女はもしもの一日を言葉にしていく。
「では改めて、ホテルを出たらおいしい食事にでもいこうか。聞くところによれば、情事とは相当に体力を必要とするらしいじゃないか。男性の君はどう思う?」
「ノーコメントで」
「つれないね。その後はそうだな、一人になれる場所を探そう。元々、私は人付き合いを得手としていないから、誰もいない静かな場所の方が落ち着くんだ」
「ならなんで初っぱなに男と寝たんですか?」
「言っただろう? 知的好奇心だよ。そこからは……まぁ、そのときに思いついた行動をとるかな」
「もうネタ切れですか?」
「君ほど明確に『したいこと』が定まってなくてね。一時の享楽も、豪華な美食も、安寧な孤独も、私には等しく『暇つぶし』でしかない」
「会いたい人とかいないんですか? ご両親とか?」
「迂闊だね……誰にだって、会いたいと願っても会えない人はいるものさ」
「…………すみません、配慮が足りませんでした」
「いや、気にしなくていい。二人とも、今ごろ夫婦水入らずのイタリア旅行を満喫中だろうから」
「殴っていいですか?」
「何故? 勝手に故人と勘違いしたのは君の過失だろう?」
思わせぶりな流し目から一転、からかいを多分に含んだ彼女の笑みを前にして、彼は拳をふるわせ押し黙る。
「私の行動はそれくらいかな。感想は?」
「別に何も」
「面白味がない男性はモテないぞ?」
「……強いて言えば、こんな話題を振った『意味』を問いたいですね」
「ないよ」
睨むようだった彼の視線は、まばたきの後で疑問の色を強める。
何の気なしに放った疑問だが、わずかも置かずに即答されれば無視もできない。
「つまり俺は、『意味』がない長話のもらい事故をした訳ですか」
「君は自損事故に誰かを巻き込んだのか?」
「発端はあなたの人身事故でしょうに」
「驚いた、私はいつの間に教習所を卒業したんだ?」
「無免許でカーチェイスを挑んだんですか、あなた?」
「歩行者を相手にアクセルを踏みきったのは君だろう?」
「……事故はもういいです。問題は『どうして意味のない話をしたのか?』ってことですよ」
「きっかけは私だが、君からも『意味のない話』を続けようとする意思表示があったと記憶しているが?」
「俺と会話する気あります?」
「むしろ最近は、構内に限定すれば君としか会話してないな……そう怖い顔をしていると、男前が台無しだぞ?」
「大きなお世話です」
「世話焼きな女性は嫌いかい? そもそも君は――すべての会話に『意味』が必要なのか?」
すると、彼女の表情から笑みが薄まった。
関係性としては『顔見知り』程度の交流しかない彼にとって、その変化がどういった意味を持つのかわからない。
よって、不審に思いつつも、彼はいつも通りを意識した態度のままうなずく。
「そうですね。『無意味』ってつまり『無駄』ってことでしょう? 時間は有限なんですから、可能な限り『無駄』をなくしたいと思うのは変でしょうか?」
「逆に聞くが、『無駄』とは何だ? それに『意味』とは何をもってして『意味』とする? いつ、どこで、どうやって『意味』と『無意味』は分岐すると?」
「質問を質問で返さないでいただけますか? それに、小学生のような追求に応じて考える時間こそ『無意味』であり、『無駄』でしかない」
「なるほど、君にとっての『無駄』とは、相手への答えに窮したときの言い訳に使える便利な道具になるのか。ただ、それでは『無駄』ではなく『有意義』なのではないか?」
「――しつこい人間は嫌われますよ?」
「探求心を忘れた人間に堕ちるよりはマシだと思うがね」
図書館内のためか、双方とも決して声を荒らげたりはしない。
激しさを増した雨音が沈黙を埋め、二人をつなぐ薄い関係性を強く波立たせる。
短くない時間を消費して、再び口を開いたのは彼だった。
「では、探求心から聞きましょう。あなたが『意味』にこだわる理由と見解を」
「殊更こだわったつもりはないよ。純粋に君の解釈が気になっただけだ。ちなみに、私にとっての『意味』とは――『人生』と近しい言葉だと思っているよ」
「『人生』、ですか?」
「そう、『人生』」
突飛な話題の移り変わりで、彼は悩ましげに頭をひねりながら先を促す。
「そもそも、あまねく人間の行動に『意味』を見いだす方が難しい。元から存在しないものは見つけられないだろう? 『意味』と『人生』は類似点が多いんだ」
「……『無意味』な経験を積み重ねただけの道筋が、あなたが考える『人生』の本質だと?」
「おっと、君の想像が描いた『私』の解釈はとてもシビアだね」
「違うんですか?」
「それはもう」
いいかい――と、前置きをしてから彼女は人差し指を立てて見せた。
「過去を振り返った時にしか見えないものが『人生』だよ。そして、後からそうだったのか! って納得したものが『意味』になる。あくまで『人間の行動』を基準にしたら――の話だけれどね?」
「どちらも『終わってから』でしかわからない、ということですか」
「付箋を貼ったノートは読み返さないと何が重要だったかわからないように、『確認作業』をしなければ認識できないところが似ているだろう?
『人間の行動』が『無意味』なのは、現在進行形だけだ。後からつじつまを合わせる理由になれれば、晴れて『意味』があるものになれる。当時はどれほど『無駄』な行動だったとしても、ね?」
「……いつ、どこで、どうやって、の持論ですか? 現在の取り得るすべての行動が『無駄』で、過去にしてきたすべての行動を精査して取り上げたものが『有意義』だ、と?」
「そういうことさ。君がはぐらかした質問に対する私なりの答えでもある。どうだい? 小学生のような追求でも、会話の流れを作るきっかけ程度には『意味』があっただろう?」
屁理屈ではぐらかされた気しかしない彼に、胸襟を伝えるだけの『無駄』に走る余裕はなかった。
しかし、彼女には『無駄』を楽しめるだけの余裕がまだまだ残されているらしい。
「どうせだから、『人生』についてもう少し聞いてもいいかな?」
「あなたから出してきたワードでしょう?」
「君の『推論』は聞いたが、君の『見解』は聞かずじまいだったからね」
とっくにスクリーンセーバーが起動していたノートPCを操作し、スリープ状態にしてから折りたたむと、彼は漠然とした話題を頭上の虚空にぶら下げた。
「……ひとまず、『人生』に『意味』があるかどうかで言えば、あると思いますよ」
「ほう? それは万人に対してかな?」
「そこまでは何とも。ただ、すべてが『無意味』と断言もできないかな、と」
「根拠を聞こうか」
「大層な理屈なんてありません。単純に、この世には『何かをなすため』に生まれてくる人がいると思うだけです。『天賦の才』って言葉があるくらいですし」
「驚いた。君は顔に似合わず運命論者だったんだね。あるいは、予定説に殉じるカルヴァン主義者かな?」
「運命論者に似合う顔って、逆に気になりますね。それと、勝手にキリスト教徒や少数派閥に組み込まないでいただけます?」
「それは失礼した。君は自他ともに認める仏教徒で『大衆顔』だものね」
「人の顔をつかまえておいて遊びすぎでは?」
「気になると言ったのは君だよ」
唇だけが弧を描く彼女を前に、背もたれへ深く腰掛けた彼は重い鼻息を落とした。
「――本当にそりが合いませんね、俺たち」
「確かに。君と違って、私は『人生』そのものに『意味』は見いだしていないからね。『意味』は与えられるものではなく、自らを振り返って作りだすものだよ」
「捏造する、とも聞こえますね」
「ポジティブでもネガティブでも、受け取り方は自由だ。少なくとも、構造上からして運命論に支配されている『物語の登場人物』は、既定路線のない『私たち』と同じではない、ってだけさ」
「『架空の人間』と『実在の人間』を比べても仕方ないでしょうに……」
「おや、君は自分が『物語の登場人物ではない』と断言できるのかい?」
また意味のわからないことを……と、彼女の予測不能な切り返しになれつつある彼は表情から呆れを隠せない。
「あり得ない仮定ですよ。というか、さっきあなた自身が否定していたじゃないですか。『俺たち』は『既定路線のない存在』だから『同じではない』って」
「言ったよ? ただし、だからといって『私たちが『物語の登場人物』ではない』こととイコールで結ばれるかは別問題だ。
十分条件が正しくとも、必要条件も正しいとは限らないだろう?」
「馬鹿馬鹿しい杞憂ですね。
少なくとも『俺たち』がきちんと両親から生まれ育ち、『自由意志』を備えた人間である事実は覆りません。『物語』に支配された『被造物』とは明確に区別されるべき存在ですよ」
「果たしてそうかな? 君が信奉する『自由意志』とは所詮、『主観的観測領域』でしか識別できない『偏見』だろう? そこに『他者からの干渉を受けない保証』などどこにある?」
「統合失調症にでもなったのなら、心療内科へ行くことを強くお勧めしますよ。『洗脳電波』による自我の誘導はありうる、と言ってるようなものでしょう、それ?」
「呆れるね。君は『客観的な観測』でしか保証できない『正常』と『異常』の判定を、『主観的な観測』でまかなえると迷妄しているのか。視野の狭さは罪ではないが、利口とも言えないよ?」
「この話の流れで俺が哀れまれる筋合いはありませんね。『客観的な観測』が欲しいなら、大勢の人間を集めて正否を判断させれば解決するんじゃないですか?」
「きわめて短絡的な解決策だ。そんなものを『客観的な観測』とは言わない。
それぞれが持ち寄った『主観的な観測』による多数決を取っただけの『偏見蒐集』に、どれほどの『客観性』が発生しうるんだい?」
「『集合知』として一定の『客観性』は得られるのでは?
そこまで食いつくなら聞きますけど、逆にあなたはどのような手段であれば『客観的な観測』が実現できると考えているんです?」
「私たちが実行可能な範囲だと、おそらく存在しないだろうね。
少なくとも私たちが存在している次元よりも上――『高次元世界』にいる知的生命体からの観測を考慮しない限りは、真に迫る『客観性』は得られないよ」
「え、っと……具体例を挙げてもらっても?」
「私たちから見て『神』と呼ばれる存在……あるいは、それに近しい『天使』や『悪魔』、場合によっては『宇宙人』なんかも該当しそうだね」
「……ファンタジーか、SFの話ですか?」
「紛れもないノンフィクションの話だよ」
そろそろ本気で彼女の頭を心配したのか……彼はスマホで近くの病院を検索をしていく。
「調べ物かな?」
「ええ。あなたが通院もしくは入院できそうな病院に優秀な精神科医はいないかな、と」
「自らの『主観的認識』では許容できない価値観を、すべて『異常』と即断するのはあまり褒められた態度ではないね。君には余裕も柔軟性も想像力も欠けていると言わざるを得ない」
「たとえ知り合い程度であっても、知人が頭のおかしいことを言い出したら誰でも正気を疑って心配しますよ。感謝されこそすれ、苦情をぶつけられるいわれはありません」
「やれやれ、頑なだな君は」
「そっくりそのままお返ししますよ」
湿り気を帯びた長いため息を浴びせられた彼は、スマホへ落としていた視線を上げて……肩をすくめている彼女へと向けた。
「というか、いきなり『神』だの『天使』だの『悪魔』だの……挙げ句の果てには『宇宙人』とか言い出した人に頭がどうこうと言われても、まったく納得できないんですけど」
「人間を超える知的生命体など存在しない、なんて傲慢が透けて見える意見だね。
私たちが知覚できないだけで、地球・太陽系・銀河系・宇宙を俯瞰から観測可能な存在はいるかもしれないじゃないか」
「また『もしも』の話ですか? 空想が好きなのはわかりましたから、そろそろ自らの言動を『客観的』に見てはどうです? ――端的に言えば、ものすごくイタいですよ」
「ふむ、君は『シミュレーション仮説』を知らないのか? まあ、立証しようにも反証を持ち出そうにも、私たちがこの世界を『現実ではない』と判断可能な物証や理論が実在するとは思えないけどね」
「ニュアンスからして、頭のいい人が荒唐無稽な話をしたってだけでしょう? 個人の『偏見』から生まれた『仮定』を鵜呑みにするなんて、それこそ『無駄』じゃないですか」
「可能性の追求に限界はないさ。君が絶対だと信じていそうな『科学』だって、『感覚器官』で受信しうる抽象的な情報を文字や記号に起こし、誰もがかみ砕けるよう具体化させる『手段』にすぎない」
「『科学』こそ『客観的な観測』を保証してくれるものですよ。さすがに絶対とまでは断言しませんが、『神』や『宇宙人』よりは信憑性は高いはずです」
「『未知』を排除すれば、『未知』には永遠に手が届かないよ。『既知』ばかり見ていても、得られるのは無為な『停滞』だけさ。
そして現状、『科学』が世界のすべてをつまびらかに分析しうるだけの『手段』足り得ないのは事実だろう?」
「可能性を広げすぎなんですよ。トランプの『ババ抜き』にタロットカードを混ぜても、まともに遊べないでしょう? 大人しく配られた手札とルールの範囲内で楽しもうとは思えませんか?」
「残念ながら、ね。ルールとは『縛られるもの』ではなく、綻びを見つけて『利用するもの』であり、新たに『創り出すもの』なのさ。その方が『楽しい』だろう?」
途中から……いや、最初から主張がむちゃくちゃすぎる彼女を諭すのを無理と諦めたか、彼はうんざりと話の方向性を変えようとする。
「知りませんよ。それに、こんな与太話に何の『意味』があるんですか?」
「ないよ? 君がやってる課題はもちろん、私が手を着けている課題とも、なんら関係のない話だ」
「……はぁ?」
短くない時間を奪われた挙げ句の言いぐさに、彼は堪忍袋と血管が同時に切れそうな気配を覚えて声音を低くする。
「私は最初に断ったはずだよ? 『気晴らしにつきあってくれ』、と」
「まさか、今までの全部がそうだとでも? てっきり『本題』に引き込むための導入か前置きだと思い込んでいた俺はとんだマヌケですか?」
「勘違いは誰にでもあるさ。お詫びに、君は知らなかったようだから教えてあげよう――世の女性はみんな、おしゃべり自体が目的で娯楽になるんだよ? 今度のデートの参考にするといい」
「……ありがとうございます。少なくとも、あなたを『一般』にカテゴライズするのは『女性』に失礼だということはわかりました」
「おやおや、なんだかんだで君も私との会話を楽しんでいると思っていたが……違うのかい?」
「勘違いは誰にでもある――まったくもって、その通りですね」
真顔に刻まれた眉間のしわをほぐさないままでいる彼の表情で、ようやく自覚したのか彼女は初めて笑みに苦みを混ぜる。
「どうやら、知らぬ間に君の気分を著しく害していたようだね。他人の感情に無頓着で配慮に欠けた言動をしてしまう……私の悪いところだ。謝罪しよう」
「謝罪もそうですが、先に反省してもらえますか? はっきり言って、二度と繰り返さないで欲しいくらいには不愉快なので」
「それは難しい相談だな。協調性も共感能力も欠如している『人間』が『私』なのだから、変わりようも変えようもない」
「自分かわいさに言い訳とは、度し難いほどに筋金入りですね」
「『三つ子の魂百まで』と言うだろう? 自覚して言い聞かせた程度で変われるなら、とっくの昔に私はみんなの人気者さ」
あくまでも厳しい態度でいる彼だったが、おちゃらけながらも自らを揶揄する彼女の言い分には口をつぐむ。
彼女が人当たりのいい人物なら、ここまで孤立しなかったのは自明の理だからだ。
そう……良くも悪くも、彼女がこうして彼と二人でいることなどなかったと確信できるくらいには。
「最後に聞かせてください。どうしてこんな『無意味』な問答をしようと思ったんですか?」
「『楽しい』からだよ。おしゃべりは女性にとっては娯楽だと、先刻助言したばかりじゃないか……あぁ、君はもしかして、聞きたい話以外は聞かない質かい?」
「あいにく、理解に苦しむ話は耳から入っても頭の中で立ち止まってはくれないもので。俺にとって毒にはなっても薬にはならない戯れ言は、特に顕著でしょうか」
「ふむ、ではこちらからも尋ねるが――人は自分にとって『意味のあること』しかしてはいけないのかい?」
彼の表情はうんざりしたままだったが、彼女の笑みから苦みが消えたことを見て取って、ため息を漏らした重い口が動き出す。
「すべき、とまでは言いませんよ。でも、した方がいいのは確かですね。『有意義』な時間は『充足』を、『無意味』な時間は『徒労』を覚えます。であれば、前者を選ぶのがまだ『楽しい』ですから」
「すごいな。君はその都度、『有意義』か『無意味』かを選別しうる慧眼でも持っているのかい? 自らの行動はすべて、未来永劫不変の『意味』が与えられると?」
「人の言葉を捏造しないでください。俺は『実現の可否』ではなく、『個人の理想』を述べたにすぎません。常に最善を選べるなら、今こうして提出課題の期限に苦労していませんよ」
「おっと、これは一本取られたな。『意味』にとらわれすぎて『本質』を見失っていたようだ。反省しよう」
「……なにをもって俺の『本質』ととらえたのかは聞きませんが、『大きなお世話だ』と念を押しておきましょう」
「なるほど、世話焼きで面倒見がいい年上の女性は君の守備範囲外らしい。非常に残念だ」
どう聞き返したところで、もはやろくでもない返ししか帰ってこないと彼は悟る。
そして、ずいぶん長く止まっていた作業の手を動かすべく、待機状態で電源ランプが点滅するノートPCを再起動した。
「……そういえば、あなたはどうなんです?」
「はて、何がだい?」
「提出課題の進捗状況ですよ。ここにきてから、ずっと資料しか読んでなかったじゃないですか?」
「ああ、そんなことか。君の心配には及ばないよ――君を誘った時には、すでに終わっていたからね」
「はぁ……はっ?!」
ぼんやりと画面に浮かんだ作成途中の課題を眺め、一度は気の抜けた返事をした彼は意味を理解してから彼女を二度見する。
「じゃあ今まで何やってたんですか!?」
「次に指示されるだろう課題のテーマ探しだね。いやはや、内容をまとめるよりも主題を絞る方がよっぽど骨が折れるよ」
思わず語気が強まった彼に驚きもせず、普段の笑みをたたえた彼女は山と積まれた一冊を手に取り、ぱらぱらとめくっていく。
「……最初から、俺がいなくともよかったじゃないですか?」
「言ったろう? 過去にしてきた『人間の行動』はすべて『無意味』だ、ってね」
「なるほど……俺と一緒にいる時間そのものが、あなたにとっては『無意味』だったというわけですね……」
もはや怒りに回せるだけの体力も残っていないとばかりに、全身に疲労が覆い被さった彼は両腕を枕に机へ突っ伏した。
彼女から声をかけられたとき、彼に下心がなかったわけではない。
性格はともかく、見た目は文句なしの美人といい関係になれたら……と心を弾ませていた期待はしかし、元よりあえなく『無意味』と散っていた。
数時間前までの自身があまりに滑稽だと、彼は自嘲と反省に口元をゆがめ――パタン、と彼女が本を閉じた音を聞く。
「――さて、どうだったのだろうね?」
声音に少しの違和感を覚えた頭が持ち上がり、彼の視線は彼女の笑みをとらえて止まる。
化かして消えたチェシャ猫に代わり、艶と熱を帯びた彼女の瞳に囚われて――。
~~・~~・~~・~~・~~
彼は図書館の入り口で立ち尽くす。
目にも耳にもうるさい雨はいまだ衰えることなく降り続き、なかなか一歩を踏み出す勇気を与えてくれない。
そして――彼女の姿はすでになかった。
「……結局、ほとんど課題が進まなかったな」
――今日はありがとう。楽しかったよ。
最後まで『無意味』なだけだった話し合いが終わってすぐ、彼女はそう言って席を立った。
彼が止める間もなくあっさりと荷物をまとめ、いつもと同じチェシャ猫を飼い慣らした笑みを残して去っていった、華奢な背中。
忘我から脱した彼が急いで荷物を片づけ、入り口の自動ドアを走ってくぐった時には、すでに水滴のカーテンをくぐった向こう側へ行ってしまっていたのだろう。
あるいは、人が悪い彼女のことだ。もしかしたら室内にとどまり、彼の戸惑った様子を物陰からのぞいているかもしれない。
「しょうがない。運が悪かったと思って、帰るか」
いずれにせよ、彼が取った選択は彼女の追跡ではなかった。
傘立てにしばらく視線を這わせ……少し肩を落として再び悪天候をにらみつける。
――ふと、彼はスマホを取り出した。
『ちょっと今いいかな?』
迷わず指がタップしたのは、緑のアイコンが特徴的なチャットアプリ。
手早く打ったメッセージの送信相手は、来週末にデートの約束をしていた女性。
以前、彼が履修した授業のグループワークで知り合い、数ヶ月のアプローチを経てようやく口説き落とした相手だ。
『どうしたの?』
瞬時に既読が表示され、かわいらしいキャラクターが首を傾げるスタンプも続けて表示される。
『突然だけど、もしも明日に世界が滅ぶとしたら、どうする?』
彼は近くの壁に背をつけよりかかり、やむ気配のない雨を見つめていた。
少しして、メッセージの通知音が鳴る。
『え、いきなりどうしたの?』
『意味わかんない』
『あ、もしかして、心理テストか何か?』
連続して送られてきたメッセージの後、再び探偵風のコスプレでこちらを指さすキャラクターのスタンプが彼を見上げてきた。
『いや、そんなんじゃない』
『友達とそんな話してただけ』
『ふ~ん、そうなんだ』
『変わった友達だね』
チャットアプリ特有の短いやりとりが続く。
そして彼は、スマホ画面へ落としかけた指をわずかな間だけ浮かせて……次のメッセージを入力した。
『ごめん』
『約束してたデートだけど』
『はずせない用事ができちゃって』
『キャンセルさせてもらっていい?』
女性からの返信が、怒濤のように流れてくる。
『は?』
『なにそれ』
『私との予定が先だったじゃん』
『バカにしてんの?』
『約束もまともに守れない男とか』
『マジでありえない』
『ウザ』
『二度と話しかけてこないで』
彼が謝罪や言い訳を挟む余地を与えないまま、程なくして女性からブロックユーザーに指定されたとの通知がきた。
「……あ~あ、やっちまったな」
スマホを握る手とは逆の手で前髪を乱雑にかき上げ、彼は頭上をぼんやり見つめたまま動かない。
薄くぼんやりと浮かび上がっていた笑みは、すぐに消え去った。
「何やってんだろ、俺……」
後悔を口にした声音はどこか平淡で、落胆も喜色もわかりはしない。
チャットアプリを閉じた彼が次にタップしたのは、スケジュール管理用のアプリ。
表示されたカレンダーには細かい予定がびっしりと書き込まれており、先ほど反故となった約束の日付にもデートプランらしき予定が詰まっていた。
「それにしても――」
彼は一つ大きなため息をスマホ画面に落とし、不要なメモを消していきながらひとり言つ。
「――なんなんだろうな? はずせない用事って」
一日だけ、完全な空白ができたカレンダーから顔を上げて、彼は電源を落としたスマホをポケットにしまう。
そして、荷物を胸の前に抱え込んで背を丸めたまま、彼は豪雨の壁へ駆けだしていった。
……雨はしばらく、やみそうもない。
下人の行方は、誰もしらn……おっと、鬘婆が来たようだ。
(※この作品と『羅生門』は何の関係もありません)
茶番はさておき。
作中の『彼』も『彼女』も、『(ある意味で)神』である『私』やここまで読み進めてくださった『読者様』という『知的生命体』に『観測されている状況』に気づきませんでした。
つまりメタ認知的な見方をすれば、この作品で切り取ったやりとり全体が『シミュレーション仮説』の体をなしている……んだったらいいなぁ、と。
ともかく作者としては、読了した読者様が『根拠はないけど、ちょっとだけ頭が良くなった気がする!』と思っていただければうれしいです。
この小説自体は中身も意味もありませんが、『彼ら』のやりとりをどのように『意味づけ』するかは『現実』を生きる読者様次第。
それが『有意義』であっても『無意味』であっても、いつか皆様の人生において何らかの『きっかけ』になれれば幸いです。