第8話「暴走」
『灰燼の領地から始める国造り』
第8話「暴走」
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作業員は、十一人まで増えた。
しかし、問題は人数だけではなかった。
◇
「また——崩れたか」
ディートリヒが、苦々しく呟いた。
地底湖への通路。その一部が、崩落していた。
三日かけて補強した箇所が、一晩で崩れた。
「地盤が——想定より脆い」
「直せますか」
「直せる。しかし、時間がかかる」
ディートリヒは、崩れた岩を見つめた。
「このペースでは——年内の完成は、難しいかもしれん」
「……」
私は、崩落現場を見つめた。
埃っぽい空気。松明の明かりに照らされた、瓦礫の山。
三日分の作業が、無駄になった。
「——やり直しましょう」
「殿様——」
「やり直すしか、ありません」
私は、瓦礫に手をかけた。
一つ一つ、運び出す。
作業員たちも、黙って手伝い始めた。
◇
崩落は、その後も続いた。
三日に一度は、どこかが崩れる。
そのたびに、作業は振り出しに戻る。
「このままでは——」
エリーゼが、暗い顔で言った。
「資材が足りなくなります。木材も、縄も——」
「買い足すしかありませんね」
「お金が——」
「わかっています」
金貨の残りは、二十枚を切っていた。
このままでは、作業を続けることすらできなくなる。
「何か——売れるものは」
「売れるものなど——この屋敷には、ほとんど残っておりません」
父の代に、ほとんど売り払われていた。
残っているのは、古い家具と、ボロボロの調度品だけ。
「……私の剣を、売りましょう」
「殿様——」
「父から受け継いだ剣です。多少の価値はあるはずです」
「しかし、それは——」
「形見よりも、今は——金が必要です」
◇
剣は、金貨十五枚で売れた。
父の形見。ヴァルトシュタイン家に代々伝わる剣。
それが——金貨十五枚。
「……安いものですね」
「殿様——」
「いえ、いいのです。これで、もう少し作業を続けられる」
私は、空になった剣帯を見つめた。
腰が、軽い。
何か大切なものを、失った気がした。
しかし——感傷に浸っている暇はない。
「作業を、再開しましょう」
◇
十日後。
通路の整備が、ようやく終わった。
地底湖まで、安全に行き来できるようになった。
「次は——揚水装置だな」
ディートリヒが言った。
「リーナの力で、水を持ち上げる。その先を、ポンプで汲み上げる」
「ポンプの材料は」
「木製で作る。金属がないからな。効率は悪いが——ないよりはましだ」
「どのくらいで完成しますか」
「順調にいって、二週間。問題が起きれば——」
「一ヶ月、ですか」
「ああ」
もう、秋も深まっている。
冬が来る前に、完成させなければ。
◇
その日の夕方。
事件は起きた。
「殿様! 大変です!」
作業員の一人が、血相を変えて走ってきた。
「どうしましたか」
「リーナが——暴走しています!」
「暴走——」
私は、駆け出した。
◇
現場に着くと、異様な光景が広がっていた。
水が——荒れ狂っていた。
地底湖の水が、巨大な柱となって暴れている。
その中心に、リーナがいた。
「リーナ!」
彼女は、目を見開いて立ち尽くしていた。
体が震えている。顔は蒼白だ。
「止まれ——止まれ——」
彼女の声が聞こえた。
しかし、水は止まらない。
「何があったのですか」
近くにいた作業員に聞いた。
「あの娘が——水を操る練習をしていたんです。そしたら、急に——」
「きっかけは」
「わかりません。ただ——」
作業員は、言いにくそうにした。
「俺たちが——『気味が悪い』と話しているのを、聞いたかもしれません」
「……」
リーナは、聞いてしまったのだ。
作業員たちが、自分を恐れ、蔑んでいることを。
「リーナ!」
私は、水の壁に向かって歩いた。
「殿様、危険です——」
「リーナ、私の声が聞こえますか」
水が、私を打った。
冷たい衝撃。体が吹き飛ばされそうになる。
しかし、踏みとどまった。
「リーナ——」
「来ないで!」
彼女の悲鳴が響いた。
「来ないで——近づいたら、傷つける——」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃない! 私は——私は——」
水が、さらに激しく暴れた。
洞窟の壁を削り、天井を打つ。
このままでは、洞窟が崩れる。
「リーナ、落ち着いて——」
「無理! 止められない! 私——やっぱり、化け物なんだ——」
「違います」
「違わない! みんな言ってる! 気味が悪いって、近寄りたくないって——」
「それは——」
「わかってる! わかってるよ! 私は——どこにいても、嫌われる——」
リーナの声が、嗚咽に変わった。
「母さんと同じ——どこにいても、誰にも受け入れてもらえない——」
◇
私は、水の中に踏み込んだ。
体中が濡れる。呼吸が苦しい。
しかし、進んだ。
「リーナ」
「来ないで——」
「来ます」
「傷つける——」
「構いません」
水が、顔を打つ。
目が開けられない。
それでも、進んだ。
「リーナ——私は、あなたを見捨てません」
「嘘——」
「嘘ではありません」
「みんな、そう言う。でも、最後は——」
「私は、みんなではありません」
手を伸ばした。
水の向こうに、リーナの姿が見える。
「私は——あなたの力が必要です。しかし、それだけではない」
「……」
「あなたは——私の領民です。私が、守るべき人間です」
「守る——」
「ええ。だから——」
私の手が、リーナの手に触れた。
「戻ってきてください」
リーナの目から、涙が溢れた。
水の勢いが——少しずつ、弱まっていく。
◇
水が、静まった。
リーナは、その場に崩れ落ちた。
「ごめんなさい——ごめんなさい——」
彼女は、泣きながら繰り返した。
「私——また、やってしまった——」
「大丈夫です。怪我人は、いません」
「でも——洞窟が——」
周囲を見ると、壁や天井に傷がついている。
しかし、崩落には至っていない。
「修復できます。大きな被害では、ありません」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいのです」
私は、濡れた服を絞りながら言った。
「ただ——一つだけ、聞かせてください」
「……何」
「あなたは——続けられますか」
リーナが、顔を上げた。
「続ける——」
「この作業を。私と一緒に」
「……」
リーナは、しばらく黙っていた。
「わからない——」
やがて、小さな声で答えた。
「また——暴走するかもしれない。今度は——誰かを、傷つけるかもしれない」
「かもしれません」
「それでも——続けろって言うの」
「強制はしません。あなたが決めることです」
「……」
リーナは、自分の手を見つめた。
震える手。水を操る力を持つ手。
「——少し、考えさせて」
「わかりました」
◇
その夜、作業員たちが集まった。
「殿様、話があります」
代表として、若い男が前に出た。
「何でしょうか」
「今日のこと——皆で、話し合いました」
「……」
「あの娘は——やはり、危険です」
男の声には、恐怖があった。
「あんな力が、暴走したら——俺たちは、死にます」
「……」
「殿様にとっては、水が大事なのかもしれません。しかし、俺たちにとっては——命の方が大事です」
他の作業員たちも、頷いている。
「俺たちは——あの娘と一緒には、働けません」
「……そうですか」
「すみません、殿様。しかし——」
「謝らなくていいのです」
私は、静かに言った。
「あなたたちの言い分は、もっともです。危険を承知で働けとは、言えません」
「では——」
「ただ、一つだけ——考えてほしいことがあります」
私は、作業員たちを見回した。
「あの娘は——自分の力を、恐れています。自分が『化け物』だと、思い込んでいます」
「……」
「今日の暴走は——あなたたちの言葉を、聞いてしまったからです。『気味が悪い』という言葉を」
作業員たちの顔が、僅かに強張った。
「責めているわけではありません。あなたたちの感情は、当然のものです」
「……」
「しかし——もし、あの娘が『受け入れられている』と感じることができたら。自分は『化け物ではない』と思えるようになったら。暴走は——減るかもしれません」
沈黙が流れた。
「……かもしれない、ですか」
「ええ。保証は、できません」
「そんな賭けに——命を賭けろと?」
「強制は、しません」
私は、頭を下げた。
「明日の朝まで、考えてください。続ける方だけ、来ていただければ——」
作業員たちは、黙って立ち去った。
◇
翌朝。
作業現場に来たのは——三人だけだった。
十一人いた作業員のうち、八人が去った。
「……そうですか」
私は、小さく呟いた。
予想は、していた。
しかし、これほど減るとは。
「殿様——」
残った三人のうちの一人、グスタフが言った。
「申し訳ありません。若い者たちは——」
「いいのです。残ってくださっただけで、十分です」
「しかし、三人では——」
「やれるだけ、やりましょう」
私は、道具を手に取った。
「他に、方法はありませんから」
——第8話「暴走」完——




