募る不安と悪い予想、である
我輩の名はアーノルド。自由気ままに生きる錬金術師である。
敵勢力との戦いの場が人間側へと移行したある日、我輩達の元に現皇帝がやって来たのである。
そんな久方ぶりの交流を終えた我輩達の元に届いた知らせは、東方都市の騎士隊が大被害を受けたこと、そして、その敵の中に救援に向かったリリー嬢とウォレスらしきものの姿があったということであった。
ダン達が東方都市に向かい数日、我輩たちは屋敷で変わらず薬や道具の作製を行っているのである。
だが、その雰囲気はいつもよりも重いものを感じるのである。
「…………」
「ミレイおねえちゃん!」
サーシャ嬢の言葉にハッとしたミレイ女史は、慌てて釜の中の構成魔力の制御に集中するのである。
魔法人形達の補助もあるので、暴走するというほどではなかったのであるが、集中力の欠如が如実に表れているのである。
「あ……ごめんなさい……」
「おねえちゃん、少しお休みしたほうが良いんじゃ……」
「ううん……大丈夫。大丈夫だから」
そう言って、気丈にふるまおうとしているであるが、精神状態が非常に不安定であるのははっきりしているのである。
「いや、厳しいことを言うようであるが今のミレイ女史ではまるで仕事にならないのである。しばらくの間仕事を禁止するのである」
そもそも仕事を行うことができない我輩が言うのもおこがましいとは思うものの、これは責任者として行わなくてはならないことである。
「アーノルド様……私は大丈夫です!」
「いや、駄目である。今のミレイ女史には、仕事を任せることは申し訳ないのであるができないのである」
我輩の言葉に食い下がるミレイ女史であったが、我輩がはっきりと否定すると、諦めたように我輩達に力なく謝ると、部屋を出ていくのであった。
いくら大人びているとはいえ、まだまだ成人したばかりの子供である。
職場の尊敬する上司であり、魔法使いとしての目標であり、そして、これから家族になるであろうリリー嬢の身に何かが及んでいるのであるから、その心中が穏やかであるはずはないのである。
そんなミレイ女史の様子を見て、サーシャ嬢は心配そうな表情をこちらに向けるのである。
「大丈夫である。彼女ならばすぐに気持ちに整理を付けることができるのである」
先程の話と矛盾するかもしれないのであるが、彼女はまだ精神的に未熟な子供であるが、我輩達と数々の苦労を乗り越えた強い心を持った仲間である。
心に折り合いをつけることができれば、すぐに戻ってこれるはずである。
「サーシャ嬢、少しの間1人で仕事を任せることになってしまうのである」
「大丈夫だよ。みんなも手伝ってくれるから」
サーシャ嬢がそう言うと魔法人形達は任せろと言わんばかりに、こぞって踊り跳ねるのである。
そんな彼女たちを見て、我輩はふと素直な気持ちが口から出てしまうのである。
「もどかしいのであるな」
「え?」
ちゃんと聞こえてなかったのであろう、サーシャ嬢の問いかけに答えることなく、我輩はこの状況下で自分がリリー嬢達を助けに行くこともできず、そして、しばらく孤軍奮闘することになるサーシャ嬢の負担を減らすこともできない自分に強烈なもどかしさと無力感を感じるのであった。
「もういいのであるか」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
ミレイ女史の復帰は早かったのである。
翌日、我輩が工房に行ったときには既に自身の魔法人形と作業を行っていたのである。
我輩は、彼女が精神的に落ち着くまでは数日を要すると考えていたため、少々驚いたのである。
無理をしているのではないかと思ったのであるが、しかし、復帰後の彼女の集中力は非常に高く、休止前の不安定さは全く見えなかったのである。
「無理はしていないのであるか?」
「無理ですか? しています」
そう思って尋ねた質問に、ミレイ女史は当然のようにそう答えるのである。
「それならば……」
「アーノルド様、今は無理を押し通すところなのです。いくら心配をしていても、室長が助かるわけではありません。そして、その事が原因で私が仕事に支障をきたしているとなれば、室長はきっと凄く怒るでしょう」
確かに、リリー嬢の性格からしたらその可能性は高いのである。
「リリー嬢であれば、そんなことで仕事に支障をきたすのならば、仕事を今すぐ辞めろとでも言いそうであるな」
「……さすがにそこまで非情では……」
「我輩は近いような事をしょっちゅう言われていた気がするのであるが」
「それは……、きっとアーノルド様だからではないでしょうか」
「どういう意味であろうか」
言葉の意味を図りかねた我輩の問いに、ミレイ女史は困ったような苦笑いを浮かべるのみで答えることは無かったのである。
「でも、きっと昨日のような状態が何日も続けば言われていたかもしれません」
「だから無理をして仕事を始めたという事であるか」
正直、あまり好ましいことではないのである。
無理やりにでももう一度休ませようかと考えていると、ミレイ女史はこちらをまじまじと見つめるのである。
「どうしたのであるか」
「アーノルド様が何を考えているのかは分かります。ただ、今の私から仕事を取り上げても何も変わりません。むしろ、心配で心が押しつぶされるかもしれません。その状況で平静さを保っている方が無理をすることになる可能性すらあります」
「……つまり、どちらにせよ無理をすることになるならば、こちらに集中していた方が気持ちが紛れるという事であるか」
「はい。こんな状態で仕事に臨むのが良くないのは分かっております……ですが……」
そういうミレイ女史の表情はやはりどこか思いつめたようなものが見える気がするのである。
本当であれば、このような状況のミレイ女史に仕事を任せるのは良くないのであろうが。
「もしも、昨日のような不安定さを見せるようであれば、即時に仕事を中断させるのである」
「はい。分かりました」
仕事をすることでミレイ女史の気持ちが安定するのであれば、我輩はそれを受け入れようと思ったのである。
それが彼女のためになるのかもしれないのであるし、また、現状落ち着きつつあるとはいえ、まだ戦いは終わっていないため、道具の作製人員は多いに越したことはないのである。
「あれ? ミレイおねえちゃん」
そんな中、いつもより遅れて工房に入ったサーシャ嬢が少々驚いた面持ちでミレイ女史の見るのである。
まぁ、昨日一人で仕事を行うかもしれないと覚悟をした矢先にミレイ女史が復帰しているのであるからそうなるのは当然と言えば当然なのである。
「もう大丈夫なの?」
「うん。大丈夫だよ。昨日はごめんね。心配かけちゃって」
「ううん! 頼りにしてるね!」
「ふふ……ありがとう」
サーシャ嬢の屈託のない笑顔を見て、少し強張っていたミレイ女史の表情が幾らか和らいだ様子を見せるのである。
確かにミレイ女史が言ったとおり、1人で悶々と折り合いをつけていくよりもこちらで仕事を行う方が良いかもしれないのである。
そう思いながら我輩は二人の作業を見守り、問題がなさそうなことを確認すると二人にその場を任せて工房を後にし、とある場所へと向かうのであった。
工房を離れた我輩は、屋敷を出てまっすぐに目的の場所へと向かうのである。
目的地に向かう道中、数多くの体つきの良い者達や少々荒くれている者達が我輩を多少吟味するような、物珍しいものを見る目で眺めているのを見かけたのである。
彼らにとって、我輩のような華奢な中年が一人で目的の場所に向かうのが珍しかったのであろうか。
まぁ、時期が時期だからという事なのかもしれないのであるが、あまり気持ちのいいものではないのである。
中に入ると、さらに多くの荒くれたちが所狭しと溢れていたのである。
「お、センセイ! 今日はどうしたんだい!」
「ダンの悪影響を受けるのは止めるのである。ギリー老はいるのであるか?」
荒くれたちの中から、見知った顔の男が満開の笑顔を浮かべてこちらにやってきて要件を聞いてきたので、我輩は答えるのである。
「だってよお、ダンさんたちがセンセイって言っているなら俺達もそう言った方が良いかなって、それとも、ドランのアニキのようなダンナ呼びのほうが良いかい?」
「どっちも勘弁であるな」
「じゃあ、どっちでもいいって事だな」
「なんでそうなるのであるか」
「はっはっは! ちょっと待ってな! 聞いてきてやるよ!」
我輩の抗議を全く意に介することなく、男は荒くれたちの中へと入っていくのである。
おそらく、あの奥で仕事をしているのであろう職員にギリー老の居場所を聞きに行ったのであろう。
しかし、探検家たちのノリは良く分からないのである。
そう、我輩が訪れたのは探検家ギルドである。
そして、そこにいるであろうギリー老に用があってこちらにやってきたのである。
そうして暫くギルドの隅にある椅子に腰かけて待っていると、好々爺然とした老人が笑顔を浮かべてこちらへとやってくるのである。
「どうしたんじゃ? 珍しいのぉ、おぬしがひとりでこちらに来るなんて」
どこかのんびりとした様子を見せているギリー老に、我輩はダン達がいなくなっていてから考えていた仮説から導き出された一つの答えを述べるのである。
「ギリー老、すぐに探検家たちを連れて防衛線に向かってほしいのである。おそらく、近々、いや、既に防衛線に敵の本隊がやってくると思われるのである」




