銃の歴史2・発火システムの変化
銃の歴史はこの発火システムの進化が基本となります。
まずは直接火薬に火種を銃身に開けた穴に差し込む、または銃口から放り込む乱暴なシステムだったのが最初の銃、タッチホール式銃です。
銃という構造を完成させたものなのですが、15世紀のハンドカノンが生まれるまで、基本、砲兵の支援砲撃という感じに45度程度の角度をつけて放つ曲射砲撃用になってしまいます。
ハンドカノンも今の銃のイメージにそぐわない感じでグレネードランチャーのような命中率がない、目視で狙うことのできない方法となってしまいます。
その欠点を補ったのがドイツで生まれたサーペタイン式という方法です。
サーペタインとはドイツ語でsの形のことで引き金と火縄を単純に金属パーツで連動させた物が最初期のものとなります。
つまりsの上の部分につけられている火縄を引き絞るとN、という風に火縄が落ちて火薬に着火することとなります。
これにより、水平射撃ができ、狙いをつけることができるようになりました。
最初期のサーペタイン式銃は従来の長銃身型タッチホール式銃に金具を後付して、改良したりしましたが、しばらくすると、純粋に最初からサーペタイン式銃として設計されたものが作られるようになります。
1411年には最古の記録が残されており、1430年台にはサーペタインの命ともいうべきs字金具のデザインを記録したものが作られています。
さて、15世紀にはいると徐々に銃はドイツを中心として広く改良されていきます。クロスボウからのアイディアのためか、肩当てのストックがつけられ、発射方式もシアロック方式(緩発方式)とスナッピング方式(瞬発方式)の2つが生まれました。
シアロック方式は引き金を引いた分だけ火縄を挟んでいるアームが連動して動く方式です。構造は簡単でサーペタイン式をそのまま発展させたものとなります。精密な狙撃は苦手ですが集団による一斉射撃に向いており、弾幕を張るという戦術に適したものでした。
一方スナッピング方式は日本の火縄銃へと進化する事となりました。雑賀衆を初めとする火縄銃撃ちの専門家や各地の大名のお抱え砲術家の家柄に流派として流れて進化したのです。日本で確認されている火縄銃の分解図は1475年のものですが、この時はシアロック方式、それもサーペタイン式の改良型というのが描かれていました。そして現在の日本史では鉄砲伝来とされる1543年に種子島で鉄砲の実演が行われ、その内、2丁を薩摩が買い取り、複製を開始。以降、火縄銃を種子島、または種子島銃とも言う状態になります。
こちらの方は後ほど、日本の銃器発展の項目を用いて説明します。
さて、ヨーロッパの方に目を向けると15世紀の大航海時代から本格的な銃の改良生産は各国で始まりましたが、火縄を使うマッチロック方式は射程距離の延長と命中率の向上という利点とともに、いくつもの悪条件がありました。それらをあげるとなるとこうなります。
1、火縄を常に持ち歩かねばならない。故に携行性が悪い
2、火薬と弾を構造上、銃口から突き入れる先込め式でしか、運用できない以上、速射性能が弱い。
3、夜間の軍事行動はタバコの火すら狙撃目標となると言われるのに常に火縄を燃やすため、発見されやすい。
4、火薬の装填の際には銃口を上に向ける上、発射機構が火縄である以上雨天だと不発になる危険性がある
などの問題がありました。というわけでヨーロッパでは次のように考えられました。重装騎兵の突撃は有効な戦術だがフス戦争の市民の武装として使われたことを考えると命中率よりも確実な発射システムと速射性能を追い求めるべきであると。
この結果、集団戦闘の武器として考えた結果、ホイールロック方式、フリントロック方式へと進化していきます。
ホイールロック方式は実は私達の生活でよく見る光景の道具、ライターに使われています。
ライターは親指でギザギザのホイールを回し、回転する際に火打ち石を摩擦させ、火花を飛ばし、ガスに引火、着火させるという方式です。それを親指の代わりに金属板とバネを組み合わせ、撃鉄としてのアームを引き金に連動。引き金を引くことでアームが降りて行き、ホイールを回すという発表当時としては画期的なものでした。記録ではレオナルド・ダビンチの構想にもあったというものです
しかし、タバコを吸う人であれば分かるでしょうが、この方式は上手にやらないと着火しないことがあります。実際、ホイールロック式銃は技術不足、構造的問題から不発が起きやすく、しかも部品などの数が多いことから価格が高騰し、量産化に向かないため、金持ち、いわゆる上流階級の戦闘要員の騎乗戦闘用の拳銃向けにつくられたりしました。
その結果、フランス人のマーリン・レ・ブールジョワによりフリントロック方式が1620年頃に開発されました。
基本的な機構はなんとマッチロック式と代わりがありません。それだけ、マッチロック方式がシステム的に優秀だったという証拠でしょう。
ではどこが変わったのか?1つは火縄の代わりに火打ち石を叩きつけるようにアームに取り付けられていること、2つ目は火蓋と発火用の当たり金を兼ねたL字のフリズンというものがある。3つ目はそのフリズンを閉じるバネがある。ということです。
火薬と弾を銃口から込める。撃鉄であるアームを少し起こしてフリズンを開いて発火用の火薬を火皿に込める。フリズンを閉じてアームをフルに起こす。そして狙いをつけて引き金を引くと、アームがフリズンにたたきつけられ、その反動と摩擦でアーム先端の火打ち石が火花を作り、火皿にいくと火皿の火薬は銃身に開いている穴から銃身内部にある火薬に飛び火し、爆発。結果、銃弾を打ち出すという方式となります。
利点としてはまず、基本構造がマッチロック式と同じように簡単であること、コレは安価で大量に生産しやすいという利点があります。そしてホイールロック式が目指した火種の心配をしなくていいということ、火花をフリズンを使って火皿に閉じ込めることから不発率の軽減も立証されました。
そしてフリズンによる火皿の閉鎖はマッチロック方式の際に確認された集団戦闘での問題、一部の戦闘て隣の兵が放った火薬の飛び散りにより他の兵の銃に引火するという事故がなくなりました。そして雨の中でも使える、これらが前装単発方式のマスケット銃の完成型の1つということとなりました。
もちろん問題点もありました。
撃発の際、激しい振動により銃身がブレるため、命中精度がマッチロックより劣り、火打ち石を使う構造上、ジッポライター愛好家ならわかると思いますが、火打ち石が数発撃つたびに摩耗し、一々ネジつまみで調整しなければならなくなり、そのためか、最初期のフリントロック式銃は口径が比較的小さめで、威力が乏しいという理由で1653年、ルイ14世の時代フランスでは一時期廃止命令が出されましたが、現場ではそんなのは無視して使用していました。
また火縄ではなく、火打ち石による火花という物に頼るため、不発率はフリントロックでは減ったもののゼロとはならず、また、火蓋とフリズンが一体化したことによる暴発の危険性も指摘され、その結果としてマッチロック式銃も一部の部隊では完全廃止とならず、継続しての使用となった部隊もあります。
ですが、この銃の登場により、騎士は死に絶え、銃士という存在が生まれる時代となったのです