おかえり。
小さい頃の両親は、今のように顔を合わせる毎に罵声を浴びせるような事はない普通の両親だった。
父の休み日には山でバーベキューをしたり、スポーツ観戦に行ったりと家族を楽しませる事を第一としているような人で、母も常に優しく私達を見守ってくれていた。
だけど、そんな日々も一瞬で変わってしまった。
――遊園地で、家族を無くした。
私には妹が居た、名前は葉月明日香。
いつも明るくて家族のムードメーカーで、小さくてかわいて私が守ってあげたかった愛おしい妹。
たった一瞬、つないでいた手を誰かに離された。
そして、妹は「おねえちゃん」と叫びながら人垣の中に消えてしまった。
――それから、すべてが変わった。
父は夜遅くまで家に帰らなくなり、母はそんな父を強い口調で咎める。
――けど、ふたりをそんな風にしたのは私のせいでもあった。
妹の事を言わなくなった私を両親は心配してくれていたのだが、その事すら理解できなかった私の行動は両親を苦しめていたのだと思う。
――それも今日、この時までで終わりだ!
※
「いやー!」
明日香を抱きかかえたまま、私は入ってきた扉を勇気を振り絞り飛び出した。
「いなくなってる!?」
さっきまで水槽の中にたくさん居たあの生物は消えて、ひび割れた水槽だけがあった。
「行くよ、明日香!」
私の言葉に妹の震えが止まっていく。
「うん、おねえちゃん!」
来た道を全速力で走る!
「待ちなさい!」
ドン! と、大きな音をたてて後ろの扉が開くのが分かる。
だけど、振り返っている暇は無かった。
「しっかり捕まってね、明日香」
「うん!」
彼女は私が忘れていた間もこうして頼ってくれていたんだ、だからずっと私と手を繋いでいた。その思いに報いるのは今しかない!
ヒュ!
背後から何かが飛んできた、それは私の横を抜けて地面に刺さる。
ドラマなどで見た事がある、あれはメスだ。
「ほら、待ちなさい!」
次から次に銀色の光が脇をすり抜ける、たまにかすめていく事もあり、その場所がヒリヒリと痛むが気にしてはいられなかった。
そろそろ、入口のはずだ……!
ガンガンガン! ガンガンガン!
扉を外から叩いている音がした。
「涼太! 礼二! お願い、そこを開けて!」
向こう側に届くかは分からなかったが、私に出来るのは大声を上げる事だけだった。
「……おい、聞いたか!?」
「……今、開ける!」
二人の声が向こう側から聞こえた。
ガン! ガン!
ガン! ガン!
向こう側からこじ開けようとしてくれているのが分かる。
しかし、まだ開かない。
あの扉に着くまでに開かなければ、私は敷谷に捕まってしまうだろう。
「うりゃー!」
涼太の大きな声が、アクアリウムの中に響く。
ドガン!
向こう側から光が漏れる、そこには見慣れた二人の影があり、私は彼等の事をいつも以上に心強く思えた。
「早く!」
礼二が手を差し伸べ、肩を抱くようにして出してくれる。
それを見届けると涼太は、扉を閉めて近くに落ちていた鎖で開かない様に固定した。
「よし! これで出れないはずだ! 今のうちに逃げるぞ!」
「出口はあっちだ!」
「まって、おにいちゃんたち!」
出口へ走り出そうとする二人を遮るように、明日香が言う。
「どうしたの!?」
「そっちじゃないよ!」
と、明日香は出口とは真逆の方を指す。
「観覧車の方だ」
その言葉に、体がビクっと跳ねた。
「どうした?」
そこは私達姉妹が最期に行こうとしていた場所で、その直前にはぐれてしまった。その事を思い出し、少し萎縮してしまう。
けど、そんな事を考えてる時ではないんだ!
「ううん、なんでもないよ。行こう」
今は、明日香の事を伏せておこう。これ以上、色々と考えさせて混乱させる訳はいかない。
ふたりは少し気にしているようだったが、あえて聞かないでくれた。
「急ぐぞ!」
礼二のかけ声と共に、私達は目的の観覧車に向かって走り出した。
途端に、園内に大きな音で陽気な、けどどこか不安な気持ちにさせる音楽が流れ始めた。
「なんだこれ!?」
「気にしてる場合じゃない!」
色とりどりの明かりを出す電球が明滅し始める。
音楽の聞こえるスピーカーにノイズのような、ザーザーという変な音が混じり始めた。
「なんだか、ヤバそうだぞ!?」
涼太が震えた声で叫ぶ。
「そんな事を気にしてる場合じゃないだろ! ただ、走るんだ!」
ザ、ザーザ、ザ。
――な。
「おい、なんか言ったか?」
「……いや」
全力で走っているせいで、礼二の声は息絶え絶えだった。
私は、振り返る涼太に首を振った。
――げるな。
「なんだ!?」
「逃げるな!」
突然背後から聞こえた声に驚く。しかもその声は、手が届きそうな程に近い所からの声だ。
一瞬だけ振り返った涼太は、弾かれたように前を向くと、
「弥宵、ただ走るんだ!」
それだけを言った。
私の後ろにはナニカがいるのだろう、それも相当近くに。
だけど私が振り返ってしまったら、私のせいでみんなの全てが終わってしまうと本能的に感じた。
「見えた! 観覧車だ!」
城のような建物の横を抜けると、観覧車乗り場が見えてきた。
「おい、あれ動いてないか!?」
涼太の言う通りだった、観覧車はゆっくりと回転している。その動いている観覧車のゴンドラのひとつが開いている事に気づいた。
腕の中の明日香を見ると私の言いたい事が分かったのか小さく頷いた、あれで間違いないみたいだ。
「捕まえた」
左肩に、誰かの手の感触を感じ、私はそこから動けなくなった。
「さあ、一緒に帰ろうね?」
耳元で粘つくような声が響く。
「大丈夫さ、ほんのちょっと分解するだけだから。すぐに直してあげるよ」
死が私に触れている。恐怖の寒さは、先を越えると熱く感じるのだと思えるほど喉が渇いたように、何も言葉を出す事が出来なかった。
「弥宵に触んじゃねェ!」
涼太が異変を感じたのか、こちらに戻って来て左の空間を蹴り飛ばした。その後すぐに、礼二が私の背を押して涼太と一緒に後ろのナニカとの間に入って、私達を庇ってくれる。
「いけ、弥宵!」
「でも……」
振り返った私の目に映ったのは、あの敷谷という人ではなかった。
細く異様に長い腕と指、それなのに足は異様に大きくまるで象のようだ。そして何よりも、顔がガイコツそのままの皮膚のない空洞だけのソレだった。
「行くんだ、弥宵!」
ふたりを置いてい行くなんて出来ない……!
そう思い、ふたりを手伝いに行こうと足をそちらに向けたら、
「だめ、おねえちゃん!」
「明日香……?」
妹は、しっかりとした眼差しで私を見ている。
「おねえちゃんは、あそこに行かないといけないの!」
まっすぐに入口の開いたゴンドラを指差す。
「でも、ふたりが……」
「おにいちゃんたちのためにも、いかないといけないの! おねがい、たすけておねえちゃん!」
思い出す。
あの時の私は小さすぎて妹の事を守ってあげられなかった。けど、今の私ならすぐに抱きしめて連れ去られないようにする事ぐらい出来るはずだ。
「……うん。お姉ちゃん、行くよ……!」
止めた足をもう一度だけ進ませる。
ガコンと音を立て、目的のゴンドラが一番下に着いた。
「のって!」
「うん!」
飛び込むようにゴンドラに入る。勢いがつきすぎたせいか、少し左右に揺れるがそんな事に構っていられない。私は、抱いていた明日香をゴンドラの椅子に座らせた。
背後の扉がひとりでに閉まった。
「えっ!?」
小さな覗き穴から涼太と礼二が、あの敷谷と争っているのが見えた。
「ふたりが!? ねえ、明日香!」
椅子に座った明日香を振り返ったが、そこには誰も居なかった。
「ありがとう、やよいおねえちゃん。ようやく、かえれるよ」
ただ、光る骨があった。
「あすか……?」
光がゴンドラの中を明るく照らしていく、その光は私の視界を奪っていった……。
※
「う、うん?」
目が覚めると、そこは錆だらけのゴンドラの中だった。
「眩しい……」
太陽が昇っている、いつの間にか夜が明けていたみたいだ。
「……明日香!?」
私はゴンドラの中の座席に目をやると、そこには小さな骨がまるで座っているかのように存在していた。その骨の横には、明日香が着ていた白いワンピースの端切れが落ちている。
「ここに居たんだ……」
私から、涙がこぼれた。
ゴンゴン!
当然の音に驚いて体が浮く、ゆっくりと振り返ると、
「弥宵! 大丈夫か! 怪我はないか?」
涼太だった、その横で礼二が「大きな音を出したら驚くだろ」と忠告していた。
「あ、そうか」
あまりにいつも通りのふたりに、思わず笑みが漏れてしまう。
「大丈夫だよ」
私は、ゴンドラの扉を開けて日常に戻ることが出来た。
小さい頃に無くした、大切なものと一緒に。
※
「どうだった?」
警察での聞き取りを終えた礼二に、涼太が聞く。
「全部をそのまま説明したけど、不思議な顔をしてたよ」
「だろうな。俺の時もそうだったから」
遺骨を発見したという事で警察に届けたのだが、第一発見者という事と不法侵入で話を聞かれる事になった。
不法侵入自体は厳重注意という事で済んだのだが、行方不明者の遺骨をその関係者が見つけたという話になったので疑いをかけられたのだが、当時幼稚園だった子供が出来る事なのか? という事で、こちらも大事にはならなかった。
けど、
「大々的にニュースになってるな」
警察署近くの食堂では、ニュースが流れていた。
行方不明者の遺骨を多数発見! と。
「まさか、あの子だけじゃないなんてな」
私達の通報の後、警察がワンダーランド内の捜索で複数の遺体を発見したという事だった。
その数は、十人以上。
「敷谷のもあるんだってな」
「うん。明日香の、妹のゴンドラの隣に有ったんだって」
私の乗っていたあのゴンドラ、形が変形してしまっていて中から開けられなかった。
それは、隣の敷谷のも一緒だったという話を刑事さんから聞いた。
「犯人、アイツなんだろ?」
水を飲みながら、涼太は聞いてくる。
「たぶん……そうだと思う……」
私がゴンドラで目を覚ました時、ふたりは外で倒れていたそうで、あの奇妙な敷谷の事はあまり覚えていないという事だった。
「妹さんの事、なんで忘れてたんだろうな?」
「おい、涼太!」
私は礼二に首を振って、
「いいよ。お医者さんの話だと、あまりに悲しすぎて記憶に蓋をしたんじゃないかって」
あまりに私達がおかしな事を言っているからか、警察の人が呼んでくれた心療内科のお医者さんと話した時にそう言われた。
特に小さい頃は、そういう事が多いんだそうだ。
「……そっか」
「……うん」
ふたりはそれ以上、私に尋ねてくることはなかった。
私はそれが心地よかった。




