表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/25

六 旅人

 空があった。海は空の仲間だった。ぼくらは防波堤の上で、浮かぶように立っていた。


「大学生って暇なんですか」


 雲に向かって言った。


「そりゃ、社会人に比べたら暇でしょう。きみらと比べて、っていう話ならちょっと分からない」


 笹音さんは日傘を差した。当然ぼくはその陰に入れてもらえなかった。


「分からないって?」

「多分、一日の中でやらなきゃいけないことは中学生より多いんだと思う。大学の授業は夕方を過ぎてもあるし、サークルの練習はその後夜遅くまでやる。加えて日付を跨いでのバイト、飲み会。ああ、忙しい」


 その声が随分と芝居がかっていたものだから、ぼくは後に続く「でもね」という言葉を簡単に予想できた。


「でもね、あたしは今の方が余裕あると思う。それはきっと、自分の時間を自分で自由に使えるようになったから。受ける授業も、入るサークルも、優先すべき用事も、自分で決める。勝手に休み時間を作れる。そういう意味では、大学生は暇かな」

「ぼくが訊きたかったのは――」

「一日で全部話そうと思えばできたのに、何でわざわざ四回にも分けて会ったのか、ってことでしょ」


 分かっていたのか。ぼくは思わず口をぽかんと開けてしまった。


「あたしにも郷愁の思いはあるんだよ。だから、きみが訪ねてくれるって知ったとき、ちょっとわくわくした。二度と稲無田には帰れないあたしだから、きみから色々聞いて当時の思い出に浸ろうと思ったんだ。ごめんね。楽しかったよ」


 そのときぼくには全てが見えた気がした。ぼくらを包むこの空と海との全てが。そして無意識に呟いていた。


「行かないで」


 珍しく、笹音さんが驚いた顔を浮かべていた。それに気付いてぼくは意識を再び自分へと振り向けた。びっくりした。ぼくは泣いていた。


 どうしてだろう。羊子が死んだときにも、念夫が眼の前で殺されたときにも、涙なんて出なかったのに、こんな何でもないような場面で、どうして。


「何言ってるの。ここを去るのはきみの方でしょ」


 笹音さんは笑顔を取り戻した。もう触れることは叶わない笑顔だった。額縁に入れてガラス越しに眺めたいと思った。


「旅人は帰らなきゃ」


 笹音さんの声は波に反射して煌めいた。


 陽岸は雲の上の街だった。あらゆる建物は透明で、よくカットされたエメラルドみたいに綺麗だった。夏は涼しかった。肌は乾いていた。砂はどこまでもさらさらと流れた……。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ