一歩踏み込むのである
我輩の名はアーノルド。自由気ままに生きる錬金術師である。
雪の季節も半ばに差し掛かったある日、猛禽の獣人であるセランフィア嬢が外出したいという話を聞いた我輩は、ダンやハーヴィーとともに集落を案内することにしたのである。
そこであった中年の女性から、湯浴み場の話を聞いたセランフィア嬢は、サーシャ嬢・アリッサ嬢と共に屋敷の湯浴み場を体験し、大層気に入ったのであった。
セランフィア嬢が直に集落を見て回ると言い出してから数日が経過したのである。
彼女の中の人間の評価は依然として警戒するべき物として変わらないのであるが、大きく変わったこともあるのである。
それは我輩がセランフィア嬢の部屋を通り掛かったときの事である。
「セランフィアさん、お薬の時間だよ!」
「あ、ああ」
部屋のドアが開かれていたため、部屋の中の会話が聞こえるのである。
どうやらサーシャ嬢の元気な様子にセランフィア嬢が圧倒されているようである。
そう、初外出のおりに湯浴み場の話を聞き、アリッサ嬢とサーシャ嬢の同行のもとで湯浴み場を体験して以来、サーシャ嬢がセランフィア嬢と積極的に関わるようになったのである。
「何か痛いところとかある? あったら魔法をかけてあげるからね!」
「いや、大丈夫だ」
「……うん。今日のお薬は特に問題ない…………と」
サーシャ嬢の言葉にセランフィア嬢が動揺をしたのか、大きな物音が一瞬聞こえたのである。
「おい! お前何をした!」
「少しだけお薬に使う素材を手に入りやすい物に変えただけだよ。あと、わたしはサーシャだよ! 名前で呼んでくれないならもう湯浴み場に一緒に行ってあげないからね!」
「ぐっ……これが、捕虜の立場というものか……」
大きな声で不満を漏らしたセランフィア嬢であったが、サーシャ嬢にそう強く言わると声の調子を急激に落とすのである。
これはおそらく新しい薬を試されたことよりも、湯浴み場に連れていってもらえないという事のショックだと思われるのである。
あれだけ頑なであったセランフィア嬢であったが、完全に湯浴み場に懐柔されているのである。
森の民の文化は恐ろしいのである。
「しかし、アリッサ嬢もいるのであるからサーシャ嬢に頼まなくても良いと思うのであるが……」
「あー……あの子ねぇ、子供好きなんだよ。あ、普通の意味ね」
と、そこに丁度湯浴み場にセランフィア嬢を誘おうとしていたのか、湯浴みの用意一式を持ったアリッサ嬢が通りがかりざまに我輩の独り言に答えると、そのまま部屋の中へと入っていくのである。
「セラにゃん、サーちゃん。湯浴み場に行くよ」
「あ、アリッサおねえちゃん! うん! 行く!」
「貴様、にゃんは辞めろと言っただろ!」
「だって、湯を浴びると気持ちよさそうににゃんにゃん言ってるじゃないのさ」
「言ってない!」
「あ、そうそう。ちなみに二人の会話、ずっとセンセイに盗み聞かれてたみたいだよ」
「な…………!」
別に盗み聞きするつもりなどなく、通りがかったらたまたま漏れ聞こえただけだというだけなのにアリッサ嬢は物騒なことを言うのである。
なので我輩は、訂正をするべく部屋のほうに歩み寄るのである。
「アリッサ嬢、聞こえの悪いことを……」
「貴様! いつから聞いていた!!」
「サーシャ嬢が薬を飲ませるあたりからである。それに、我輩は別に……」
「貴様! 殺してやる!」
「セランフィアさん! そんな酷いこと言わないの!」
そんなに我輩に話を聞かれていたのが恥ずかしかったのか、嫌だったのか、セランフィア嬢は今にも襲い掛かりそうな表情を向けてこちらを見るのである。
ただ、その表情は初めてこちらを見た時のような敵意は薄いように感じ、単純に怒っているように見えたのである。
そんなセランフィア嬢であるが、サーシャ嬢に窘められると信じられないといった表情を見せるのである。
「盗み聞きするほうが悪いんだ! わたしは悪くない! 湯浴み場に連れて行ってくれ!」
サーシャ嬢の機嫌を損ねたら湯浴み場に連れて行ってもらえないと判断しているのか、怒りながらも微妙に懇願めいているのが少々おかしく見えるのである。
「だから我輩は……」
「ほら、センセイのせいでセラにゃんが興奮しちゃったじゃんか」
「にゃんをつけるなアリッサ!」
「セランフィアさん! そうやってすぐに怒らないの!」
「私のせいじゃないだろ!?」
アリッサ嬢が余計なことを言わなければこのような事にはならなかったのではないかと思いつつ、我輩は三人のにぎやかな様子を眺めるのであった。
そんな出来事があって数日後、我輩が屋敷の外を散策していると突然頭上から水がかかってくるのである。
何事かと思い見上げると、そこにはコップを返しているセランフィア嬢がいたのである。
全く悪びれる様子が見えないところから、おそらくではあるがわざと水をかけたように見えるのである。
何のつもりなのであろうかと思って彼女を見ていると、不機嫌そうな表情を浮かべながら自分のほうに手招きをしているのである。
どうやら、何か我輩に用事のようである。
今まで我輩を避けていた筈なのであるが、どういう風の吹き回しなのであろうか。
そう思った我輩であるが、ここでもたもたして気が変わって変わってしまってはもったいないので足早に彼女の部屋へと向かうのである。
「入っても良いのであろうか」
「……入れ」
部屋に到着した我輩がドアをノックすると、セランフィア嬢の返答があったので我輩はドアを開けるのである。
そうして部屋に入った我輩に飛び込んできたのは、食事用のスプーンをこちらに投げつけようとしていたセランフィア嬢の姿であったのである。
しばらくそうやってナイフを投げる姿勢をしていたのであるが、ため息をついてスプーンを持っていた手を下げるのである。
「セランフィア嬢、そういう悪戯は辞めた方が良いと思うのである」
セランフィア嬢の食事用スプーンは先が少しフォーク状になっているため、殺傷能力は低いとはいえ当たり所によっては怪我をする恐れがあるのである。
「貴様のそれは演技なのか? それとも素なのか?」
「何の話であるか?」
睨みを利かせてそう問いただしてくるセランフィア嬢であるが、我輩には彼女が何を言いたいのかいまいちわからないのである。
「先ほどの水も今の威嚇も、貴様は気付いていてそういう反応をしているのか、それとも素なのかと聞いている!」
どうやら我輩は彼女に何かを試されていたようであるが、思ったような反応が得られなかったために直に問いてみようという気になったようである。
「貴様はハーヴィーやアリッサ達を束ねている長だと聞かされている。だが、貴様にはあいつらよりも優れているとは到底思えない」
「そうであるな。我輩は今のセランフィア嬢が襲い掛かってきたとしても負ける自信があるのである」
遅効性キズいらずによる治療で欠損部位の再生はかなり進んでいるものの、未だ片手片足でしか行動をすることができないセランフィア嬢であるが、現状でも我輩より強いはずである。
「その割には敵意を出している私のところに1人でやってきたり、言っている事と行動が伴っていない」
「敵意を出していたのであるか」
「…………貴様のそういう所が演技くさい」
「いや、本当にわかっていないのである」
「歩いているところに水をかけられたり、ドアを開けたら食器を投げつけられるのが敵意でなければ何なんだ」
「我輩は悪戯だと認識しているのである」
我輩の言葉を聞いたセランフィア嬢は再び大きくため息をつくのである。
「……貴様と話していると、頭が痛くなる……」
「我輩はセランフィア嬢が話をしてみようと思ったことを嬉しく思うのである」
「激しく後悔しているよ……」
そう言って頭を押さえたセランフィア嬢であったが、少しすると再びこちらを見るのである。
「……人間は、みんな貴様みたいに鈍いのか?」
「全員とは言わないのである。探検家のような危険な場所に行く人間は察しが良いのであるが、ほとんどの人間はそのようなところに行かないので、そういう危険を察知する能力は低いと思うのである」
「……私から見たら、アリッサやハーヴィーほどの力を持った連中があちらにいるとは思えない」
そう言って、セランフィア嬢が指をさすのはギルドのある方角である。
つまり、集落に出入りしている探検家達がハーヴィー達ほど優れていないと言いたいのである。
「ハーヴィー達は現時点での探検家たちの最高峰である。中でもダンとアリッサ嬢に関しては帝国全体で5本の指に入る実力者である」
「……貴様の言葉が本当ならば、人間は私たちの集落には絶対に行くことができない事になる」
「その通りである」
現在我輩達が大森林で広く行動できている最大の理由は、妖精パットンの使用している認識疎外の魔法と人工障壁・結界石のおかげである。
いくらダン達の能力が高いといえど、少数で大森林の奥地まで進むことなどできなかったのは、旧チームの最後の探検からも伺えるのである。
「だが、私の集落は人間に襲われた。それは事実だ」
そう言うセランフィア嬢の表情はとても険しかったのであるが、初めて人間を見た時のような強い憎悪を抱いた物とは少し違うように見えたのである。
それは、どこか自分に言い聞かせているように見えるのである。
おそらく自分が抱いていた人間と実像が違いすぎて、自分の中で揺らぎが生じているのかもしれないのである。
今であれば、もしかしたら。
そう思った我輩は、セランフィア嬢にいくつかの可能性を示すのである。
「セランフィア嬢。セランフィア嬢の思う事実に対し、いくつか可能性があるのである。と、言うよりも現状ではそれらしか思いつかないといった方がよいのであるが」
我輩の言葉に、セランフィア嬢は少し何かを考えるように間を置き、
「……なんだ? 言ってみろ」
そう答えるのであった。
そして、セランフィア嬢の言葉を聞いた我輩は自分の考えを述べるのであった。




