帰郷前夜、である
我輩の名はアーノルド。自由気ままに生きる錬金術師である。
持ってきていた荷物の整理を終えた我輩は一息つくのである。
あれから一週間と少し、帝都での目的をすべて終えた我輩達は、辺境へと明日の朝には出発するのである。
まぁ、行く前は色々思うことがあったものの、実際来てみれば、結局は楽しい時間を過ごしたのである。
我輩は、魔鶏蛇の狩猟を終えてから今までの間あったことを思い返すのであった。
魔の森での狩猟を終え、帝都にある伯爵の家に戻った我輩達を待っていたのは、ダン達の思い思いの出迎えであった。
「旦那様! お怪我はございませんか!?」
「はは……大丈夫だよ。すまなかったね、心配かけさせて」
「いえいえ、旦那様がご無事で何よりです。すぐに湯を沸かしてまいりますので、体をお洗いください」
伯爵は、心配そうな表情を浮かべる者達に笑って応えるのである。
使えている者達が伯爵が何事もなく帰ってきたことを心から喜んでいるところを見ると、大分慕われているのがわかるものである。
「ミレイ様、あんなバカ息子のために危険を冒して……」
「……あんな人でも、一応本家筋の者ですからですから。役目は果たさないと」
「ミレイ様……なんてお優しい……」
ミレイ女史に駆け寄るメイド達は、おそらくパノン氏とミレイ女史の色々を見てきたのであろう。
大分パノン氏に辛辣である。
そんなパノン氏は、ハーヴィーとともにギルドへ狩った魔鶏蛇の素材や食用部位の一部を提出するのと同時に、繁殖期の魔鶏蛇の生態について報告しに行っているのである。
ついでにハーヴィーと約束があるということで、妖精パットンも一緒について行っているのである。
おそらく何か甘いものでも買う約束でもしたのであろう。
「今回は、命を救ってくれた事に敬意を表して腕比べは見送るよ。だけど、僕は諦めないからね」
そう言い残して我輩達と離れていったパノン氏に、小さくミレイ女史が、
「何でわからないのかしら……」
と、ため息をついていたのである。
これからも事あるごとに面倒ごとを引き起こしそうな御仁である。
しかし、どことなく憎めないのは我輩だけなのであろうか。
「サーちゃん怪我してない? 怖いことなかった? ちゃんとご飯食べれたかい?」
「アリッサおねえちゃん! 私だって戦えるんだよ! 大丈夫だよ!」
「ああ、良かったよ。あたしゃ心配で心配で……」
「そんな子供じゃないよ!」
アリッサ嬢は、まるで小さな子供が始めて使いに出て帰ってきたときの親のような反応である。
抱きしめられているサーシャ嬢はその扱いに抗議はしているものの、どこか嬉しそうに抱きしめ返しているのである。
「ドラン兄ちゃん! 珍しい肉が手に入ったよ! 焼いてよ!」
「お? おお? 何じゃこりゃ! 今まで見た魔鶏蛇の肉とは比べもんになんねぇ上質な肉だな!」
「なんか、繁殖期で特別な魔鶏蛇なんだよ!」
「良くわかんねぇが、まかせとけ! 全力で焼いてやるからな!」
「やったね!」
デルク坊とドランは何というか、いつもと変わらずに安心するのである。
文献ではとても美味だと書かれていた繁殖期の魔鶏蛇の肉である。
正直我輩も楽しみではあるのである。
「おう、お帰り。センセイ」
「お帰りなさい。全く……数日しか建ってないのに大袈裟なのよ。皆。」
ダンとリリー嬢が我輩のところへとやってくるのである。
数日しか経っていないのであるが、どこか久しぶりに会うような感じもするのである。
それだけ、魔の森での出来事が濃いものであったという事なのであろうか。
「ははっ! よく言うぜ。戻ってくる予定日より一日ズレたら、<所長は大丈夫かしら……>とか言って、グラスの水は溢れさすわ、仕事のミスが増えまくったのは誰だよ」
「あら? それを言うなら予定日が過ぎた翌日に<センセイに何かあったかも知れない>とか言って、魔の森に単身乗り込もうとしたのは誰かしら?」
「お前だって人のことは言えないだろうが!」
「私が心配しているのは所長だもの。別に良いじゃない。そんなだから男色を疑われるのよ」
「ぐぅっ!!」
そんな二人のやり取りを見て、ようやく我輩は戻ってきたという実感が沸いて来たような気がするのである。
なので我輩は二人に、
「二人とも、ただいまである」
そう言うのである。
言い合いをしていた二人であったが、我輩の声にこちらを見て少し驚いたような表情を浮かべたのだが、
「おう、お帰り。頑張ったな」
「魔獣の狩猟、お疲れ様」
そう言って笑顔を見せるのであった。
そうして伯爵邸に戻った我輩達は、ドランの受勲式を終えるまでの間、帝都内を散策したり、ギルドでウォレスに扱かれたりと、魔の森に行く前のような過ごし方をしていたのであるが、その日常にもう一つ加わる事柄があったのである。
それは、
「また来たんですか? いい加減諦めたらどうなんですか?」
「以前も言ったように、僕は諦めないよ! 僕には君達が必要なんだ!」
「おれは、別にパノン兄ちゃんは必要じゃないかなぁ」
「デルク君は素直じゃないなぁ!」
あれから毎日夕食時になると、仕事を終えたパノン氏が伯爵邸にやってくるようになったのである。
しかも、ミレイ女史のみならず、サーシャ嬢にまで求婚をしはじめ、ハーヴィーとデルク坊を自分のパーティーに引き抜こうとしているのである。
腕比べを見送る意味はあったのか、甚だ疑問である。
「伯爵、パノン氏は昔からこうなのであるか?」
「正直、これでも控えている方です。酷いときは丸一日付き纏ってましたから」
それはミレイ女史でなくても嫌われるのである。
寧ろ、優しいミレイ女史だからこそ、その程度で済んでいるのかもしれないのである。
「サーシャちゃん! 僕は君がたとえも……どんな人間だとしても、一生愛しつづけるよ! だから結婚しよう!」
パノン氏は一瞬“森の民“と言いかけたところで、言い直すのである。
一応、そういうところは律儀なのである。
「嫌、何回も言ってるけど、私はおじさんと結婚するの」
「な!」
「私も何度でも言いますが、私もその予定です」
「な! な!」
「どっちが先におじさんと結婚できるか競争だよ、ミレイおねえちゃん」
「負けないよぉー」
そう言うと、愕然としているパノン氏を完全に無視して二人は楽しそうに笑い合うのである。
ここ数日、このやり取りが毎回行われているのであるが、パノン氏は何故学ばないのであろうか。
不思議である。
「なら、ハーヴィー君! ハーヴィー君なら!」
「ダンさんよりも実績と実力がある人なら、一生ついて行きますよ」
「デルク君!」
「アリッサ姉ちゃんよりも料理が上手で、ドラン兄ちゃんよりも肉を旨く焼けるならついてくよ」
二人とも、恐ろしい敷居の高さを示し、パノン氏をあしらうのである。
これも、ここ最近毎回行われるやり取りである。
そして最後は、
「アーノルド氏! 僕は諦めないからな! 今日もご馳走様でした!」
そう捨て台詞を残し、伯爵邸を後にするのである。
最初はご馳走様を言わなかったのであるが、アリッサ嬢に教育を施された結果、その言葉が追加されることになったのである。
そのせいで、どう見ても引き抜きに見せかけて食事にくる寂しがりやにしか見えないのである。
「しかし、懲りないねぇ」
ある日、いつものようにパノン氏が去ってからアリッサ嬢がしみじみと言うのである。
「ある程度、まともに相手にして貰えて嬉しいんでしょうね。貴族としても、探検家としても孤立していたみたいだし」
リリー嬢が、食後の茶を飲みながら答えるのである。
リリー嬢が伯爵から聞いた話によると、小さい頃から自分の信条に殉じて生きてきたパノン氏は浮いた存在らしく、どこにいても孤立していたようである。
その時、側にいたのがまだ幼いミレイ女史だったそうである。
「別に、彼の事は嫌いじゃなかったんですよ。変な人でしたが、尊敬できる部分もありましたし、兄の一人みたいに思っていたので」
「だけど、勘違いされてしつこく求婚されて付き纏われて、評価が急降下ってわけだね」
「本当、残念な人ね」
「それさえなければ、いい人だとは思うんですけど」
「でもさ、あの性格だからパノン兄ちゃんなんじゃない?」
「……ほんと、迷惑……」
それも、今日で終わるのである。
そう思うと、どこか寂しいような……。
いや、それは気のせいなのである。
そして、今日の昼にドランの叙勲式が行われ、ドランは晴れて帝国貴族の仲間入りを果たしたのである。
「皆様のおかげで、特に問題なく式を終えることができました。感謝いたします」
「ドラン様、貴方のこれからの活躍を心から願っております」
「ありがとうございます。先生方」
式を終えて伯爵邸に戻ったドランが、我輩達が今まで聞いたことの無い言葉遣いでと所作で教育係を務めた者達に挨拶をしたことに我輩達全員が驚いたのである。
「まぁ、世話になりましたから、ちゃんとできるってところを見せたかったんすよ」
そう言って、珍しく照れたような笑いを見せるドランが印象的であったのであった。
「……んむぅ? 寝ていた……であるか」
どうやら、思い返しているうちに眠ってしまっていたようである。
外はまだ暗く、夜中であることがわかるのである。
珍しく変な時間に眠ってしまったもので、目が冴えてしまった我輩は、月明かりを頼りに少し外でも歩こうかと思い辺りを見渡してみると、バルコニーに人影を発見するのである。
誰かと思い注視すると、普段とは違う女性らしい寝姿をしているアリッサ嬢であった。
我輩は、どうしようかと考えたものの何となく時間つぶしに付き合ってもらおうとそちらに向かうのであった。




