解毒薬のせいで兄妹喧嘩である
我輩の名はアーノルド。帝国唯一無二の錬金術師であった。
「完成したのである」
我輩は、感動と満足感に包まれ眠りに……
「寝るな」
ダンに、床に倒れることを許されなかったのである。
「別によいではないか。寝かしてほしいのである」
「薬、飲ませにいかないとだろうが」
「そんな事はダンかサーシャ嬢がすれば良い話である。我輩は自分の仕事を頑張ったのである。これ以上は何もする気がないのである」
早く寝かせてほしいのである。
ダンとは違って頭を働かせる職業の我輩にとっては、睡眠時間が少ないのということは致命的なことなのである。
「……まぁ、なんというか、センセイは錬金術絡んでるときだけはいい男なんだよなぁ。終わると一気にポンコツだけど。成果とか興味ないのか?」
「そんなものは、報告を聞けば十分である。そもそも、解毒薬など何度も作っているのである。そんなことより寝かせてほしいのである。限界なのである」
「でもよ?もしかしたら、魔法金属の種類で効果の変化とかあるかもしれないぜ。俺には判断できないから、そこまで報告できないぜ」
そうであった……以前とは違う魔法白金の釜で薬を作成しているのである。
作業速度の他にも魔力の通りが良い影響があるかもしれないのである。
「確かにその可能性もあるであるな。確認するのである」
「切替え早いな!」
我輩は作業台においてある薬瓶を速やかに手に取り、兄君の部屋に向かうのであった。
現在、兄君の部屋には全員揃っているのである。
先程まで眠っていたサーシャ嬢は、ダンが起こして連れてきたのである。
「これで……治るの?」
「治る筈である。あの解毒薬、極微量ながら効果があったのであろう?」
「うん」
昨夜飲ませた解毒薬で、ごく僅かであったが変色が後退したそうである。
おそらく回復魔法や体力回復薬等を併用したことで一時的に効果が出たのであろう。
それが早めにわかっていれば、サーシャ嬢が回復魔法をかけ続け、通常の解毒薬と体力回復薬の併用という力業も、選択肢にあったかもしれ無いのであるが、完治させるにはサーシャ嬢を今以上に酷使することになるので、結局は同じ結論に行き着くような気もするのである。
我輩もそれは望まないところであるし、それ以上にきっとダンに激怒されるのがわかっているのである。
ダンも何だかんだで優しい男なのである。
「飲ませるのである」
「うん」
そう言ってサーシャ嬢は我輩から薬瓶を受け取り、兄君の側へ行く。
「お兄ちゃん、よくなる薬だよ。ちゃんと飲んでね」
「サー……シャ?………………ングッ!!!!?」
そう言うとサーシャ嬢は兄君の口に強引に薬瓶を突っ込み一気に薬を流し込んだのである。
一瞬呆気にとられた兄君であったが、次の瞬間じたばたと体を動かしていたのであるが、次第に体が小刻みに震えるのである。
毒感染が進み、殆ど体が動かなかった状態が嘘のようである。
「お兄ちゃん!飲んで!昨日だって少し吐き出したでしょ!苦いのダメってわがまま言わないの!」
「んーーーーーー!んーーーーーーーーーーー!!!!」
全身で薬を飲むことを拒否しようとする兄君を押さえつけ、強引に薬を飲まそうとするサーシャ嬢。
ベッドの上は、まさに小さな戦場と化しているのである。
「解毒薬数十本分の苦味か…………」
「このまま死ぬよりマシであろう」
「じゃあ、今度飲んでみろよ」
「絶対勘弁である」
ダンと我輩はそう話ながら、小さな戦いを観戦していたのであった。
「効果は上々であるな」
「あぁ。すごい勢いで変色が引いていったな。ゴードンが使う強力な解毒魔法と同じくらいだったぜ」
小さな戦いを終え、我輩とダンは強烈な苦味のため、気絶してしまっている兄君の患部を観察しているのである。
腫れた瞼と涙の跡がその副作用の強烈さを示しているのである。
それとも、どれだけ言っても薬を飲ませることをやめる事がなかった、サーシャ嬢への絶望具合であろうか。
あるいはその両方なのであろうか。
患部に関しては、兄君が薬を飲んだであろうタイミングで効果を発揮し、みるみると変色が治っていったのである。
今まで作製した薬の中で最速だったのである。
魔法金属の金属の種類か魔力含有率、あるいはその両方が関係していると思われるのである。
今後の研究課題であるな。
「麻痺とか残りそうか?」
「サーシャ嬢が毒感染の進行を食い止めていてくれたので、おそらく大丈夫だとは思うのである。後ほど兄君に聞いてみるのである」
「お兄ちゃん、もう大丈夫?」
「うむ。体力は大分落ちているので、しばらくは狩りなどはできないであろうが、毒感染はほぼ問題ないのである」
そう言うと、サーシャ嬢は目を輝かしてこっちを向いたのである。
歓喜に満ちた良い顔である。
「本当!? 本当に!?」
「本当である。ただ、まだ血の中に残っている毒もあると思うので、もうしばらく普通の解毒薬は飲んでもらうのである」
「嬢ちゃん、あまり強引に飲ませるなよ。ほぼ良くなってるから少しずつで問題…………」
「うん! 大丈夫! ちゃんと飲ませるよ!」
「お、おう。そうか。頑張れよ…………」
「うんっ!」
サーシャ嬢は満面の笑みで答えるのである。
我輩達は、兄君の今後の無事を願うのみであった。
現在は昼頃である。
三人で昼食を取った後、様子を見に行ったサーシャ嬢から兄君が目を覚ましたという報告を受け、ダンと共に部屋に向かったのである。
部屋にはサーシャ嬢と、まだあまり動けないようであるが大分血色がよくなった兄君がいたのである。
「様子はどうであるか」
「おっちゃんか! くっそ苦い薬作ったの! マジで苦かったぞ!」
「お兄ちゃん! 助けてくれたおじさんにまずお礼でしょ!」
「構わないのである。元気で結構である」
ベッドからまだ動けないようではあるが、口は十分に動いているのである。
初めて見たときは顔色も悪く、だいぶ危険な状態だったので元気そうで良かったのである。
「解毒薬の効果で大分状態も良くなったようであるが、まだ毒が血の中に残っている可能性もあるので、もうしばらく薬を飲む必要があるのである」
我輩がそう言うと、兄君は物凄い渋い顔をしたのである。
それほど嫌であるか。
「はぁ!? あんな苦い薬まだ飲むのかよ、大丈夫だって!」
「ダメだよお兄ちゃん! 一番苦いのはもう終わったんだよ? ちゃんとお薬飲むんだよ!」
「いらねぇよ!」
「わがまま言わないの!」
二人で言い争いが始まったのである。
何ということであろうか、解毒薬のことで兄妹喧嘩が始まってしまったのである。
我輩はその光景を呆然と見ることしかできなかったのであった。
「だから! まだ体に悪いものがあるかもしれないっておじさん言ってるんだから、ちゃんとお薬飲んでよ!」
「いらないって! 見てみろよ! もうどこも悪くないじゃんかよ!」
あれから数分は経ったであろうか、まだ兄妹喧嘩は続いているのである。
兄君は本当に苦いのが嫌いなのであるな。
さすがに兄君がかわいそうになってきたので、次からは違う味の薬でも作製してみたほうがいいのであろうか?
等と思っていたのであるが、
「あんな薬無くても寝てたらそのうち治ってたよ!」
「そんなことないよ! お兄ちゃんの足、紫色になっちゃったじゃんか! 紫色より酷くなると死んじゃうんだっておじさん達言ってたもん! 皆、お兄ちゃんのためにがんばったんだよ!」
「おじさんおじさんってなんだよ! そんなあやしい奴連れてきて! 俺の足の色がどうだとか、適当に理由つけて、家に入るために騙してるんじゃないのか! その人間」
「そんなことないよ! おじさんたち、お兄ちゃんを治すために…」
何やら喧嘩の雲行きが怪しくなって来たのである。
そろそろ止めないとマズイ気がするのである。
ダンもそう思ったようで、止めに入ろうとしたのであるが
「そんなの俺頼んでねぇし! あんなくそ苦くてマズイ薬無理矢理飲まされて! 逆に死ぬかと思ったんだぞ! あんなもの飲ませられるなら、死んだ方がマシだ!」
「!!!!」
あぁ、言ってしまったのである。
その言葉は……言ってはダメである。
はっとして言い過ぎたという顔をする兄君。
サーシャ嬢は目に涙を貯めているのである。
薬が嫌であったことに対する、八つ当たりにしては行き過ぎである。
人の心の機微にあまり敏感はない我輩ではあるが、その言葉は……ダメなのはわかるのである。
兄君の命を救うために頑張ってきたサーシャ嬢が、あまりにかわいそうである。
何とも気まずい空気が流れる中、サーシャ嬢が口を開いたのである。
「……センセイのおじさん……何回もお兄ちゃんのために……痛いの我慢して……難しいお薬作るの頑張ってくれて……」
泣かないように涙を堪え、サーシャ嬢は兄君に我輩達の努力を訴えているのである。
しかしである。我輩が何度も失敗しなければもっと早く治せたのである。申し訳ない気分になるのである。
ちなみにサーシャ嬢、センセイのおじさんとはなんなのであるか?
ダンのせいで、我輩の名はセンセイだと思われているのである。後で訂正せねばである。
「ダンのおじさんも……寝ないで何回もお薬になる草、いっぱい……いっぱい取りに行って……私だって……お兄ちゃん悪くならないように、いっぱい魔法かけたのに……」
堪え切れなくなった涙がぽろぽろと落ちていくのである。
それでもサーシャ嬢は皆の努力を訴えつづけるのである。
しかし、ダンも、サーシャ嬢も、我輩の失敗のせいで何度も素材を取りに行ったり、回復魔法を兄君にかけ続けなければならなくなってしまったのである。
すぐに成功すれば、ここまで全員が頑張らなければならないことはなかったのである。
もっと研鑽を積まないといけないと我輩は自省するのである。
「さ、サーシャ、あの、ごm」
「皆、お兄ちゃんを助けるために一生懸命頑張ったのに!! 死んだ方がよかっただなんて!!! お兄ちゃんの、ばかぁ!!!!」
そう叫ぶと、サーシャ嬢は部屋を飛び出してしまったのであった。
気まずい空気が部屋を包み込んでいるのである。
こういうときはどうしたら良いのであろうか。
昔から、研究室や家に篭りきりで、人とあまり関わることがなかったので、こういうときの対処が全くわからないのである。
すると、
「おい、ボウズ」
ダンが、兄君の方に向かって行き、目を合わせて話しかけるのである。
顔を背けようとするのであるが、ダンは兄君の頬を両手で挟み、それを許さないのである。
「な…なんだよ」
「自分が何をしたか分かってると思うが、よく聞け。そして、よく考えろ」
珍しく怒っているようであるな。
兄君、ちょっと……だいぶ怯えているのである。
「いいか、薬が死ぬほど苦くて、あの薬を作ったオッサンや俺に文句を言ったり、殴りかかるのは別にいい。知らない奴に騙されてるんじゃないかと嬢ちゃんを心配するのは兄として当然だ。それも別に良い」
「………」
文句は、別に慣れているので良いのであるが、殴りかかられるのは嫌である。
我輩達を不信に思うのは当然のことである。
そういう意味では、簡単に我輩達を信用してしまったサーシャ嬢が逆に心配になるのである。
「俺は頼んでないと、勝手なことしやがってと、俺や、あのオッサンに言うのもお前の勝手だ。あのオッサンがお前を助けたのは趣味の延長みたいなもんだし、俺はオッサンに付いてるだけだからな」
「趣味の延長ではないのである。生きる全てである」
「…………」
我輩は訂正したのであるが、無視されたのである。失礼な奴である。
「だけどな、いいかボウズ。ある日、ボウズが怪我をして帰ってきて、治した筈の場所がなぜだか悪くなっていく。治ってほしいと何日も魔法をかけるが、それでも毎日少しずつ悪くなっていくボウズの姿を見て」
「……」
その当時のことを思い出してるのであろう。
何とも言えない顔で兄君はダンを見ている。
「何か方法はないかと、必死に家を探して、やっと見つけた薬を作る方法が、何回やってもできなくて」
工房の失敗の跡はサーシャ嬢の実ることはなかったが、努力の結果である。
おそらく構築作業まではいけたのであろうな。
だが、融合が甘かったり、構築するものが【お兄ちゃんが良くなるお薬】という効果が曖昧なものになってしまったので、あそこで魔力が暴走してしまったのであろう。
「わずかな望みをかけて、外へ使ったこともない弓矢だけ持って一人で助けを求めに行き、あやしい人間の俺達にお兄ちゃんを助けてくれって懇願して」
「へ…外に?」
「そうだ嬢ちゃんとはここの外で会ったんだよ」
「外は危ないから一人で出ちゃだめって言ったのに……」
「それだけ切羽詰まってたんだろ。確かにかなりやばかったからな、ボウズの状態は」
兄君が驚きの表情を浮かべるのである。
サーシャ嬢が外へ出て行ったことに気付いていなかったのであろう。
「そのあと、センセイの薬ができるまでの間、毒感染がこれ以上進むと死ぬかもしれないボウズの状態を、必死に食い止めようと回復魔法をかけていたのはお前の妹だ。何でか分かるよな」
「……うん」
「全部、ボウズに生きてほしかったからだ。元気になってほしかったからだ。その、ボウズのことを一生懸命に想った、嬢ちゃんの優しい気持ちを、そんなの知るか! 死んだ方がマシだ! なんて、たとえ喧嘩だったとしても、言っていいと思うか?」
自分があの瞬間、勢いで言ってしまった言葉の意味をはっきりと認識したのであろう。
兄君はサーシャ嬢への罪悪感で押し潰されそうになっているのである。
「…ごめんなさい」
「俺に謝るな。相手が違うだろ。言っちゃいけないことを言った自覚はあるんだろ?嬢ちゃんの気持ちを否定したことは、ちゃんと謝るんだ。」
「……うん」
「あと、知らない人間を勝手に連れてきたことを心配したのは、間違ったことじゃない。そこはちゃんともう一回伝えておけ。今回は、たまたま俺達だから良かっただけなんだ。人さらいだっているんだからな」
そうであるな、こういう場所に足を運ぶ探検家なども、全員がダンのような人間ばかりではないのである。
時々、他の探検家の成果を横取りしようとして、闇討ちしたりするものや、人買いまがいなことをするものもいるようである。
以前ダンが嘆いていたのである。
「うん……あと……おじさん達……助けてくれたのに、酷いこと言ってごめんなさい……ごめんなさい……」
そう言って兄君は、静かに泣いたのである。
まぁ、我輩達は別に気にしてないのである。
それよりもサーシャ嬢である、さて、どこへ行ったであろうか。
とりあえず、兄君のことはダンに任せて、我輩はサーシャ嬢を探しに行くのであった。