第1話 はじまりの生活 6
初めて屋敷を出た。
急いでいくと、そこには惨劇が待っていた。
少女が、貴族の馬車に接触したのだ。
10歳にも満たないくらいのその子供は肩を車輪でひかれたのだろう、そこから、血が大量に流れていた。
赤い轍が残っているだけで、馬車は姿を消していたが。
私は何も考えなかった。
考える前に、体が動いていた。
『誰か、この子を固定して!』
ケガをしている左肩を上にして、寝ころばせ、少年の服を脱がせて傷を確認した。
出血は酷いが、思っていたよりも傷は浅くはない。
脱がせた少年の服で、傷を圧迫し、止血をはかる。体が固定出来ず、上手く圧迫ができず、服がみるみる赤くなる。
私の行動に驚いたのだろう。辺りにいた人はその場で立ち尽くしている。
驚いても呆れていても、しょうがないと思う。けれど、それでは人は救えない。
『誰か!』
叫んだ。けれど、誰も動かない。そう思った瞬間だった。
『ミオ。体を支えていればいいんだね?』
グレイスが来てくれた。体を支えて、傷口を圧迫してくれる。
服が全て真っ赤になって、ベトベトする。私はドレスを破って、その服の上に重ねた。
蓋がわりの服を変えてしまっては止まる血も止まらないからだ。
血は止まる。そう信じて、少年の脈をとり、顔色や意識を確認する。
色は悪いが、まだ仄かに頬が赤いところをみると出血性のショックは幸い起きていないようだった。
小さく、痛い、痛いと呟く様からも意識がしっかりあるのも確認出来た。
輸血ができれば一番なのだろうけれど、そんなものない。
それを言うなら、この血に触れることすら危険だ。血や唾液…つまり人の体液というものは多くの感染症を媒介する。
被災したときのマニュアルでも『ビニール袋を使用すること』。
今では人工呼吸ですらする必要性と感染のリスクを比べたときに、リスクの方が大きいとして、しないでいいという方向性にある。
「家族であっても他人なのだから人の血や吐瀉物を触らないこと」なんていわれることだって、よくある。
大学の医療倫理の先生に、「外国に行って事故に巻き込まれても輸血はするな。感染症になる」と言われたことにショックも受けた。
けれど、今はそんなこと言ってはいられない。
今しないと、この子は確実に死んだのだ。今だって死なない確約など無い。
しばらくグレイスが固定していると血が止まってきた。
私はレースを破ると包帯がわりにしてその赤くなった服を固定した。
歩けそうかときくと彼は首を振る。仕方がない。出血量が多く、ショックを起こしていないだけでも奇跡に近い。
『グレイス、この子を屋敷に運びたいんだけれど……担架みたいなものはないかしら』
『担架?』
『この子が横になったまま私たちが運べるようにしたものなんだけど……無いのなら気をつけて抱いていくしかないわね』
『僕が抱いていくよ』
グレイスが肩に触れないように慎重にその少女を抱く。少女は衝撃に一瞬苦痛を露わにしたが、文句は何一つ言わなかった。
『いいこね、戻れば痛みが和らぐ薬をあげるからね』
私がこちらに来たときに一緒にとばされた鞄の中に、いつも持ち歩いていた風邪薬や痛み止めが入っていたはずだ。
そんなもので和らぐような傷だとも思わなかったが、無いよりはマシだろう。
グレイスと慎重にその少女を屋敷まで運び、私のベッドに横にし、今日はまだ止血に使用した布は剥がさない方がいいだろうという判断で、包帯だけはまき直してしっかり固定した。
私は久しぶりに自分の鞄を引きずり出し、薬を取り出す。
よかった。抗菌薬も1週間分ある。PTPシートから薬を出し、水と一緒に彼女の元に持っていく。
『痛くて、辛いのは分かるんだけど、この薬飲めるかしら?』
彼女は弱々しく頷いた。
けれど、とてもじゃないけれど、苦しそうで粒のままを飲めそうではない。
私はコップの水を半分ほど捨て、その中に錠剤を落とした。カプセルは外し、それも水に溶かす。
『苦いんだけど、このコップのは全部飲んでね』
可哀想なんだけど、抗菌薬は非常に苦い。でも飲まないと、しかめた顔を申し訳なさそうに見ながらそれを飲ませたのだった。
その後、安心したのもあったのだろう。その子は安らかに眠っていった。
『騒がしいが、何かあったのか?』
私の部屋に入ってきたジェイドが私の格好を見て少しがっかりしていた。
我を忘れてはいたけれど、折角用意して貰ったドレスをびりびりに破いてしまったのだ。
『その子は?』
『ケガをしていたので……』
『く、……くはっっ…、神子がこんな御転婆だっただなんてね』
後ろにいたクリスが笑っている。
この格好を見られて御転婆でないと言い張るのも何だったので、流しておいた。
もう少しだけ続いたら、幾つか、豆知識満載のエピソードを練り込んだ話になります…!
思ったよりも長くてすみません……。
ちなみに、外国云々の倫理の話は私の実体験で、翌年から倫理の講義の先生が替わっていたのは覚えています。でも、感染のリスクがあるので、不用意に血、吐瀉物、唾液には触らないのは鉄則です(この話の世界では無理ですが)。
今は輸血なんかも同意書が必要です(宗教上などの理由で不同意で輸血すると病院側が訴えられますし…)
お気に入り、評価等々ありがとうございます。