第7話「拒絶の壁」
『灰燼の領地から始める国造り』
第7話「拒絶の壁」
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リーナを領主館に連れてきた翌日。
問題は、すぐに起きた。
◇
「殿様、お話があります」
朝食を終えた頃、ハインリヒが深刻な顔で入ってきた。
「どうしましたか」
「使用人たちが——辞めたいと申しております」
「辞める?」
「はい。あの——魔術師の娘を、屋敷に入れたことで」
私は、箸を置いた。
「理由を聞きましたか」
「『呪われた女と同じ屋根の下では働けない』と。それと——」
「それと?」
「『あの女がいる限り、村に帰っても白い目で見られる』とも」
予想はしていた。
しかし、これほど早く反発が来るとは。
「何人が辞めたいと」
「五人です。屋敷の使用人の、半数になります」
五人——少ない人員が、さらに減る。
「……彼らの言い分を、もう少し詳しく聞かせてください」
◇
使用人たちの話を聞くと、事情が見えてきた。
彼らは、リーナの噂を知っていた。
『水の呪い持ち』『母親と同じで、いずれ人を殺す』『近づいた者は不幸になる』——
辺境の村では、そういった噂は瞬く間に広がる。
「殿様、お願いでございます」
使用人の一人——中年の女性が、涙ながらに訴えた。
「あの娘を——追い出してください。あの娘がいると、この屋敷に災いが降りかかります」
「災いとは」
「母親の時もそうでした。あの女が来た村は、井戸が涸れ、作物が枯れ、疫病が流行ったのです」
「それは——」
「事実でございます! 私の姉は、あの女のせいで死にました!」
女性の声が、悲鳴のように響いた。
「お願いです——あの娘を、追い出してください——」
◇
私は、使用人たちを下がらせた。
一人になった部屋で、考える。
リーナの母親が、本当に災いをもたらしたのか——それは、わからない。
井戸が涸れたのは、森林破壊のせいかもしれない。疫病は、衛生環境の悪化が原因かもしれない。
しかし、村人たちにとっては——『魔術師のせい』という説明が、最もわかりやすいのだろう。
原因がわからない不幸には、原因が必要だ。
そして、異質な存在は——格好の標的になる。
「殿様」
扉がノックされ、エリーゼが入ってきた。
「使用人たちの件、聞きました」
「ええ」
「どうされますか」
「どうすれば、いいと思いますか」
エリーゼは、少し考えてから答えた。
「正直に申し上げれば——リーナさんを追い出すのが、最も簡単な解決策です」
「……」
「使用人たちは戻ってきます。村人たちの反発も、収まるでしょう」
「しかし——」
「しかし、水の問題は解決しません」
エリーゼは、私の目を見た。
「殿様は、どちらを選びますか」
「……」
私は、窓の外を見た。
庭の隅に、小さな影が見える。
リーナだ。
一人で、座っている。
◇
私は、庭に出た。
リーナは、地面に座って空を見上げていた。
私の気配に気づいたのか、振り返る。
「……何」
「少し、話を」
「使用人が辞めるって話でしょ。聞こえてた」
「……」
「やっぱり、こうなった」
リーナの声には、諦めがあった。
「どこに行っても同じ。私がいると、周りの人間が——」
「追い出すつもりはありません」
リーナが、目を見開いた。
「……は?」
「あなたを追い出すつもりは、ありません」
「なんで。使用人が辞めたら、困るでしょ」
「困ります。しかし、あなたがいなくなれば——水の問題が解決しません」
「……利用価値があるから、ってこと」
「そうです」
私は、正直に答えた。
「嘘はつきません。私があなたをここに置くのは、あなたの力が必要だからです」
「……」
「しかし、それだけではありません」
「それだけじゃない?」
「あなたを追い出せば、私は——自分を許せなくなる」
リーナは、怪訝な顔をした。
「意味、わかんない」
「私は、この領地を立て直したいのです。民を救いたい。しかし——」
私は、言葉を選んだ。
「民を救うために、一人の人間を切り捨てるようでは——何の意味もない」
「……」
「綺麗事かもしれません。偽善かもしれません。しかし——」
「……馬鹿みたい」
リーナが呟いた。
「馬鹿みたい。領主がそんなこと言ってたら、何もできないよ」
「かもしれません」
「後悔するよ」
「かもしれません」
「……ほんと、馬鹿」
リーナは立ち上がり、背を向けた。
「——でも」
「何ですか」
「……ありがと」
小さな声で、そう言った。
振り返らないまま、屋敷の中に戻っていった。
◇
使用人五人のうち、三人が辞めていった。
二人は——迷った末に、残ることを選んだ。
「殿様に——恩がありますので」
残った使用人の一人、老婆のマルタが言った。
「先代様の時代から、この屋敷で働いてきました。今更、他に行く場所もありませんし」
「ありがとうございます」
「ただ——」
マルタは、複雑な顔をした。
「あの娘とは——あまり、関わりたくありません。正直、怖いのです」
「わかりました。無理に関わる必要はありません」
「申し訳ありません——」
「いいえ。残ってくださっただけで、十分です」
使用人が減った分、私とエリーゼの仕事は増えた。
しかし、それは——仕方のないことだった。
◇
数日後、別の問題が起きた。
「殿様、困ったことになりました」
ハインリヒが、青い顔で報告してきた。
「井戸掘りの作業員が——来なくなりました」
「来なくなった?」
「はい。十二人のうち、八人が——『魔術師が関わるなら、手伝えない』と」
私は、目を閉じた。
予想は、していた。
しかし、これほど早く、これほど多くが離れるとは。
「残りの四人は?」
「まだ、来てくれるようですが——彼らも、動揺しております」
「……そうですか」
「殿様、どうされますか」
私は、しばらく考えた。
「作業は、続けます」
「しかし、四人では——」
「私も働きます。エリーゼさんにも手伝ってもらいます。ヴェーバー殿も」
「殿様自ら——」
「やるしかないでしょう」
私は立ち上がった。
「人が足りないなら、自分でやるしかありません」
◇
作業は、遅々として進まなかった。
四人の作業員。私。エリーゼ。ディートリヒ。
七人で、地底湖への通路を整備し、揚水装置の準備を進める。
しかし、圧倒的に人手が足りない。
「このペースでは——冬までに完成しないな」
ディートリヒが、苦い顔で言った。
「ああ。わかっています」
「どうする。人を集めなければ——」
「集める当てが、ありません」
村々を回っても、誰も協力してくれないだろう。
『魔術師が関わる事業』——それだけで、忌避される。
「——私の、せいだね」
リーナが、小さな声で言った。
「私がいるから——」
「あなたのせいではありません」
「でも——」
「人々が恐れているのは、あなたではなく——あなたの力です。いえ、力ですらない。『わからないもの』を、恐れているのです」
「……」
「恐れは、無知から生まれます。時間をかけて——理解を広げていくしかない」
「時間——」
リーナは、俯いた。
「その時間が——あるの?」
私は、答えられなかった。
冬が来れば、作業はできなくなる。
来年の春まで待てば——その間に、民が飢えるかもしれない。
時間は、ない。
しかし、打つ手も——
◇
その夜、私は一人で書斎にいた。
帳簿を前に、数字と睨み合っている。
金の残りは、金貨三十枚ほど。
作業員への賃金、食料の購入、道具の調達——どこをどう節約しても、足りない。
「……どうすれば」
呟いた時、扉がノックされた。
「殿様、客人でございます」
ハインリヒの声だ。
「この時間に? 誰ですか」
「ヴァイラー村の——グスタフ村長です」
グスタフ——
最初に訪れた村の、村長だ。
「通してください」
◇
グスタフは、疲れた顔をしていた。
「夜分に申し訳ありません、殿様」
「いえ。どうされましたか」
「実は——村の者たちと、話し合いをしておりまして」
「話し合い?」
「はい。殿様が——魔術師の娘を使って、井戸を掘ろうとしていると聞きました」
私は、身構えた。
反対意見を言いに来たのだろう。
「ええ、そうです」
「村の者たちは——反対しております。あの娘は、呪われていると」
「……」
「しかし——」
グスタフは、顔を上げた。
「わしは——少し、考えが変わりました」
「変わった?」
「はい。殿様は——嘘をつかない方だと、思いました」
「……」
「水を引くと言って、本当にやろうとしている。自ら泥にまみれて、働いている」
グスタフの目には、複雑な感情があった。
「わしは——もう、何十年も生きてきました。領主様を、何人も見てきました」
「……」
「皆、口では立派なことを言う。しかし、実際に動く者は——ほとんど、おりませんでした」
「……」
「殿様は——違うのかもしれない。そう、思い始めておるのです」
私は、黙ってグスタフの言葉を聞いていた。
「わしにできることは——少ない。しかし——」
グスタフが、頭を下げた。
「わし一人でよければ——手伝わせてください」
「——村長」
「村の者たちは、反対しております。しかし、わしは——自分で決めたい」
老人の目には、覚悟があった。
「最後に——何か、役に立ちたいのです」
私は、しばらく言葉を失っていた。
やがて——深く、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼には及びません。わしは——自分のために、やるのです」
◇
グスタフが加わっても、状況は劇的には変わらなかった。
八人。
それでも、足りない。
しかし——
「グスタフの爺さんが手伝ってるってのは、本当か」
翌日、一人の男が現れた。
ヴァイラー村の若者だ。
「本当です」
「……あの頑固爺が、動くなんてな」
男は、しばらく考え込んでいた。
「魔術師の娘——本当に、信用できるのか」
「それは——あなた自身で、判断してください」
「……」
「無理にとは、言いません」
男は、黙って立ち去った。
しかし——三日後、戻ってきた。
「……手伝う。ただし、あの娘には近づかない」
「わかりました。ありがとうございます」
一人、また一人。
少しずつ——本当に、少しずつだが——人が集まり始めた。
——第7話「拒絶の壁」完——




