月夜の下で、である
我輩の名はアーノルド。自由気ままに生きる錬金術師である。
辺境への帰郷前夜、半端な睡眠をとって目が冴えてしまった我輩は、バルコニーにいるアリッサ嬢と話をしようと、そちらに向かうのである。
「アリッサ嬢、今はどれほどの時間なのであるか?」
「え? あ! センセイ!?」
アリッサ嬢に話しかけると、何やら驚いた様子を見せるのである。
何かおかしな事でも言ったのであろうか。
「変な時間に寝てしまったので、今はどれほどの時間なのかよくわからないのである」
「あ、ああ。少し前に、全部の部屋の明かりが消えたから、まだ深夜って感じじゃないね」
「なるほど。申し訳ないのであるが、変に目が冴えてしまったので少し話に付き合ってもらえないであろうか」
「まぁ、あたしもまだ寝れそうにないからねぇ。付き合ってあげるよ」
我輩の唐突な申し出に、アリッサ嬢は快く応じてくれるのである。
「しかし……珍しい格好をしているのであるな」
我輩は、アリッサ嬢の寝姿を観察するように見るのである。
普段は動きやすいように丈の短い保護色の服装をしているのであるが、今は、貴族の婦女子のような高級感がある生地の、女性らしい寝姿をしているのである。
「仕方ないじゃないのさ、メイド達がこれを着ろってうるさいんだよ。柄じゃないのにさ」
そう言うと、アリッサ嬢はばつが悪そうに顔を背けるのである。
「そうであろうか? 女性らしくて良いと思うのであるが。普段の格好も健康的で良いとは思うのであるが、こういう格好もアリッサ嬢はよく似合うのである」
「な、な、何言ってんのさ! そんなこと……」
「アリッサ嬢、大声を出すとみんなが起きてしまうのである」
「う……」
興奮気味にこちらを見て食いかかるアリッサ嬢だが、我輩の指摘に言葉を失ってしまうのである。
遠めで見たときは、まんざらでもなさそうな表情であったのであるが、素直じゃないのである。
明日の帰りの際に、サーシャ嬢に渡す服を受けとるので、その時にアリッサ嬢にも日頃の感謝としてこういった服を買おうかと考えるのである。
「本当に……に、似合ってるかい?」
「当然である」
「そうかい。なら、良いんだけどさ……」
照れたような表情を浮かべるアリッサ嬢を見て、我輩は考えを実行することを決めるのである。
「そ、それはともかくさ、今回は色々あったねぇ」
「あったであるな」
我輩達は、帝都に行く最中の話や魔鶏蛇狩猟の話、そしてそのあとの話を次々と話していくのである。
「今日は最後の日だからさ、ついつい張り切っちゃったよ」
「あれは、訓練ではなくただの蹂躙だったであるな」
「あははは……いやー、あたしもリーダー達のことは言えないのかねぇ」
今、話をしているのは、本日行われたギルドでの戦闘訓練の事である。
滞在最終日ということで、ダン・アリッサ嬢・リリー嬢もギルドに赴いたのである。
特Aクラスの探検家が4人集まることなど滅多にない事なので、ギルドにいたほぼ全ての探検家が手合わせや訓練を希望し、最初は一つ一つ応じていたのであるが、あまりにも手応えがなかったのか、ダンがまとめてかかって来いと言ったおかげで、100人超の探検家と、ダン達4人という大規模戦闘訓練が行われたのである。
「ほらほら、もっと考えて動け!」
「連携を考えないと、足を引っ張り合うだけだよ!」
「強力な敵に対する集団戦もありうる。無策で戦うな!」
「全く……もっと周りを見なさい」
それでも、殆ど一方的に蹂躙していたのにはさすがに呆れたのである。
「最終的には、ハーヴィーとドランが作戦を立ててあたし達が負けたけどね」
「あれが作戦なのかは疑わしいのであるが、その一回しか負けなかったという事実がおかしいのである。普通は30倍近い物量であるならば、普通に戦っても強引に押し切られる筈である」
普通にやっても勝てないことがわかっているドランとハーヴィーが、本物の武器で攻撃されないという模擬戦ということを利用してダン・ウォレス・アリッサ嬢・リリー嬢の順に一気に押し潰しにかかったというだけの、作戦とは言いがたい物量作戦である。
「そりゃぁ、研究所時代から対多数の戦いを、誰かさんのせいで嫌という程経験してるからねぇ」
「ダンも、酷い男であるな」
「あんただよ」
そう言うと、楽しそうにアリッサ嬢は笑うのである。
二人で話しているときに、こんな風に笑う顔を見るのは久しぶりな気がするのである。
「なんだい?」
「いや、久しぶりに我輩に笑った気がするなと思ったのである」
「何を言ってるんだい。いつも通りじゃないか」
「そうであるか。気のせいであるか」
まぁ、我輩は余り人の事を見ないと言われているので、もしかしたらそう思ったのも勘違いなのかもしれないのである。
「……あのさ」
少し間が空き、何とも言えない空気が流れだしてどうしたものかと考えはじめた頃、その空気を払拭するかのようにアリッサ嬢が我輩に話しかけて来るのである。
「なんであろうか」
「あー……。最近さ、ミレちゃんやサーちゃんがパノンの旦那をあしらうときにセンセイと結婚するとか言ってるじゃんか」
「言っているであるな」
「あれって、どうなの?」
「どう? とは?」
いまいちアリッサ嬢が聞こうとしていることが掴めない我輩はどう答えれば良いのかよくわからないので、質問を質問で返すのを申し訳く思うのであるが、もう少し詳しく説明してもらう旨を告げるのである。
「つ、つまりさ、ミレちゃん達は本気でそういってるのかなって事さ」
「以前の会話などをふまえたうえで判断するならば、本気で言っているのであろうな」
「つまり、二人に求婚されてるってことかい?」
「若さ故の勢いというものであろうとは思うのであるが、まぁ、言われたのであるな」
「そ、そうなんだね……」
我輩の返答に、なぜか落ち込んだような様子を見せるアリッサ嬢である。
サーシャ嬢は子が親に結婚したいとか言ってじゃれているようなものであるし、ミレイ女史も男性との接点が少ない上に、伯爵からのよくわからない評価の水増しがあるが故の勘違いのようなものである。
年数が経ち、大人になり経験を積めば落ち着くような類のものである。
「で、センセイは二人の気持ちに応じるのかい?」
「応じるのも何も、ミレイ女史はそういうのに憧れる年頃である。大人になり、色々経験を積めば自然に落ち着くものであろう?」
「そんなもんかい? そうは思えないけどねぇ」
「特に、サーシャ嬢は適齢期になる頃にはどう頑張っても我輩は死んでいるのである」
「ああ……まぁ、確かにそう言われればそうだね」
我輩の言葉を聞き、納得がいったのかアリッサ嬢は拍子抜けの表情を浮かべるのであるが、再び我輩に質問を投げかけるのである。
「でもさ、サーちゃんがそれを錬金術か何かで乗り越えて、ミレちゃんが今よりも大人になった上で、センセイと結婚したいって言ったらどうするのさ」
「まぁ、応じるであろうな。我輩は以前も言った通り、特に結婚にこだわりがないのである。様々な人を知り、経験を積み、その上で我輩と夫婦として生きる事を願うのであるならば、我輩に拒否をする理由は無いのである」
「二人とも? 節操ないねぇ」
アリッサ嬢は、そう言って笑うのである。
何かおかしいことでも言ったであろうか?
「帝国は養うことさえできれば一夫多妻も、一妻多夫も認めているのである。問題はないであろう?」
「まぁ、そうだね。センセイならあの二人を養うくらいは余裕だねぇ」
平民は基本的に一夫一妻であるが、多くの妻や夫が文句を言わない甲斐性さえあれば多妻多夫の家庭もあるのである。
おそらくであるが、サーシャ嬢もミレイ女史もそのつもりで会話をしている気がするのである。
まぁ、実際の結婚生活というのがわからないので、そんなふうになっているだけとも言えるのである。
まぁ、我輩もわからないのであるが。
「じゃあ、今後もそういう条件をクリアする女がいればセンセイは全員受け入れるのかい?」
アリッサ嬢がこの話に大分食いついて来るのである。
そんなに人の好いた惚れたの話が好きなのであろうか、まぁ、女子というのはそういうものなのであろう。
「正直なところ、先の事は分からないのである。ただ、現時点では3人以外は受け入れるつもりはないのである」
「3人? サーちゃんとミレちゃんと…………リリー?」
「リリー嬢は、ロックバード伯爵とそういう仲なのであろう? アリッサ嬢である」
「…………まぁ、ありがたいことだけどさ、よく聞いたらそれってつまり、人となりが分かってれば、希望者は誰でも良いってことじゃん」
「そんなことはないのである」
「例えば、リリーにそういう相手がいなくて求婚されたら?」
「…………受け入れるであろうな」
「なんだろうねぇ…………。ミレちゃん達苦労するねぇ……」
そう言って暫く黙り込んで何かを考え込むアリッサ嬢であったが、大きく息を吐くとこちらを見るのである。
「だからあたしは覚悟を決めたよ」
「なんであろうか」
「あたしがセンセイを貰ってやる」
「は?」
何をアリッサ嬢は突然言い出すのであろうか。
「あたしがセンセイを貰って、ミレちゃんやサーちゃんが結婚できるまでセンセイに変な女が来ないように管理する」
「言っていることが無茶苦茶である」
「無茶苦茶だろうが何だろうが、決めたの! 別にあたしと結婚すんの嫌じゃないんでしょ?」
「まぁ、嫌ではないのである」
「だったら良いよね! 決まり! センセイはあたしの旦那!」
「いや、物事には順序が……」
「ミレちゃんとサーちゃんにはあたしから言っとくから! 多分許してくれる! ……と思いたい……」
「いや、そこではなくて……」
すると、突然アリッサ嬢は悲しそうな、不安そうな表情を浮かべて我輩を見るのである。
「やっぱり……嫌なのかい……?」
「……それは卑怯だと思う……」
我輩の言葉が終わる前に、突然アリッサ嬢は我輩に抱き着くのである。
「……お願いだから、ずっと近くにいさせてよ……あたしが死ぬまで、一番近いところにいさせてよ」
「アリッサ嬢……そうであったのか。やっと我輩は理解したのである」
アリッサ嬢に抱き締められるがまま、どう返事を返せば良いのだろうかと悩む我輩は、ここに至りようやく、アリッサ嬢が感情が不安定であったり、支離滅裂である理由に気付くのであった。




