開戦
月は綺麗だ。
暗い夜にぽっかりと浮かび、黒い海にはぼんやりと白銀色の影を落とす。
孤高なその容姿は、まだ何も知らない俺にこれから起きる事を警告しているような気がした。
これから起きる?いや……、
万年筆を机の上に放って、ティーカップを口元に寄せてみる。
…紅茶の香りも薄くなってきていた。元々、止むを得ず薄く淹れた紅茶だ。口内に広がる味も水に似ている。
今も結構な事態かもしれん。
金がない。とりあえず、金がない。「どうしようもない」だと?ふざけるな、こっちは金取るのが仕事なんだぞ。ああ、いや、盗人ではなくてだな……、海賊なんだよ。つまりはパイレーツ。
まあ、「海賊」って言っても色んなタイプがいるわけで。国に雇われているタイプだとか、完全に独立しているタイプもいる。俺の船は後者だ。
そういえば自己紹介がまだだったな。俺様はイギリスの海賊船長、Wilfred=Firobisher(ウィルフレッド=フィーロビッシャー)だ。
イギリスを囲む海域を縄張りとしている事から「イギリスの海賊」と呼ばれているらしい。
それは幼い頃から父に聞いており、この名前と海域は代々フィーロビッシャー家の長男が継いでいたわけだ。が、長男は幼い頃に死んでしまったせいで、今回は次男である俺が頭首となった。
ついでに言うと、俺らは三人兄弟。兄の名は忘れたしまったが、妹の名はバーナードという。
……自分語りが多すぎたな。まあそういうことだ。
さて、本題に戻ろうか。俺には金がない。
もうここまで来てしまったのなら他国の支給船を襲うしかない。
だがここ最近は護衛船も付いてるからな……そんなやすやすとはいかないか……他国の海域に入るという事は、他国の海賊のテリトリーに入るという事だからな、そのリスクも怖い。
あいつらが並大抵にはいかないのも重々承知しているんだ。
なら自国の支給船か……?ここ最近は陸に上がっていないから情報がつかめていないぞ。国に置いたスパイなんていないしな……。当てもなく、在るか無いか分からない船を探し彷徨ってられるほど、時間に余裕もない……。
……ならやっぱり、他国の海賊に攻め入るべきだろうか。あいつらは獣のように勘が鋭いから、船先が一センチでも領海に入れば排除しに来るだろう。それを返り討ちにすればいいのだ。
……。ここから一番近い海域はスペインのところか。フランスもノルウェーも、あの戦いを最後に解散してしまったし。
……。スペインとは戦いたくない。あそこは最近勢力を伸ばしてきている。「無敵」とまで歌われているあの船に喧嘩など吹っ掛けたくない。「眠っている犬はそのまま寝かせておけ」ってよく言うだろ?
あああああ、そもそもなんだ、戦い戦いって!紳士的じゃない!
ティーカップに再び口を付ける。
もう冷えてしまった紅茶の味はどうしても水に似ていた。
「はぁ………………………。」
溜息と椅子の軋む音が部屋に溶ける。
ぼんやりと天井を見上げては、背凭れに体重を押し付け続ける。
椅子のギシギシと歪む音に混じり、遠くから走る音が聞こえてきた。
「ウィル船長!!」
ノックもせずに、叫び声とともに部下が自室に転がり込んできた。
「なんだ、俺様は今考え事をだな!…」と机をたたき立ち上がった瞬間、
ふと、影が俺の視界を覆った。
窓の奥に目を凝らしてみると、黒い鉄球のようなものがこちらに直進してきているのがわかる。
あれ、玉じゃないか?
大砲の…………た……いほう、の
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああマジかよぉおおオオオオオオオオオオオオ!!!!!???」
部屋の中で慌てても遅い。
刹那、窓のガラスを勢いよく割ったそれは、俺の真横を突き抜け、背後の扉を乱暴に貫いてから停止した。それは海に落ちることもなく見事に直撃したのだ。
うん。俺の部屋に。船長の部屋に。ピンポイントに、だ。
撃ったやつぶち殺してぇ。
「うぃ、ウィルさん!敵襲です!!昼寝してたので気付きませんでした!!ごめんなさい!!」
「またかお前エエエ!!??いいからもう配置付けエエエ!!」
「はっ、はぃい……!!」
バタバタと俺の部下はすぐさま離れていく。俺は剣を腰に差し、弓矢を抱えた。
「俺の船に手を出すとはいい度胸だな……、どこの馬の骨だか知らないが、ぜってえ沈めてやる……。」
呟いてからニヤッとしてしまう。
「幽霊船が出るなんて噂がたったら、それは俺のせいになるんだろうな。」