サーシャ嬢、ダンとの話である
我輩の名はアーノルド。帝国唯一無二の錬金術師であった。
さて、サーシャ嬢はどこに行ったであろうか。
いくらか素直になって、泣いている兄君のことはダンに任せて、我輩はサーシャ嬢を探しに行くことにしたのである。
玄関のドアを開ける音はしなかったので、家の中を探していればそのうち見つかるのである。
手始めに隣にあるサーシャ嬢の部屋を探してみたのであるが見つけることはできなかったので、とりあえず下の階に下りるのである。
一階に降り、台所・居間と探してみるのであるが、やはりいないのである。
次に工房へ足を運ぶと、角の方で膝を抱え、小さくなって座っているサーシャ嬢を発見したのである。
「ここにいたのであるか」
「………」
我輩は声をかけるが、サーシャ嬢は反応をしてくれないのである。
困ったのである。子供の扱いなどわからないのである。
「兄君も、サーシャ嬢に謝りたいと言ってるのである。部屋に戻るのである。」
「……いや」
サーシャ嬢は、絶対行きたくないとばかりにさらに体を小さくして角の方へ行こうとするのである。
それほど、悲しかったということなのであろう。
「兄君はちゃんと、サーシャ嬢の頑張りや気持ちは、分かってくれているのである」
「でも、死んだ方がマシって言った……」
「確かにあれは兄君の失言であるな。兄君を治そうと必死であった、サーシャ嬢の尊い気持ちを踏みにじる発言であったな。ダンが珍しく怒っていたのである」
「……」
サーシャ嬢は、我輩の言葉に拒否の反応を示していないと思われたので、我輩はさらに言葉を重ねるのである。
「兄君は、助けようとしたサーシャ嬢に怒ったのでは無くて、苦い薬を作ってきた我輩に文句を言いたかっただけである。サーシャ嬢が我輩達を庇ったから、八つ当たりしてしまっただけである。だから、ちゃんと分かってくれているのである」
「違うの」
今度は首を小さく横に振るのである。
「何が違うのであろうか」
「……私は、妹だもん。いつも、お兄ちゃんに助けてもらってるから、お兄ちゃんが痛かったりするなら私が助けるんだもん。だから、お兄ちゃんが嫌って言っても、苦しくなってたお兄ちゃんを助けるために、頑張るのは普通だもん」
サーシャ嬢はそう言って、ずりずり体をこちらにを向けたのである。
話を聞く限り、今は子供2人きりでの生活のようである。
と、いう事は、兄君がいつも狩りや採取を請け負い、サーシャ嬢は帰ってきた兄君の治療などを担当してきたのであろう。
「だけど……。おじさん達、知らない人なのに、私が助けてって言ったら……、すぐに助けに来てくれて……。いっぱい頑張ったのに……。お兄ちゃんに、ひどいこといわれて……。すごく頑張ったのに……。おじさん達、かわいそうだよ……かわいそうだよぉ……! うあああぁぁぁぁ……!」
サーシャ嬢は、こっちを見てそう言うのである。
涙が止まらないくらい流れているのである。
自分の方が酷いこと言われているのに、他人である我輩達の気持ちを思って泣いているのである。
こんな小さな子供であるのに、我輩よりはるかに大人である。
そんなサーシャ嬢を見ていたら、自分でも驚きなのであるが、無意識に彼女の頭を撫でていたのである。
我輩は馴れていない手つきで、ぎこちなく頭を撫でていたのであるが、サーシャ嬢はそんな我輩の所作でもどうやら落ち着くのか、しばらくすると泣き止むのである。
なので、我輩も話をすることにしたのである。
「我輩もダンも、そういうことに慣れているので、全然気にしてないのである。今回に関しては、相当文句を言われることは想定内である」
「でも……」
「それに、である」
サーシャ嬢は、言葉を切った我輩にどうしたの? と、いわんばかりの表情を浮かべるのである。
我輩は、そんなサーシャ嬢を真っ直ぐに見つめ、サーシャ嬢に自分の信念を、生き方を言葉にするのである。
「助けを求める全ての者の思いを叶える力として錬金術は行使されるものなのである」
この言葉は、我輩が陛下から錬金術の研究を任された時に言われた言葉であり、共有した理念であり、我輩の信念であり生き方でもあるのである。
我輩達が定めた全ての者の中には、当然、人間以外の亜人種も含まれているのである。
なので、目の前で助けを求めてきたサーシャ嬢を助けることは当然のことなのである。
もちろん、何でも助けていくわけではなく、助けるかどうかのというのは、陛下と我輩の価値基準に準じるという方針が定められているのである。
なので、その他の研究所と比べると、相当自由にいろいろできたと思うのである。
「だから、兄君の体を治したいと願うサーシャ嬢のことを、助けようと思った我輩が頑張るのは当然なのである」
ダンは見事に巻き込まれたのであるが、きっと同じ気持ちであったであろう。
「お兄ちゃんのこと、怒ってないの?」
「何を怒ることがあるのであろうか。むしろ、ちょっと悪いことをしたと思っているくらいなのである」
「悪いこと?」
「そうである。我輩が思っていたよりも大分薬が苦かったようである」
実は兄君が気絶してる間に、余っていた材料で解毒薬を作製して、飲んでみたのである。
予想以上に濃い苦みが数秒続いてから消えていったのである。
おそらくであるが、短い時間で効果を出すので副作用である苦みも一気に現れるたのであろう。
つまり、我輩が1・2日舌がバカになると想定していた苦みが、数秒間から数十秒分に凝縮されたということである。
言い過ぎだとは思うのであるが、苦みが嫌いな子供でなくとも、死んだ方がマシだ、と言ってしまう気持ちもわからないではないのである。
知らなかったとは言え、悪いことをしたのである。
「そうだったんだ……無理矢理飲ませた私も悪かったのかな」
「誰もわからなかったから、仕方がないのである。ただ、次からは無理矢理ではなく、ゆっくり飲ませてあげるといいのである」
「うん。……センセイのおじさん。おじさんは、いい魔法使いさんなんだね」
サーシャ嬢は立ち上がって、我輩に抱き着いてきたのである。
何とも優しい気分になるものである。
子供ができるというのはこういう感じなのであろうか?
しかしサーシャ嬢、我輩はセンセイではないのである。
そう思った我輩は、訂正をするべく口を開くのである。
「1つ宜しいであるか、サーシャ嬢。我輩はセンセイという名でもなければ、魔法使いでもないのである」
「????」
不思議そうな顔をしてこちらを見上げるサーシャ嬢に、我輩は名乗りをあげるのである。
「我輩の名はアーノルド。帝国唯一無二の錬金術師であった、暇人である。さあ、二人が心配してると思うので、そろそろ戻るとするのである」
そう、我輩は、陛下とともに民の幸せを願った錬金術を、研究することも、行使することも叶わぬ、ただ毎日腐って生きている人間でしかないのである。
そう心の中で自嘲しつつ、サーシャ嬢を連れて兄君の部屋に戻るべく、移動を開始しようとするのと、
「ねぇ、アーノルドおじさん」
サーシャ嬢が我輩に話しかけるのである。
「何であるか?」
「おじさん、なんか、悲しそうだよ」
「悲しい……かもしれないであるな」
悲しい。
その言葉に反応したのか、サーシャ嬢は我輩と手を繋ぎ、ぎゅっと握るのである。
それはまるで、我輩を慰めているかのようであった。
我輩がサーシャ嬢を連れて部屋のドアを開けると、兄君とダンがこちらを見るのである。
サーシャ嬢を確認した兄君が、安心したような、でも申し訳なさそうな表情を見せて口を開くのである。
「サーシャ……、兄ちゃんのために頑張ってくれたのに、死んだ方がマシとか、頼んでないとか、酷いことたくさん言って……ごめんなさい」
「……うん。いいよ。私も、お兄ちゃんとの約束破って、一人でお外に出て心配させちゃって、ごめんなさい」
兄君からの謝罪の言葉を聞き、サーシャ嬢はそう返事を返すと兄君の近くへと行くのである。
「ううん。サーシャがおじさんたちを探してくれたから、兄ちゃんはサーシャとこうやってお話しできるんだ。だから、ありがとう」
「うん」
「でも、お外の人は、みんな優しい人ばかりじゃないんだ」
「でも……」
そう言って、サーシャ嬢は我輩達を見るのである。
我輩達は違うと言いたいのであろう。
「うん、おじちゃん達は悪い人じゃないけど、他の人はわからないから。兄ちゃんと、サーシャだって違うだろ?」
兄君の言葉に、サーシャ嬢は頷くのである。
「うん……わかった。気を付けるね」
どうやら兄妹仲直り、したようである。
「よかったのである」
「そうだな」
我輩達は二人の微笑ましい光景を少し離れたところから見守っているのでる。
するとダンが、我輩に質問をぶつけるのである。
「センセイ、これからどうするんだ?」
「一応、兄君がちゃんと動けるようになるまでは我輩達で、面倒を見るのである」
食料保管庫に残っていた食材も残りも2・3日分である。
念のために通常の解毒薬と、体力回復の薬を数日飲んでもらい、家の中で日常を過ごせるくらいになるまで数日。
落ちてしまった力を狩りができるくらいまで戻すには、さらに半月程度。
その間の食料確保と力作りはダンにしてもらうつもりであることを述べる。
「了解だ、で、センセイは?」
「兄君の状態が良くなるまでの間、空いている時間に書を読ませて貰えないか頼んでみるのである」
我輩の言葉に、意外、といった表情をダンが浮かべるのである。
「珍しく謙虚じゃないか、一体どうしたんだよ」
「珍しくもなにも、我輩は元から謙虚である。書を読ませてもらえれば、家に戻った後でも自力で魔法陣を書けるように練習できるのである」
我輩の返答に、ダンはますます驚きの色を濃くするのである。
一体どういう事であろうか。
「へぇ、変わったんだな……。俺はてっきりセンセイのことだから、<ここで研究がしたいのである!>とか言ってあの二人に頼み込むのかと思ったぜ」
ダンの中で、我輩はどれだけ自分勝手なのであろうか。
これは抗議をせざるを得ないのである。
「我輩は何も変わってないのである。そもそも、そこまでは厚かましくはないのである。ダンは、我輩をなんだと思っているのであるか」
我輩がそう言うと、ダンは一瞬考え込むような顔をしたのであるが、にやっと笑うのである。
「俺が、センセイをどう思ってるかって? なんだよ、忘れちまったのか。……しょうがねぇなあ、そこまで言うならとことん教えてやるよ」
しまったのである。
ダンの、文句から始まり、最終的には我輩の賞賛で終わるという、鬱憤晴らしの長話が始まりそうである。
我輩は、この長い話がとても苦手で、聞いている内に心がざわつくのである。
「いや、言葉のあやである。ちゃんと覚えているのである。別にそこまで望んでいるわけではないのである。無理することは……」
嫌な予感がした我輩は、どうにか逃れられないかと訂正を試みたのであるが、ダンは満面の笑みで我輩の肩を掴むのである。
「遠慮するなって、いくらでも教えてやるからさ」
「ならばダンよ、せめて手短でお願いするのである。いつもこの手の話になると、ダンの話は長いのである」
「おいおい、心外だなぁ。いつも俺はセンセイが困らないように、話を短くまとめてるんだぜ」
「既に困っているのである」
「フハッ、酷えなぁ」
絶対分かっていてやっているのであろう。
ダンのニヤニヤが止まらないのである。
ダンめ、覚えておくのである。
今は錬金術の研究ができない状態であるが、必ず実験に巻き込んでやるのである。
実は集落についてすぐの頃に、我輩は持ってきた残金のほとんどを渡し、集落の職人殿に劣化魔法鉄の大釜を注文しているのである。
ただ、まだ釜は完成しておらず、魔法陣もまともに書くことができなかった為、研究を断念することになったのであるが、書を見せてもらうことができれば、ようやく研究を再開できる目処が立つのである。
ダンに引きずられるように部屋の外へ移動させられ、もう逃げることは叶わないと覚悟した我輩は、せめてもの反撃を心に誓うのであった。
「ねぇ、おじさん」
「…だからな、センセイはもっと金の価値を考えて……ん? 嬢ちゃんどうした?」
部屋を移動してから始まったダンの話が、我輩が非常に頑固であるという話から、金銭管理が杜撰であるという話へ移行していたところに、我輩達を探していたサーシャ嬢が話しかけてきたのである。
助かったのである。
ダンにとっては、鬱憤晴らしのようなものであるので、他の話が始まれば解放されるのである。
「おじさん達、喧嘩してたの?」
「喧嘩じゃあねえよ。センセイがどれだけ素晴らしい人なのか教えてやってたんだよ。ボウズはどうした?」
「お兄ちゃんは、少しお話ししたら疲れちゃったみたいで寝ちゃったよ」
まあ、解毒直後であるので体力も落ちているのである。
当然と言えば当然である。
「おじさん、アーノルドおじさんの良いところたくさん知ってるんだね!」
「おう、良いところも悪いところもいっぱい知ってるぞ。今度話してやろうか」
「うん!聞きたい!」
ダンの長話癖を知らないサーシャ嬢は、ダンの話に興味を持ってしまったのである。
とても嬉しそうに飛び回っているのである。
しかし、まだ子供のサーシャ嬢にダンの長話はキツすぎるのである。
「やめるのである。サーシャ嬢、この男は無駄に話が長いのである。心が折られるのである」
「何言ってるんだ? 嬢ちゃん、面白い話たくさんあるから、寝る前とかに短く話してやるよ」
「うん、ありがとう!」
サーシャ嬢は満面の笑みである。
短くできるなら、我輩にもそうしてもらいたいのである。
「なんて顔してんだよ、センセイも寝る前に話してほしかったのか?」
「何が悲しくて、寝る前に自分の話を聞かねばならぬのであるか」
ダンの良い笑顔に、我輩は呆れるのである。
そんな我輩を、サーシャ嬢はなにか話したそうな様子で見つめているのである。
「サーシャ嬢、一体どうしたのであるか?」
「アーノルドおじさん、お願いがあるの」
「一体なんであるか?」
一瞬間が空いたあと、意を決した表情を浮かべてサーシャ嬢は、我輩にこう言ったのであった。
「私、おじさんの魔法を習いたい」