ノヴァ殿の残したものである
我輩の名はアーノルド。自由気ままに生きる錬金術師である。
晴れやかな青空が広がる街道を、我輩達はのんびりと進むのである。
道行く者達はドランが牽く荷車を見て、ある者は驚きの表情を見せ、またある者は仲間や家族にその異様さを伝えに行くのである。
現在我輩達は東方都市を後にし、予定を変更して森の家へと帰る最中である。
「海に行けなくて申し訳ないのである」
「ううん、こんなにいっぱい色々もらっちゃったら、お家に置いておかないと悪くなっちゃうよ」
「そうだぜ。こんなに貰っちゃったのに悪くして食べれなくなったら、食材に呪われちゃうよ」
我輩の謝罪の言葉を笑って受け入れるサーシャ嬢とデルク坊である。
そう、我輩達の荷車には現在、大量の食材や素材で積み上がっているのである。
おかげで、我輩達は荷車に乗るのも一苦労であるし、あまり速度を出すこともできないのである。
一見どこにでもある光景であると思うのである。
だが、周囲の者達が何故驚いた様子を見せるかというと、本来であれば牽引用の家畜がいなければ牽引困難な量の荷車である。
それを、いくら膂力のありそうな獣人の血が濃く出ている容姿をしているとはいえ、人間が一人で荷車を牽いているからであろう。
「ミレイお姉ちゃん、本当に良いの?」
「当然だよ。それは、サーシャちゃんが使うべきものだよ」
サーシャ嬢は、何度目になる質問をミレイ女史にして、ミレイ女史は同じく何度目になる回答をするのである。
そんなサーシャ嬢は尋ねている言葉とは裏腹に、抱えている宝箱は誰にも渡さないかのようにしっかりと抱え込んでいるのである。
サーシャ嬢が抱えている宝箱の中身は、準魔法金製の容器が入っているのである。
そう、それは錬金術師の始祖であるノヴァ・アルケミスト殿が、アルケミー領で錬金術の研究を行っていたときに使用していた物なのであった。
「存外に大量であるな」
部屋の外から出た我輩達は、ロビーに積み上げられた大量の食材や素材を見ているのである。
おそらく荷車の積載量ギリギリと言ったところであろうか。
「アーノルドさんは薬膳料理に興味がおありだと領主様からお聞きしまして、そちらの食材を中心に集めてまいりました」
「おそらく錬金術の素材としての価値をお考えになったのではと思いましての。研究には大量の素材が必要というのは、祖先の日記から分かっておりますのでな」
「他の食材も、アリッサ様とドラン様が料理をされるので、東方地方では採れない野菜や肉を用意いたしました」
そう言って、目の前にいる三人は良い笑顔を浮かべているのである。
気持ちは嬉しいのであるが、薬一つでこの量はおかしすぎるのである。
同じ事をダンが思ったようで、三人に質問をするのである。
「それにしたって多すぎるだろ。この量は」
「そんなことはございません」
ダンの言葉に、若者がゆっくりと首を振るのである。
どうやら彼らは礼をするにあたり、信頼できる薬師に事を話し、薬のおおよその価値を調べていたようである。
その薬師は、深々とため息をつきながら、
<複数の中毒症状を同時に引き起こして複雑化したものを、瞬く間に治す薬。この世にそんなものが存在するならば、一本で金貨100枚では納まりますまい>
と答えたようである。
同時に、
<そのような薬があるなら是非私にも拝見せてもらいたいものですな>
とも言っていたようである。
そのようなわけで彼らは金貨100枚分の、各地方から流通されている珍しい食材と資材。
そして薬膳料理用の食材を集めてきたようである。
そう思っていたのであるが、
「実は、ここにある分は金貨40枚分くらいなのです」
「はい? そんなわけないでしょ。むしろ100枚じゃあたりないくらいじゃないのかい?」
「そこは、我々も商売人ですから」
「値切ったのかい……」
「お互いの利益になるような商売にしたつもりですよ。一方的な得は信用をなくしますからね」
どうやらここで行われた取引を、新しい商売や人脈作りに利用したようでもあるのである。
さすがは商業ギルドの元会長と、将来有望な若手職員といったところなのであろうか。
「それに、アーノルド様の性格からすると、錬金術に関係したものでないと受け取ってもらえないとのことでしたので」
「領主様に聞いたのかい?」
「いえ、リリー様に」
どうやら、昨日の時点で領主から報告を聞いていた彼らは、リリー嬢に接触して我輩の人となりを聞いていたようである。
いつの間にそんなことをしていたのであろうか?
我輩は、全く気付かなかったのである。
本当にリリー嬢はそういうところが上手いのである。
「後60枚分は、何か必要な物がございましたら便りを寄越していただければ、その都度用意できる物は用意して一代候爵様のお屋敷にお送りいたします」
「そこまでしないでもいいのであるが」
「これが我々の流儀ですので」
そう言われてしまうのであれば、受け入れるしかないのである。
我輩の常識とは違う常識が、彼らの世界にはあるのである。
「まぁ、この大量の食材や素材については理解するのであるが」
そう言って、我輩は少女が持っている宝箱に目を移すのである。
「さっき<アルケミスト様の想いを継ぐ者へ>とか言っていたって事は、こいつはノヴァさんの遺物か何かってことですかい?」
「そうです。こちらは、アルケミスト様が森へ戻る際に置いていった物でございます」
ドランの言葉を少女は肯定し、宝箱を開くのである。
そこには、金色に輝く容器があったのである。
「これは……」
「こちらは、アルケミスト様が領内で錬金術の研究をしていた時に使用しておりました、準魔法金製の容器でございます」
何度か失敗した際の魔力暴発の煽りを受けた跡であろうか、所々傷が付いているものの、使用には特に問題のなさそうな状態を維持しているのである。
「こんなものがなんで残っているんですか? たしか、魔法金属製の容器は全部接収されたと先程元会長さんがおっしゃっていましたが」
「その通りですな。ただ、接収されたのは出回っていた容器でしてな。アルケミスト様は別の場所に専用の研究室を構えておりまして、そちらの方には知られることがなかったので事なきを得たのですな」
なんとも運の良いことなのである。
そのあとノヴァ殿は、この容器を用いて様々な研究を行い、そして準魔法銀の釜を作製して森へと戻って行ったのであろう。
「なんでノヴァさんはこの容器を持って森へ帰らなかったんだろうな」
「その容器は、人間の土地にいた時のことを思い出して辛くなっちゃうから置いていくって、ひいばあちゃんが見送りに来た人に言ったんだってさ」
ダンの質問にデルク坊が答えるのである。
二人は若者とともに当時の日記や文献などを見ていたので、その辺りのことも見ていたのであろう。
「あぁ、なるほどな。センセイには絶対理解できない繊細な感情だな」
「失礼な……」
「わかるのか?」
「…………」
「図星じゃねぇかよ」
ニヤニヤと笑いながら、ダンは我輩に自慢気に話しかけて来るのである。
確かに、我輩には理解できない心境ではあるのであるが、だからと言ってそんなことをいちいち我輩に絡めて来る必要は全くないと思うのである。
本当に失礼な男なのである。
なので、辺境へ戻ったら奴に、障壁石で動きを封じた状態での煙幕効果実験体1号という名誉を与えてやるのである。
覚えておくのである。
「そういうわけでして、この容器は錬金術師の方がいつか我々の元へとやってくることがあったら、お渡ししようと代々引き継いで来たのです」
「ですから、どうがお受け取りいただけないでしょうか」
「きっと、アルケミスト様もお喜びになると思います」
御老体と兄妹が、こちらに容器の入った宝箱を寄越すのである。
ノヴァ殿の使っていた魔法金属の容器。
それは、錬金術で意思を継ぐ者へと渡るものである。
それを貰うのは我輩ではないのである。
「サーシャ嬢、受けとるのである」
「え? 良いの?」
驚きこちらを見るサーシャ嬢に、我輩とミレイ女史が頷くのである。
「それはノヴァ様が使っていた物でしょ? だったら、血縁のサーシャちゃんが持っているのが一番よ」
「そうであるな。サーシャ嬢がそれを使い、ノヴァ殿の願いを我輩達と一緒に叶えるのである」
我輩達の言葉を聞き、サーシャ嬢は暫く何かを考えていたようであるが大きく頷き、宝箱を受けとるのである。
「大事な物をありがとうございます。ひいおばあちゃんのような、りっぱなれんきんじゅつしに私はなります!」
「こちらこそ。アルケミスト様の御子孫殿にアルケミスト様の残した物を渡すことができて、我々も代々受け継いできた甲斐があったというものです」
「我が一族は今までも、これからもアルケミー伯爵様、アルケミスト様に忠誠を誓いつづけます」
「それはサーシャ様、デルク様。お二人の子孫であるあなたたちに忠誠を誓うのと同義でございます」
御老体と兄妹がサーシャ嬢とデルク坊に向かい膝を付き、頭を垂れるのである。
「え? え?」
「な、何? 急に何?」
当然、サーシャ嬢とデルク坊は急な出来事に混乱するのである。
「御老体、二人はそんな堅苦しいものは望んでいないのである」
「そもそも、森の民のこいつらにはそんな文化がないからな。困るだけだぜ」
「そうそう。もう少し肩の力を抜きなよ」
「そんなことをするために、わざわざ屋敷の連中を遠ざけてたんですかい。しょうもない連中ですなぁ」
「いくら主君の末裔とはいえ、二人は貴族ではないですし、あなたたちだって今は平民ですよ」
「デルク君達が困ってますよ。普通にしてあげてください」
若干呆れた様子の我輩達にそういわれ、多少ばつが悪そうに三人は立ち上がるのである。
「申し訳ございません。感極まってしまい、つい」
「先祖数百年の悲願が叶ったと……興奮してしまいました」
「冷静さを失ってしまいました、商売人として精進が足りないですね」
そう言って三人苦笑いするのであった。
そんなわけで我輩達は大量の食材・資材とノヴァ殿の残した準魔法金の容器を貰い、屋敷を出たのであるが、出る際に、
「そうそう、良かったら研究に使うと良いのである」
といって、手持ちの薬を全種類と、使用している素材を書いた紙を御老体に渡したのであった。
彼らが信頼しているということは、おそらく優秀な薬師の筈なのである。
錬金術で作った薬であっても、その素材や特性などから何か着想を得て、薬学の発展に役立ててくれる筈である。
こうして、我輩達は東方都市をあとにしたのである。
「おじさん」
「なんであるか?」
東方都市の出来事を思い出していた我輩に、サーシャ嬢が話しかけて来るのである。
「今回のお出かけもすごく楽しかったよ」
「そうであるか。それは良かったのである」
我輩達の会話に、近くにいたデルク坊も混ざるのである。
「おっちゃん、来年も料理大会出ような」
「デルク坊も楽しそうでなりよりである」
「おれも、来年は料理大会に出展しようかなぁ」
「で、あれば、あの野菜を使った料理でも出したらどうであろうか」
「あ、良いね! でも、そうすると、食べたくなっちゃうなぁ……」
本気で悩み出すデルク坊に、我輩とサーシャ嬢は困ったような笑いを浮かべるのである。
「お兄ちゃんは、出展しないほうが良いね」
「そうであるな」
「おじさん」
「なんであるか?」
少し間を置き、サーシャ嬢は話し出すのである。
「私、一回集落に戻りたい」
「フィーネ嬢の曾祖母殿に話すのであるか?」
「うん」
「では、森の家に戻ったら会いに行くのである」
「いいの?」
「我輩もそうした方がいいと思うのである」
「ありがとう、おじさん」
こうして我輩達を乗せた荷車はゆっくりと辺境へ、森の家へと戻るのであった。




