第四話
「ごめんなさい」
どこか気まずそうに、星野の告白を綾姫は断った。
まぁ当然の結果だろう。
さっき会ったばかりの奴の告白をOKする奴なんているのだろうか。
「じゃ、じゃあ友達からお願いします。それも駄目ですか?」
それでも星野は、間髪入れずに食い下がった。
俺はなかなかタフな男だ、と思い、感心した。
「えっ? えーと、まぁ友達くらいなら……」
星野の勢いに負けた綾姫は戸惑いながらも了承した。
綾姫がチラッとこちらを見たような気がしたが、気のせいかもしれない。
「ほんとですか!嬉しいです。ありがとう!」
そう言った星野は、綾姫の手を握って、ぶんぶんと上下に振った。あまりの激しさに手が取れるんじゃないかと心配になった。
綾姫はされるがままになっていて、それが少し笑えた。
「おーい、そろそろ終わったかー?」
話が終わったタイミングでテンさんが聞いてきた。
それまで黙って聞いていたが、それはそれで先生としてどうなのだろう。
「はい、もう大丈夫です」
星野が嬉々とした表情で答えた。
「そうかー。ならこれでホームルーム終わるぞー」
そう言ってテンさんは、頭をボリボリ掻きつつ、教室を出ていこうとして、出口の手前で止まった。
「あー、次、俺の授業だけど自習なー。」
まるで今決まったことのように言って、次は本当に出ていった。
「ラッキー!」「さすがテンさん!」「イェーイ!」
数秒後、一気に教室がうるさくなった。
まるでどこかのライブ会場に連れて行かれた感覚になった。
「てかさー、星野お前、スゲーな!」
教室の一人の男子が言った。
それがきっかけとなり、そこからは星野の話で持ちきりになった。
「入学初日に告るとかマジヤバイな」「とんでもないない奴が来た」「勢いで付き合えばいいのにー」
クラスの大半は綾姫と星野の机の周りに集まって、騒ぎ立てた。
その波に乗り遅れた者、ノリについて行けない者が、白鳥の近くに集まる形となった。特に女子が。
俺はというと、その隣の席で聞こえてくる会話をただぼんやりと聞いていた。
「ねぇ、白鳥さんって肌白くて綺麗だよね。お肌の手入れとかしてるの?」
「そう?ううん、別に」
「またまたー。前の学校では部活とかしてたの?」
「ほんとだよ。特に何も」
そんな感じで質問を受けては、薄い反応が返ってくる、の繰り返しだった。俺と話す時よりトーンが少し上がっていた気がするが……
俺も何か質問しようかと思ったが、似たような反応をされるのが目に見えているので、夏たちが集まっているところに、逃げた。
「いやぁ、凄かったなー転校生」
俺が近づいてくると、夏は笑いながら言った。
「さすがに俺も驚いた」
「もうちょっと驚いた顔で言えよ!」
「で、でもすごいね、星野くん、あんな人前で堂々と言えるなんて」
「ほんとだよ、姫も大変だねぇー。これはライバル出現ですなぁー。彦、星、くん!」
ニヤニヤした顔で和愛が見てきた。
「なんのだよ」
「とぼけちゃって、分かってるくせにー」
「なにをだ?」
和愛と夏は顔を見合わせて、やれやれといった感じのポースをとった。
俺は、なんのことか良く分からなかったため、首を傾げた。昔から分からないことがあると、ついつい首を傾げてしまう。
「こっちの方が大変だねぇー、姫様は。あーあ可哀想に」
「まったくだ。こいつのこれはどうにもなんねー」
さっきからこいつらは何のことを言ってるんだ? 俺は、ますます分からなくなって、更に首を傾げた。
「あ、相変わらずだね、天彦くん……」
「琴夜もか!? 」
俺は心底驚いた。今度はちゃんと驚いた表情を浮かべて。
唯一の仲間と思ってた琴夜も、夏や和愛と似たような表情を向けてきた。
いよいよ俺の精神は追い込まれた。
「ト、トイレに行ってくる」
そこで俺は、一旦この場を離れることにした。
「あ、逃げた」
「逃げたな」
「逃げた、ね」
三人の声が聞こえたが、振り向かずに教室を後にした。本日二度目の撤退だ……
トイレに行った後、教室に戻ろうとしたが、少し考えて、俺はある場所に向かうことにした。
学校の屋上。
俺の目的の場所であり、中学の時からの俺の安住の地である。
うちの学校は屋上が常に開放されており、昼休みや放課後は誰かしらいる。だが授業中なら話は別だ。
屋上に繋がる階段の最後の一段を昇り、扉を開ける。眼前に広がるのは白い校舎、青い空、眩い太陽、そのどれもが俺には眩しすぎて、目を細めた。
俺は近くにあったベンチに座って、制服の内ポケットに入れておいた文庫本を取り出そうとして手を止めた。
「はぁー、何してるんですか? 先生」
呆れながら問いかけた。
俺の視線の先には、塔屋と呼ばれている建物の壁に寄りかかっているテンさんが居た。入ってきた時は扉で死角になっていたみたいだ。
「あー、見つかっちまったか。まぁいいや、一服だよ一服」
だるそうに言ったテンさんの人差し指と中指の間には、半分くらい吸ったであろう、煙草が挟まれていた。
「一服って、他の先生に見られたら大変ですよ。それに授業もいきなり自習にするし」
「ここは職員室から見えないんだよ。授業はサボリたくなったからサボった」
本当にこの人は教師なのか?
俺はこれから、この人のクラスでやっていけるかが凄く、もの凄く不安になった。
「り、理由はわかりました。でも、教師が生徒の前でそれを言っちゃ駄目なんじゃないですか? 」
「あー、まぁそれもそうだな」
テンさんは、さも大したことでもないように言って、青い空に紫煙を吐いた。
吐き出された紫煙は、どこに行くでもなく、ただ青い空に溶けていくように、消えた。
「なぁ、天彦……お前、今を生きてるか? 」
突然の問いかけに俺は、困惑した。
「それはどういう意味ですか?」
「言葉の通りだよ」
「は、はぁ、生きてますよ、なんとか」
「……そうか。じゃあこの世界に神はいると思うか?」
一体何を考えてるんだ、この先生は。いきなり質問してくるし、内容も訳がわからない。
大体、教師が生徒に質問するなんて、普通は逆だろう、と思った。
「いないと思います。もし、いたとしても俺は神に嫌われていると思います」
俺は色々と疑問に思ったが、とりあえず自分の意見を口にしてみた。
「そうか」
テンさんは、それだけ言って、吸い終わった煙草を、ポータブル式の吸い殻入れに押し込んだ。銀色のそれは長年使ってきたであろうことが、見て取れた。
「まぁ、なんだ、色々あるとは思うが頑張れよ」
「は、はい」
「じゃあ俺は職員室戻るけど、お前もチャイムが鳴る前に教室戻れよ」
テンさんはそう言って、塔屋の扉を開けて出ていった。
「一体何だったんだよ」
俺は呟いて、ベンチに座り込んだ。
空を仰いだ。
どこまでも青くて大きい空。
神はこの空の上から俺達のことを見ているんだろうか。
なぁ、神様、いるなら教えくれよ。
どうしてあの人が死んだ。
なんであの人だったんだ?
なんで俺からあの人を奪った?
俺は心の中で問いかけた。もう幾度となくした問いかけを。何度も何度も何度も。
でも誰からもその返答はなかった。
「やっぱりいないな」
俺はまた呟いた。そんな俺の呟いた言葉も、問いかけた質問も、あの吐き出された紫煙みたいに、青い空に溶けていくように思えた。
教室に戻ると、俺がいた時よりかは静かになっていた。
「おーい、彦太郎」
自分の席にたどり着く前に夏に捕まった。
「毎回あだ名を変えるなよ夏。ツッコムのも疲れるぞ」
大体、彦太郎ってなんだよ! 俺は何処ぞの芸能人かと思った。
「ハハッ、わりわり。でもまじでどこ行ってたんだ?まさかずっとトイレいたのかよ?」
「長期戦だったしな」
俺は何となく、さっきあった事を言いたくなかったため、なるべく明るい口調で、嘘をついた。
「……そっか!それは大変だったな」
夏も何かを察してか、明るく返してきた。
そこで授業終わりのチャイムが鳴った。
「おっ!終わりか。まぁ、授業終わりって感じしねーけど」
「まぁな」
そこからはあっという間だった。
俺がさっきあった事を反芻しているうちに、昼休みになり、午後の授業が終わり、いつのまにか帰りのホームルームだった。
教壇の上には朝と同じように、テンさんが眠そうに立っていた。
「あー、特に報告はないが、今から言う奴は放課後残れよー」
何だ? 早速問題でも起こしたか。
まぁ、俺は特に何もしてないから呼ばれないだろう。
俺は片頬に手をついて、他人事のように耳を傾けた。
「天彦」
俺は驚いた勢いで、手をついていた頰が滑り落ちた。危うく机に頭をぶつけそうになる。
今日は思い通りに事が進まない。
「それと、織橋、鷲尾、北野、川渡、星野、白鳥。今言った奴はちゃんと残れよー。以上かいさーん」
星野と白鳥はまだわかるが、まさか綾姫達も残されるとは。一体どういう了見なんだ?
俺は困惑していた。他の六人も俺と似たような表情を浮かべていた。残される理由は誰もわかっていないらしい。
「白鳥、何か知ってるか?」
俺はダメ元で隣の席の白鳥に訊いてみた。
「さぁー」
「だよな……」
変わらず素っ気なく返された。こうも冷たい態度を取られると、俺が何か悪いことでもしたような感覚になる。
俺は、こっちの件も何とかしたかったが、とりあえず今は呼ばれた件について、考えた。
考えたけど、思い当たる節は浮かんでこなかった。
「呼ばれた奴以外はさっさと帰れよー」
テンさんが残っている数人の生徒を急かした。
聞いた生徒達も、各々文句を言いながらも教室を出ていった。
呼ばれた俺たちは、戸惑いながらも前方の席、周辺に集まった。
「よーし、ちゃんと残ったなー。」
テンさんは、最後の生徒がちゃんと教室から出ていったのを確認して、教壇の上に立った。心なしか気合が入っているように見えた。
「先生、どうしたんですか? 急に残したりして」
綾姫が代表して聞いた。
「あー、まぁそのなんだ、お前たちに頼みたいことがある」
テンさんは頭を掻きながら言った。
俺はとりあえず、問題を起こしたわけじゃなかったことに安堵した。と同時に面倒ごとを頼まれそうな気がして、心配になった。
テンさんは一度深呼吸して、いつにも増して真剣な顔を作った。
「単刀直入に言う、お前ら、天文部に入れ」
「へ?」
俺は気の抜けた声で返事をした。さぞ間抜けな顔をしているだろう。ふと隣の綾姫に目をやると多分、俺と大差ないであろう、間抜けな顔をしていた。整った顔も台無しだ。
聞いたみんなも少なからず戸惑っている感じだった。
「お言葉ですが先生、僕の記憶ではこの学校には天文部は無かったはずですが……」
今度は星野が代表して言った。
俺は入学したばかりなのに、天文部が無いことを知っている星野に感心した。
星野の言う通り、うちの学校に天文部は無い。正確には10年以上前にはあったらしいが、部員が集まらず自然消滅した、と中学の時に聞いたことがある。
「ああ、確かに無い。だからここいる奴等で新しく天文部を作る。」
『ええー!?』
俺と白鳥以外の四人が驚きの声を上げた。
あぁーこの人はほんとに何を言っているだろう。俺は頭を抱えた。今日は朝からなんなんだ、と思い、これからは綾姫と学校に行くのを控えた方が良さそうだ、と少し思った。