大森林は、危険と期待があるのである。
我輩の名はアーノルド、帝国唯一無二の錬金術師であった。
「センセイ、調べて欲しい場所があるんだ」
真剣な面持ちでダンがそう言ってくるのである。
ダンとの付き合いはそれなりにあるが、道具の作製依頼以外の頼み事は無かった気がするのである。
「ほう?どこであるか?」
一年近く腐っていたのと、人に頼られるのが久しぶりなので、好奇心が沸き起こってきたのである。
「あぁ……大森林だ。その中でも、ここから北東に位置している……大体この辺りかな」
そういってダンは、背負い袋から地図を取り出して言ってきたのである。
大森林は、帝国の東側一体を覆う広大な森林地帯で、様々な獣、魔獣、魔物、魔者が生息しているのである。
また、帝国の亜人排斥政策の時に森の民や妖精含め、幾つかの亜人達が移動していった場所でもあったのである。
開拓の難易度が他の箇所に比べると容易なので、現在帝国の開拓政策はこちらを中心としているのである。
「ここに、何があるのであるか?」
ダンが示す先は、現在探検家ギルドや帝国開拓団が作成した大森林の地図上ではあまり深い位置ではなかったのである。
「これはまぁ、さっきの解散な話に繋がるんだけどな」
ダンが話すには、3ヶ月ほど前に大森林深部捜索の依頼を受けたとのこと。
理由は大森林方面の地図拡大のためらしいのである。
その最中、大型の熊型魔獣に襲われ、そこで不意を突かれたシンは腕を大ケガしたらしいのである。
大ケガ、と聞いたがよくよく聞くと左腕が千切れかけたらしいのである。もしもゴードンがいなかったら、修復はおろか、運が悪ければ出血死や感染死もあり得たようである。
自分の反応が予想以上に遅くなったこと、治療は出来たが以前ほど手先が動かなくなったこと。
そのことが、シンが探検家を引退する決め手となったようである。
それでもなんとか魔獣を撃退することができたので、大急ぎで大森林から出ることになったのである。
「そんなに深部まで行っていたら、血の臭いを嗅ぎ付けた他の獣や魔獣に襲われないであるか?」
我輩はかなり地図の深い位置を指しながら話すダンに、そう尋ねるのである。
大森林には様々な生物が生息しているのである。
熊や狼、ネズミやウサギ、鹿などの大小様々な獣である。
その獣のなかでも自然に魔力を帯び、能力が向上、また、簡単な魔法を操ることもある魔獣。
独自の進化を遂げた、粘状生物や、魔力を帯び、襲いかかる昆虫や植物などの魔物。
さらには、過去に悪事を働いたことで帝国から追放または逃亡し、過酷な生態系を生き抜くため急激な進化を遂げた結果、正常な意識を失った人間や亜人種の末裔なのではないかと言われている魔者。
というのもいるのである。
「あぁ。深部から中ほどに戻るまではちょいちょいやられたな」
軽くそう言うダンだであるが、実際ゴードンはシンの治療に専念していたのである。
その二人が戦力にならない状態での大森林深部からの撤退戦は相当な困難だった筈である。
「で、だ。」
ダンは地図のある地点を指差すのである。
それは、先程話ながら指していた地点よりいくらか手前なのである。
「恐らくこの辺りくらいだと思うんだが、ここから全く敵に襲われなくなった」
「駆除が完璧だったのであるか?」
「この辺りは数年前にやった遠征時、大型魔獣の集団に反撃されてから殆ど足を踏み入れてねぇんだ。だから、俺たちが行ったんだしな」
「そうだったのであるか」
「それにな、襲われなくなったって言ってもな、いないってんじゃない、いるけど近寄ってこねぇんだ」
敵性生物の気配はするし、時折肉食獣の姿は見えるのであるが、一定の範囲より近づいてこなかったようである。
「不思議なものであるな、弱ってる集団を襲いに来ないのであるか」
「あぁ。普通ならそう思うんだろうな」
我輩の言葉にダンはそう返すのである。
一体どういうことであろうか?
「俺たちは、それを知ってるんだよ」
「どう言うことであるか?」
全く想像がつかないのである。
普通大ケガをしたものとその治療で戦えないものである。
その護衛で大分弱ってきた人間なら、狼の集団であればおそらく襲うはずである。
実際そうであったらしいが、指し示している地点に入った瞬間に急に大人しくなったらしいのである。
「分からないのか?センセイ」
「分からないから聞いてるのである」
「センセイからもらったアレに、よく似てるんだよ」
はて、何であろう?
見当も付かず、首を捻る我輩にダンは言うのである
「蜥蜴嫌いの臭い薬だよ」
【蜥蜴嫌いの臭い薬】
ダン達が特Aクラスの探検家として名を馳せるようになった、竜が棲むと言われる北の山脈往復という偉業であるが、その際に我輩が作製して渡した忌避薬である。
元々は、畑仕事等で特定の害虫や害獣などに作物が自らにとって美味しくないもの、と認識させ遠ざける事が目的で作られる【畑の味方シリーズ】という煙玉があるのである。
それを蜥蜴類に限定して、効果を強化して作ったのが我輩の作品【蜥蜴嫌いの臭い薬】である。
竜=蜥蜴の進化系、と予想して作製し、何度も実験を繰り返した結果、蜥蜴類の魔物にも竜にも効果がある事がわかったのである。
北の山脈に多く生息している翼竜も、だいたい大人3人分の距離以上は近づいてこなかったようである。
ただ、ゲテモノ食いというのはどこにもいるらしく、時折襲われることもあったらしいが、それも数回だったらしいのである。
しかし、一番下位の翼竜とはいえ竜を撃退できるのだから、ダン達はやはり相当の実力者だったのであるな。
ちなみに、煙玉ではなく薬にしたのは効果ができるだけ続くように体にかける方向にしてみたのである。
その結果、何とも言えない臭いで過ごすことになったらしいのである。
だが、効果をあげるために材料も大分希少なものを使うわけで(採りに行くのはダン達だが)、そんなところまで気は回るはずもないのである。
そもそも、死ぬよりは臭い程度など遥かにましである。
というのが、当時の報告書を読んだ我輩の感想である。
そんな【蜥蜴嫌いの臭い薬】に似た効果がその場所で起きていたとの事である。
しかも、効果範囲も対象も広い状態である。
「それだと森の民の魔法の可能性もあるのであるな」
「いや、その可能性は低いと思う。」
「なぜであるか?」
「言ったろ?アレに似てるってさ。アリッサのやつが言うんだよ、すごく薄いけど、アレと似てる臭いがするって。俺たちには分からねぇけど、あいつ、物凄く鼻が利くからな。」
「確かに、7号は鼻が利いたであったな」
「久々に聞いたなそれ、名前で呼べよ。覚えてんだから。」
アリッサ嬢こと試験役7号は、どうやら犬か狼の亜人との混血児の末裔らしく、人間より鼻が利くのが特徴である。
最後まで臭い薬の使用を渋っていたのも彼女である。
話は逸れるのであるが、ダン達は我輩が名前を覚えるまでの間、2号~7号で呼ばれていたのである。
ちなみに1号は皇帝陛下である。
また、亜人排斥政策内での混血児の立ち位置は身体的特徴が人間に近ければ、能力的特徴は個性として捉えられていたらしい。
躍起になって排斥等と言っていた割に、結構穴空きな政策なのである。
しかし、我輩の作品に似た、それでいてより強力なもの。
……魔法の可能性は低いであるか。
だが……
まさか……である。
でも、もしかしたら……である。
沸々と期待が沸き起こるのである。
いやいや、まだ……まだ、他の可能性もあるのである。
たまたま自然発生した何かとか。
あぁ、それを調べてみるのも面白そうである。
「それで、一度シンを連れて戻った後に、5人で効果を範囲内を捜索しに行ったんだ。それで」
と言って、ダンは最初に指差した辺りを示すのである。
「ここで、家を見つけた。アリッサいわく、ここが臭いの発生源らしい。」
続けて言うのである。
「リリーが言うには、昔、センセイのところで感じた錬金術用の魔法陣から出てる魔力の雰囲気に、非常によく似たものを感じたらしい」
……
…………
………………
今、何と言ったであるか?
リリー嬢が……錬金術用の魔法陣と…………魔力の雰囲気が…………似てる…………であると?
ふいに、目を見開きダンを見るのである。
体がざわつくのである。
ダメである、期待してはダメであると思うのである。
だが、頭がそれしかないとどんどんと思い込んでいくのである。
止まらないのである。一年近く燻った何かが一気に燃え上がるのである。
「ダン、まさか、そこは、ひょっとして……」
ダンは真剣な眼差しをこちらに向け、静かに言ったのである。
「俺たちは、錬金術の工房だと思ってる」
と。