行き違いである
我輩の名はアーノルド。自由気ままに生きる錬金術師である。
暇つぶしの下世話な会話やサーシャ嬢との微笑ましい交流が終わり、そのまま移動を続けること数時間、なんとか夕方前に本日の目的地である集落へ着くことができたのである。
そこの宿で調理場を借り、アリッサ嬢が作る夕飯を食べたのであるが、普段よりも味がぼやけているように感じたのである。
アリッサ嬢の料理は【意思】の構成魔力の影響を強く受けているようなので、おそらく料理に集中しきれていないということなのであろう。
一見通常通りを装っているのであるが、内実は違っていたようである。
そんな事もあったのであるが、その日はそのまま解散し、我輩は早めに休むことにしたのである。
朝から歩き通しで体力が限界だったのである。
そして翌朝、まだ日も上がらない辺り一面薄暗い中、我輩はいつも通りに起床するのである。
違いは全身の違和感、特に足が固まっていて動くのが非常に辛いと言うことくらいである。
昨日部屋へと戻る前にアリッサ嬢から、
「そのまま寝ると次の日が大変だろうから、軽く体を伸ばしてから寝るんだよ」
と言われていたのであるが、ベッドを見たら吸い込まれるように中に入ってしまった事を思い出すのである。
多少自業自得とはいえ、この強烈な反動は予想外だったので、今日はアリッサ嬢が何と言おうと荷車に乗って移動することを我輩は決意するのである。
そんな我輩ではあるのであるが、同じくアリッサ嬢とダンからもしも朝になっても体がきついようだったら、すこし無理してでも軽く歩くくらいはした方がいいと言われていたことを思いだし、早朝の散歩をするべく部屋を出るのである。
宿から出て歩きはじめると、ちらほらと我輩同様に動き出している者達を見かけるのである。
農作業道具を持って畑がある方向へと向かっていくのでこれから農作業に勤しむのであろう。
我輩もそれなりに行動が早いと思っているのであるが、農業に従事している者達の朝も相当早いのである。
一日歩いただけで全身を痛めている我輩は、毎日肉体労働を行う彼らに尊敬の念を抱きつつ、集落内を気ままに歩き回っていくのである。
時間にすれば1時間弱であろうか、のんびりと集落内を巡った我輩が宿へと向かっていると、見知った顔が反対方向からやってきているのを発見するのであった。
「あ、おはようございます、アーノルド様」
「おはようである、ミレイ女史。早起きであるな」
「いつもの癖で……アーノルド様は……?」
「奇遇であるな。我輩も同じである」
我輩の言葉に何やら嬉しそうな反応を見せるミレイ女史である。
何がそんなに嬉しいのかよくわからないのであるが、ミレイ女史にとって良いことであるならばそれで良いのである。
「散歩をなさっていたのですか?」
「そうであるな。ダンとアリッサ嬢が、体が固まったり軋んでいるようならば、ゆっくりと歩いたりして動かせと言っていたのでそうしていたのである」
「ふふふ……アーノルド様は運動をしなさ過ぎですよ。一日歩いただけでそうなるだなんて」
「ミレイ女史は大丈夫なのであるか?」
「これでも私は、隊長達と一緒に大森林の捜索へ行っておりますから」
「そういえばそうであったな」
我輩と一緒に研究することが多いので忘れてしまう事もあるのであるが、ミレイ女史はダン達のチームの一員でもあるのである。
我輩よりも体力的に優れているのは当然の話なのである。
「あの、アーノルド様はこれでお帰りですか?」
「そのつもりである」
「お忙しいでしょうか?」
「いや、特に予定はないのである」
我輩がそう言うと、ミレイ女史が急にもじもじとしだすのである。
一体どうしたのであろうかと考え、ふと我輩は思いついたことを提案してみることにするのである。
「もう少し運動を続けた方がいいかもしれないので、ミレイ女史も付き合っていただけないであろうか」
以前、ミレイ女史から二人で出歩いたりする時間があると嬉しいと聞いたので、ちょうど良いタイミングだと思う提案してみたのである。
「え? あ! は、はい! 喜んでお供いたします!」
狐につままれたような表情を浮かべたミレイ女史であったが、言われたことを理解したようで嬉しそうについて来るのである。
まぁ、研究や調査以外でこういうことを提案するのは自分でも珍しいと思うのである。
「してミレイ女史、今日は手を繋がなくてもよいのであろうか」
「アーノルド様は意地悪です」
そう言って頬を若干膨らませながらも、一応出してみた手を握る辺りがまだまだ少女らしくて可愛らしいと思うのである。
そのまま二人で暫く歩きながら、錬金術や大森林調査の話等といったたわいのない話をしていたのであるが、ミレイ女史が急に会話を止めてしまうのである。
「ミレイ女史?」
「……あの、アーノルド様。お聞きしたいことが……あるのですが……」
躊躇いがちに話す様子が気になってミレイ女史を見ると、先程とは比べものにならないもじもじ具合である。
顔は伏せ気味であるが、視線は若干泳いでしまっているし、顔もふらふらと落ち着かないのである。
一体何を聞く気なのであろうか。
「一体なんであろうか」
「あの……アーノルド様は……、アーノルド様は、この人と共に生きたいと思った方はいらっしゃるのでしょうか?」
そう質問をして、我輩を見るミレイ女史は真剣そのもので、どこか鬼気迫るものを感じたのである。
何故そのようなことを真剣に聞く必要があるのかはわからないのであるが、ミレイ女史の中でおそらく重要なことなのだろ卯と思った我輩は、その質問に真剣に応えるのである。
「……この人物と共に……であるか。そうであるな……一人、いたのであるが、それはもう叶わないのである」
「え……? それって……もしかして……?」
「そう……今は亡き前皇帝陛下その人である」
「……へ、陛下ですか?……」
「陛下と共に帝国の繁栄に努めていきたかったのであるが、陛下はもう亡くなられてしまったので、それはもう叶うことがないのである」
我輩の説明を受けたミレイ女史であるが、何か要領を掴めていないような表情を浮かべているのである。
何かおかしいこと点でもあるのであろうか。
「ん? ミレイ女史、何を鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしているのであろうか」
「え、と……アーノルド様は、前陛下をお慕いしていらっしゃったのですか?」
「当然であろう? 帝国民たるもの、皇帝陛下に尊敬の念を抱かぬ訳が無いであろう。ミレイ女史は違うのであるか?」
「い、いえ! そんなことはございません」
「そうであろう。おかしな事を言うのであるな、ミレイ女史は」
「そ、そうではなくて、アーノルド様は陛下と特別な関係を結びたかったのですかと」
「ミレイ女史」
「は、はい!」
やはりミレイ女史はまだまだ子供である。
ここは大人として、しっかりと注意しなければならないのである。
「言っていい冗談と悪い冗談があるのであるし、貴族子女の妄想に感化されすぎである。子女の集いの戯れでそういう妄想をするのは好きにすればよいのであるが、それを現実と混同し他人に聞かせるのは良くないのである。特に、陛下をそういうものの題材にするのは、不敬と受け取られ処罰される可能性だってあるのである」
「え、あ……」
「ミレイ女史も貴族の子女である。あまり社交場に出なかったとはいえ、そういうものに興味があるのも理解はするのである。で、あるが、そういった類のものは同好の士の間や昨日のような冗談が通じる話の流れの時にするものであり、真剣に聞くようなことではないのである。我輩は、アリッサ嬢やダンにしょっちゅうひどい絡まれ方をされているので特に気にしないのであるが、陛下をそういう対象として扱われることに対して思うところはあるのである」
「あ、あの……申し訳ございませんでした!!」
「分かってくれれば良いのである。ならば、この話は終わりである」
「はい……」
大分意気消沈をしてしまったミレイ女史を見て、我輩は言いすぎてしまったのであろうかと多少の気まずさを感じながらも、そのまま集落の散策を続けるのであった。
「あの……アーノルド様」
我輩達は特に会話をすることもなく、気まずさを感じる空気のまま歩きつづけ宿に戻っているところであったのであるが、その空気に堪えられなくなったのか、ミレイ女史が再度我輩に話しかけるのである。
「なんであろうか」
「先程は混乱して、とんでもないことを口走って本当に申し訳ございませんでした」
「そのことであれば、先程謝罪と反省を聞いているので、もう気にしていないのである」
「……失礼を承知で、もう一度だけ同じ質問をさせてください。アーノルド様は、結婚を意識するほどに好意を抱いている方はいらっしゃるのですか?」
「……? それは、先程と同じ質問なのであるか?」
「はい……。先程はそのつもりで聞いておりました。ですので、アーノルド様の答えを勘違いして、あのような事を……。アーノルド様は、違う意味の質問と捉えていらっしゃったのですよね?」
ミレイ女史が、何とも気まずそうに答えるのである。
……あぁ、なるほどである。
先ほどの質問がそういうことであるならば、先程のミレイ女史の反応も頷けるのである。
二人でどうやら違う会話をして、誤解が生じたのであるか。
だとすれば、我輩はミレイ女史にとんちんかんな答えを返した挙げ句に説教をするという非常に酷い事をしでかしてしまったのである。
「そうなのであるが、質問の意味を把握しきれていなかった我輩にも問題があるのである。それなのに、偉そうに説教などをして申し訳ないのである」
「アーノルド様! 頭を上げてください! アーノルド様が謝ることなどありません!」
謝罪の意を表した我輩の頭をミレイ女史が慌てて上げさせるのである。
行き違いで説教をされて嫌な思いをしているであろうに、我輩に気を使うなどミレイ女史は人間ができているのである。
仮に我輩がダンに同じ事をされたら延々と説教をするであろうし、おそらく逆もまたしかりである。
「そうであるか。ミレイ女史は、そんな事が気になるのであるか」
「はい……。すいません……」
年齢的にもそういうのが気になる年齢であるのか。
対象が我輩であるのがわからない点ではあるのであるが、別に隠すことでもないので答えるのである。
「そういう対象はいないのである」
「アリッサさんは違うのですか?」
「昨日の会話からそう感じたのであるならば、若干見当違いである。あれは、アリッサ嬢が望むならば応じるという話であり、我輩が望んでいるという話ではないのである」
「……それはつまり、アリッサさんがアーノルド様と普段から一緒にいるから、結婚してもしなくても変わらないということでしょうか?」
「有り体に言えばそうなるのであるな」
「でしたら、室長がアーノルド様と結婚を望まれたとしても応じるのですか?」
「そうなるであろうな。まぁ、そんなことは有り得ないのであるが」
たしか、リリー嬢はミレイ女史の父親と良い関係を築きつつあると聞いたことがあるのである。
アリッサ嬢の話も冗談であったようであるし、我輩とそういう関係を望む者はそういないであろうと思うのである。
「あの、アーノルド様は結婚を望まれたら誰でも良いのですか?」
「そんなことはないのである。我輩の生き方や価値観をそれなりに理解し、賛同し、一緒に過ごしていてもそれほど疲れないような人物が良いのである」
どんなに金を積まれても環境を揃えられても、価値観が真逆である至上主義者の女性は勘弁願いたいのである。
「仮の話なのですが……私は……ダメですか?」
「ミレイ女史はまだ子供である。さすがに我輩はそんな趣味はないのである」
「アーノルド様、私は成人しています」
我輩の言葉にミレイ女史は不服そうな表情を見せるのである。
言ってしまえばそういうところなのである。
「当然、それは把握しているのである。たとえ年齢が成人していて、優れた能力を持っていても、ミレイ女史はまだ精神・経験的に未熟である。もっとたくさんの世界を見て、経験を積み、成熟してから結婚を考えるべきなのだと我輩は考えているのである」
「……その時、もしも私がアーノルド様との結婚を望んだら受けてくれるのですか?」
「正直、その時の状況等で変わることもあると思うのであるが、おそらく受けると思うのである」
「アーノルド様」
「なんであろうか」
「言質は取りましたからね?」
「仮の話なのではなかったのであろうか」
我輩の言葉に、イタズラが成功した子供のような笑顔をうかぺるのである。
「うふふ、驚きましたか? 私を子供扱いした罰ですよ」
「ミレイ女史、アリッサ嬢にも言ったのであるが、そう言う冗談は……」
「大丈夫ですよ」
そう言うと、歩き出そうと背を向けていたミレイ女史は、我輩の方を背を向てくのである。
「私もサーシャちゃんと同じで、アーノルド様にしかこういうことは言いませんからっ」
そう言うと、今度こそミレイ女史は宿へと向けて先に歩き出すのである。
「そう言う問題ではないのであるが……。また何か行き違っているのであろうか……」
そんなことを思わず呟きつつ、楽しそうに歩いていくミレイ女史を追うように宿へと戻るのであった。




