ー無力さと罪悪感ー
死の病の製薬が始まり一週間ほどが経過した。
通常の製薬作業はようやく終わりを迎えることになるが、魔法薬の方は既に毎日少量ではあるが薬が完成し、重篤な患者や子供を中心に配られている。
何故少量なのかというと、アルケミストの問題というよりは薬師側の問題が大きい。
具現化のみを担当している彼らであるが、詳細なイメージを持ちながら慣れない構成魔力の具現化という作業に集中力の消耗が激しく、一人当たり2・3個作れれば上出来な状態なのだ。
だが、昨日からまた領内から別の薬師達が集まってきたので、この作業もまた効率が上がることだろう。
その分アルケミストの負担が大きくなってしまうので、俺や部下達はそれを心配しているのだが、当の本人は、
「皆の制御能力が日に日に上達しているから、最初のころよりも負担がかからなくなって楽なんだよ。この体にも慣れたしね。きっと、あの人達はこれが終わる頃には魔法陣の制御もできるようになると思うよ」
と、俺達の心配をよそに実に楽しそうな笑顔を浮かべている。
だが、それが強がりだというのは俺も部下達もほぼ全員が感じている。
そして、魔法の道具で姿を偽っているのも身元を隠すためでなく、無理をして顔色が悪くなっているのを隠すためだということに俺は最近気付いた。
それは、アルケミストの負担をできるだけ軽減させるために世話役として付けた部下の妻からの報告だった。
「伯爵様、アルケミスト様はおそらくですがほとんどお休みになっていないと思われます。日に日に顔色が病的に白くなっておりますし、昨日はベッドではなく、机に突っ伏して寝ておりました。そこには何か色々書き記された紙がございましたが、魔法陣などもありましたのできっと術式の改良を行っているのだと思います」
そう報告されてから魔法陣を見てみると、毎日少しずつ魔法陣が変化していることが分かった。
あいつは昼夜問わず研究に明け暮れているようだ。
慣れや上達もあるだろうが、アルケミストの見えないところで行っている努力の甲斐もあって、薬師達の負担が少しずつだが減っているのだろう。
きっと、俺が何を言っても今の時点では聞かないだろう。
今の状況だと、死の病を治すまでの薬の量に足りていないからだ。
あまりに強力な薬だと弱った体には返って毒にならしく、1日1回決まった時間に何日もかけて飲ませていかないといけないらしい。
そうなると、そろそろ完成する通常の治療薬を合わせても、今発病している者達に回す分でぎりぎりで、新しく感染、発病する人間の分には届かない。
それに最近、南部地方の一番ここに近い領から新たに家畜を供給してもらったのだが、追加の供給を頼むにも結果を出せないとこれ以上の家畜の供給はできないとそこの領主からは言われてしまっている。
俺達の状況を知っていたうえで、それでも協力してくれている良い奴なのだが、向こうとしてもぎりぎりの譲歩だったのだろう。
なので、これ以上の欲を言うことは現状ではできない。
つまり、かなりギリギリな状態で現状は動いているのだ。
さらに魔法で作る薬は、通常の薬には無い自分の血を飲み込むような不快感と吐き気があるらしい。
その報告を受けたアルケミストは、
「本来の物質を構成する魔力から、違うものに再構成する、いわゆる物質の枠を越える行為だから、代償が必要になるっていうことなのかしら…………」
と言っていたのを覚えている。
もしかしたら、その辺りの研究も同時に行っているのかもしれない。
そういえば、最近は薬の材料となる家畜の血液の量が増えたり、別の薬草類をを混ぜたりしている。
それはもしかして、代償として量を増やしたり別の物で代償の肩代わりをさようという事なのだろうか?
魔法の事など全く分からず、アルケミストがやることに口を出すことはできない自分の程度の低さが多少情けなくなる。
なので、俺にできる事は体に良さそうで弱った体には重く感じ無いような料理を用意してやるくらいだが、それすら町を封鎖している状況ではなかなか覚束ないわけで、結局自分のふがいなさを増長させる結果になっている。
身勝手な話はのは分かっているが、現状、アルケミストに全面的に頼らなければならないのだ。
「何を考えているの?」
そんなことを思っていると、今日の作業が終わったらしいアルケミストが俺の執務室へとやってくる。
「お前に甘えっぱなしだなと思ってな」
「そんなの、初めて会ったときからずっとじゃないの。何をいまさら言っているのよ」
「……そう言われれば……そうだな」
「ふふふ、しょうがない人だなぁ」
言われてみれば確かにその通りだということに改めて思い至り、気まずさで頭を掻く俺をアルケミストは楽しそうに笑う。
「無理してないか? ちゃんと食事を取って、ちゃんと寝れているか?」
「何よ急に、人を何か子供みたいに扱って。失礼しちゃわね」
「メイドから聞いたぞ。今朝、机の上でよだれを垂らして寝ていたらしいじゃないか」
「そんなふうには寝てないわよ! ちょっと研究が捗っちゃって、ついつい……」
そう言った後に、アルケミストは自分のミスに気付いたようで、しまったと言う顔をする。
やはり、ちゃんと眠っていないだけあり、普段よりも大分迂闊になっている。
「こんな簡単な引っ掛けにかかるなんて、お前らしくないぞ。気持ちは分かるが、休め。情けなさ過ぎてこんなことを言いたくないが、現状、お前が一番頼りなんだ」
本当に俺にできることは特に無くて情けない。部下達の方が色々動いている。そう思いながら俺は続ける。
「術式改良のための研究も大事なのは分かるが、通常の製薬がまだ完成していない現状で、両方の責任者であるお前が無理をして倒れるようなことがあれば、すべてが水の泡だ」
「うん……うん、そうだよね。せめて通常の薬ができるまでは……」
「その後もできるだけ無理はするな。お前には負担かもしれんが、お前という存在を支えに生きることを諦めずに頑張れている民がたくさんいるんだ。だから、そいつらのためにもお前は無理をして倒れないで欲しい」
俺の言葉に、アルケミストは少し沈黙した後、どこか躊躇いがちに尋ねてくる。
「それは、貴方も?」
「そうかもな」
素直にそうだと言えば良いのだろうが、気恥ずかしさと無理をさせてしまっている罪悪感と、負担にさせてはいけないという思いから、ついつい突き放したような言い方をしてしまう。
「伯爵は甘えん坊さんね。私がいないとダメなんて、しょうがないなぁ。じゃあ、そんな伯爵様のために、今日はゆっくり休むね」
「……そうしてくれ」
そう言うアルケミストのからかい半分の言葉に、俺は力無くそう答えることしかできなかった。
そして、その時一瞬見せた哀しそうな表情を、俺はそれ以上気にすることはなかった。
それから二月、継続的に作られていた魔法薬だけではなく、通常の製薬で作られる治療薬も完成して領内に配られるようになり、また、製薬方法を覚えた最初の薬師達が部下達とともに、製薬道具を持って領内各地へと広がり薬を作り始めることで治療は一気に加速している。
それも、死の病の流行から半月以上たってから一度様子を見に来た家畜を寄越してくれた領主が、薬の効果を認めて大量の家畜と大勢の薬師をこちらに送って来てくれたからだ。
その分、通常の製薬だけでほぼ治療薬が間に合うようになったので、魔法薬を作っていた薬師達も通常の製薬に回ることになり、結果としてアルケミストの負担も激減することになった。
そんなアルケミストは、俺とともに執務室で書類作業をしている。
人員配備の予定、現在の流行り病の状況確認、協力してくれた領主に対する礼の用意など、むしろ緊急時よりもやる事が増えている。
「もう、余り手を出すことが無くなったね」
「そうだな。とは言え、俺は元々何もできていないけどな」
「そんなことないよ。貴方が領主として私の意見を全面的に受け入れてくれたから、皆ここまで頑張ったんだよ。貴方は、私の人望だとかよく言っているけど、それって、貴方が私を信頼しているから皆が私を信用できてるんだよ?」
自嘲気味に笑う俺の言葉に対し、アルケミストは多少怒ったような表情で俺を窘める。
今はローブのフードを外しているのだが、その顔は大分血色も良く元気そうだ。
「お前は、後悔していないか?」
「全然。むしろ、良かったと思ってるよ」
種族の枠を越えた能力と新しい術式を得た代償として、アルケミストは身体能力の殆どと、寿命の大半を失うことになり、その膨大な能力も継続させるには代償が足りなかったらしく、これから少しずつ能力が低下し、最終的にはいままでの1・2割程度の力しか残らなくなってしまうらしい。
それでも、人間よりも多少制御能力が高いと言うのだから、森の民の魔力制御能力というのは凄いものだと感心する。
「分かってないなぁ、私が優秀なの」
そう言ってアルケミストはいつもの台詞を言って笑っていたが、俺にはそれがとても見ていて胸が締め付けられる気持ちになった。
きっと、先ほどの質問もアルケミストにではなく、自分に言ったのだろうと思う。
それだけ、今回の出来事は俺の無力さを痛感させられたのだと思う。
そんなことを思っていると、不意に頭を殴られる。
「つっ! なんだよ」
「貴方酷い顔。まだ私に変な罪悪感みたいなの感じてるんでしょ。なんで?」
「とは言ってもだな」
「部下の人が同じようなことをしたら、その罪悪感とかは本人には見せることが無いでしょ? 何で私には隠してくれないの?」
「そりゃあ……」
「私は貴方にとってまだお客様で部外者だから? どうすれば私を、この領を、帝国を、人の世界を発展させるために一緒に行動する仲間として認めてもらえるの?」
何をこいつは言っているんだ?
そんなことはないと言おうとした俺だが、アルケミストを見て言葉に詰まる。
アルケミストは以前見せたような、哀しい表情を俺に見せていた。
それは俺が若い頃、まだ父や兄達が生きていた頃、認めてもらえずに部屋で一人隠れて浮かべていた表情だった。




