東方での終戦③
終息しつつある東方での戦いのなか、リリーは内なる戦いに臨んでいた。
「父様の魔法の支配だけではなく、俺直接の支配まで抵抗するなんてなぁ……」
自身が勤める魔法研究所にも一定数いる、面白い研究対象を見つけた時に歪んだ研究妄想に思いを馳せながら嘗めるように見回すといった、あまり近づきたくない職員たちのような表情を浮かべる男を前に、リリーは朧気ながら覚えているここまでの記憶を辿ろうと集中する。
そうして自分というものをはっきりと持つことが、意思の魔法に抵抗する方法の一つだと意思の魔法の専門家であるパットンから聞かされていたからだ。
「まぁ、そんなことができる前に意識を乗っ取られるのが普通だけどね」
「だったら私に言う必要なんてあるのかしら?」
「他ならぬリリーだから言っているんだよ」
「どういう事?」
「まぁ、リリーは優秀だからね」
そう誤魔化すように言ったパットンの言葉に未だに納得はいっていないものの、実際にそう言う状況になり対処ができることにリリーは少しだけ感謝しつつ少しずつ自身とウォレスが、東方都市に援軍に向かった後のことを思い出していく。
押され気味だった東方都市の軍と共に魔物達を押し返したこと。
その後に現れた目の前の男を含めた人間と亜人種の三人組の事。
人間は霧の魔物に憑依された際に種族を乗り越えた"魔の冠を抱く者"であり、"父様"と呼ばれる、亜人種二人を含めた敵勢力にいる霧の魔物全ての大本であり、今回の騒動の首謀者であった事。
"父様"の意思の魔法によって、自分とウォレスの意思が囚われてしまった事。
それでもわずかに残っていた意思により、東方都市と防衛線に戦力を割くように画策したり、先程の戦闘で魔法の照準をずらしたりと、今までできる限りの抵抗をしてきていたこと。
(……運が良かったとしか言いようがないわね)
ウォレスへの尋問で皇帝の居場所が辺境の防衛線だと判明した敵勢力は、同じように操られる状態になった兵士たちを含めた全戦力をそこに向けようとしていた。
それをリリーが、アーノルドの道具の存在やダンやアリッサといった帝国最強戦力の話をし、分断させることに成功したのだ。
はじめは人間如きといった感じだった3人組も、今までアーノルド達が悉く彼らの邪魔をしてきたことを知り、また、人間達の移動速度が彼らよりも遅いという事実から、リリーたちを囮にダン達を東方都市におびき寄せる間に防衛線に向かい、一時的に撤退して油断させたところを壊滅させたほうが良いといったリリーの提案を受け入れたのだ。
魔物との戦いに慣れていない上に、対人戦まで行う事になったら戦況は非常に厳しいものになったはずだったが、そこまで考えられずにリリーの提案を即座に受け入れたのは、"父様"が人間や魔物が魔の冠を抱く存在になった際に、人としての複雑な思考をなくしてしまったという事、そしてその配下である者達も彼以上の思考能力を持つことができなかったからなのだろうとリリーは考えていた。
(いくら急襲をかけると言っても、皇帝陛下がいる防衛線の態勢がそう簡単に緩むことは無い筈だから、結局襲撃までは時間がかかるはずだし、リーダーやアリッサなら私達が敵側にいて暴れていると聞いたら、私の意図を読み取ってすぐにこっちに向かってくるでしょうね)
あわよくば、ダン達の手によって解放された自分たちもそのまま防衛線の援軍として向かおうという考えも、あっての提案だったのかもしれないわねと記憶になかった時のことををリリーは推察する。
そしてリリーの読み通り、ダン達は敵勢力の予想以上の速度でこちらにやってきて今の状況になっている。
ただ誤算だったのは、一部を除いた防衛線の戦力は敵の一時撤退により防衛体制を緩慢にしてしまっていて、こちらの戦闘が始まった時とほぼ同じくして始まってしまっていたという事だった。
と、そこまで思い出したリリーに重圧がかかる。
実際に重さが増えているわけではないが、自身の重さが何倍にもなったような負荷がかかる。
「おいおい、この状態でそれだけ俺の支配に反発するってお前何者だよ」
「あら、いたの? すっかり忘れていたわ」
そのリリーの返しに、先程まで気持ちの悪い笑みを浮かべたり、まるで珍しいものを見るようなといった、不快な物見をしていた目の前の魔物は一気に表情をゆがめる。
リリーとしては軽口でも皮肉でも煽るつもりでもなく、本当に自分を取り戻すために集中してその存在が無い物のようになっていただけだったが、目の前の魔物の神経を逆なでするには十分だったらしく、先程の重圧が緩まる。
「貴方、意思の魔法を使う割に随分と心が弱いのね。貴方直接の支配よりも、"父様"の魔力による間接支配のほうが遥かに抵抗できなかったわよ?」
「だ……黙れ黙れ! お前は今、ほとんど俺に浸食されているんだ!」
(なるほどね。内面の戦いってこういう感じなのかしら?)
アーノルドやダン達なら全く軽く受け流される程度の自身の物言いに、これほど心を揺さぶられている目の前の男に拍子抜けと、その程度の相手にいままで操られていたことに若干の苛立ちを感じつつ、リリーは少しずつ自身の領域を取り戻していくのだった。
(な……なんなんだこいつは!)
魔物は少しずつ自分の支配を跳ね除け始める目の前の女に若干の恐怖を覚え始め、心なしか逃げ腰になる。
"父様"が生み出した分裂体の中でも初期の個体である魔物は、生まれてから数百年、数十・数百といった魔獣・獣・亜人種を取り込み非常に優れた個体に成長したと自負している。
夜の一族と呼ばれる亜人種を何人も取り込み、"父様"と同じ意思の魔法を使えるようになり、更に研鑽を積み、"父様"が数十年も前に成功したという、大森林の南の方に生息する蛇海竜と呼ばれる大型魔獣に意思の魔法をかけることに成功したのだ。
夜の一族を数多く取り込み、彼らに超えるする程の力を得た"父様"に次ぐ意思の魔法の使い手だと魔物は自負していた。
だから今の自分、さらに言えばそれ以上の"父様"の意思の魔法に抵抗した上に、霧の魔物本来の意思の乗っ取りに抵抗するリリーに底知れぬ恐怖を覚える。
「ねぇ貴方、先程と違って大分余裕がなくなってるのね」
「そんなこ……」
「ここは意思の領域なんでしょ? 全くもって不快だけど、貴方と私の領域が現在重なっているから、意思の一部がこちらに流れてくるわよ」
その言葉に霧の魔物は、脅威を覚える。
(こいつ、まさか意思の魔法の素質があるのか!)
苛立つ魔物とは真逆に、この状況をどこか楽しんでいる意思、そして自分をどこか侮っているような感情がリリーから流れ込んできているのを魔物は理解している。
魔物がリリーの意思を読み取れるのは、霧の魔物本来の性質であり、意思の魔法使いの素養である構成魔力を感知し具現化しているからであり、魔法使いであるとはいえただの人間の筈であるリリーが、意思の魔法を感知できるわけでもなく、ましてや具現化させて流れ込んできた意思を読み取ることなどできるはずがない。
それができるのは意思の構成魔力を餌とする霧の魔物や、夜の一族のような意思の魔法の素質がある者だけなのだ。
実際リリーは、拷問菓子作りなどで無意識に意思の魔法を使用しているので、現在も流れ込んできている魔物の意思の構成魔力を無意識で具現化して読み取っているのであるが。
いつのまにか形勢が逆転してしまったこの状況を一気にひっくり返すべく、魔物は流れて来ているリリーの意思を精査する。
意思の揺らぎがこの世界での優劣の決め手である以上、彼女の意思が揺らぐ何かを見つけなければならない。
リリーの意思外に押し戻されそうな状況の中、懸命に意思の流れを探っているとその奥底に小さく閉じ込められた、しかし確かな意思を発見する。
魔物はそれを攻略の鍵と判断し手繰り寄せ、読み取るとにやりと笑うのだった。




