創世記《ジェネシス》
世界とはなんだ
ここは終わりか
"それ"はいた。
概念で語るには歪。
だが我等の概念に置き換えるのであれば、"それ"は確かにいた。
"それ"は不明瞭であった。
全てがなにものでもなく、全てがなにもなかった。
"それ"は後々、"闇"と呼ばれた。
そしてもうひとつ。
彼がいた。
彼は闇と友であり、その境は曖昧であった。
闇は全能であった。
彼は力を秘めていた。しかし彼はそれを知らない。
闇は彼の先を想い、彼を優しく滑らかに包んだ。
彼は温く、静かな闇の中で微睡んだ。
闇は彼の全てであった。
彼は無知であった。
闇は惜しんだ。彼を彼足らしめる事を。
しかし、闇は彼の耳元で囁く。
温い闇の中で、心地の良い囁きを
彼は復唱し、無知故に力を振るった。
「光よ。あれ。」
言葉とともに散った目映い光が、闇を侵食し、迸る。
全能である闇はするりと静かに身を引いた。
彼は微睡から目覚めた。
温い闇がいなくなり、瞳を開いた。
彼は知った。彼が光を抱かなければならないことを。
彼は知った。光を抱けば、二度と闇には触れられないと。
こうして彼は光を知った。
光は彼と供に起き、彼と供に眠った。
闇は光が寝むっている間、そっと彼に寄り添った。
全能な闇は夜ごと彼の耳元で囁いた。
彼は己の無知を知らなかった。
ただただ闇が恋しく、闇の微睡みと似た眠りを愛した。
そして耳に残る闇の囁きを想い、目覚めとともに復唱した。
「水の中に大空あれ。水と水をわけよ。」
彼は水を知った。
滑らかな手触りの水は浸ればまるで闇のようであった。
「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」
彼は水の揺蕩う海を眺めた。
光に照らされキラキラと光るそれは、彼には眩しすぎた。
「地は種を持つ草と、実をつける果樹を芽生えさせよ。」
生まれたばかりの草や花や果実の芳しい香りは、彼には強すぎた。
「天の大空に光る物あれ。昼と夜を分け、季節、日、年のためのしるしとなり、地を照らせ。」
光る二つの球体は、昼と夜に交互に地を照らした。
温和な大きな球体は彼とその傍の光を好み、昼を照らした。
賢く優しい小さな球体は、時折昼に姿を見せては彼に闇のことを囁き語った。
彼は小さき球体の小さな声をもっと話を聞こうと大きな球体より傍に置いた。
「水は生き物の群れで満ちよ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。」
水の生き物は光に照らされ輝き、その中の一部は光を遠ざけ暗い水の底に生きた。
彼は時たま静かな水に身を沈め、底を訪れた。闇と会えることはなかった。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
鳥は光の中を舞い、風を運んだ。疲れたものは羽を休め、水に潜り、地を駆けた。
彼は忙しなく愛を語る鳥達が疎ましかった。彼らの愛の囁きが一層闇を想わせた。
自由に泳ぐ者達は美しかった。彼らの様は闇に揺蕩う心地よさを焦がれさせた。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
これで終わりのはずだった。
灯りを落とした小さな球体に見守られながら、闇は光を抱いて微睡む彼をそっと撫でた。
この先どうあっても、彼が孤独なことを知っていた。
孤独の中で悲しみ、苦しみ、悩み、退屈を持て余し、絶望の果てに全てを滅ぼす事を。
絶望の先の、心震える瞬間を知らぬ彼が。
永く永く横たわる時を少しでも楽しめるように。
目覚めた彼は涙した。耳に残る闇の言葉がとても恋しかった。
「我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
闇は彼の言葉を聞きながら眠りについた。
全能であるはずの己が知らない、最期の時のその先をとても楽しみにしながら。
ここは始まりか
世界とはなんだ