第1話 はじまりの生活 1
私がなんとかこの世界、というかこの国の言葉でコミュニケーションがとれるようになるまでに半月、
意思の疎通がなんとなく図れるようになるには更に3月、
自分の思うことを何とか伝えられるようになったのは更に3月後だった。
あっという間の半年だった。
毎日を過ごすのがいっぱいいっぱいで、『元いた場所に帰る』という概念すら消え去ってしまうほどだった。
けれど、帰りたい、という思いを抱かないほどに、居心地が良かったことも、
あの場所に私の居場所がなかったことも、理由の一つなのかも知れない。
言葉も通じない娘を相手するのも大変だっただろうに、ジェイドも、グレイスも、半年の間、しっかり私の相手をしてくれた。
文化の違いやマナーの違いにもめげず、何度も紳士的に教えてくれた。
おかげで、辿々しくはあるけれども、この国の言葉も、日常会話程度なら理解出来るし、話すことも可能だ。
彼らのように、流れるように美しい歌のようには、まだまだ全然話せないのだけれど。
まさしく、ジャパニーズイングリッシュのような言葉も、ジェイドやグレイスには通じる。
おかげで日常的な簡単な常識は把握出来たし、この国の地理なども少しは理解出来た。
1日を24時間としていて、朝昼の12時間、夜の12時間と区切っていること、
1時間は常に一定ではなく、朝の開始を日の出、夜の開始を日の入りの時刻とし、それを12で均等に割っているのだ。
この屋敷の中では、細工ものの時計が時刻を正確に刻んでくれているので鐘が無くても時刻は分かるが、その時計は高価で誰でも手に入る物ではないため、街の至る所には鐘が配備してあり朝昼は2時間ごとに鐘が鳴る。
そのような習慣は、『陽』と『月』に対する、彼ら独特の宗教観が相成っており、時刻を神々の名前で揶揄することや象徴するもので指すこともある。
そう、彼らは多神教だ。キリスト教などのように唯一神しかもたないような宗教ではなく、数多くの神を持ち、その中でも貴族は、自分の家系に関わる神を最も信仰している。(もちろん、全ての神に対してある程度の尊敬の念は抱いている)
ジェイドやグレイスは、正確には違うようだが、医学の道を示す女神『メディ』を信仰している系統に属す貴族のようだ。
そのせいなのか、家の至る所には本があり、図から見ると人体が描いてあったりするので医学の書なのかもしれない。
だからなのか、私と一緒にとばされてきた本を見たときに、ジェイドが半ば興奮して私に聞いてきたのだ。
『ミオ、これは、何の本なんだ?』
最初はなんて言ってるかもわからなかったんだけれど、ジェイドは我慢強く、
何週間も何週間も聞き続けてくれて私が理解するまで待ってくれた。
私は、
『私の、国の、人の体の仕組みを勉強するための本』
と、単語をつなげながら答えると、ジェイドは一層興奮してページをめくる。
言葉が分からないのがもどかしいのだろう。
私は指を指しながら、自分のボキャブラリーを総動員させて説明していく。
『これは、血の通る道、リンパの管、神経の絵』
『リンパとはなんだ?』
『リンパは、人が自分の、体を守る仕組みで重要な働きをします。えっと…』
頑張っても、言葉が良く分からなくて、ジェイドは一層頭を捻らす。
上手く説明ができないのがもどかしくて、悶々としているとジェイドは私の頭を撫でた。
ジェイドのクセなのか、宥めるとき、落ち着かせたいとき…なにかがあるとジェイドは私の頭を撫でる。
『今度、な』
なんだかもどかしい。
次の日からは私が、単語を聞くためや医学の話を聞くために、ジェイドの方に本を教えてとねだる。
本の話を聞くと、医学と宗教とは切っても切れない関係があって(死生観とも関係するからといわれればそうなのだが)、ジェイドの信仰するメディ神の話、司祭の関わり、この国の死後のとらえ方なんてもの、少しずつ出てくる。
それらを聞いていると、本当に日本とは違う場所なんだと実感してくる。
目の前のジェイドやグレイスの顔つきや何かも日本人のそれとはまるきり違ってはいたけれど。
『そうだ、ミオ』
『ジェイド、なに?』
『明日か明後日には、クリスがきてくれる』
クリス?誰かよく分からなくて首を傾げてしまう。お客様だから大人しくしろと言うことなのか。
『クリスがくれば不便も減るから』
言葉の意図が分からなかったけれど、うんと頷いたら(うなづくのが首を上下にする習慣は一緒だった)、夜を知らせる鐘が鳴ったから、夕食の準備をしているだろうグレイスを手伝うべく、私はその場を去った。
1話1話が短くてすみません。
1話がコレでは書きたいと思っているところまで到達するまでが長いです…。
おつきあい頂けると嬉しいです。