ー代償ー
食休みとして横になっていた俺は、眠りそうになりながらも先程兵士に言われたことを思い出す。
治療薬のおかげで生き延びることができた。
あの兵士が言っている治療薬は、薬師達が作っている薬だろう。
死の病の他にも、いくつかの病気に対して血の力というのは有効らしく、その治療薬が作られていくことによって、従来の薬草から薬効成分を煮出したり煎じたりする製薬方法とは違う、薬師の新しい製薬技術として帝国内に急速に広まっている。
ただ、その製薬方法は複雑なもので、俺は何度もアルケミストに説明を受けたが、まったく理解することができなかった。
薬師達の間でも、この製薬技術をものにした者は上級薬師として見なされているようで、従来の経験や知識量で象られた薬師達の構造に変化が起きつつあるらしい。
それが良いことなのか、悪いことなのかは俺には分からない。
だが、それで繋がる命があることは確かで、民のためになるのだと俺は信じることしかできない。
そうでなければ、そのために森の民である事を辞めて魔の者となったアルケミストが報われない。
そう思いながら、俺はまた当時のことを思い出していくのだった。
「そう、そこで……」
「こうですか?」
「そう。いい感じよ。そのまま……」
アルケミストは、製薬作業を行っている薬師達の行動を確認し、質問に答えていく。
こちらは魔力制御の能力が低い、通常の製薬方法で治療薬を作っている薬師達だ。
同時にいくつかの工程をやらなくてならないらしいので、一人の薬師に数人の補助が付いている。
弟子や助手がいるものはそのまま彼らを使い、いないものは他から人手を借りるか、自分が助手が話に回っている。
人の命がかかっているこの場では薬師のプライドや意地とかそういうものは二の次で、今は全員ができることを懸命にやっている。
まだ始めたばかりでうまくいかないこともあるようだが、それでも少しずつ作業は進んでいる。
「……までできたら、今日はできることは無いわ。明日はまたやる事が増えるから、皆頑張ってね」
「はい!」
「分かりました」
アルケミストの言葉を聞き、今日の作業が終わったことを知った薬師達は、工程が張り出されている紙の下へと向かい、作業工程を書き写したり、今日の作業について確かめ合ったり、明日の作業について話し合ったりしている。
少しでも早く、効率的に製薬作業をものにしようと言うことなのだろう。
そんな様子の薬師達を見て、俺はアルケミストを伴いもう一つの部屋へと向かう。
「……そんな、心配しなくても大丈夫だから」
「馬鹿言え、朝の様子を見たら無理に決まってるだろうが」
朝、なかなか部屋から出てこなかったのでメイドに様子を見に行かせたところ、足元が覚束ないアルケミストを発見したのだった。
生まれたばかりの獣のように、立ち上がり二・三歩歩こうとするとすぐに倒れ込んでしまうらしく、メイドに支えられてようやく服も着替える事ができたらしい。
今はだいぶ普通に歩けるようになったのだが、未だに膝が折れそうになっているので俺が倒れないように支えている状態だ。
「もう大丈夫だから。ちょっといままでと感覚が違うことに馴れるのに時間がかかっただけだから」
「それが大丈夫な訳が無いだろうが」
言葉では大丈夫だと言っているが、俺に捕まっている手は震えているし、よく見ると膝も笑っている。
よく聞いてみると、少々つらいようで軽く息も切れている。
「おい、今日はもう止めた方が……」
「ダメだよ、こっちのほうも大事なんだから」
アルケミストはそう言うと、もう一つの部屋のドアに手をかけ、俺を手で押しのける。
「おい」
「それにこんなところ、これから一緒に作業をする皆に見られると心配させちゃうから……ね?」
「別にいいだろ……」
「私が嫌なの。アルケミー領の賢者として、こういう時は毅然としていたいの。領主である貴方なら分かるでしょ」
アルケミストがそう言って俺から離れると、もう一つの部屋へと入っていくので、俺もそれに続く。
部屋の中は、今回集まった薬師達の一割程度が集まっており、緊張と不安の表情を浮かべている。
まぁ、それもそうだろう。
昨日魔力制御の検査をして、いきなり<魔法薬を作りましょう>だなどと言われてそのまま受け入れられる人間はそうはいないだろう。
「皆、来てくれてありがとう。胡散臭いとは思うけれど、私を信じて聞いてほしい」
そう言って、今回全員で行う術式について説明を始めるアルケミスト。
薬師達は、アルケミストが制御した魔法薬を構築する魔力を具現化させるために、今回の薬の効能をしっかりとイメージしてもらう事、その具現化のために必要最低限の魔力制御の能力が必要なこと、自分では薬のイメージが曖昧になってしまうので、そのためには薬の知識が豊富な薬師達の力が必要なことなどをあげる。
「アルケミスト様。私の友に魔法を使えるものがおります。ですが、これからアルケミスト様がやろうとしていることは、私が聞いた限りの人間の使える魔法の域を超えております。どういうことなのでしょう」
一人の薬師見習いの若者が、アルケミストに質問をする。
だがその疑問は当然のことだ。
人間が現在使える魔法は、水を出す、火を起こす程度のことができるのが基本で、軽い傷などでも癒せるほどの魔法陣を制御できるくらいの力を持っていれば、すごいと言われる程までに制御能力が下がっているのだ。
「そうね。驚くかもしれないと思って皆には隠していたけれど、私は人間だけれど、森の民の血がすごく濃いみたいなの」
そう言って、アルケミストはおもむろにフードを外す。
突然のことに俺はまったく反応できず、アルケミストの行動を見ているるだけになってしまう。
「余りに濃くなりすぎてしまって、髪の色も森の民に近い緑になってしまっているわ。こんな姿を至上主義の人に見られると私を受け入れてくれたアルケミー領に何が起きるか分からないから、今まで姿を隠していたの。ごめんね」
そこには、深い緑色の髪をした美しい人間の女性がいたのだった。
「どういうことだ?」
試験的な魔法薬作製の実践が予想以上の成果を上げることができ、その正解に手応えを感じた薬師達が帰って行った部屋の中で、俺はアルケミストに問いただす。
最近こいつは俺に内緒で物事を進めていきやがる。
別に悪いことをしているわけではないので、文句を付ける筋合いは無いのだろうが、それでも不満や心配はある。
「どういうことって?」
「何で姿を出した? あの場に至上主義者がいたらどうするつもりだったんだ」
「大丈夫よ。森の民の知識を利用するって言っているのに反発しないんだから」
とぼけた口調のアルケミストに、若干の苛立ちを感じた俺の質問に、あっけらかんと答えるアルケミスト。
こいつ、こんな迂闊な奴だったか?
「でも、ちょっと軽率だったかもね」
「ちょっとじゃない。大分だ」
「あはは、ごめんね」
そういって笑うアルケミストだが、その表情は疲れきっている。
やはり、かなり無理をして製薬作業に臨んでいたようだ。
「まったく……無理ばかりしやがって」
「貴方だって似たようなことをしてきたでしょ? 聞いたわよ、過去のこと」
「あいつら……」
どうやら部下達に中央で魔の森に出現する獣や魔物達の駆除に明け暮れていた時の事や、アルケミー領に来るときの話などを聞いたらしい。
「まあいい。質問はたくさんあるが、それはお前の部屋で聞く」
「え? ちょ、ちょっと待って」
アルケミストの抗議を無視し、おれはアルケミストを担いで部屋へと運ぶ。
「ちょっと! 人を荷物みたいに背に担がないでよ!」
「ん? 重くなったか?」
「馬鹿!」
そうしてアルケミストを部屋へと運んだ俺は、アルケミストに再度説明を求めるのだった。
「あれは、いきなり新しい術式を使うのが不安だったから、最初に試作した道具の効力よ」
そう言うとアルケミストは耳に付いている深緑色の飾りと透明な石の付いた首飾りを外す。
すると、深い緑色だったアルケミストの髪色が透き通るような翡翠色へと戻り、顔も人間ぽい顔から俺の見知っているアルケミストのものへと変化する。
「これで髪の色を変えたり、姿を変えたりしたの」
「なるほど……って、つまり」
「けどね」
これから先姿を隠さなくて良いのではないかと言おうとした俺の言葉を、アルケミストは遮る。
「効果は数時間だけ。それに、私はこういう効果や具現化のイメージを掴むのがまだ苦手みたい。だからフードで姿を隠している方が安全よ」
どうやら森の民はそういう事が人間に比べると苦手らしく、だからアルケミストは最後の薬の具現化を、人間である薬師達に任せているという事情もある。
「で、どうだったんだ? 作業の方は実際」
「うまくいったでしょ?」
「素人目の俺の意見を言わせてもらえば、お前が具現化を失敗しかけて暴走しそうになってる魔力を強引に押さえ込んでいるからなんとかできているような感じにしか見えないな」
「……そう見えた? すごいね、伯爵様。魔法の素質あるかもしれないよ」
「もしそうならば、おそらくこの世のほとんどの人間は魔法の素質があると思うぜ」
アルケミストの冗談混じりの言葉に、俺は呆れたように返事を返す。
「一応、本気で心配してるんだがな」
「ごめんね。でも、あの人たちも多分家に帰って制御の訓練を続けてくれると思うから、明日はきっと少し楽になると思うわ」
「そして、しばらくすると新しい薬師達がやって来て、お前の負担がまた増えるのか」
「だから、そんなに不安な顔をしないでよ。大丈夫だから」
だが、と、詰め寄り口を挟もうとした俺だが、ちょうど良いタイミングでドアをノックする音がする。
「アルケミスト様、お加減はいかがですか? 食事を……」
ドアを開けて部屋へと入ろうとした部下だったが、俺達の様子を見るなり、
「あ、ああ。なるほど。食事を置いておきますので、ごゆっくり」
食事を近くの机に置いて部屋を出て行くのだった。
訂正する間もなく、何とも言えない空気の中、
「……飯、食うか?」
「うん」
「一人で食えるか?」
「……うん」
「……手が震えてるな、食わせてやるよ」
「……ありがとう」
俺はアルケミストの食事介助をするのだった。
これが、アルケミストが新しい術式、錬金術の元となる術式を表に出した初日のことだった。




