第3話「埋もれた才」
『灰燼の領地から始める国造り』
第3話「埋もれた才」
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廃村の調査から三日後。
ハインリヒが、報告を持ってきた。
「殿様、エルデ村の元村長について、わかりました」
「お願いします」
「名は、ディートリヒ・ヴェーバー。六十二歳。現在は——」
ハインリヒは、少し言いよどんだ。
「現在は?」
「ブルンネン村の外れで、一人暮らしをしております。ただ——」
「ただ?」
「村人たちからは『変人』『役立たず』と呼ばれているようで」
「なぜ、そのように」
「詳しくはわかりませんが——学問ばかりしていて、実際の仕事ができない、と」
なるほど。理論家が実践で評価されないのは、どの世界でも同じらしい。
「会いに行きましょう」
◇
ブルンネン村は、領地の南端にあった。
村の外れ——森に近い場所に、粗末な小屋が建っている。
屋根には穴が開き、壁は傾いている。人が住んでいるとは思えないほど、荒れ果てた小屋だ。
「ディートリヒ・ヴェーバー殿はいらっしゃいますか」
私が声をかけると、しばらくして——扉が軋みながら開いた。
現れたのは、痩せた老人だった。
白い髪は乱れ、髭は伸び放題。服はボロボロで、目の下には深い隈がある。
しかし、その目だけは——鋭い光を湛えていた。
「誰だ。わしに何の用だ」
「初めまして。レオンハルト・フォン・ヴァルトシュタインと申します」
「ヴァルトシュタイン——」
ディートリヒの目が、僅かに見開かれた。
「領主、か」
「先日、エルデ村を訪ねました。そこで、あなたの本を見つけたのです」
「……」
「お話を聞かせていただきたく、参りました」
ディートリヒは、しばらく私を見つめていた。
値踏みするような、探るような視線だ。
「……入れ」
やがて、そう言って中に招き入れた。
◇
小屋の中は、本と紙で溢れていた。
床には書物が積み上げられ、壁には図面が貼られている。机の上には、奇妙な器具や道具が散乱していた。
「散らかっているが、気にするな」
「いえ、興味深い空間ですね」
私は、壁に貼られた図面を見た。
地層の断面図。水の流れを示す矢印。数値と記号。
「これは——」
「水脈図だ」
ディートリヒが言った。
「この辺り一帯の、地下水脈を調べたものだ」
「あなたが、調査を?」
「ああ。二十年かけて、この領地の地下を歩き回った」
二十年——途方もない時間だ。
「なぜ、そのようなことを」
「水がなければ、人は生きられん」
ディートリヒは、窓の外を見た。
「わしがこの地に来た時、すでに水不足は始まっていた。井戸が枯れ、作物が育たず、人が減っていった」
「……」
「何とかせねばと思った。だから、調べた。この土地の水脈を。どこを掘れば水が出るか、どうすれば水を確保できるか」
「そして——わかったのですか」
「ああ、わかった」
ディートリヒの声に、苦い響きが混じった。
「わかったが——誰も聞いてくれなかった」
◇
「聞いてくれなかった、とは」
「そのままの意味だ」
ディートリヒは、椅子に座って溜息をついた。
「先代の領主に進言した。ここを掘れば水が出る、と。しかし、取り合ってもらえなかった」
「なぜ」
「『学者の戯言』だと」
老人の目に、悔しさが滲んだ。
「村人たちにも話した。しかし、信じてもらえなかった。『机の上で本ばかり読んでいる男に、何がわかる』と」
「……」
「結局、誰も動かなかった。そして、村は滅びた」
ディートリヒは、自分の手を見つめた。
「わしには——知識はあった。しかし、人を動かす力がなかった。金もない。権力もない。だから、何もできなかった」
沈黙が流れた。
「ヴェーバー殿」
「何だ」
「あなたの知識を——貸していただけませんか」
ディートリヒが、顔を上げた。
「私には、金も権力も——少しはあります。しかし、知識がない。特に、この土地のことは、何もわかりません」
「……」
「あなたの知識と、私の立場。合わせれば——何かができるかもしれません」
「できる、だと?」
ディートリヒの目が、鋭くなった。
「若造、お前は——何を言っているかわかっているのか」
「はい」
「わしの研究を実行するには、莫大な金がかかる。人手もいる。年単位の時間もいる」
「承知しています」
「この領地には、その全てが足りていないはずだ」
「その通りです」
私は、老人の目を真っ直ぐに見た。
「しかし、やらなければ——この領地は、確実に滅びます」
「……」
「どうせ滅びるなら、できることをやってから滅びたい。私は——そう思っています」
ディートリヒは、しばらく黙っていた。
やがて——乾いた笑いを漏らした。
「面白いことを言う若造だ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「いいだろう」
老人が立ち上がった。
「やってみるか。どうせ、わしも長くはない。死ぬ前に——自分の研究が役に立つところを、見てみたい」
「ありがとうございます」
私は、深く頭を下げた。
「では、まず——何から始めればいいか、教えていただけますか」
「水だ」
ディートリヒが、壁の図面を指差した。
「この場所に、大きな地下水脈がある。ここに井戸を掘れば——領地全体の水不足を解消できる」
「ここ、というのは——」
「領主館から北東に二刻ほど歩いた場所だ。岩山の麓——昔、神殿があった跡地だ」
「神殿の跡地——」
「ああ。今は廃墟だが、地下には古い洞窟がある。その洞窟が、水脈に繋がっている」
私は、地図と図面を照らし合わせた。
「なるほど——確かに、ここなら」
「わかるのか」
「少しは。水は高いところから低いところに流れます。この地形なら、北の山から流れてきた地下水が、ここに溜まっている——そういうことですね」
ディートリヒの目が、驚きで見開かれた。
「……お前、何者だ」
「没落貴族の三男です」
「そんな知識、普通の貴族が持っているわけがない」
「本で読みました」
いつもの言い訳だ。
「どんな本だ」
「——覚えていません。幼い頃に読んだもので」
ディートリヒは、しばらく私を見つめていた。
「まあ、いい。理由は問わん」
やがて、そう言った。
「お前が知識を持っているなら、話が早い。来い、詳しく説明してやる」
◇
その日から、ディートリヒは私の顧問になった。
彼の知識は、本当に膨大だった。
水脈だけでなく、土壌、気候、植生——この土地のあらゆることを、彼は知っていた。
「この辺りの土は、粘土質だ。水はけが悪い。だから、畝を高くして——」
「なるほど。排水を良くするわけですね」
「そうだ。それと、この地域には特有の風がある。冬になると北西から——」
彼の話を聞きながら、私は計画を練っていった。
まず、水の確保。
次に、農地の改良。
そして、道路の整備。
一つ一つ、順番に進めていく必要がある。
「ヴェーバー殿」
「何だ」
「井戸を掘るのに、どのくらいの人手が必要ですか」
「最低でも十人。できれば二十人は欲しい」
「期間は」
「順調にいって、二ヶ月。問題が起きれば、半年かかることもある」
「二ヶ月——」
厳しい数字だ。
冬が来る前に、水を確保したい。しかし、人手が——
「問題は、人を集められるかだ」
ディートリヒが言った。
「お前は領主だが、民に信頼されていない。命令しても、動かんだろう」
「わかっています」
「どうするつもりだ」
「——考えがあります」
私は、窓の外を見た。
「ただ、成功するかどうかは——わかりません」
——第3話「埋もれた才」完——




