梅ときつね 〈1〉
一 双子のきつね
〈花飾町〉にあるなだらかな丘の上には双子の梅の木がある。
何処からともなく流れてきた噂に森の奥深くで暮らす双子の狐は色めきだった。
「ねえね、聞いた?イチイ」
「もちろんだよ、ニイナ」
「双子だって!」
「双子の木ってどんな木なんだろう」
「うーん・・・一つの木に二つ枝があるとか?」
「それって普通じゃないか」
「そうだねー」
「何の木だったけ?」
「もう忘れちゃったの?イチイ。梅の木よ」
「ああ、思いだした。紅梅白梅だっけ?」
「そうそう、こうばいしろばい! 私たちと同じ!」
「うん、同じだね」
ころころ笑うは、珍しき金と銀の毛並みを持つ二匹の狐。地面に転がっているため、背中や頭に葉がくっついているが、つやつやと輝く毛並みはこの世のものとは思えぬ美しさ。
「〈花飾町〉だってさ」
「〈木葉町〉の隣の隣ね」
狐たちの住む森は〈入らずの森〉と呼ばれている。〈入らずの森〉は文字通り、徒人は入ってはいけない森、即ち禁域のことを指す。この森の入り口に社があり、奥深くには本殿がある。本殿のある奥深くに狐たちは住んでいた。
そして〈入らずの森〉のすぐ隣にあるのが〈木葉町〉である。狐の足では遠い道のりであるが、いかんせん、湧きだつうれしさで、頭からすっぽり抜け落ちてしまっている。
二匹は興奮冷めやらぬ体で再び話し始めた。
「そんなに遠くないよね」
「ええ? そうかな。少し遠くないか?」
「大丈夫よ!私たち二匹でいけばへっちゃらよ!」
「そうかなあ・・・ニイナはあまり体力ないだろう?」
「そんなことないわ! きっと大丈夫よ」
「そうかな」
「そうよ、そうに決まっているわ。〈花飾町〉なんてすぐそこよ」
少し不安そうに目を瞬いていた金色の毛並みの狐は、少し逡巡したあと肯きました。
「そうだね、〈花飾町〉まではすぐそこだ。わたしたちも、もう成獣になったのだし、大丈夫だろう」
「ふふふ、じゃあ決まりね?」
「うん。〈花飾町〉まで行って、件の〈双子の梅〉でもみにいこうか!」
「おおーー!」
気合い十分。大きく吼えると二匹は木陰から抜け出して、陽の下で寝そべった。すると、本殿の方から【声】が響いた。
『こらこら、こんな所で寝てはいけないよ、今日は午後から雨が降るからね』
「あー! 黒さま!」
『こら、ニイナ。頭に葉っぱがついているよ』
ふっと苦笑する気配がしたと思うと、二匹の目の前の空間が歪み、一人の青年が現れた。青年は足下でお行儀よく座る二匹の前にしゃがむと、漆黒の切れ長の目を細めて笑った。
「黒様、どうされたんですか? 今日は一日公務じゃなかったですか?」
『どうしたのじゃないよ。お前達が何やら企てている声が聞こえたものだから、心配になってね。公務なんかやってられないよ』
「ええ~! 今、人間たちが来ているのでしょう?」
『ああ、来ているよ。大巫女がどうしても、ていうからねえ。仕方ないし、話だけ聞いてやってたのさ』
「へえ」
『イチイ、興味がなさそうだね?』
「あまり興味はありませんね。人間達の話を何故黒様が一々聞いてやらねばならぬのです。自分たちのことだ。自分たちで解決すればいいものを」
『そう拗ねるでないよ、イチイ』
「拗ねてなんか・・・」
『人というものは、脆弱で愚かで欲深い。欲は尽きることなく延々と続き、愚かしい行いばかりする。どの生き物より傲慢であるくせに、どの生き物よりも脆弱だ。しかし、時々はっとするほど美しい人間もいるのだよ?』
「そうかしら」
『おや、ニイナは人間を気に入ってると思ったのだけれど、違ったかい?』
「気に入ってはいないわ。観察してるだけ」
「ニイナはよくあんな奴らのことを観察できるな。わたしは見ていて反吐がする」
「イチイ、言葉が汚いわ」
「・・・事実だろう?」
『くつくつ・・・まあ、お前達はまだまだ若いからね。そのうち判る日がくるだろう。さあ、もう少しで日も暮れてしまう。お前達は先に本殿にお帰り』
「はあい。行こう、イチイ」
「黒様、御前失礼いたします」
『気をつけて行くんだよ。他の子達とあまり長く話しちゃ行けないよ』
「黒さまはほんと心配性ね。大丈夫よ、イチイがいるんだから!」
「ニイナが気をつけてくれないと、わたしだって万能じゃないんだよ」
「はあい。じゃあまたね、黒さま」
『ああ、気をつけてお帰り』
黒様は、腰を上げるとゆるりと頭を振った。(入らずの森)を駆け抜ける風が黒様の、射干玉の黒髪を揺らす。ほどなくして、双子の狐の姿が見えなくなると、自身を呼ぶ大巫女の声が聞こえ始めた。
『はいはい、今行くよ。我が巫女』
愛らしい自身の巫女の姿を思い浮かべ、思わず笑みが浮かぶ。黒様はすっと体を大気に融け込ませ、風となって巫女の待つ社殿へ戻った。
二 白色と紅色
〈花飾町〉にあるなだらかな丘に、春風が吹く。
少し強めの風が丘にある二つの木に吹き付けた。
「・・・風が少し強いが、大丈夫か」
「あら、このぐらいの風なら大丈夫よ」
紅と白の髪が風に煽られて空に揺蕩う。
すこし高めの声はまるで鈴を転がすように澄んだ音で、聞いていて心地よい。
「私より、兄様のほうが心配だわ」
「・・・俺は大丈夫」
妹はふっと笑うと焦げ茶色の瞳を細めた。
「私たちもそろそろ芽を出さないといけないわね」
「・・・まだ早い」
「そうかしら? もうそろそろ暖かくなりそうじゃない? 桜より先に咲かないと!」
「・・・張り切ってるな、春霞」
春霞と呼ばれた紅の髪の乙女は、くるりと振り返ると白い髪の青年に詰め寄った。
「最近は人間どもはみな春と言えば桜なんて言うじゃない! 桜より先に春を運んでいるのは梅よ!」
「・・・桜は暖かいときに咲くから」
白い髪の青年は驚きながらも返すが、春霞の口は止まらない。
「そもそも私たちの方が、良い匂いするし、綺麗なのに!」
「・・・・・・」
「なのに桜のほうが儚くて美しいって、なよなよとした人間どもが言い出すから!」
「なよなよって・・・」
「なよなよって、なよなよした奴らの事よ」
「・・・まあ、いいんじゃないか」
「何の話してたか忘れちゃったじゃない。全部兄様のせいよ」
「・・・すまない」
「別に良いけど。あーあ。何か面白いことでもないかしら」
「・・・・・・」
大きく伸びをすると春霞は青年の元へ歩く。青年の本体である木の下に腰を落ち着けると、青年にも座るよう促す。
無言で隣に座った青年を暫く見て「あ、そういえば・・・」と口元に手をあてた。
「ねえ兄様、知ってるかしら」
「知らん」
「まだなんにも言ってないわよ!?」
「・・・なんだ」
「〈入らずの森〉って知ってるわよね?」
「ああ。〈東野〉にある森だろう。確か、豊穣の神が祀られているはずだ」
「そうそう。その〈入らずの森〉にいる神様を守る守護妖が、双子の狐って噂、聞いたことある?」
「そういえば・・・以前風のに聞いたな」
「やっぱり! 私も|風柳〈ふうりゅう〉様に聞いたのよ。会ってみたいわ。妖力がとっても強くて、無敵なんですって」
焦げ茶色の目を輝かせて空を見る妹を眺めて、兄も本当に思ってるのか疑わしいほどぼんやりとした顔で、「そうだな」と呟いた。
「もう、兄様聞いてるの? 何でも妹のほうがとっても強いんですって。見事に火炎を操るって」
「へえ」
気のない返事をする兄を放って、春霞は紅梅に登り空を見上げる。
「こっちに来ないかしら」
「無理だろう。〈入らずの森〉を守護してるんだから」
「他にも守護妖はいるでしょう」
「そうだが、いずれは豊穣の神の側近に抜擢されるのだろう。そう簡単に側を離れることはないだろう」
「そうかしら」
「そういうものだ」
三 侵入者とお役目
結い袈裟を着た青年と少女が〈入らずの森〉を駆ける。その少し前には、木々をなぎ倒しながら進む大きな白蛇が前へ前へと這っていた。
ちろちろと口から舌を出すのは、普通の蛇と同じだが、普通でないのはその大きな躰にある。一体誰がこんな大きな蛇がいると思うだろうか。
「ニイナ! そっちへいったぞ!」
「はいな、任せて!」
ニイナは翳した手に妖力を集めると同時に、目前に迫る敵に向かって思いっきり放った。凝縮された炎が大蛇にまとわりつき、大きくうねった。
「地獄からの使者!」
「変な名前つけるな莫迦!」
「えー結構自信あったのにい」
「そんな自信捨ててしまえ!」
金髪のざんばらな髪が、炎を煽る風でなびいている。隣で怒鳴る青年をちらりと見ると、少女は肩に掛かった長い髪を手で払った。後ろになびく髪は、銀色。敵を見詰める目は、夕空から夜空に変わる境目の美しい藍色だ。青年と少女はそろいの藍色の目をつり上げて大蛇を睨み付ける。
「まだ生きてるな。しぶとい奴だ」
「黒様の神聖な結界を無理矢理破って進入したんだもの。斬首だわ斬首!」
『・・・流石噂に名高き守護妖殿たちだ。一筋縄ではゆかぬな』
「ほう・・・喋ることができたのか」
「イチイ、結界破れるなんて相当だよ」
「喋るほど知能を持つものはなかなか居なかったから、驚いたんだよ」
『今まで余程弱気者たちが来たと見える。のう、守護妖殿。貴殿はとても強い。儂と二人で勝負をせぬか』
「・・・いいだろう」
『吾が名は、将桂と申す。貴殿の名は何という』
「私の名はイチイだ」
『イチイ殿。では、その妹御には決して手出しはせぬよう、確約さしてくれぬか』
「貴様・・・何が言いたい」
「いいよ、ニイナ。決して手を出してはいけないよ」
「でも!」
「ニイナ」
静かな声だが、強い抑制のかかった声音にニイナは渋々下がる。
「わかったわ」
その様子を見ていた大蛇は口を横に大きく開くと、ちろりと舌を出した。
『では、三つ数えたら開始で』
「妙なところで細かいね」
『・・・』
イチイは、すうっと一呼吸すると、手に槍を出現させた。
「では」
『一、二、三』
三と言うのと同時にイチイは大きく跳躍すると、大蛇の目に向かって突き刺す。
『なあああああ!!』
大きくのたうつ大蛇に向かって無数の水で出来た槍を降らすと、水は大蛇の体を貫通した。地面に縫い止められた体はどれほど動かそうとしてもぴくりとも動かない。
『莫迦な・・・兄の方は弱いのでは無かったのか』
「火の扱いはニイナのほうが上だけが」
「水の扱いはイチイが一番強いのよ。火は私の方がちょっと得意なだけ。本当はイチイのほうがとっても強いの」
「残念だったな、将桂。噂に惑わされたな」
『おのれ・・・』
「イチイ、斬首!」
「〈入らずの森〉をこれ以上血で汚すことは出来ないよ。火あぶりね」
「はあーい」
残念そうに口をとがらすニイナの頭をぽんぽんと叩くとイチイは、森の入り口まで歩く。森の入り口に張ってあった、彼の神の結界は無理矢理破られ、僅かな力のみ残っている。
「黒様が張った結界をよくも・・・」
イチイは周りに他の侵入者がいないか確認すると、結界の修復に取り掛かった。すると、すぐ後ろに空間が歪み、神気が漏れ出た。
「黒様」
『ご苦労様、イチイ』
咄嗟に膝をつき頭をさげたイチイだが、森の奥から漂う焦げ臭い匂いにすぐさま面をあげた。
「黒様、今此所は穢れています! 本殿へお帰りくださいませ!」
『大丈夫だよ、ニイナの炎は浄化の炎。そうだろう?』
「そうですが・・・!」
『それよりもイチイ、頼みたいことがある』
「なんでしょう」
『この間〈花飾町〉へ行きたいと話していたね?』
「え? はい」
ついこの間、ニイナと双子の梅があるのだと話したばかりである。何故黒様がこの話題を出すのか判らないイチイは首を傾げた。
『実はね、〈花飾町〉まで大巫女が行くことになったんだけど、生憎僕は今此所を離れられない。だから僕の代わりにイチイとニイナで護衛して欲しいんだ』
困ったように眉を下げる美丈夫にイチイは深く叩頭した。
「御意。必ずや大巫女様を守り通します」
『うん、頼んだよ』
にこっと笑うと黒様は空気に溶ける。それと同時に後ろからニイナが駆けてきた。
「イチイー! 今そっちに黒さまいたでしょう?」
「ああ、いたよ。ニイナ、新しいお役目を仰せつかったよ」
「え!? なになに?」
「大巫女様が〈花飾町〉までご用があるみたいで、その道中の護衛役に抜擢されたよ」
「本当!?」
「うん。さっき黒様自ら仰せつかったよ」
「すごいわね! 私たち! あれ、〈花飾町〉って・・・」
「件の双子の梅が見ることができるよ」
「会いに行けるかしら!?」
「会いに行くことはたぶん無理だろうけど、遠目から見ることぐらいなら・・・」
「ああ、楽しみだわ!」
「あのさ、わたしたちは大巫女様の護衛だからね? 忘れないでね」
「判ってるわ!」
「本当に判ってるのかい・・・」
頬を紅潮させ、何を話そうか想像しているニイナを放って、イチイは深く溜息を吐いた。