海に行く準備をするのである(簡易風呂編)
我輩の名はアーノルド。自由気ままに生きる錬金術師である。
「携帯の湯浴み場であるか」
「そうだよ。あたしはもうあれ無しの生活は耐えられない!」
水着の作製も落ち着いてきた頃、次はアリッサ嬢が、どこでも入れる携帯用の湯浴み場を用意しろと言ってきたのである。
「東方都市は領主様のところに、帝都は伯爵のところにあったけどさ、南方地域には無さそうじゃないか」
そう、東方都市では辺境の家に泊まった領主が、領主の館に模倣したものを作り、帝都では、ミレイ女史から報告を受けた伯爵が、伯爵邸に大きな樽のような湯浴み場を作っていたのである。
「アリッサ嬢の湯浴み場好きは異常であるな」
「そんなこと言うなら、南方地域へ行く時は魔法白金の手鍋を持って行くのは禁止だよ。サーちゃんから借りるのも禁止」
「それは関係ないであろう。それは困るのである。日頃の研究が滞るのである」
「あたしにとっては同じくらい死活問題なの!」
そう言いながら、鬼気迫る表情でジリジリと圧力をかけてくるアリッサ嬢に、我輩は屈するのである。
「わ……分かったのである。やってみるのである」
「さすがセンセイ! 話がわかるね♪」
そう言うと、アリッサ嬢は快活な笑顔をこちらに見せて立ち去るのである。
こうして我輩は、携帯式の湯浴み場の作製に取り掛かることになったのである。
まぁ、我輩達も手伝っているものの、家事全般の大半を担当しているアリッサ嬢のやる気が下がると色々と困るので、仕方がないのである。
「さて、どうしたものであるか……」
我輩は色々考えながら、サーシャ嬢達に相談する際の素案をまとめていくのであった。
「今度は携帯式の湯浴み場ですか」
「そうなのである。二人もアリッサ嬢のように湯浴みがいつでもできる方が良いのであるか?」
我輩の質問に、二人は大きく頷くのである。
「私も毎日湯浴みしたいー! 体がキレイだと、気持ちいいんだよ!」
「私も……毎日湯浴みができるのは嬉しいな、と」
「ボクも、錬金術師アーノルドが毎日湯浴みをしてくれていると、快適な頭上生活が送れるからいつでも湯浴みができるようになると嬉しいよ」
目の前の二人だけではなく、いつの間にやら頭の上に乗っていた妖精パットンまで湯浴み場の携帯に賛成のようである。
「では、湯浴み場……厳密には浴槽であるな。その確保であるが、いくつか方法を考えてみたのである」
「どんなのがあるの?」
興味津々に尋ねてくるサーシャ嬢に対して我輩は自分の考えを答えるのである。
「まずは、地面に穴を作り、そこへサーシャ嬢かミレイ女史の魔法で湯を入れる方法であるな」
「錬金術じゃない所からスタートなんだね、錬金術師アーノルド」
「いや、人力ではなく、錬金術の道具で地面を穴を作るのである」
「そんな道具って、手引き書にあったっけ?」
「いや」
サーシャ嬢の質問に我輩は首を横に振るのである。
「残念ながら無いのである。ただ、我輩の考えがあっていればできる筈なのである。厳密には、穴を掘るではなく、地面の一部を押し潰すといった感じであるが」
「でも、穴を掘るんじゃなくて押し潰すなら、湯浴みした後に元に戻すのが大変そうだよ?」
「我輩の考えが正しければ、同じ道具で直すこともできるはずなのである」
「へー。凄い道具を考えついたんだね、おじさん」
我輩の言葉にサーシャ嬢が感嘆の声を上げるのである。
だが、ミレイ女史の反応は芳しくなかったのである。
「面白そうな話ですが、仮説の検証と道具の試作などで時間がかかりそうですね。それは、また別の時にした方がよろしいかと思います」
「まあ、そうなるのであるな」
そう。結局は机上の空論状態なので、一から全て検証していかなければならないのである。
あと数日ほどで出発する現時点ではあまりにも時間が無さすぎるのである。
「じゃあ、魔法で土を動かしてお湯を入れる場所を作れば良いんだ!」
サーシャ嬢が手を挙げて元気良く案を出すのである。
「なるほど、それは良案である。では、二人とも、そういった類の魔法は……」
「ごめんなさい、使えない……」
「すいません、私も使えないです」
「当然ボクは使えないよ」
リリー嬢に聞けばもしかしたら何か教えてもらえるかもしれないのであるが、それも時間が無いのと、こんな案件でリリー嬢に相談をしたら、くだらないことで頼ってくるなと言われかねないのである。
「そうなると、"保存用結晶"を作るのが一番いいでしょうか」
「"保存用結晶"であるか」
少し前に一から上級手引き書を読み進め始めた我輩は、"保存用結晶"の作り方を発見したので、試作をしてみたのである。
結果として試作は成功したので、我輩も最初に思いついた方法なのであるが……。
「でも、大きさがどれくらいかわからないけど、多分浴槽くらいの大きさの保存用結晶一つ作るだけで私たち全員フラフラになっちゃうよ? 毎日そんなことしてたら、その内に倒れちゃわないかなぁ」
そう、保存用結晶の作製は釜を使用しない錬金術の技術なので、魔力制御が恐ろしく大変なのである。
制御力が著しく低下したノヴァ殿も、魔力制御力に長けた協力者がいて初めて完成したと書いているので、その難しさがわかると言うものである。
ただ、他の錬金術の道具と違うものは、保存用結晶で保存される構成魔力は、分解以外の作業は行っていない構成魔力のみなので、再構築したものは模倣ではなくそのものだということである。
なので、中に入っている構成魔力が何の物質の構成魔力か分かっていないと再構成できなかったするのである。
我輩達も一度三人がかりで試作した際は、サーシャ嬢とミレイ女史の二人掛かりで構成魔力の維持を行い、我輩が結晶の具現化を行ったのであるが、小さな物くらいならまだしも、人が一人入れるほどの浴槽の大きさになると、サーシャ嬢が言った通り三人ともかなりの集中力を必要とするのは確実である。
さらに、工房外での作業となると、ミレイ女史には錬金術魔法陣の発動と維持を行ってもらわねばならないので、ミレイ女史とサーシャ嬢の負担がさらに増すはずである。
「無理をすればできると思いますが、そのような方法で出来上がった湯浴み場を、アリッサさんが喜ぶとは思えませんよね」
「そうであるな。どうしたものであろうか」
「一ついいかな?」
良い考えが思いつかず、しばらく続いていた沈黙の時間を妖精パットンが破るのである。
「何であろうか」
「要は、どんな素材や形でも良いから、人が入れる浴槽を作れれば良いんだよね?」
「まぁ、そうであるな」
「だったら、空の人造魔法石に【木材】とか【石材】の構成魔力を入れて、障壁を展開する時のように形を決めて具現化すれば良いんじゃないのかな?」
妖精パットンの言葉に我輩達はお互い目を見合うのである。
やって見なければ結論はわからないのであるが、今まで我輩達が出した案のどれよりも現実的であり、効率的である気がするのである。
「特に錬金術師アーノルドはそうだけど、誰かから提案や依頼あるとすぐに新素材や新技術に飛びつく傾向があるけど、現時点使えそうなものがあるなら、まずはそれを使ってみれば良いと思うんだよ。ボクは」
「……耳が痛い話である」
研究所時代は限られた条件でしか道具が作れなかったため、そのようなやり方をしていたのであるが、今はまだ作っていない道具なども多いため、目新しい物に惹かれてしまっていたのは事実である。
良い面もあるのであるが、ある意味では視野が狭くなったとも、発想力が低下したとも言えるのである。
「ありがとうである、妖精パットン。二人とも、早速妖精パットンの案で浴槽の作製に取り掛かってみるのである」
「はい!」
「わかりました」
こうして、我輩達の携帯湯浴み場の作製が一歩前進したのであった。
「まあ、形にはなったであるな」
「少々資源の無駄遣いの感はありますが…………」
「だったら早く安定して保存用結晶を作れるようにすればいいね!」
「そうであるな。それまでは取り敢えずこれでどうにかするのであるな」
我輩達の目の前には、ドランがゆったりと入れるサイズの浴槽が完成しているのである。
「うわぁ! 予想よりも凄いじゃん!」
完成した浴槽をみたアリッサ嬢が、嬉しそうな声をあげるのである。
喜んでもらえたようで良かったと、我輩達は胸を撫で下ろすのである。
「これって、浴槽にしか使えないって訳じゃねえんだろ?」
「そうであるな、言ってしまえばこれは、木材の物理障壁を浴槽状に構築している。と、いう感じである」
「成る程ねぇ。石の魔力が供給される間、具現化され続けるってことか」
「そういうことであるな」
少し考えればすぐに思い付きそうであった事なのであるが、ややこしく物事を考えすぎてしまった故に遠回りしてしまったのである。
また一つ、いい経験になったのである。
「でもよ、だったら純魔力の障壁で良いんじゃねえの?」
そんな達成感に満たされていた我輩に水を差すかの如く、ダンがまさかの質問をしてきたのである。
「ダンよ、まさかそのような質問が来るとは思わなかったのである。我輩、さすがに少しダンの頭が心配になって来たのである」
「あぁ? 何でだよ」
「理由は大きく二つである。まず一つは、純魔力のみを取り出すのは、構成魔力を取り出すよりも難しい上に効率が悪いのである」
だから、障壁石や結界石の作製が大変なのである。
最近は安定して作製ができているので、そのことを忘れているのであろうか。
「そしてもう一つは、ダンよ。透明な障壁で浴槽を作ったらどうなるのか程度のこと、思いつかないのであるか?」
「……あ」
我輩に言われてその事に思い至ったようであるが、もう遅いのである。
「ダンおじさん、エッチだ」
「まさか、そういう趣味だったなんてねぇ」
「隊長……ちょっと幻滅です」
「いや、ちょっとした疑問じゃねえかよ!」
「ダン兄ちゃん。俺でもすぐわかるぜ、それくらい」
方々から口撃され撃沈するダンを見て我輩は、ややこしく考えるのも良くないのであるが、少なからず何も考えずに人に聞けば良いという事だけはしないようにと心に刻むのであった。




