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四 怪談

 公園に近づくにつれ、嫌な予感がしてきた。いつもより混雑した通り。浴衣を着た人々。どこからか流れてくる音頭。


「盆踊りだなんて聞いていませんよ」


 笹音さんに会って、開口一番に言った。笹音さんは「言わなかったっけ」とにこにこするだけだった。


 ともあれ、公園に自転車を止められないので駅の駐輪場へ向かった。


 自転車を押しながら歩いている途中、ずっと笹音さんのことを見ていた。違和感があるのだ。何かが足りないような。何かを忘れているような……。短パン。ポロシャツ。


「浴衣じゃないんですね」


 これだ、と合点がいくと同時に口走った。それを聞いた笹音さんは珍しく苦笑いを浮かべた。


「そんなに浮かれてないよ」

「浴衣を着るって、浮かれてるってことなんですか」

「そういうわけでもないけど……」


 そこで会話が途切れたので、ぼくは下を向いた。


「浴衣について、何か思い当たる節でも?」


 そう笹音さんが話を蒸し返してきたのは意外だった。


「『彼女』と夏祭りに行ったんです。向こうは浴衣を着てきました」

「浮かれてたんだね」

「そうなのかな」

「可愛かった?」


 ぼくは黙り込んだ。答えるのが恥ずかしかったわけじゃない。あの日の気持ちはぼくだけのものにしておきたかったから。


 自転車を置いて公園へと戻る途中の下り坂では笹音さんがぼくの三歩前を歩いた。追いつこうとすると早足になるから、どうもわざとやっているらしい。


「これからきみと盆踊り会場に向かうけれど」


 笹音さんはこっちを見ないで話すものだから、声は壁越しのようにくぐもっている。


「そこでひとつ怪談を語ろう。こんな蒸し暑い夏の夜にはぴったりでしょ」


 やっぱりマイペースな人だ、と、そのときはため息をつくだけだった。


 広場の中央には櫓が組まれ、その上で太鼓が鳴り響き、人々は輪を作ってスピーカーから流れてくる音楽に合わせて踊っていた。ぼくらは公園を囲う屋台に沿って歩き、座れるところを探した。途中で笹音さんがラムネを買ってくれた。最終的に、広場からは少し離れた噴水の縁が空いていたので、そこに腰を落ち着けた。


 ラムネの瓶を天に透かしてみる。


「どうしたの」


 笹音さんは尋ねるとすぐに自分のラムネに口をつけた。微かにビー玉の転がる音がした。


「陽岸はいいところだなあって。お洒落な街並み、綺麗な公園。そして何より海がある。夏の高級デパートみたいだ」

「不思議なことを言うね」


 またビー玉の透明な響きが聞こえた。


「稲無田って地名の由来、知ってる?」


 唐突な質問。ぼくは首を横に振った。


「昔、どれくらい昔かは分からないけれど、とにかく昔、あのあたりは素朴に清村と呼ばれていたんだって。今で言う稲無田湧水の恩恵を受け、人々は稲作や畑作を営み暮らしていた」


 清村。ぼくがその名前を知らないというのは変な話だった。「彼女」は稲無田の地についてのことなら何でも話した。それを何年も聞いていたぼくが知らないなんて。


「ある日、これもいつかは分からないけれど、とにかくある日、村に二人の他所者がやってきた。大男とその娘。彼らは元いた土地を追われたさすらい人で、村に定住させてほしいと言った。村人はいい顔をしなかった。もともと閉鎖的な村だったというのもあるけど、娘に奇形があるのを気味悪がったんだ。娘は左手の指が四本しかなかった」


 噴水が止まった。公園の空に掲げられた時計の針は六時を指している。いつもならまだ薄暗い程度の時間帯だが、盆踊りの明かりはむしろ夜を強調した。


「それでも男は人の倍の力仕事をこなしたので、村人は渋々二人の居住を認めた。彼らは村人との間に距離を感じながらも、しばし穏やかな日々を過ごした。ところがあるとき、村で疫病が流行した。病は悪質なもので、何人もの村人が死んでいった。そして娘の父親も病に侵されて死んだ。不安と猜疑心が募り、村人たちはいつしか噂するようになった。他所者が病を持ち込んだのではないか。指の足りない娘。あれは病を運んで村人を殺し、自分の父親までも死に至らしめた汚らわしい魔の物ではないのか。そうしてある日、村人の一人が娘に衝動的に殴りかかると、ヒステリーは伝染した。村人たちは泣き叫んで逃げる娘を追い立てて、村の外れの雑木林で惨殺した」


 そこで笹音さんは語りを止めた。ぼくは既にラムネを飲み干してしまっていた。


 しばらく聞き続けていると、音頭も太鼓も静寂と変わらないように思える。


「それ、怪談というよりただのむごい話です」

「むごい、ね。そうだと思うよ」


 笹音さんは低い声で応えた。


「怪談はこれから。当然、娘を殺しても病は治まらなかった。それどころかその年から凶作が相次ぎ、飢餓と病で村の人口は激減した。そんな中、ある村人が言った。林で娘の姿を見たと。噂はたちまち広まり、それから娘の幽霊の目撃談が相次いだ。こうなると、彼らの考えが行きつくところはひとつ。これはあのとき殺した娘の祟りだ。そう思わざるを得なかった。村人たちは娘が殺された林、現在の泣林に祠を立て、神として祀ることで娘への贖罪とした」

「でも何も変わらなかった」


 急にぼくが口を挟んだので、笹音さんは目をビー玉のように丸くしてこちらを見た。


 ぼくは続けた。


「祠を作るなんてことが何の贖いにもなっていないって、村人たちにも分かっていた。彼女は殺されたんだから。そのいのちはもう取り返しがつかないんだから。奪われたいのちの代償として捧げるに足るもの、それは同じく人のいのちだ。いつしかその村には生贄の慣習ができていた」

「そうだね。そうして生まれた信仰と生贄の儀を中心として村は再構築され、あるとき、稲無田という名前に変わった。稲の無い田圃。信仰の発端となった悲劇を刻む、戒めの名だった」


 話が終わって、しばらくぼくは歯を強く食いしばっていた。瓶を握る手にも力が入る。そうしているうちに、胸の内から熱い言葉が込み上げてきた。


「『彼女』が可哀想だ」


 足下に向かって叫んだが、声はすぐに喧騒にかき消された。


「『彼女』は稲無田が好きだと言っていた。自分を受け容れるどころか殺したあの土地を、好きだって。それで何百年も縛られているなんて」

「きみの同情は正しくない」

「どういう意味ですか」


 思わず、立ち上がって笹音さんの方に向き直った。笹音さんはひどく冷静な顔をしていた。


「最初に言った通り、これはひとつの怪談。あたしが稲無田を去る少し前にササメが語った物語。きみの大切な『彼女』の身の上話なんかじゃない」

「笹音さんは『彼女』に対して何も思わないんですか」

「悪いことをしたとは思うよ。あの子は人を殺さずにはいられない存在で、あたしはその人殺しの力を受け容れられなかった。それなのに、友だちになれるだなんてあたしは根拠もなく思っていて、結果、きっとあの子を傷つけた」


 何も言葉が出てこなかった。それでも、何か尋ねなきゃ、という気持ちがぼくを支配していた。


「『彼女』は、なぜそのことをあなたに話したんでしょうか?」

 

 ようやく出てきた質問がそれだった。笹音さんは、そんなことは考えたこともなかった、というような顔をした。そして、しばらく黙ったのち、答えた。

 

「分からない。ただ、特に深刻そうに言われたわけでもないとは記憶している」

「それまで『彼女』は、その話を隠していたんじゃないでしょうか。それでも、笹音さんは友だちだと思ったから、本当のことは全部知ってもらいたいって思って、話すことに決めたんじゃないでしょうか。そして、話した矢先にあなたはいなくなってしまった」

「土地のことって話ならそうかもね。昔殺された少女の話は稲無田にとって汚点だった。それを知ったらあたしがあの土地のことを嫌いになってしまうかもしれない。そういう危惧は理解できるよ」

「ぼくはやっぱり、『彼女』は自分のことを語ったんだと思います。だって、『彼女』は『ササメ』とあなたに名乗ったのだから。ぼくには名乗らなかったのに。『ササメ』は人間の名前です。きっと、殺された少女の名前が『ササメ』だったんです」

「そうだとすると、あの子は思い違いをしていたんだね」


 ぼくはそれ以上言葉を継ぎ足せなかった。頭も熱くなって、思考も紡げなくなっていると、それまでは気にならなかった音頭が急に意識に上ってきた。そういえば、この公園は海のすぐ近くだっけ。夏祭りというと、やっぱり稲無田のイメージが強いから、木々に囲まれた薄暗いところで窮屈にやっている印象があった。こんなに爽やかな感じは初めてかもしれない……。


「献くんはいつ稲無田に帰るの?」


 笹音さんの声で、自分がぼうっとしていたことに気づいた。すっかり頭が回らなくなっているらしい。


「十七日の昼に出発します」

「じゃあその前日にでも、もう一度会えないかな」

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