新しい住人は、台所の主である
我輩の名はアーノルド。帝国唯一無二の錬金術師である。
副作用を抑える調合方法も分かり、我輩は改めて手引き書を読み直しているところである。
家の中で効いている翻訳魔法は、文字にも適応されているので、今まで読めなかった単語や意味が分からなかった文などもしっかり読めるのでありがたいのである。
そうした完全な翻訳のもとでは、錬金術は模造性魔法技術と明記されており、現存する魔法の効果や薬等の効果に限りなく近付けた、模倣品や模造品を作る魔法技術と記されていたのである。
そう、錬金術で作製するものは、限りなく実物を模した物なのである。
なので、実際にある魔法や薬に比べ、どうしても効力や効果速度、必要素材、構成魔力の量や副作用など、様々な面で不便な点ができてしまうのである。
ただし利点として、
模倣する魔法や道具などを明確にできる想像力、それに必要な構成魔力の確保と制御さえできれば、理論上誰でも何でも作れる模倣できる技術
と言うことである。
そう、我輩やダンを模した生物を創ることも、こことは別の新しい世界を創ることもできるのである。
勿論、理論上であるが。
「しかし、生物は創ってみたいものであるな…………」
「なに物騒なこと呟いてんだよ、センセイ」
手引き書を置いて呟く我輩の言葉を、耳聡く聞いたダンが呆れ顔で話しかけてくるのである。
「夜の一族が使うと言われる従属魔法を模した、使い魔等を創れたら便利なのであるかなと思ったのである」
「そういや魔法研究所で、従属魔法の研究してたな…………。俺が見た限り、そんな良いものじゃなかったぞ。死んだ魚の目をした犬とか、ある意味恐怖だったぜ」
どうやらダンは以前使い魔の研究所に行ったことがあるようで、その時は意思の光が見えない生物がうろうろしていたらしいのである。
それはさすがに嫌なのである。
そんなダンは、先程から工房に置いてあった素材図鑑を見ているのである。
この図鑑にはノヴァどこが発見した様々な種類の素材の、採取場所やおおよその効果などが纏められているのである。
手引き書に比べるとはるかに量が多いので、それだけノヴァ殿は、長い年月をかけて様々な場所の素材調査を行って来たということである。
「こいつはすげぇよなぁ。これだけで、各地の探検家ギルドにある分を全部より、多くの素材の所在や詳細がわかるんじゃねぇのか? …………おぉ? なんだこりゃ?」
探検家のダンにとって、素材図鑑は宝の宝庫なのであろう。
おそらく、また旅に出たときに知らないものを探しにいくのであろう。
そんなことを思いながら手引き書に再び目を通そうかと手引き書を手に取ると、
「うーーーーーん………………」
と、サーシャ嬢唸り声が聞こえるのである。
現在サーシャ嬢は、我輩が兄君に作っている解毒薬用の素材の余りを使用して解毒薬を作っているのであるが、どうやら作業が難航しているようである。
「せんせぇー、教えてください!」
「我輩は先生ではないのである。それで、一体何がわからないのであるか?」
手引き書の続きを読もうとしていた我輩であったが、助けを求めてきたサーシャ嬢の方へ向かうのである。
昨日から、サーシャ嬢は我輩を先生と呼ぶようになっていたのである。
と、言うのも一昨日、サーシャ嬢が寝る前にダンと、
「嬢ちゃん、嬢ちゃん」
「なに? おじちゃん」
「良いかい、わからないことを教えてくれて、困っているときに助けてくれて、尊敬できる人のことは先生って呼ぶんだ」
「そんけい………?」
「すごいなぁ、自分もああいう人になりたいなぁ。なれるように頑張ろうって思うことだ」
「そうなんだ! じゃあ私、おじさんのこと、せんせいって呼ぶ! あれ? じゃあ、おじちゃんもセンセイって呼んでるから、尊敬してるの?」
「あったり前だろぉ! 俺ほどセンセイを尊敬してる人はいないはずだぜ、あ、でも、いつでも先生って呼ぶと拗ねちゃうから、勉強してる時だけにしておきな」
「拗ねちゃうの? 大人なのに」
「そうなんだよ、大人だけど拗ねちゃうんだよ」
「そっかぁ、じゃあ、お勉強の時だけ先生って呼ぶ!」
といったやり取りを本気にしてしまい、サーシャ嬢は困ったことがあると、我輩を先生と呼ぶようになってしまったのである。
止めてほしいところではあるが、そう呼ばれると錬金術の事で質問があるのだとわかりやすいので、あまり強く言えないのである。
ダンはサーシャ嬢に、余計なこと教えすぎである。
我輩が、そんなことを思いながらサーシャ嬢のもとに行くと、困った顔でサーシャ嬢が質問をしてきたのである。
「せんせぇ、げどくってなんですか?」
「解毒とは、毒を解除するという事である」
「……せんせぇ、どくと、かいじょってなんですか?」
「毒とは……人体に悪影きy」
我輩がより詳細に説明しようとしたら、ダンに待ったをかけられるのである。
「センセイ、センセイ、嬢ちゃんにセンセイのしようとしてる説明は多分難しすぎるわ。もっと簡単に説明してやれよ」
ダンに言われて、我輩はミスに気付くのである。
「あぁ、そうであったな。サーシャ嬢、難しい言葉で説明しようとしてしまったのである。申し訳ないのである」
サーシャ嬢は、まだ幼いので言葉の意味がわからないことが多いのである。
なので、分かりやすいよう大まかに伝える必要があるのである。
だが、ここで意味を伝えるのは簡単であるのだが、これはサーシャ嬢の勉強なのである。
と、いうことで、我輩は問題形式にしようと思ったのである。
「サーシャ嬢、解毒の意味を考えるために、我輩の質問に答えて欲しいのである」
「??」
「答えをいうのは簡単であるが、勉強のために自分でも考えて欲しいのである」
「うん、わかった!」
サーシャ嬢が元気良く返事を返してきたので、我輩は早速質問を始めるのである。
「サーシャ嬢、毒の問題である。我輩は、兄君に解毒薬を飲ませているのである」
「うん、お兄ちゃん頑張って飲んでるよ」
「そうであるな、なんで飲まないといけないのであるか?」
我輩の質問に答えを一生懸命出そうと、うんうん言って頭を捻っているサーシャ嬢。
こういう風に素直に頑張っている姿を見ていると、教える、というのも悪くないと思うものである。
「お兄ちゃんの体が悪くなっちゃったから……?」
「そうであるな。その、兄君の体を悪くしていたものはなんであろうか」
「わかった! それがどくなんだ!」
「当たりである」
「やった!」
我輩に正解を告げられ、サーシャ嬢は跳び跳ねんばかりに喜びを表現するのである。
元気なのは良いことである。
「では、次は解除の問題である。体が元気になってきた、という事は、毒はどうなったと思うのであるか?」
「悪いのがなくなったから元気に……かいじょって、無くすってこと?」
「正解である。つまり、解毒とはどういうことであるか?」
「げどくって、どくをかいじょすること……体を悪くするものを無くすっていうことなの?」
「お見事である。ただ、本来はもう少しだけ複雑であるが、今はそのような感じで十分である」
「本当に?」
サーシャ嬢の言葉に、我輩は頷くことで肯定するのである。そうすると、サーシャ嬢は嬉しそうに作業を再開しに戻るのである。
あまり構成が曖昧過ぎると、融合作業や構築作業の際に、構成魔力が無駄に増えて作業の難易度が上がったり、余計な効果が生じてしまうのであるが、あれくらいの曖昧さであれば、毒消しの薬草であれば【解毒】の構成魔力しか反応しないし、品質的にも多少の影響があるくらいで済む筈である。
今は、構成が多少曖昧でも、できるものをきっちり作っていく。ということが大切なのではないか、サーシャ嬢にとって良いのではないか、と我輩は感じているのである。
そんなことを思っていると、
「センセイ、先生じゃないって言ってる癖に、いい先生っぷりじゃないか」
ダンが肩に手を置いて、ニヤニヤしてそういってきたのである。
この男は、我輩にいちいち絡まないと気が済まないのであろうか。
「ダンよ、貴様は我輩をからかっている遊んでいるのであるか?」
「そんなわけねぇだろって言えば、嘘になっちまうなぁ。でも、どちらかというと友情とか、尊敬の証みたいなもんだぜ」
「どこが尊敬しているのか、全くわからないのである」
「おぉ、そうかい? センセイ、俺のセンセイへの尊敬の念が全く届いてないと、そりゃ、ちゃんと説明しないとダメだな」
そういってダンは笑顔で我輩の肩を掴んだのである。
しまった、またもや嵌められたのである。
こうして我輩はダンの長話に、また付き合わされる羽目になってしまったのである。
絶対に、また実験に巻き込んでやるので覚えておくのである。
「夕飯♪ 夕飯♪」
「お兄ちゃん! お行儀悪いよ!」
「しょうがねぇじゃん! やっと普通のご飯が食べられるんだぜ!」
兄君が、食器が乗っている机を叩きながら歌っているのを、サーシャ嬢が窘めているのである。
しかし、兄君は完全に浮かれていて、どこ吹く風なのである。
今日の昼過ぎから、ベッドから出ても良いであろうとダンが判断し、夕飯を一緒に取ることにしたのである。
ちなみに我輩はダンの長話で、ダンは我輩の実験と、サーシャ嬢があの後に完成させた解毒薬の効果実験の影響で、疲労困憊中なのである。
完成させたサーシャ嬢の薬は、品質が我輩のものの7割程度であったが、効果は構築作業時の状態を見る限り、しっかりあるはずである。
完成品をあえてダンに飲ませたのは、先程のダンに対するささやかな反撃である。
さらにサーシャ嬢の薬は、我輩の作製品よりも副作用は強く出ているようで、すこしばかり元に戻っていたダンの舌はよりバカになったようである。いい気味である。
それはともかく、思った以上に副作用が強く出ているのは、やはり構成魔力のイメージが大雑把ゆえなのであろうか。
その辺りもいずれ確認する必要があるのである。
そのようなことを考えていると、台所から一人の女性が出てくるのである。
動きやすいようにした緋色の短髪と、同じ色の大きくて、綺麗な瞳が特徴的な女性である。
彼女は、両手に料理を持ってこちらにやってきて、テキパキと料理を我輩たちの前に並べていくのである。
今朝、ダンが狩りで仕留めた獣の肉と、外で採れた野草や野菜を煮たスープが食欲を誘う、実に良い香りである。
それと、昨日仕留め獣の肉を一晩寝かせた物を、これまた外で採れたであろう香草と共に焼いたものが何とも野性的である。
「パンはもう少し待っててよ! 思ったより時間かかっちゃってるわね」
「気にしなくていいのである、アリッサ嬢」
我輩は、台所の方から声をかけて来る女性、アリッサ嬢に返事を返すのである。
アリッサ嬢は今日の夕方、つまり今から少し前にこちらに合流したのである。
最初は誰か分からず警戒していたサーシャ嬢と兄君であったが、ダンと我輩の仲間と知ると安心してくれたようである。
そして、
「アタシが合流した記念に、皆に歓迎の料理を振る舞うわ」
という、世話好きの彼女は、全くもってよくわからない理屈で台所へ行ってしまったのである。
そして、食料保管庫にある食材を物色し、足りないものは採ってきて今に至るというわけである。
「さぁ、全部用意できたよ」
皆の前にはおいしそうな料理が並んび、サーシャ嬢は目をキラキラさせているのである。
だが、兄君は何やら浮かない顔である。
「なぁ、アリッサ姉ちゃん。何で俺だけ粥とスープだけなの?」
「さっき、リーダーから聞いたけど、最近まで毒にやられてて、今日ベッドから出たばかりじゃないか。頭はご飯が食べれると思ってても、体が受け付けないよ」
「やっと、粥とスープじゃなくなったと思ったのになぁ……いただきます」
若干ふて腐れて兄君は食事を始めるのである。
まぁ、食べ盛りの子供なので、粥とスープのみで、数日間過ごすというのは苦痛であろう。
で、あるが、その苦痛もだいぶ和らぐことであろう。
「う……うめぇぇぇぇ!!」
兄君が、一口粥を口に入れた瞬間に、目を見開き叫ぶのである。
そう、アリッサ嬢は料理が上手なのである。
兄君は、ものすごい勢いで粥とスープを食べ進んでいき、さきほどまであった粥とスープがもうほとんどなくなっているのである。
よく見ると、他の者のスープに比べて、兄君のスープは食べやすく具材が細かく、そして柔らかく煮てあるようである。
さすがはアリッサ嬢である。
「まだいっぱいあるけど、一気に食べるならもうあげないよ。ちゃんと味わって食わないやつに食わせるご飯は無いからね」
「わかった!」
アリッサ嬢の言葉に兄君は元気良く頷くのである。
アリッサ嬢がそう注意をするのは、勢いよく一気に食べることにより食べ過ぎになってしまい、体に負担をかけたり体が重くなったりしないようにするためだと、以前アリッサ嬢から聞いたことがあるのである。
「本当に美味しいね、おねぇちゃん、お料理上手なんだね!」
「そうかい? そう言ってくれると嬉しいねぇ」
サーシャ嬢の言葉にアリッサ嬢は顔を綻ばせるのである。
アリッサ嬢は、サーシャ嬢を一目見たときから可愛いと言って気に入っているので、余計に褒められて嬉しいのであろうな。
「…本当は美味いんだろうけど、全く味がわかんねぇ…」
「何があったのさ、リーダー」
「センセイの実験に巻き込まれた」
「……ご愁傷様」
ダンは、解毒薬の副作用で舌がバカになっているのでアリッサ嬢の料理が味わえずに複雑な表情である。
いつも無駄に我輩に絡んで来るから天罰がくだったのである。
とはいえ、我輩もダンの長話にやられてしまってあまり量が食べられないのである。
この獣肉の焼いたものはとても肉汁もあり、柔らかく、良い味なのであるが食べ切れそうにないので、食べ切れない分は、ダンに食べてもらうのである。
「ダンよ、我輩この一枚肉とても良い味わいであるのだが、量が多くて食べきれないのである。なので、きっとダンも好む味だと思うので、食べ切れない肉はダンに譲渡するのである。遠慮せずに食べてほしいのである」
我輩がそういうと、ピクッとした後ダンは食事の手を止め、こちらを見てきたのである。
何かを耐えているような気がするのである。
いったい何があったのであろう。
「センセイ、良い度胸してんじゃねぇか。今日の夜、まともに寝れると思うなよ」
「なぜ怒るのであるか、我輩の善意が伝わらないのであるか?」
「泣けるほど伝わってきてるよ、嬉しすぎるから、この感謝を明日の朝まで伝えなきゃいけねぇなぁ」
「それは大丈夫である。ダンの感謝は、胃に穴が開くほどに通じているのである」
「ひでぇなぁ、センセイ。まるで俺がセンセイにストレスを与えているようじゃねぇか」
「なぜそんなに絡んでくるのである。何か問題でもあったのであるか?」
「俺の舌が誰かさんの実験のせいで、バカになってるのを忘れてんじゃねぇのか?」
「サーs」
「お・ま・え・だ!」
そんな話を、目の前の料理を突つきながらしていると、我輩とダンの料理が目の前から全て消えたのである。
「あんたたち! アタシの料理をダシに遊んでんなら食わせないよ!」
アリッサ嬢に怒られ、我輩達は食事を取り上げられてしまうのである。
「ねぇ、おねぇちゃん。おじさんたち、ケンカしてたの?」
「ちがうよ、サーちゃん。あのバカ二人は、いつもああやってじゃれあってるの。バカは放っておいてご飯食べようね」
我輩たちのやり取りに、心配した表情のサーシャ嬢に優しい声であるのだが、内容は手厳しいことをいうアリッサ嬢である。
アリッサ嬢は、食事の行儀などにとても厳しいのを忘れていたのである。
「アリッサ姉ちゃん、もう少しだけ食べていい?」
「あぁ、それだけ元気があれば、普通に食べれるかなぁ? 食べかけだけど、この肉食うかい?」
「ほんと! 食べる食べる!」
その結果、我関せずでご飯に集中していた兄君のもとに、我輩の肉が旅立って行ったのである。
そのあと、アリッサ嬢の機嫌を直るまで我輩たちは食事を抜かれ、そのあと、食事をしている間、アリッサ嬢に説教され続けたのである。
その時食べた食事は、同じものであったはずであったが、何の味もしなかったのである。
台所の主の機嫌は、損ねてはいけないのである。




