ー手始めー
「私がお前に与えた時間なのだ。少々融通してくれても良いと思うがな」
「陛下……何故?」
俺は目の前にいる人物をしっかりと視認しつつ、同時に我が目を疑う。
そりゃそうだろう、俺の目に映っているのはこの帝国の最高責任者にして、俺に追憶の時間を下さった張本人である皇帝陛下その人だからだ。
「何故か? そんなもの決まっているであろうが。お前の今までやって来たことを聞きたいのだよ。そうでなければ、皇帝ともあろう者がわざわざこんな汚物臭い牢屋にまで足を運ぶものか」
「は?」
驚きの余り、呆けた声を上げた俺に向かい皇帝陛下は子供のような笑顔を浮かべるのだった。
「うわぁ……広いなぁ……」
これが、アルケミストが森を出て初めて発した感想だ。
長くても一月程度も大森林に篭ることが無い俺達ですらそう思うのだ、おおよそ200年近く森の中で生活していたこいつの気持ちは、俺には想像することもできない。
「ここからもう貴方の領地なの?」
「まぁ、そうなるな」
とは言え、当たり一面何も無い平野部が広がっているだけだ。
当然、俺の住んでいる東方都市はここからさらに進んだ場所だし、最寄の集落だって見える位置にはない。
「何か、視界が広がりすぎて不安になるね」
「俺は逆に、周囲を木々に囲まれている大森林内の視界に不安を感じるけどな」
慣れ親しんだ環境の視界じゃないと、誰しもが少なからず不安になるっていう事なのだろう。
「さあ、このまま帰ろうと思うのだが…………」
俺がそう言ってアルケミストを見ると、アルケミストは首を傾げてこちらを見返してくる。
「その髪と耳を隠さないとな。とりあえずはこれでも頭に被っておけ」
そう言って俺は、道具袋から防寒用に作られた耳までを覆う簡素な綿織物の帽子を取り出すと、アルケミストに投げ渡す。
とりあえず今回の遠征では使うことがなかったので、汚れとかはほとんどないはずだ。
アルケミストは受けとるのだが、怪訝な表情を浮かべてこちらを見つめる。
「ねぇ、全身を隠すローブを用意するんじゃなかったの?」
どうやら、自分が森を出ようかどうしようかと考え事をしている最中にしていた俺達の会話を、こいつは聞いていたようだ。
「おう。用意するぞ。ただ、今そんなもんが用意できるわけねぇだろうが。遠征最中だぞ。どうしてもっていうなら、敵性生物や俺達の体液が染み付いた布を使って……」
「馬鹿じゃないの! 嫌に決まってるじゃない!」
俺の提案を全力で拒否し、アルケミストは蔑むような目で俺を睨みつける。
今ローブを用意する場合の話をしてるだけだってのに、何でそんなふうに見られなきゃいけないのか俺には全くわからない。
「そんな怒んなくても良いじ……」
「いやいや、今のは伯爵様がいけませんよ。特に例えが悪すぎです」
「そうですよ。美しい女性になんて事を提案するんですかね、このお方は」
「申し訳ございませんアルケミスト様。伯爵様はこういう粗野な男性なので、女性の機微がわからないのです」
そんなアルケミストに対して不満を述べようとした俺に対し、部下達がこぞって俺に非があると言いだし、どさくさに紛れて暴言まで吐く奴まで現れる。
まぁ、こいつらの中には結婚して家庭を持っている奴もいるし、領地に婚約者や交際している女が待っている奴もいる。
そいつらにそう言われると、結婚したことも、そもそも結婚相手の候補すら見つけることの未だにできない俺には返す言葉がない。
「そんなわけでローブは町に戻ってからになる。だから、今はそれでなんとかするしかない」
有効的な反論の言葉も浮かばなかった俺は、先程の流れを無視して強引に話を戻す。
「分かったわ。で、これ貴方の使用済?」
「何かひっかかる言い方だな。今回の遠征じゃあ使ってねぇよ」
「ふーん……」
これ以上話しても無駄なことが分かったアルケミストは、多少不満そうな表情を浮かべながら帽子を被る。
当然男物の俺の帽子は、女であるアルケミストには大きく、頭と耳だけでなく、目の近くまですっぽりと覆ってしまう。
「はははは! 深く被りすぎだ!」
「そんなに笑うことないじゃないの!」
「悪い悪い。良く似合ってるぞ」
「取ってつけた言い方しないでよ! 嬉しくない!」
こうして、最低限の素性隠しだけしてとりあえずは東方都市へと俺達は向かうことになった。
「ねぇ、あそこに見えるのが貴方の住んでいる町?」
「あぁ、そうだな」
真っ暗な中小さく光る、おそらく東方都市の見張り塔で焚いている松明の明かりを指差して質問するアルケミストに、適当な返事を俺は返す。
出来るだけ人目が多い時間を避けるために、夜中の帰還をすることを決定した俺達は、現在東方都市付近を移動している最中だ。
それが出来るのも、大森林の敵性生物駆除が成果を上げたからだ。
おかげで、現在は野犬程度の獣や粘性生物、若しくは盗賊連中を警戒すれば良い程度で済んでいる。
それもこれも全て俺の横にいる、部下達とわいわいこれからの過ごし方を話し合っている森の民のおかげだ。
感謝してもしきれない。
「ねぇ、伯爵さん。一つ聞いていい?」
「ん? なんだ?」
そんな感謝の気持ちを俺に抱かれた張本人が、俺に何かを尋ねてくる。
珍しいな、こいつが俺を“伯爵さん“と呼ぶなど。
もしかして、これから人間の町に入るから呼び方を帰るつもりか。
「人間の土地って、今年寒かったり雨がいっぱい降ったりしたの?」
「いや、そんなことはないぞ。なぁ?」
「そうですね。例年通りだったと思います」
俺の問い掛けに対し、そういう記録を担当している部下の一人が答えを返す。
どうやら、こいつには何やら気になることがあるようだ。
「どうした? 何かおかしな点でもあったのか?」
「ん……と、おかしなというか、気になるというか……」
「何か気になったなら教えてくれるか?」
俺の言葉を聞いたアルケミストは、やや躊躇いがちに喋り出す。
“面倒そう“とか“嫌そう“とかではなく、“躊躇いがち“というところにこいつの人柄の良さが出ている気がする。
「ここに来る前の間に、何回か集落の近くを通ったでしょ? その時に畑もあったから横目に見てたんだけどさ」
「ああ」
「そろそろ収穫の時期なのに、作物がだいぶ痩せ細っていたから寒さや病気でやられちゃったのかなって思ったんだ」
「あぁ、そりゃあ大地の力が弱まってんだよ。そろそろ別の場所の開墾時期なんだろうな」
俺の返答に、何かを考え込むアルケミスト。
何かおかしなことでも言ったのか?
作物の種を植えると、大地の栄養を吸って成長して実を結び、そして収穫する。
それが農業の基本であり、それくらいは俺でも知っている。
次の作付けに向けて肥料も撒くが、それでも作物を作りつづけると大地の力は減り、次第に作物やせ細ったり病気にかかり、実りづらくなる。
そうしたら、その畑は数年程放棄することになるので、少しずつ大地の力が弱くなってきたのに合わせて別の場所を畑として開墾するのが基本だ。
だから、帝国内の農耕地区は広大な土地を必要としているし、なかなか町として発展しづらい。
そして、その問題は帝国全土で解決方法がなかなか見つかっていない。
森の民の農法では何か違うのだろうか?
「もしかして、ずっと同じ場所で一つの野菜や穀物を育てたりしてます?」
「ああ。その方が俺達も、農夫達も仕事がしやすいからな。お前達は違うのか?」
俺の質問にアルケミストは頷く。
森の民の農法を聞くことで何かの参考になるかもしれないと思い、アルケミストが話すのを少々待ってもらい、俺は担当の部下を呼びよせる。
言葉が足りない俺が後で説明するよりも、本人から直に話を直に聞いた方が確実に分かりやすいからだ。
部下がやって来たのを確認すると、アルケミストは森の民の知識を話し始める。
「同じ場所に同じ作物を育て続けると、大地の力が偏ったりその作物を狙う病気の元が集まってしまうことが長年の研究で分かっているの。だから、一年を通じで何種類かの別の作物を作ることで、大地の力の減少を均一化しておいたり病気の元に狙いを絞らせないようにしているわ」
「肥料で大地に力を与えているが、それじゃあダメなのか?」
「ダメね。いくら回復しても偏った大地の力では本領を発揮することはできないし、何よりも過剰に残っている部分の力が肥料を与えることで暴走し、作物に被害を与えるの」
「大地の力が暴走?」
アルケミストの言葉に反応する俺に、アルケミストは子供を見るような顔をこちらに向ける。
「伯爵様の思っているような爆発とか、そんなことは起きませんよ」
「考えてないぞ、そんなことは」
「本当ですか?」
「……おう」
「つまり、過剰な大地の力は毒になり、大地の衰えを早めるということですか?」
そんな俺達のやり取りはお構いなしに、部下はアルケミストに質問をする。
連中いわく、<いちいち二人のやり取りが終わるまで付き合っていたらいつまで経っても先に進まない>からだそうだ。
「そういうことです。伯爵様と違い、物分かりが良くて助かります」
俺だって、そう言われりゃ分かるぞ。お前の説明が悪いんだろうが。
そう思う俺だが、それを言うとまた話が止まるので今は黙っておく。
さすがに大事な話をしているときに余計な話をして時間を無駄にするほど俺は馬鹿ではない。
だが、後でアルケミストに絶対文句は言う。
俺はそう誓った。
「その時の話を元に人間の領土用に森の民の農法を改良したのが、現在の辺境式輪作農法です」
「なるほどな。森の民は、やはり知識が深いな」
「そうですね。森の民は我々に様々なことを教えてくれました」
俺は、陛下に話すには聞き苦しい無駄な会話や、アルケミストの名前は伏せた状態でここまでの事を陛下に話す。
陛下は俺の言葉を否定することなく、全てを聞いてくれている。
「陛下は……」
亜人種との交流を本心では望んでいるのか、そう聞こうと思った俺の機先を陛下は制する。
「爵位を失ったとは言え今まで帝国に使えてきた重臣の、死に行く前の話を聞くのも皇帝として君臨する者の義務なのだ」
そんなことは聞いたことが一度もない。
だからきっと、何も聞くな。ということなのだろう。
「続けよ」
こうして陛下を前に、俺が出来る最後の陛下への仕事。
俺とアルケミストの交流の独白は続くのだった。




