第十二話 侯爵家と公爵家
「陛下、お食事中に失礼します。昨日の夜の女性の件です」
夜が明けフリードリヒ1世が朝食を摂っているとラウロが女性の件での報告を持ってきた。フリードリヒ1世は食事を続けながら話せと許可をする。
「彼女を調べた結果プロイス侯爵の妾と言う事が分かりました。どうやら自らの妾で陛下を誘惑させ権力を握ろうとしていたようです」
「…そんなところだとは思っていたが予想よりかなり不味いな」
神聖ゲルマニア帝国には五人の侯爵家が存在していた。今は伯爵に降下したコルド家。現在援軍としてケーニスベルグにいるオストフ家。尤も歴史の深いゾルガー家。侯爵家で唯一領地を有していないロドリーニ家。そしてフリードリヒ1世と同腹の弟フィリップの摂政の様な役割をしているプロイス家の五つである。五つの侯爵家はそれぞれ支持する皇族がおりオストフ侯爵とロドリーニ侯爵がフリードリヒ1世を、降格したコルド伯爵が今は亡きハインリヒ3世を、プロイス侯爵がフィリップを、ゾルガー侯爵はフリードリヒ1世の父、オットー4世の弟にあたるマクシミリアンを支持していた。
その中でも皇帝の直系に当たるフリードリヒ1世、ハインリヒ3世、フィリップを支持している侯爵家はとてつもない影響力を有し、互いに争っていた。しかし、フリードリヒ1世が皇帝に即位し反乱を起こしたハインリヒ3世は処刑され支持していたコルド侯爵は伯爵に降格しフリードリヒ1世を支持していた侯爵家の影響力は増していた。その為プロイス侯爵家の影響力は低下していた。
「現プロイス侯爵は欲の深い人だ。そんな奴が権力を有するならまだしも低下している現状を座視するわけがないか」
「全くです。少しはゾルガー侯爵を見習っていただきたいものです」
マクシミリアンを支持しているゾルガー侯爵家も影響力を失っていたがプロイス侯爵とは違いあらゆる手を使って権力を手に入れようとは思っていなかった。さらに言えばゾルガー侯爵はフリードリヒ1世の父オットー4世が皇子の頃からマクシミリアンを指示していたため皇帝を支持するための権力闘争には余り巻き込まれていなかった。
「取り合えず現状はプロイス侯爵に遠まわしで警告をするだけでいい。プロイス侯爵を潰したいがそれが出来るほど証拠はそろっている訳ではないからな」
皇帝になったフリードリヒ1世なら多少強引にでもプロイス侯爵を糾弾する事は出来るが理由があまりにも弱いためどう転ぶかは分からなかった。
「全く、兄上ではなくフィリップを生贄にするべきだったか? …いや、そんな事を話しても今更であろう。ラウロ、その女はどうなっている?」
「一応五体満足で生きてますよ」
肩をすくめて言うラウロにフリードリヒ1世は苦笑する。一応がついていることからかなり酷い拷問を受けたと言うのが漠然とだが想像できたからである。
「少しプロイス侯爵家に対して嫌がらせを行おう。その女を侯爵領に戻してやれ。勿論、分かっているな?」
「ええ、勿論ですとも」
フリードリヒ1世の笑みを含んだ問いにラウロも笑みを浮かべて返した。
数日後、プロイス侯爵領で無残な姿で女性の死体が発見された。一応顔が無事であったため侯爵の妾であることが判明した。公式には実家に戻っており暫く戻る事がない状態での出来事であった。プロイス侯爵は実家に帰る時に賊に襲われて殺されたとして丁寧に埋葬され妾を襲った賊の捜索を行ったが侯爵は発見される事は無いと思っていた。侯爵は今回の事がフリードリヒ1世からの嫌がらせと警告を込めた事であると分かっていたためである。以降プロイス侯爵は主だって動く事は無くじっと機会を待つのであった。
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東方直轄領を占領している公国第一騎士団と第二騎士団の仲はとても悪かった。理由は第一騎士団を率いるフリッツ・フォン・バルトにあった。フリッツはバルト公爵の側室の子として生まれた。文武両方に優れどんなことでも直ぐに覚えて自分の物にする器量の良さを持っていた。そんなフリッツをバルト公爵は最大限の愛を注いできていた。妹であるカミラが生まれるまでは。
カミラの母親は正室でバルト公爵からの寵愛を最も受けていた。そんな性質が子を産んだことにバルト公爵はたいそう喜んだが正室は体調が悪化しそのまま帰らぬ人となってしまう。
バルト公爵はこの事に三日三晩涙を流し続け一時は自分から愛する妻を奪ったカミラを殺そうとした程だ。やがて落ち着きを取り戻すと愛する妻が残して行った宝物としてカミラを愛するようになった。カミラは文武、特に武の方に才能が開花し騎士団を任されるようになっていった。
そんなカミラをフリッツは酷く憎むようにそれは既に当時から率いていた第一騎士団にも蔓延していきカミラやカミラが率いる第二騎士団を目の敵にし始めていた。そんなフリッツたちの憎しみをカミラ自身もよく知っていたがそれでもいつか認められると信じひたすら武勇を上げていった。
そして、遂に決定的な事態が起こった。第一騎士団と第二騎士団による演習である。両軍合わせて一万以上の軍勢となり公国中からあらゆる人々が観戦にやってきていた。その中にはフリッツとカミラの父であるバルト公爵も含まれておりバルト公国の中でも最大と言える大演習となった。
そんな中フリッツはある事をカミラに提案した。お互いの騎士団がいがみ合うのは良くない。ここはお互い全力を出して戦い勝った方に従う事にしようと。
カミラは初めて兄から向けられる優しい表情と声に直ぐに食いつき約束をした。カミラ自身の心を傷つける事になるとも知らずに。
演習が始まるとカミラ率いる第二騎士団は優勢に立った。元々カミラの元には武に自身があるが性格や様々な事で問題がある者たちが多く集まっていた。そんな彼らをカミラは圧倒的なカリスマでまとめ上げていたのである。戦場にいる事よりも王城の警備の方が多い第一騎士団など相手ではなかった。そして第二騎士団はそのまま勝利をおさめたが観客たちはざわめくばかりで様子が可笑しかった。
カミラはそんな事には気づかずに父の元へ向かった。そこにはフリッツが先に来ており二人ともカミラの事を睨みつけていた。
兄であるフリッツはともかく今まで向けられたことのない父の表情に固まったカミラは話しかけた。一体何があったのですか?と。
その言葉に増々表情を険しくする両者にカミラは動くことすらできなかった。やがてバルト公爵が話し始める。
「なぜ、フリッツに勝った?」
当初、カミラは父の言葉の意味を分かりかねた。演習は騎士団が死力を尽くして行うものであると考えていたからだ。しかし、カミラはそれを口にする事は出来なかった。
「これほど大規模な演習となったのだ。兄であり公太子であるフリッツに花を持たせるのが常識であろう。それをあろうことかあの様に勝ってしまうとは…」
バルト公爵はカミラとフリッツの約束を知らなった。約束自体が二人だけの話であったためカミラ若しくはフリッツが言わない限り表にはならなかった。
「で、でも」
「黙れ!」
兄との約束を言おうとした時カミラは初めて父の怒鳴り声を耳にした。今まで叱る事はあれど怒鳴り声を上げる事は無く初めて聞く父の怒声に体が委縮する。そんなカミラの髪を掴むと力任せに持ち上げる。根元の方からぶちぶちと嫌な音が鳴る中バルト公爵は構わずに続ける。
「公国を継ぐこととなるフリッツと嫁に出すくらいしか使い道がない貴様と、どっちが大切か分かっているのか!」
バルト公爵の声にカミラはただ、涙を流しながら謝罪の言葉を口にする。そんなカミラを見てバルト公爵は舌打ちをすると地面に叩きつける。
「貴様には謹慎を言い渡す。その後第二騎士団を率いてスオミ連合王国との戦いに迎え。二度と公都に戻る事は許さん」
そして最後にバルト公爵はこう言った。
「全く、我が妻を殺したお前を代わりと思って育てたが代わりにすらならなかったか。時間の無駄であったな」
バルト公爵の言葉にカミラは初めて今まで向けられていた愛情が全て嘘であったことを悟るのであった。
父の言葉に茫然とするばかりのカミラにフリッツが近づくと路上にある石を蹴るようにカミラを蹴った。蹴りはカミラの急所に当たり大きくせき込む。苦しげにしているカミラを見ながらフリッツは見下した目で呟く。
「兄である俺よりも父から愛されていたと思っていたがどうやら杞憂だったようだ。良かったな。これで父はお前に嘘をつかなくてすむ。本音で語り合うといいぞ愚妹」
フリッツはそう言うと笑いながらその場を後にした。その後バルト公爵の命を受けた兵によってカミラは牢獄に入れられ半年もの間閉じ込められるのであった。その間バルト公爵は会いに来る事は無く面会もなかった。カミラを慕う第二騎士団の者たちは幾度か会いに来ていたが追い返されていた。牢獄にいるカミラにそんな事が分かる筈もなくカミラは次第に心を壊していった。バルト公爵は反省させるという名の元食事の量を減らしたり牢番によるカミラへの陵辱にも目を瞑り半年後公都を荷物もなく追い出した。半年前と比べすっかり変わってしまったカミラを公族と思うものはおらず美形と言う事もあり第二騎士団がいるスオミ連合王国との最前線に着くころには視認と間違えられて可笑しくない状態になっていた。
カミラはその後第二騎士団に助けられ治療を受けたが心の傷までは治りきらずカミラは戦場に自分を求めるようになっていった。やがてカミラの心の傷も完治とまではいかないが治りかけたころ第二騎士団に命令が下された。
神聖ゲルマニア帝国東方直轄領への侵攻命令であった。