変わり種銃シリーズその2・ミニエー銃
ライフルという言葉は今では当たり前の用に使われており、歩兵が主力として使う自動式、もしくは何らかの動作を行う手動式連発型銃というイメージがあります。
が、ライフルとは、そもそも銃身内部に線条と呼ばれるネジのような溝を彫り込むことで弾頭に回転を加え、初速を若干犠牲にする(線条で摩擦を加えられるので必然と若干遅くなる)代わりに弓矢の矢羽の用に回転を与え、貫通力と射程向上、命中率向上を狙った物です。
故に私達が拳銃、ピストル、ハンドガンなどと呼んでいる物も銃身内部に線条を刻み込んでいるのでライフルというべきでしょうか?
さて、ライフルの構造の原理を説明しましたが、実は銃身に線条を加えたマスケット銃も存在はしています。
これをミニエー銃といい、別の呼び名はライフルドマスケット銃と呼んでいます。
ミニエー銃は1849年にフランス陸軍のクロード・エティエンヌ・ミニエー大尉によって開発された物です。
従来のマスケット銃の1つ、ゲーベル銃にライフリングを刻み込んで弾頭の回転を促し、結果として命中率を上げる。コレ自体はマスケットの銃身を改造して完成していたそうです。
しかし、時代を先取りしすぎていたがために弾頭の方が追いついていなかった。
それまでの従来の弾頭はいわゆる鉛の塊の丸い玉、しかもベアリングみたいに研磨されて重心の偏りとかを無くした物ではなく、ただ単に型に溶かした鉛を流し込み、たい焼きの用に挟み込んだ程度の粗悪な作り。
結果として弾は大きさが小さかったり、形状が悪いとバランスが取れていない弾なのでマスケット式銃でなければ先ず使い物にならないでしょう。(実際、大東亜戦争で男が徴兵されて技術者がいなくなったら弾丸の弾頭の研磨を小学生がするという奉仕活動が行われていました。本来、弾丸の弾頭は精密に研磨されないと行けないものです。銃弾を研磨しすぎると銃身のライフリングより小さい物を使いますから命中率が落ちます。大きいものだと最悪暴発、良くて銃身のライフリングが激しく摩耗して部品交換の頻度がアップしたりします。というか、そもそも当時の最強のチート国家と言うべきアメリカ相手に良く一撃を加えることできたと思いますよ)
その為、ミニエー銃では1836年にイギリスが支配していた南インドの原住民の吹き矢の技術にヒントを得たイギリス陸軍のジョン・ノートン大尉が考案したドングリの形に作られた椎の実弾を更に改良して溝を彫り込んだ専用弾、ミニエー弾を開発しました。
ミニエー弾は弾頭形状の特徴として弾頭後部に吹き矢から発展した凹型のガスを受け止める場所を設けることで発射される際のガスで弾頭が膨らんで銃身に密着、まるで吹き矢の用にガスがより強力で押し出され、結果として命中率、射程距離は向上。しかも装填前のミニエー弾は銃口に比べ、小型で装填のしやすさも向上。
その結果、派生型の銃が考案され、イギリスはエンフィールド銃と椎の実弾を量産、アメリカの南北戦争では南軍が採用。アメリカはスプリングフィールド兵器廠で作られたスプリングフィールド銃が南北戦争のときに北軍で採用されました。
ちなみに日本でのミニエー銃に関する逸話としては幕末、1864年に幕府がオランダでライセンス生産されたミニエー銃を購入するも、ちょうどアメリカ南北戦争の終結に伴い、エンフィールド銃が大量に流れ、椎の実弾が大量に使われました。
その為、倒幕派、幕府側、共に主力火器はエンフィールド銃主体でした。
また、かの坂本龍馬の逸話にはミニエー銃400丁を調達するも積載していた、いろは丸が紀州藩の船と衝突、轟沈するも、そのいろは丸の残骸周辺からはミニエー銃が見つかっていない。
また幕府が導入した際には当時、翻訳を担当していた福沢諭吉にイギリスから入手したマニュアルを翻訳させ、雷銃操法としてまとめられ、後に福沢全集という本のセットに記載されました。
銃身にライフリングを生み出し、専用弾の採用という歴史に名を残すマスケット銃でした。
前装単発式としてほぼ完成度の高い銃です。
後は連発機能が求められていきました。