セランフィア嬢の好物、である
我輩の名はアーノルド。自由気ままに生きる錬金術師である。
錬金術が行えなくなりそれなりの期間が過ぎ、我輩は集落内を散策することが多くなったのである。
その中で、我輩は様々な人物が我輩の事を心配していたことと、現在の集落内での我輩の立ち位置のようなものを知ることになったのであった。
「あはははは! 釣りってすっげぇ楽しい!」
「入れ食いだな! 入れ食い!」
「捕り過ぎは駄目ですよ!」
楽しそうに湖面上に展開した結界の上で釣りをしているダンとデルク坊に、ミレイ女史が注意を促すのである。
不必要な乱獲は、湖だけではなく近隣の生態を狂わせてしまうのである。
さすがに二人でそこまでの乱獲は行えないとは思うのであるが、すでに二人で100近くの魚を釣っているのを見るとミレイ女史も注意をしたくなるのもわかるのである。
「おじさん、お魚焦げそうだよ」
「すまないのであるサーシャ嬢」
そんな三人の様子を眺めていると、サーシャ嬢から指摘を受けたので我輩は手前にあった串に刺した魚を、暖取りを兼ねた焚火から少し遠ざけるのである。
これは塩のみを使用して作る簡素な焼き魚ではあるが、その分素材の味が分かるのである。
この時期の魚は脂がのっているのか、魚から出る汁が蒸発する際に非常に食を誘う香りが発生するのである。
「良い香りですね」
「これとこれが食べごろのようである」
「はい、ハーヴィーおにいちゃん! 大きいの捕ってきたね!」
「ありがとう、サーシャちゃん。……うん、脂ものってて塩も効いてておいしいね」
そこに、この時期冬眠をしていなかった数少ない獲物を狩ってきたハーヴィーが戻ってきて、サーシャ嬢から焼き魚を受け取ると口にするのである。
どうやら我輩の見立て通り、この時期のここの魚は寒さをしのぐために脂を蓄えており、普段よりも濃厚な味になっているようである。
「アーノルドさんが同行したいと言ってきた時は驚きましたよ。今までそういったことが無かったですから」
焼き魚を頬張りながら、ハーヴィーは我輩にそう話しかけるのである。
今回我輩は、湖に魚を捕りに行くという話をしているのを聞き、同行を頼んだのである。
というのも、集落を散策するのも飽きてきてしまったのもあるし、サーシャ嬢達が請け負っている納品の仕事もだいぶ進み、残りの納品分は魔法人形達に頼んでも問題ない状態になったため、気分転換を兼ねて遠出をしようかと考えたからである。
我輩がその話をした時、二人は自分の研究を何かしようとしていたところであったのであったが、それを取り止めこちらに参加してきたのである。
邪魔してしまったかもしれないと多少の申し訳なさを感じるのであるが、二人はひたすら研究第一の我輩とは違うので、きっと問題ないのであろうと我輩の中で納得をさせるのである。
そして、なぜ魚を捕りに湖に行くという話になったのかと言うと、セランフィア嬢が魚を食べたいと漏らしたのを部屋の前を通りがかったデルク坊が聞いたからである。
猫の獣人の血が出ているデルク坊は耳がかなり良いので、屋敷の外を走っている際に窓が開いた状態で小さくそう呟いたセランフィア嬢の言葉を聞きつけたようなのである。
セランフィア嬢がまともな食事をとれる頃には保存していた魚も全て終わっており、また、デルク坊もその呟きを聞いて魚が食べたくなったため、ハーヴィーとダンにその事を伝えて今回の湖行きが決まったのである。
「我輩が一人の時は、こうやって集落の周りを散策して調査を行っていたこともあるのである」
「そりゃ、錬金術を取り上げられてやることが無かった時期の話だろ?」
我輩達の会話が聞こえたらしく、大量の魚を入れた水桶を軽々と担ぎながらこちらにやって来るダンがそう返事を返すのである。
そしてデルク坊もダンほどではないにしても、かなりの大きさの桶を運んでいるのである。
人間や森の民の子供であれば運べないであろう重さの桶をそれほど苦にせず運ぶところは、獣人の血が強く出ているからと言えるのである。
「これだけあれば十分だろ?」
「いや、捕りすぎであろう」
「本当にそう思うか?」
そう言うと、ダンは焚火のほうを指さすのである。
「お兄ちゃん、ちょっと多くない?」
「デルク君、最近大分食べ過ぎじゃない?」
「え? そう? これくらい普通だと思うけど」
「あはは……。普通……じゃないかなぁ」
「そう? これくらいはちょっと足りないくらいなんだけどなぁ」
そこには、次々に魚の血抜きをし内臓を取っては串に刺して焼いていくデルク坊の姿があったのである。
「どう思う? あいつと、屋敷の連中全員分の魚を用意するには、これくらいがちょうどいいと思うんだが」
「……否定できないのであるな」
「だろ? じゃあ、俺達も食いにいこうぜ。じゃないと……」
「この魚美味しい! 身がホクホクしてるし、噛むと脂が少しじゅわってする! 塩と相性抜群だ!」
「お兄ちゃん! そんなにたくさん食べちゃダメだよ!」
「まだたくさんあるから大丈夫だって!」
サーシャ嬢の制止を意に介さず、先に焼いてあった食べごろの魚を次々に口に運ぶデルク坊を見て、我輩達は苦笑いを浮かべるのである。
「デルク坊に全て食べられてしまいそうであるな」
「そう言うこった」
先程少し食べたのであるが、まだまだ食べ足りないのである。
デルク坊に食べつくされる前に、我輩は自分の分を確保するべく焚火に向かうのであった。
「それで、魚は喜んでもらえたのであろうか」
「……あまり反応は良くなかったですね。もしかして、好みの味じゃなかったのかもしれません」
「そっかぁ……残念だねえ。美味しく食べてもらえるように研究してみるかねぇ」
ハーヴィーの報告を聞いたアリッサ嬢は多少残念そうにしながらも、どこか挑戦的な表情をするのである。
前向きなのは良いことである。
湖から帰った我輩達は、その日の食事に釣った魚を使用した料理をセランフィア嬢に出したのである。
その反応をハーヴィーに尋ねてみたのであるが、あまり良い反応はなかったようである。
その場に妖精パットンがいれば本当の事もわかったのかもしれないのであるが、その時はちょうどシンの付き添いとして客人のところにいたのであるし、セランフィア嬢も基本的には妖精パットンがいるという前提で物事を話しているので、嘘をつくとは思えないのである。
なので、かなりの確率で今回の食事は好みではなかったと考えるのが妥当なのである。
そうなると、この辺りの魚が駄目であったのか、それとも我輩達の料理方法が駄目であったのか考えてみないとである。
「美味しくなさそうだったの? じゃあ、ハーヴィー兄ちゃんには隠してたのかなぁ」
と、そこにデルク坊が会話に加わるのである。
「どういうことであるか?」
「昨日さ、ハーヴィー兄ちゃんがセランフィアさんの食器を下げた後部屋の前を通ったんだよ」
すると、ドア越しから "また食べたいなぁ……" という声が聞こえてきたらしいのである。
「声の感じからしてもまずかったとは思えないし、そもそも好みじゃなかったらまた食べたいだなんて言わないでしょ」
「じゃあ、なんであんなに無表情だったのでしょうか?」
デルク坊の言葉に、ハーヴィーは困惑の表情を浮かべるのである。
好みであるならばそう言えばよいはずであるのに、それを押し隠して無表情になる意味があるのであろうか。
それほどに、まだ人間に心を開いていないという事であろうか。
「きっとですが、美味しさのあまり顔が緩んでしまう所を見られてしまうのが恥ずかしかったのではないでしょうか?」
「あ! わかる! すごい美味しいお菓子とか食べて顔がふにゃーんってなってるところを人に見られちゃうと恥ずかしいよね!」
ミレイ女史の言葉に、サーシャ嬢が同意を示すのである。
「別に美味しいのであるならば、素直に表現してよいと思うのであるが」
「おじさん、分かってないなぁ。女の子なんだから、恥ずかしい顔なんか見せられないじゃんか」
「特に、男性からそれを指摘されたりすると、穴に埋まりたいほど恥ずかしいものなのですよ」
二人の意見を聞いてもやはりいまいちピンとこないのであるが、女性ならではの価値観という事でとりあえず納得をするのである。
「貴族のような気位が高い連中程そういうのを気にするよね。あたしは見られても全然気にしないし、作る側としてはそういう顔を見せられると嬉しいけどね」
そして、アリッサ嬢の言葉で何となく理解できたのである。
つまり、セランフィア嬢は気位が高い女性であるので他人に美味しいものを食べて蕩けた表情をしているところを他人の、さらに男性であるハーヴィーに見られたくなかったから無表情になっていたという事なのである。
他人に見られたくない部分と言うのは当然誰しも持っているのであるが、なかなか面倒なものである。
「そりゃ、お前は女辞めてるもんな」
「なんか言ったかい! この男色幼女趣味!」
「おま……言っていいことと悪いことがあるだろうが!」
「ミレイおねえちゃん。だんしょくようじょしゅみって何?」
「……あー……サーシャちゃんは知らなくていい言葉かなぁ…………」
「ハーヴィー兄ちゃん?」
「あはは……デルク君も知らなくていいかなぁ」
いつの間にかダンとアリッサ嬢の不毛な言い争いが始まったのを見ながら、セランフィア嬢がこれで少しでも人間に心を開いてくれれば良いなと我輩は思うのであった。




