蛇海竜問題の解決、である
我輩の名はアーノルド。自由気ままに生きる錬金術師である。
蛇海竜にかけられた魔法を解く作業を開始して数日、[心戻し・改]は確実に効果を発揮して、この海域にいる蛇海竜の数は減っているのである。
だが、全く問題がなかったかといえばそういうわけでもないのである。
「ん? またか」
いつものように[心戻し・改]入りの餌を食べた個体の様子を探っているダンが軽く唸るのである。
「またここから離れないのであるか」
「ああ」
(魔法の痕跡は消えてるから、正気には戻っているね)
ダンの返事を聞くのと同時に、妖精パットンの報告が来るのである。
正気に戻ってもこの場から離れていこうとしない、そのような個体もちらほらと現れているのである。
「居なくならないってんなら、またこいつの出番ですかね」
そう言うと、ドランは荷物袋から[心戻し・改]を埋め込んだ餌とは別の餌をダンに手渡すのである。
ダンはそれを受けとると、こちらを見るのである。
我輩は、妖精パットンから準備完了の声を聞くとダンに頷きかけ、それを確認したダンは蛇海竜がいるであろう場所に餌を投げつけるのである。
先程ドランがダンに渡した餌は、薬師達が作っている忌避煙幕で燻したり、薬液に付け込んだ餌を普通の餌で包み込んだ特製の餌である。
だったら毒餌でも食べさせて退治すれば良いなどと、我輩達の蛇海竜に薬を与える方法を聞いたギルドマスターが横やりを入れて来たのであるが、巨大な体の生物を殺すほどの毒の用意など、薬師達だって数日でできる訳がないのである。
そもそもそれほど強力な毒であれば、死んだ蛇海竜の肉は食べれないのであるし、引き上げるまでの間に体液から海に流れでると別の問題も上がりそうである。
そういうことは考えられないのであろうか。
だからこそ、我輩達も自分たちが作る[蜥蜴嫌いの臭い薬]を使用しないで、薬師達に協力を求めているのである。
まぁ、町全体でこの問題に取り組んでいるという一体感を持ってもらったり、町も少しは賑わうかもしれないという思いもあるのであるが。
等と考えていたのであるが、ダンの様子が先程と変わっていない事に気付くのである。
どうしたことであろうか。
「……参ったな……」
「どうしたのであるか」
「賢くて食わなかったのか、それとも食ったけど悪食なのか。一向にいなくならねえな」
「おいおい、どうするんだよ」
ダンの言葉に、船長が困り果てた様子で尋ねてくるのである。
この可能性については想定していなかった訳ではないのであるが、解決方法が力押しでの解決しか浮かばなかったのである。
舟を結界で囲い、障壁を足場にして戦闘を行えばおそらくダンとドランであれば、蛇海竜一体ならば倒せるとは思うのであるが、まだ残りもいるのである。
戦闘になれば残っている蛇海竜もパットンの魔法を破って襲いかかって来ると思うのである。
できることならば現時点では回避したいところである。
「やりますかい?」
しかし、何故かドランはウキウキである。
確か、港の襲撃の際に大怪我を負った筈である。
何故それなのにこんなに戦うのを楽しそうにしているのであろうか。
だからこそ、ドランは戦闘馬鹿といわれるのであろう。
(しょうがないなぁ……)
(妖精パットン?)
一言妖精パットンがそう言うと、我輩の頭が少し軽くなるのである。
どうやらどこかへと飛んで行ったようである。
暫くすると、また頭に重みを感じるのである。
(どこへ行っていたのであるか)
(すぐ分かるよ)
すると、ダンに反応があるのである。
「ん? 蛇海竜がゆっくりとここから離れていくな。忌避剤が今効いたのか?」
「おお、良かった! 正直なところ、戦闘になるんじゃないかって心配したぜ」
「残念ですぜ。せっかくやり合えるかと思ったんですがね」
ダンの言葉に船長はほっとした様子を見せ、ドランは残念そうにしているのである。
ドランは少し自重した方がいいのである。
そして、我輩は妖精パットンが何をしに飛んで行ったのか思いあたったのである。
(妖精パットン、もしかして……)
(うん。ここの外の方が餌が豊富で安全に見えるように認識誤認の魔法をかけてきたよ)
つまり、ここよりも棲むのに良い環境があるように思わせてここから離したというわけである。
(それだと魔法が切れた後に戻って来るかもしれないのである)
(そんなことを言ったら、今まで出て行った蛇海竜だって何かの拍子に戻って来るかもしれないと思うよ)
(……そう言われると、確かにそうであるな……感謝するのである)
(ふふん、今回もボクが大活躍だね。君達は、ボクに感謝しなきゃダメだよ)
そう言って、足をばたつかせているらしい妖精パットンに、今日はどんな甘味を用意したら良いのかを考えつつ、本日の作業を進めていくであった。
「あぁ、あれはパットンだったのか」
「そうである」
本日の作業が終わり、町へと戻った我輩達は治療院へと戻るのであるが、その道中でダン達に先程の出来事について説明するのである。
「ふふふ……ボクに感謝するんだよ」
「おう、助かったぜパットン」
「もっと言っていいんだよ」
これでもかというくらい、体を反らせて得意になる妖精パットンに苦笑いを浮かべつつ、我輩はこの辺りで採れる甘い果実の果肉や果汁を混ぜたパンを買って、妖精パットンに食べられるようにちぎって渡すのである。
妖精パットンは、この甘い果実が気に入っているのであるが、いつも果汁で体をベタベタさせていて食べるのに苦労しているのを見ていたのである。
これならば多少味は変わっていてもべたつきを気にせずに食べられるはずなのである。
「……分かっているねぇ。錬金術師アーノルド」
「褒めてもらい、光栄である」
「怪しい貴族の会話みたいだな、おい」
妖精パットンは渡されたパンを一口かじると、恍惚といえる表情を浮かべたあと、少々悪い顔をするのである。
それを見たダンは笑いながら口を挟んでくるのである。
「旦那がそういったノリをするのを初めて見たっすわ」
「別にセンセイはノッてるわけじゃねえぞ」
「……あぁ、隊長がからかってるだけですかい」
「迷惑な話である」
ドランが意外そうな声を上げたのであるが、ダンの言葉で納得の表情を浮かべるのである。
そう、ダンが余計な絡みをしてくることで、まるで我輩が戯れているように思われてしまうのである。
困ったものである。
「しかし、そうなると結局のところ忌避薬が効かなかった場合についてはどうするんですかい?」
「さあ? どうするのであろうか」
「はい?」
我輩の答えに、ドランは素っ頓狂な声を上げるのである。
そんなにおかしい答えであったであろうか。
「いや、ほら、作業が本格化する前まで、あれだけどうするか考えてたじゃないですか」
「それで、現状では駆除するしかないという結論になったであろう? 今回はパットンのおかげで回避できて感謝である」
「ふぇ?」
突然話を振られた妖精パットンは、渡されたパンを食べるのに夢中で何とも間の抜けた返事をするのである。
「何でもかんでも俺達がやる必要ないだろ? 俺達が頼まれてるのは、"蛇海竜をあの海域からいち早く追い払う"事だからな。その後の事くらいは向こうで考えてもらわねえとさ」
「何でもかんでもこちらでやるのは、良くないのである。これは町の問題なので、町に住む民達が考えていかなければいけない問題なのである」
「まぁ、言っていることはもっともなんですがね……。何て言いますか、面倒だからぶん投げた感が……ですね」
ドランの言葉を聞き、ダンは小さく何度も頷いてからドランの腰を軽く叩くのである。
「まあ、間違ってねえよ」
「やっぱですかい」
「その言い方は悪意があると思うのである」
そんなことを言いながら、我輩達は他の者達が待つ治療院へと戻るのであった。
我輩達が、町から要請を受けて蛇海竜の問題に取り組み一週間。
最後の蛇海竜の移動が確認されて、無事に問題は解決を迎えることになったのである。
そして、これから我輩達は港町を離れ、再び試薬の素材確保のためと、ホランド氏が亜人種に遭遇したといっていた大森林の地点を目指して南下するのである。
「今までの助力、感謝するのである」
「いえいえ、また近くにお越しの際は是非寄ってください。ディンゴも喜びます」
ディンゴとは、野犬の名称である。
ちなみに名付けはサーシャ嬢から頼まれて我輩がしているのである。
結局、最後までディンゴは我輩に近寄ることはなかったのであるが、名前を呼ぶと微かに尻尾は振ってくれるようにはなってくれたのである。
「皆様は南方大森林の調査に向かう途中でしたのに、我々の都合に巻き込んでしまい申し訳ございませんでした」
「まぁ、民の要望を聞くのは帝国貴族の責務だし、雇い主の意向だからな」
「少しずつですが魚も戻ってきて、漁も再開しつつあります。本当にありがとうございました……」
自分を貴族というのになれていないので、少々気恥ずかしそうにそう言うダンに、町長らは深く頭を下げるのである。
そういえば、今日の早朝に船長が問題なく漁に行けたと報告がてら、捕ってきた魚を持ってきたのである。
今日の昼にでも食べようと思うのである。
(改めて聞くと、一代候爵二人と一代男爵を雇える平民って凄いねぇ)
(伯爵令嬢もいますしね)
(しかも、一代候爵の一人と伯爵令嬢は許婚みたいなもんですぜ)
(ドラン、今日の昼飯抜きね)
(そういうからかいは身を滅ぼしますよ)
(すいやせん! 勘弁して下さい!)
そんな町長らを見て、我輩の後方ではアリッサ嬢達が好き勝手を言っているのである。
そういうことは考えると面倒臭いので深く考えたことはないのであるが、確かに普通の平民ではありえないことではあるのである。
まぁ、我輩も学者の一族であるから、平民とは多少違うのであろうが。
そして、ドランは余計な一言を言って二人から手痛い反撃をされているのである。
この集団は迂闊なことを言うメンバーしかいないのであろうか。
(ドランちゃん、ダメだよ? そういうデリケートなことで人をからかうのは。そういう嫌なことすると、嫌なことやり返されちゃうんだよ?)
(そうだよドラン。これからはからかわれる側になるんだよ)
(私達とは違って、本当のことですものね)
(ちょっ! 何で知ってんですかい?)
(そりゃあ、本人から聞いてるから)
(クリス姉!?)
我輩は全く知らなかったのであるが、いつの間にやらドランとクリス治療師は何かしら進展していたようである。
ちらと振り返ると、とても幸せそうなクリス治療師と、アリッサ嬢達に絡まれて困っている様子のドランが見えたのである。
クリス治療師はこれで治療院の者や探検家達とともに川の上流へと向かうので、ここで別れるのである。
進展してすぐに未亡人のようにならないようにドランの身を案じようと我輩は心の中で思うのと同時に、その後の事もあるだろうから、我輩も昼食時にでも詳細をドランに聞いてみようと思うのである。
「じゃあ、行こうか」
「では、またである。川の水問題の事、宜しく頼むのである」
頷く治療院長やクリス治療師を見て、我輩は安心した気持ちで港町を離れるのであった。




