遊びの終わり
俺の名はダン。帝国で二人しかいない現役特Aクラスの探検家だ。
集落を襲ってきた蛇の魔物を全て駆除し、薬などの保管所の防衛も何とかすることが出来た俺は、まだまともに動けそうな獣人達に居住区で生き残っている獣人達を一カ所にまとめて治療を開始してもらう。その間に俺は、持てるだけの薬を持って外の様子を見に行く事にする。
居住区の入口から地上に上がると、辺りはしんと静まり返っている。木の上を見ると何かを観察するかのようにこちらを見ていた猿の魔獣の姿は既にいなくなっている。少し探るが、俺の分かる範囲にはやつらの気配は無い。おそらく撤退したのだろう。
辺りを見渡しても、そこにあるのは元は蛇の魔物であった残骸と、致命傷を負ったり毒が回ってしまったのだろう、事切れてしまった獣人達の死体や、そこがドラン達の防衛ラインだったのだろう。数匹の猿の魔獣や蛇の魔物の死骸があるのみだった。
一見どこかへ獣人を引き連れて逃げたように見えるが、俺には魔獣達の死骸がある辺りに大量の気配を感じることが出来ている。予定通りパットンの魔法が発動しているらしい。
何とか魔獣の襲撃を撃退することはできたようだ。俺は気配のする位置へと歩いていく。
俺が近づいていくとドラン達の姿が徐々に現れる。誰かが俺に気付いたのだろう。
「ドラン、薬だ」
「助かります。こっちで持っていた分はもう終わっちまったもんで」
周りを見ると、誰かしらキズいらずを貼ったり傷薬を塗ったりして怪我を治療している。その中で魔法を用いて特殊な治療活動を行っているのはクリスだ。
「大丈夫だからね。完璧に元に戻すのは無理だけど、できる限り元通りにするからね」
左足を失った子供の獣人に、複雑な魔法陣を描いて魔法を発動させる。すると、恐るべき速さで失っていた左足が再生していく。
いまクリスが使っているのは回復魔法なのだが、欠損部位の再生をするには、ものすごい細かい魔力制御と再生させる体への理解が不可欠だ。クリスは、獣人と出会って数日で彼らの体の構造などをほぼ把握してしまったということなのだろうか。
そして、それだけの実力を持っていることに、さすがはゴードンが推すだけのことはあるなと感心をする。
そんなことを思っているうちに、右足と同様の形状に左足が再生されていく。
「足が……」
みるみる再生していく足を見て、悲しみに沈んでいた獣人の子供は驚きの表情を見せる。
「しばらくの間は変な感じがすると思うけど、多分馴染むはずだから。ここまでしか治せなくてゴメンね」
だがその獣人とは対照的に、クリスの表情は晴れない。時間も限られている上に、獣人の体の構造を完全に理解しているわけではないので、自分が思うような形で魔法を発揮できていないからだろう。
それでも子供の足の再生が終了すると、クリスは笑顔で獣人の頭を一撫でし、また別の重傷者の元へと向かって行こうとする。が、それを獣人達が必死で止めている。
「人間殿! そこまでなさらなくて良いのだ! 魔法に疎い我々でも、いま使ってる魔法が物凄い魔法なのは十分分かるのだ! これ以上やったら人間殿が倒れるのだ!」
「ですが、薬では治療しきれない程の怪我をした人はまだたくさんいます。その人を治せるのは私だけなのです」
「人間殿! 人間殿!」
制止する獣人に優しく笑い、だが毅然とした態度で返事を返し、クリスは再度治療へと向かっていく。
こういうところもゴードンそっくりだな。
まだキズいらずが無かった頃、センセイの素材調達のために出向いた時に賊の襲撃にあった村に立ち寄った事があった。その時ゴードンは、今のクリスと同様に倒れるまで一人で延々と負傷者の治療を行いつづけていた。
その時と今で唯一違うのは、獣人達は無理をして顔色が悪くなってきているクリスを必死で止めているが、人間はそんなゴードンの状況など知らぬとばかりに治療を求めてきたということだ。
あの時、<力があるならば、弱者のために振るうのが当然だろう!>と子供を抱いた母親に言われたことは、思い出すといまだに複雑な気持ちになる。
余裕が無いときに力があるものがいるならば助けを求めたくなるのは当然ある。それは理解できる。
だが、だからと言ってそれを強制させることは間違っているとも思う。結局その時ゴードンはそういった声に応じ無理をした結果、丸二日昏睡することになる。しかも、当の母親含め、数多くの村人からはそれが当然とばかりの態度をされ、ゴードンの善意に対する感謝の言葉などは一つも無かった。俺を含め、あの時いたメンバーは全員やるせない気持ちになったことを覚えている。
本当に申し訳ないとは思ったが、倒れたゴードンを連れて村を離れるときに遠くから不穏な気配を感じたが、見て見ぬ振りをした。俺しか知らない黒い出来事だ。
ゴードンはそれを知ったら激怒しただろう。
センセイは、場合によったら理解するかもしれない。
陛下は、複雑な気持ちを抱えるだろう。
自分でそのことを思い出すと屑だなと思うこともある。
だが、仲間に力の行使を無理強いし、それに対しての感謝も無いような連中を助けたいとはその時どうしても思えなかった。
そんなことを思い出しながら、目の前にいる治療をしようとするクリスに、この程度は平気だから、人間殿はどうか少し休めと、せめて子供達の治療を優先させてくれと、この期に及んで強がりを見せる右腕を噛みちぎられている獣人を見ていると、ふつふつと湧いていた黒いもやもやが何となく消えていく気がした。
不謹慎だとは思うが、こいつらを助けに来て良かった。
俺はそう思いながら、傷ついてここまで動くことができない獣人達を回収するべく、動き出すのだった。
魔獣の襲撃から一夜明けた。俺達は襲撃の爪痕が残る居住区を片付け、生き残った獣人達が一応休めるだけの場所を確保すると、居住区入口すぐ近くの場所に夜営地を移していて順番に不寝番をこなしながら休んでいた。
クリスは限界を超えてまで治療を続けた結果、ゴードンと同じように糸が切れたように倒れてしまい今は居住区の一角で眠りつづけている。
今更後悔しても何の意味も無いが、変に遠慮や気を遣わずに、最初からここで夜営をしていれば今回のことは防げた筈だし、クリスもこんな状態にならなくて済んだ筈だ。本当に後悔してもしきれない。
「今回はなんとかなったが、状況は悪化の一途じゃの」
「地中に潜んでいる獣人達にとって、蛇の存在は最悪だからな」
「ここの集落を放棄して別の場所へ行くというのも難しいですね」
「獣人達も何度も集落を変える事になり、体力も精神も消耗が激しい上に、今回の襲撃だからな」
「まるで、遊んでいるのように獣人達をいたぶっている感じが腹立たしいですね」
ハーヴィーの言葉が、俺にすっと胸に入っていく。
そう、奴らは遊んでいる。肉食動物の子供が、狩りの練習でネズミやうさぎなどの小動物を死ぬまで弄ぶのと同じだ。
あいつらにとってはリスの獣人など、いつでも蹂躙できる弱い存在なのだろう。だから、いろいろ試して遊んでいる。ただ、それだけのために獣人達は苦しめられ続けている。
ただ、そのおかげで今まで生きながらえることができ、俺達が救援に間に合うこともできたわけだ。
そして……
「隊長?」
ふと気がつくと、ハーヴィーが怪訝そうにこちらを見ている。よく見るとハーヴィーだけでなくドランや爺さんまでこっちを見ている。考え事に夢中になって、話をまともに聞いていなかった。良くない傾向だな。
「悪い。考え事をしていて話に入ってなかったな。どうかしたか?」
「いえ、隊長の顔がどんどん険しくなっていったので、何かあったのかと思っただけです」
どうやら心配をかけさせてしまったようだ。悪いことをしちまったな。
「しかし、隊長はあんな隠し玉を持っていたんなら、もっと早く使えばよかったじゃないですか」
「馬鹿か、簡単に使うことができねぇから普段使わねぇんだよ」
「それに、獣人達の考えではないですが、それが当然だと思うと僕たちの甘えになりますよ」
「まぁ、そりゃそうですわな」
ドランは心なしか残念そうにしている。もしかしてこいつ、あの状態の俺ともやり合いたいと思っているのか?
「しかし、いずれにしても現状はものすごくひいき目に見ても厳しいままじゃの」
「はっきり言って蛇の魔物が向こうの手として存在した時点でこの集落は詰みですね」
「今回は隊長が強引にどうにかしたけれど、もう一度同じ事が起きたら防ぎきれるもんじゃないですわ」
ドラン達が言う通り、今獣人達は生き残ることはできているが、いつ滅んでも良い状態だ。
もしかしたら猿的には今回で終わらせるつもりだったのかもしれない。
俺達というイレギュラーの存在で目論見が外れたが、数に任せてもう一度襲撃されたら防ぎきれるものではない。
そんなことを思っていた矢先のことだった。
「パットン、入口を中心に認識疎外の魔法を張ってくれ」
「ダン?」
「ドラン、荷車を用意しておけ」
「どうした……」
俺の声に、爺さんが何事か尋ねようとしたが、爺さんにも何が起きているか分かったようだ。
「まさか?」
「まじっすか……」
俺は深いため息をつくと、重い体を動かして立ち上がる。
「お客さんが大量にやってくるぞ。俺は限界まで歓迎するが、お前達はどうする?」
「その言い方は卑怯ですよ、隊長がお客さんを歓迎するのに僕らが歓迎しないわけにはいかないでしょ」
「はっはっは。手持ちの棒菓子で泣いて喜ぶほどもてなしてやりますぜ」
「探検家じゃったら自分の命を優先させるもんじゃがの」
「じゃあ、爺さんは下がるか?」
「馬鹿言うでない。盛大に歓迎してやるわい。見立てではもうそろそろなのじゃろ?」
「まぁな。後少しの辛抱だから一踏ん張り頼むぜ」
数日前、夜にやって来た獣人には森の民の集落への人材派遣を要請してもらいに向かってもらっていいる。
俺の予想では、何事も無ければそろそろ森の民とともにやってくるはずだ。
ただ、途中でアクシデントがあったり予想に反して森の民の協力が得られなかったら終わりだ。
そのことも考えて、ドランには前もって荷車を用意してもらう。
「すまんの」
「あ? どうかしたか?」
魔獣共の襲来を待っていると、ふと爺さんが俺に話しかけてきた。
「儂が焚き付けなかったらこんなことにはならんかったじゃろ」
何事かと思ったが、どうやらこの状況に遭遇させてしまったことに対して責任を感じているようだった。
「今更な話だし、むしろセンセイを置いて行けただけマシだな」
運よく今回はセンセイには爺さんの願いを叶えるという他にやることがあったから別行動という形を取って置いていくことができたが、そうでなければきっと率先して助けに来ていただろう。そうしたらよりきつい状況で昨日の戦いをしなければいけなかったし、俺も獣人の救助に集中することはできなかったかもしれない。
森の深部の厳しさも体験することもできた。これで獣人達を守りきることさえできれば何も文句はない。
遅かれ早かれこんなことになる筈だしな。
「そうか、すまんの」
「悪いと思うなら、死ぬなよ」
「なっはっは……了解じゃわい」
爺さんが珍しく殊勝に人の話を聞いている。今度帝都に戻ったら所長に話してやろうと思う。
そのためにも、そろそろ到着する御迷惑な団体様を、できる限り盛大にお出迎えしてこの世から退場してもらわないとな。




