第一話
子供の頃からよく星空を見上ていた。見上げながら星に向かって手を伸ばす。
星と自分との距離を知っておきながら、それでもなお、その途方もない距離を少しでも埋めようとして、手を伸ばす。
どんなに伸ばしても一向に埋まらない確かな距離に、暗闇が増すほど強く輝くその光に、自分のちっぽけさを痛感しながら……
「まーた、星見てたの星斗!飽きないねぇー。名前に星が入ってるからっていくらなんでも見過ぎだよー」
そうして星を見ていると、後ろから声をかけられた。俺はその声の主を振り返らずとも容易に特定できる。
「織橋 綾姫」それが声の主の名前であり、子供の頃から遊んでいる唯一の幼馴染だ。
綾姫は街を歩けば誰もが振り返って見てしまうほどのルックス、スポーツをさせればどの競技も県大会には楽々出場できるくらいの運動神経、加えて誰とでも仲良くなれるコミュニケーション能力など、その他多くの才能に恵まれた女だ。
「もう高校生になったんだから、他の趣味くらい見つけなさいよねー」
そんな女が俺みたいなそこら辺にいる平凡な男子高校生に小言を言ってくる。織橋 綾姫という人間は昔からそういう女だ。
「別にいいだろ、星を見てる分には誰にも迷惑かけてない、金も掛からない。そして最後に、いつも俺に小言を言わないと気が済まないのかお前は?」
俺も昔からやってるように綾姫の小言に対し、反論して、口論のきっかけを作る。昔からの俺達の会話の始まり方だ。
「なによー、人がせっかく差し入れ持ってきてあげたのに、そんなこと言う人にはあげませーん。」
「それを先に言えよ。俺が悪かった。許して下さい織姫様!」
顔の前で両手を合わせ、精一杯の謝罪を表すポーズをとってみたが、どうやら俺は一言余計なことを言ったらしい……
「私をその名で呼ぶなー!」
俺の住んでいる町の、端から端まで聞こえたんじゃないかと思うくらいの絶叫に、俺は身を縮こまらせながら、鼓膜を守るために反射的に両手で耳を塞いでいた。
「うるせーぞ! 今何時だとおもってんだ! ガキはさっさと帰って寝ろ!」
綾姫の絶叫によって起きたのか、近く家のオヤジが窓を開けて、俺達2人に対して怒鳴ってきた。
「あっ! すみませんでした。就寝中に大きな声を上げてしまって、もう少ししたら帰りますんで許してください」
綾姫の誠意のこもった謝罪に気を落ち着かせたのか、はたまたこいつの容姿に驚いたのか、さっきまで激怒していたオヤジは「チっ!」と舌打ちをした後に乱暴に窓を閉めただけで、それ以上のことは言わずに事なきを得た。
『ふぅー』
2人とも同じタイミングで安堵したあと、綾姫が俺の方に向き直して、鬼の形相で迫ってくる。
「星斗のせいでオジさんに怒られちゃったじゃない! もう! 私をその名前で呼ばないでって、いつも言ってるのに」
その顔は俺の想像上の織姫の顔と遠くかけ離れている。織姫とはよく言ったものだ……
「なんとか言ったらどうなの星斗?」
そんなことを考えていたら渦中の織姫様は俺に対して問い詰めてくる。
「まあまあ落ち着けよ。今のは確かに俺が悪かった。今度からは気をつけるようにするから許してくれ」
俺はこれ以上綾姫を刺激しないよう両の掌を綾姫に向けながら、落ち着かせた。ついでにその場限りの口約束も添えて……
「分かればいいのよ。約束したからね!」
「はいはい、約束約束ー」
「なにそれ、軽いなーもう」
呆れ気味にフフっと笑った綾姫の顔は、暗闇を一瞬だけ切り裂く、流星のように儚く見えた。
「それで……見つかったの?」
さっきとは打って変わった表情で綾姫が聞いてくる。俺はその言葉の意味を汲み取って、綾姫の問いかけに答えた。
「……そんなに簡単に見つかんねーよ」
「そっか、そうだよね。あの日《あの日》もう1年以上経ったのにね……」
「1年4ヶ月と24日だ」
「えっ? そんなに細かく覚えるてるの?」
「まぁな、毎朝起きた時に数えるからな」
「やっぱりすごいなぁ、星斗は……」
「お前の方が色々凄いだろ」
「そういう事じゃなくて!」
今度は綾姫の言葉を汲み取れず、首を傾げた。
「まぁいいけどね。わかんなくても……」
ますます分からなくなって、俺は更に首を傾げる。
そんな俺の様子を見ながら、綾姫は続けてこう言った。
「あの日もこんな風に星がよく見えたよね……」
「ああ、そうだったな」
そう答えて、俺はあの日を思い出す。
あの日失った大切な存在を、瞬く星を見上げながら……