浮遊の荷車である
我輩の名はアーノルド。帝国唯一無二の錬金術師である。
「おはよう、おじさん」
「……おはようである。もう、朝であるか……」
「朝っていうか、もうご飯だよ?珍しいね」
サーシャ嬢の言葉で、我輩はだいぶ寝過ごしてしまった事を知るのである。我輩を覗き込むサーシャ嬢は、心配そうな顔を見せているのである。
「どうしたのおじさん?疲れた顔してるよ?」
「大丈夫である。考え事をしたまま眠ってしまったみたいで、変な感じになってしまっているだけである」
それもこれも妖精パットンのせいである。
おそらく本人が聞いたら《それは酷いとばっちりだよ、錬金術師アーノルド》とでも言いそうな八つ当たりを心の中でして、我輩はベッドから起きるのである。
結局気が削がれてしまった我輩は、訓練を中断して部屋に戻ったのである。
部屋に戻ったのは良いのであるが、普段こんな時間に寝ることなどないのでやることが全くないのである。仕方がないので、少しでも妖精パットンに目に物を言わせてやろうと【浮遊】の構成魔力について自分なりに漠然としたイメージを持とうとするである。
一時的にはいい感じになるのであるが、結局元の木阿弥状態になってしまうのである。
そんなことを続けているうちに、我輩は眠りに落ちてしまったのであった。
「ふーん、そっか。あまり変な眠り方しちゃダメだよ。さ、ご飯行こう」
「起きたばかりなので、あまり食欲がないのであるが……」
「お兄ちゃんやドランおにいちゃんは、起きたばかりでもいっぱい食べるよ?」
「あの食欲魔人達と一緒にして欲しくはないのであるな……」
我輩の訴えは虚しく却下されて、サーシャ嬢は我輩の手を取り食堂へ連れていくのであった。
朝食と食後の小休憩の時間も終わり、本日の作業を行うために、工房へ我輩達は赴くのである。
「ようやく体がいつもの感じに戻ったのである」
サーシャ嬢に手を引かれてやって来た我輩の顔を見て何かを察したのか、アリッサ嬢は我輩の朝食を普段よりもだいぶ軽いものに作り替えてくれたのである。
そのお陰なのか、調子もだいぶ取り戻すことができて、いつもの調子で作業ができるようになったのである。本当にサーシャ嬢は人のことをよく見ているのである。良くも悪くも。である。
「錬金術師アーノルド。昨日はよく眠れなかったのかい?」
「そうであるな。誰かに笑われた事が気になって眠れなかったのである」
「聞いたかい?ミレイ。錬金術師アーノルドが、眠れなかったのは君のせいだと言っているよ」
「え!?アーノルド様!大変申し訳ございません!!」
急に話を振られたミレイ女史は完全にとばっちりである。
こういう小賢しいところは、ダンにそっくりである。
何でダンがいないのに、ダンといる気分にならないといけないのであろうか。なにか理不尽なものを感じるのである。
「我輩は妖精パットンに言っているのである。ミレイ女史は気にしなくて良いのである」
「それは差別と言うものでないのかい?錬金術師アーノルド」
「人を小馬鹿にしたような笑いをするからである」
「なんか楽しそうだなぁ。私も混ざりたかった……」
「後で楽しいことを教えるから、機嫌を直して、ね?サーシャちゃん」
我輩達の会話を聞いていたサーシャ嬢が、頬を膨らませていたのであるが、ミレイ女史の言葉で機嫌を直すのである。
しかし、なぜ一瞬我輩の方を見たのであろうか。何やら嫌な予感がするのである。
「ねぇおじさん、誰が【ふゆうのにぐるま】を作るの?」
機嫌が直ったサーシャ嬢が我輩に質問するのであるが、我輩もそれに悩んでいるのである。
サーシャ嬢は構成魔力のイメージを一番掴んでいるようであるが、反応が鈍い構成魔力の制御能力が足りていないのである。
ミレイ女史に任せてみても良いとは思うのであるが、一番錬金術に触れた期間が短いミレイ女史一人にこれだけの道具の作製を任せるのは正直不安である。
では、我輩が。と、言いたいところなのであるが、このメンバーの中で我輩が一番後れを取っているのは間違いないのである。
「そういう訳で、どうしたらいいか悩んでいるのである」
「でしたら、私とサーシャちゃん二人で作れば良いと思います」
「あ、それ良いね!そうしようよ!」
中級手引き書に、複数で行う道具の作成法方が書かれていたのであるが、それをやってみようと言い出したのである。
いきなりの事に驚いた我輩であるが、どうやら二人は、我輩が知らないところで時々一緒に道具を作っていたようで、始めてやるというわけではないと言うのである。
「いつの間にそんなことをしていたのであるか」
「おじさんがいるときにも結構やってたよ」
「アーノルド様は、研究に集中しますと周りが見えなくなることが多いですから」
「あはは。単純に、錬金術師アーノルドには見えてなかっただけみたいだね」
腑に落ちない言われようではあるが、事実なのでどうしようもないのである。
それはさておいて複数での道具作製には、イメージの共有がとても大事になるのであるが、今までもミレイ女史がサーシャ嬢のイメージに合わせて作業を行っているので大丈夫だと二人に言われたので、我輩は二人に【浮遊の荷車】の作製を任せることにしたのである。
「おじさんより先に新しい道具が作れるよ!がんばろうねミレイお姉ちゃん」
「そうだね。結構時間がかかりそうだけど、がんばろうね。フィーネちゃん」
とても嬉しそうにお互いにエールを掛け合っている二人を見て、我輩は二人に任せてよかったと思いながら、自分の研究に集中するのであった。
「で、錬金術師アーノルドは“フワフワ“のイメージを掴む特訓だね」
「【浮遊】の構成魔力である」
頭の上でからかってくる妖精パットンの邪魔に耐えながら、と、いうおまけつきである。
「……できた……できたよ!ミレイお姉ちゃん!」
「……うん!やったよ!サーシャちゃん!」
手を取り合う二人の前には、人が6人程座れるくらいの広さを有した簡易な荷車が置かれているのである。
手引き書の形とはいくらか違うとはいえ、目の前にある荷車は確かに【浮遊の荷車】である。
【浮遊の荷車】の作製は、思った以上に困難を極め、融合作業中に3回、定着作業中に2回、そして、構築作業に7回の失敗を重ね、およそ一月半の期間を要したのである。
「で、結局センセイはその間に【浮遊】のイメージを掴むことができなかったと」
「我輩の努力不足である。返す言葉も無いのである。今まで何をやってきたのであろうな」
「あれ?いや?」
ダンがいつもと様子が違う我輩に戸惑っているようである。我輩もさすがにここまでできないとは思っていなかったのである。些か自分の実力を疑うのである。
「リーダー。さすがにそれはからかっちゃいけないと思うよ」
「それでもだいぶ良いところまでは行くようになったんだから、もう少しだけ頑張りなよ。錬金術師アーノルド」
「旦那にも苦手なことがあるんですなぁ。まぁ、気楽にやりましょうや。」
「アーノルド様は私たちと違って、お客様に渡す紙人形や傷薬などを作ってもいましたから。あまり気になさらないでください」
「【浮遊】の構成魔力のイメージが掴めなくても、アーノルドさんがやって来たことは間違っていないんですから、自信を持ってください!」
何やら皆、妙に優しいのである。デルク坊とサーシャ嬢は、ダンに二人がかりでお説教である。珍しくダンも殊勝に二人の話を聞いているのである。いつもあれくらいでいてくれれば可愛げもあるのであるが。
「それにしてもさ、あんなでかい荷車を部屋の中で作ったときは、どうやって出すのかと思ったよ」
そう、これが我輩達が【浮遊の荷車】をより失敗してしまった理由なのである。
実は道具の作製を始めて十日ほどで、一度【浮遊の荷車】は完成したのである。
「できた!できたよおじさん!」
「よくやったのである。二人とも凄いのである」
目の前にあるのは、手引き書と形がそっくりの【浮遊の荷車】であったのである。
これで運搬・移動の効率化が計れるようになると思われたのであるが、問題があったのである。
「出来上がった荷車はどうやって外に運び込むのでしょうか?」
「……あ、そうだね」
「その事は全く考えてなかったのである」
ノヴァ殿は、錬金術用の釜を移動させる術を持っていたので、大きな道具を作る際は釜を外に出して作っていたのであろう。
しかし、我輩達はまだ錬金術の釜を分解させて再構築して移動させる方法を取ることができないのである。
具現化した状態で外に運ぶには、釜も荷車もドアをくぐり抜けることができないほど大きいのである。
「じゃあ、小さい荷車をいくつか作る?」
「それよりも、部品ごとに分けて作り、組み立てるようにした方がいいのではないのでしょうか?」
「そんなことをしないで、ここの壁に荷車が通れるくらいの出入口を作ればいいんじゃないのかなぁ」
ある程度案が出たのであるが、どうしたらいいか考えが煮詰まってしまった我輩達は、全員の意見を聞くことにしたのである。
そして、全員で話し合った結果部品から組み立てるということになったのである。
それから一月ほど、何度か失敗と改良を繰り返して、本日完成に至ったという訳なのである。
「とりあえず、普通の荷車として使えることは分かったな」
「あとは、魔法と道具として機能す るかどうかであるな」
ダンが荷車を牽いてみて、普通に動くのを確認したのである。こういう時になにも言わなくても率先して確認する辺り、ダンもよくわかっているのである。
一応、工房で作製したときは、魔法の道具としての機能しているのを確認した【浮遊の荷車】であるのだが、改良したこの荷車が機能するかどうかはまだ不透明である。
「魔法陣の位置は、手引き書の荷車と一緒であるな」
我輩は、荷車の枠の内側の一角に描かれている魔法陣を見つけると、錬金術の魔法陣と同様に起動させるのである。
これは、錬金術で作製した魔法の道具の機能を発動する為の魔法陣で、これがないと魔法の効果が発現しないのである。
使い方は錬金術用の魔法陣と一緒なので、我輩にも起動は可能である。
魔法陣が起動すると、荷車が淡く輝くのである。…………工房で作製したとき荷車と同じであるな。
「ダン、もう一度荷車を牽いてみてほしいのである」
「ん?ああ。…………うぇ!?なんだこりゃ?」
「…………ダンよ、行きなり強く牽くなである」
「いや。普通に牽いただけだけど、うわぁ、すっげえ軽い」
我輩は、ダンが急発進をするものなので、荷車の中をキレイに転がったのである。
我輩は荷車から降り、荷車を確認するのである。…………魔法はちゃんと機能しているようで、車輪が地面に接していないのである。
無事に成功である。
これで、移動手段は確保できたのである。怪我の功名で、組立式にしたお陰で持ち運びも出来るようになったのである。
我輩は、子供のように荷車を牽いて喜んでいるダンを見て、このあとの話も滞りなく進むであろうと胸をなでおろすのであった。




