やってしまったのである
我輩の名はアーノルド。帝国唯一無二の錬金術師である。
昨日の出来事から一晩明けたとは言えないまだ、日も上がり始めていない時間に、我輩は行動を開始するのである。
徹夜はしていないのである。結局あの後、研究する気を削がれてしまった我輩は、気を取り直すために早く寝ることにして、先程まで寝ていたのである。
部屋はかなり薄暗いのであるが、目が慣れてくれば何も見えないというほどではないのである。なので、簡易魔法陣の紙を取り出して起動させるのである。魔法陣は青白く光るのでこれで暗さの心配は無くなるのである。
しまっておいた魔法白金の手鍋とハーヴィーから受け取った布袋をを取り出して、研究を開始しようとしたのであるが、なにやら、ドアの隙間に何かが挟まっているようである。
気になった我輩は、ドアへ近づき挟まっているものを確認すると、折り畳まれた紙のようであった。何個かあったので、その内の一つを取り出して、中身を確認するのである。
"皆の前で勝手に昔話をしたのが嫌だったのか?皆心配してるから、出てきてくれよ。調子に乗って悪かった"
筆跡からするとダンの文字である。なにやらただならぬ感じである。他のも確認してみるのである。
全て筆跡は違えど、内容は似たような感じである。我輩が出てこないことの心配と、謝罪である。
中には、教えてもらったのであろう、小さな文字で
"れんきんじゅつしあーのるど、きげんをなおしておくれよ。みんなきみをしんぱいしているよ"
という妖精パットンが人間の文字て書いた文まであるのである。
どうやら、我輩が早朝の研究のために寝ていた今回の行動は、他の者は我輩が怒って無視したと思われているようである。鍵を閉めていたのも拍車をかけているようである。
我輩は、挟まれていた紙の全てに目を通し、大きく溜め息をつくのである。
何でこんなに大事になってしまっているのか、全くわからないのである。
この誤解は早めに解いておかないと、変な気の使われ方をして、感じが悪いのである。
しかし、とんでもない勘違いをされたものである。
あの程度の事で拗ねていたり、気分を大きく害するようであるのなら、ダンやアリッサ嬢との関係などこれほどの期間続くわけがないし、今も共に行動しているわけがないのである。
そんなことを思いながら、我輩は研究を始めるのである。
今回調べてみるのは、粘性生物の核である。妖精パットンの予想では、一番【意思】の構成魔力の含有率が高いとの事である。
我輩は布袋から、不思議な模様をした石のようなものを取り出すのである。これが、粘性生物の核のようである。
こういう核を保有している生物は、これを破壊されない限り何度でも甦る性質があるのであるが、基本的には一度休眠期と呼ばれる、最低限の具現化に必要な純魔力や構成魔力を集める期間を経て甦るそうである。その休眠期間は種類によってまちまちであるが、この粘性生物は数日ほどらしいのである。
その核を我輩は鍋の中に投入してみるのである。どういう理屈なのかはわからないのであるが、我輩達が使う分解の魔法は、生物には効果が発揮されないのである。なので、核が生命体として魔法の構式に認識された場合はこのままでは使うことができないのである。
投入された核は、そのまま鍋の底に行くと分解されることなくコロコロと転がっているのである。つまり、生物として認識されているということである。
ということは、核を破壊する必要があるのである。ただ、核を破壊すると、すぐに内部の構成魔力が散ってしまうらしいということである。
そこで、とりあえず鍋に入っている核を破壊してみることにしたのであるが、この核は、どうやって破壊すればいいのであろうか。
暫し考えた我輩が出した結論は
鍋の中ですり潰す
である。
森の家から、杖代わりに持ってきた純魔法銀製の擂り粉木棒があったので、それを利用することにしたのである。手鍋の中に、杖ほどの大きさの擂り粉木棒を入れるのはなんともシュールな感じもするのであるが、文句を言っている場合ではないのである。
擂り粉木棒を核に押し付けるようにして、すり潰そうと棒に体重を掛けた瞬間、軽く何かが割れるような音がして、先ほどまであった抵抗感のようなものがなくなったのである。どうやら、核が壊れたようである。
我輩は、鍋の中を覗いてみるのである。もしも何の構成魔力も鍋に無かったら、魔法陣の中で生物の生命活動を止めたとしても、分解は起きないということになるのである。
そう考えながら覗いてみた鍋の中には、何色かの光がキラキラと漂っていたのである。どうやら、成功のようである。
さて、次は構成魔力がきちんと入っているかどうか、である。中には黒色に光る構成魔力も存在しているのであるが、構成魔力の対応色はその時の作業で変化する事があるのである。なので、色を頼りにしていると予想外のものが動き出して驚いて集中が乱れることになったりするのである。
我輩が【意思】の構成魔力を制御するために意識を傾けると、鍋の中に入っている半分以上を占めている白色の構成魔力がゆっくりと動き出したのである。
これは、多いのである。このまま試作品まで作ってしまうのである。
我輩はそう思い、融合作業を始めるのである。構成魔力によって、融合速度や鍋の中に留まっていられる時間などは違うのであるが、【意思】の構成魔力は、純魔力や近い構成魔力との融合するのに必要な時間がかかり、鍋の中に留まっていられる時間は少し短いのである。なので、なかなか手のかかる構成魔力と言えるのである。
普段よりも長時間融合作業に時間がかかったのであるが、現在鍋の中には白色の光がキラキラと輝いているのである。
うむ、ちょっと考え無しで試作品まで作ろうと思ってしまったので、紙人形用の素材を用意するのを忘れていたのである。ちょっと段取りが良くないのである。
そこで、我輩はふと横の作業台にある用紙に目を向けるのである。
それは、皆が我輩に向けて書いた文章が書かれた用紙である。誤解から生じたものとは言え、皆の気持ちが伝わって来る文章である。おそらく文字から分解される【意思】の構成魔力の量も多く含んだ質の良い素材になると思うのである。
だが、我輩は一度作業の手を止め、許可を得て拝借し、鍋に入る程度に加工した木材を取りに行くのである。昨日の今日である。我輩の心を案じて書かれた用紙を素材に使うのは躊躇われたのである。
そうして分解された木材の構成魔力から、紙の素になる【植物】の構成魔力を制御融合させていくのである。
多少手順に無駄が多かったのであるが、現在鍋の中には二種類の構成魔力が漂っているのである。【意思】と【植物】である。これから定着作業に移るのであるが、今回は【意思】の構成魔力を定着させないことにしたのである。
深い理由は無いのであるが、中級手引き書の中に定着作業をしないで作成した場合、劣化速度が早くなるということが書かれていたのである。どうやら、ノヴァ氏も我輩と同様に定着作業を必ず行う派であったようでこの時期までそちらの研究はしてなかったようである。
劣化速度が早くなるということは、構成魔力が多く漏れていくということとほぼ同義である。つまり、魔物がよりこの紙人形の構成魔力を感じやすくなるかもしれないということである。
定着作業をしないことで、構築作業がいくらか難しくなるのであるが、使う構成魔力も二つである。まあ、問題は無いはずなのである。
我輩はそう思いつつ、暴走しないように気をつけながら【植物】の構成魔力の定着作業を進めていくのであった。
夜も明け、宿舎の外も徐々に明るくなってきたのである。外も、夜行生物の鳴き声ではなく、小鳥達の囀る声や人の生活音らしきものも聞こえてくるのである。おそらく、我輩がいつも起きる時間を少し過ぎ、ミレイ女史やサーシャ嬢が起きる時間になって来ているはずである。と、いうことは、もう少ししたら朝食の時間になってしまうのである。ここまで作業を進めてしまったので、朝食の時間前には試作品を完成させておきたいところである。
我輩は、鍋の中にある構成魔力を空中に浮かべ、構築を開始するのである。
作成するのは、【意思】の構成魔力を含んだ身代わりの紙人形。我輩はそれを強く思い紙人形の造形を想像していくのである。
【意思】の構成魔力があるということは、魔法生物を作ることもできるのである。妖精パットンは、生物と無生物の差は、“生きたい“という意思があるかどうかだと言っていたのである。文字や言葉も【意思】の構成魔力は含んでいるのであるが、そこに“生きたい“という意思が無い以上無生物なのである。“生きたい“であるか。きっと、この人形も【意思】残るのは構成魔力があれば"生きたい"と思うのであろうか…………
しまったである!
その瞬間、我輩の目の前が大きく光ったのである、我輩はこれから起こる現象に少しでも備えるため、できる限り体を伏せたのである。
「というわけで、我輩は昨日怒って無視をしていたわけではないのである。誤解を招くことをして申し訳なかったのである」
現在、我輩は朝食を取るべく集まってきた面々に先程まであった出来事を話していたところである。どうやら本当に気にしていたようで、普段なら朝食だと呼びに来るのはサーシャ嬢かデルク坊かミレイ女史なのであるが、どこか様子を伺う感じのサーシャ嬢の声を聞き、ドアを開けるとそこには森の家に住む全員、親御家族、老婦人がいたのである。
恥ずかしいやら、申し訳ないやら、複雑な心境で皆から謝罪攻撃を受ける前に、誤解を解かねばならないと我輩から話があると言って、食堂に連れていったのである。
「そうか……それならよかった。心配して損した…………っていうのはお門違いだな。調子に乗って悪かった」
我輩の説明を聞いて、ダンを始め全員が安堵の表情を浮かべるのであった。その全員の様子がなんとも愛らしく見えてしまったのである。
「一体どれだけ我輩の事で一喜一憂しているのであろうか、全員が我輩の兄弟や子供のような感じがしてしまうのである」
我輩の言葉に、森の家の面々。特にダンとアリッサ嬢とサーシャ嬢とデルク坊は驚きの表情を見せるのである。
「家族じゃないの?おじさん」
「おっちゃんは俺のもう一人のおっちゃんだぜ!」
「俺はセンセイをしょうもない兄貴だと思ってるんだけどな」
「あたしは、そのしょうもない兄を二人抱えた妹の気分だよ」
四人の言葉に、他の面々も口を挟むのである。
「アネゴは、妹って言うよりも母ちゃんですわ」
「確かに、一番しっかりしてるのはアリッサさんですね」
「うふふ。ここだと私もお姉さんになれるんですね。ちょっと嬉しいです」
余計な一言を言って、アリッサ嬢に目をつけられるドランと、そこら辺をうまくかわすハーヴィー、そして、何やら嬉しそうなミレイ女史である。
どうやら、ミレイ女史は実家では末っ子であったようで、姉のように慕ってくるデルク坊とサーシャ嬢が、嬉しいようである。実際はミレイ女史が一番年下なのであるが、それを言ったら我輩達も変わらないので触れないでおくのである。
「じゃあ、一番長寿で頼れるボクがこの家族の長男みたいなものかな?」
自信満々に胸を張る妖精パットンに、全員が頭に疑問符を浮かべたような雰囲気になるのである。
「パットンは、なんだろう?…………猫?」
「何でボクだけ愛玩動物なのさ!」
アリッサ嬢の言葉に、心外とばかりに怒った様子を見せる妖精パットンに対してダンが声をかけるのである。
「アリッサ、パットンは俺達人間からしたら幸運の象徴みたいなもんだぞ?獣と一緒にしちゃいけねぇよ」
「幸運の象徴…………ダン、君はボクという存在をとてもよく理解しているんだね。ああ、とても気分が良いよ。錬金術師アーノルド」
ダンの言葉に、気を良くした妖精パットンが、我輩の頭に乗ってリラックス状態になるのである。
人間の幸運の象徴。それは、金色の尻尾を持つ白毛の猫なのであるが、それを知っているものは全員その事を言わなかったのである。
「あははっ、サーシャちゃん!この子すごい!見て見て!」
何とも言えない静寂を切り裂くように、親御殿の娘であるフィーネ嬢が楽しそうな声をあげてサーシャ嬢を呼び寄せるのである。
「錬金術というのは凄いのですね、このようなものを作ってしまうのですから」
老婦人が、同じくらいの年代の女性の手を取り、こちらにやって来たのである。こちらの女性は、なんとなくフィーネ嬢の面影があるような気がするのである。彼女がノヴァ殿のご友人なのであろう。
優しそうな笑顔を見せて、彼女はフィーネ嬢のいる方へ顔を向けるのである
「すごいすごい!」
サーシャ嬢は、フィーネ嬢と共に机の上に視線を向け、楽しそうな声をあげるのである。
机の上には、紙でできた人型の何かがそこにいたのである。
「どうするんだ?あれは」
「…………どうすれば良いのであろうな」
我輩は、困ったように質問をするダンに、同じく困ったように返事をすることしかできなかったのである。




