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「王太子ではなく聖職にある、というやつですね。前者は真実、後者は作り話ですよ」
ユリアンはたしかに西石国王――フェルゼンシュタイン王の実子だが、三男だ。長兄がすでに立太子して子もいるし、次兄も壮健。王位がユリアンに転がりこむ可能性は極めて低い。
「以前に申し上げた通り、私は長年商いに従事して参りました。金勘定のことばかり考えているような男ですから、聖職になどあるはずもない。聖職うんぬんは、私の発言を『天のお告げ』めいたものにさせるための法螺話です」
桜花はじっと考え込んでしまった。やがてゆっくり口を開く。
「沐伸は……俐安が王太子ではないのを理解しているのか?」
沐伸は桜花の弟――つまり皇帝の名だ。
「ご理解されていないのでは? 陛下はどこでも私のことを王太子と紹介してましたし、そのように遇してくださいましたよ」
「いったいどこまで愚鈍なんだ……」
桜花は頭を抱えてしまう。
「いくら目の上の瘤とは言え、私は帝室最後の娘だぞ。降嫁させるなら相手のことを徹底的に調べ上げるべきだ」
「おそらく陛下も宰相も我が国が一夫一婦を旨とすることを理解されていないのでしょう」
その言葉に、桜花は驚いた。
「まさか西石では国王も妻を一人しか娶らないのか? 後宮もない?」
「はい」
「それでよく血が絶えないな」
「絶えますよ。絶えたら有力貴族の中から新たな王を選出するのです」
なんとも奇妙な表情のまま桜花は絶句し、ややあって呻く様に声を絞り出した。
「……西石国では宗室の存続を重視せぬのか……信じられんな」
「陛下は王太子である私の長兄に桜花様を嫁がせようとされたのでしょう。だが、我々にその考えはなかった。父王はもちろん、私の二人の兄にも既に妻がおりますし、二人目を娶るなど検討もしませんから。だから兄弟の中で唯一妻帯していない私が桜花様をお迎えすることになったわけです。陛下が愚鈍というより、互いが互いの国の条理を理解せぬから起こった齟齬かと」
「俐安はいくつだ?」
「え、私の年齢ですか?」
唐突に自分のことに話が向いて、ユリアンの声が軽くひっくり返った。
「二十二になりましたが」
「異国の者の年齢はよく分からぬな……外見から推測していたより若い。二十を過ぎてまだ婚姻していないとは、眞の男に照らすとやや遅いが、それも両国の違いなのだろうか?」
「まぁ……そうですね。ですが桜花様も十八でしょう? 眞の女としてはいわゆる『イキオクレ』では?」
はっ、と桜花は憎々しげに笑った。
「『イキオクレ』とは! 俐安はいろんな言葉を知っているな――私はね、絶対に男と番になどならぬと決めているのだ」
「それは……どうしてそのようにお考えなのですか?」
「愛や情など、道を誤らせる毒に過ぎぬ」
ぴたりと口を噤んでしまったユリアンに、桜花は続けた。
「沐伸を見ろ。あいつは元々愚かだが、呂家の貴妃を寵愛してからさらに手がつけられなくなった。父親の呂活を宰相に取り立て、有能で徳高い官を左遷した。それを諫めようと臆せず皇帝に物を申す公主は国を放逐されそうになっている――愛など君子を誤らせる毒だよ」
ユリアンは笑みを作った。
「ですが皇帝になられたなら桜花様も子を成す必要がございましょう?」
「無論。後宮に適当な家柄の男を数名押し込んで、適当な時に子を作るつもりだ。自分で腹を痛めねばならぬのが厄介だが。子種として男を利用するくらいの度量はある」
「……桜花様は本当に豪胆であらせられる」
「知っている。さて、お喋りが過ぎたな。継子の話などしている場合ではない。まずは私自身が玉座に登らねばならぬのだから」
ユリアンは頷く。
「都の幼童に吹き込んだ唄は順調に流布しているようです。宮城内の各所で授けた天の啓示も多くの者の内心を揺るがせております。官吏も衛士も下男下女たちも多くが桜花様をお慕いしているようですし、丹栄公主即位を望む機運の高揚はうまくいっているかと――うまくいきすぎている気すらします」
「元来私が愛され慕われる公主だからだ、心配するな」
「……そうでしょうけど……自分でおっしゃらないでくださいよ」
「だがそれだけでは足りない」
桜花は真剣そのものだった。
「高位の官ほど条理に縛られ生きている。女の即位など容易くは認めまい。国の中枢にある彼らを説き伏せねば即位の道は開かれん」
「高官で桜花様の即位を望むものはいないのですか?」
「よくわからん。高位になればなるほど、官僚というのは己の思惑を顔には出さないからな」
ユリアンは頷いた。彼の故郷でも、爵位の高い貴族ほど本心を仮面で隠して社交界を巧みに渡る。
桜花は背を椅子に預けて遠くを見るようにした。
「本当は、叔父上に助けていただきたいのだが」
「叔父?」
「あぁ、母である劉皇太后の兄上だ。長く朝廷に仕える重臣で、宰相職にあったが、沐伸に疎まれて閑職に追いやられた」
「それならば沐伸様から帝冠を奪うことをご理解いただけるのでは?」
ユリアンの問いに、桜花は首を振った。
「叔父上の字は『漢忠』というのだが、その『忠』の文字は名君と謳われた先々代の皇帝・太宗から賜ったものだ」
桜花と沐伸の祖父にあたる太宗は、現王朝の実質的な建国者だ。戦乱を鎮めて朝廷を安定させた名君として、今でも尊崇されている。
「叔父上は太宗から賜った字を何よりも誉れとしている。宗室に絶対的な忠誠を誓うあの御仁は、左遷されてもなお沐伸の忠実な臣下のままだ」
桜花は劉漢忠に関するある逸話を披露した。
沐伸即位の直後、漢忠の老いた母が亡くなった。忠孝を重んじる眞の官であれば、父母の死に際しては三年の喪に服して蟄居するのが当然だ。
だが、漢忠は朝廷に残り続けた。
「実はわが国にはこれと同様の先例がある。今から百五十年余りさかのぼった時代に、財政改革に辣腕を振るった宰相がいた。この改革は今でも官僚が是非を論じるほど有名だ。そしてこの改革は、宰相本人の失脚によって頓挫した」
もしかして、とユリアンが話の先を読んだ。
「その宰相は、父母の喪に服さなかったことで地位を失ったのですか?」
「そうだ。蕃国出身の俐安には理解し難いかもしれんが、忠孝を尽くすというのは我が大眞国の第一の徳目なのだ。それを為さぬ者は、窃盗や殺人を行うならず者と変わりない、と言えば伝わるだろうか」
「なるほど……」
ユリアンは唸った。
「この例を叔父上が知らなかったはずはない。実際、保身のためにも一度宰相職を退くようにと叔父上に忠告した者はいたという。だが――」
漢忠は、一切の躊躇なく、笑みを浮かべたままこう応じた。
――父母の魂魄が彷徨い、私が天の雷に打たれようとも、今陛下のもとを離れることはできませぬ。
「叔父上は忠孝よりも、保身よりも、即位直後の若帝を支えることを優先したのだ」
「それは……すごいですね」
忠孝を重んじる眞において「死後の父母がどうなろうと知らない」と言い切るのは、型破りもいいところだろう。
形よりも実をとる方なのだ、と桜花は微笑んだ。
「叔父上は、幼い沐伸が学ぶそばに私も置いて、智慧を授けてくださった。学才があると褒めてくださり、それが随分嬉しかったものだよ」
本来、大眞国の公主たちは琴や舞踊、針仕事を学ぶものだ。けれど漢忠は桜花に学を与えた。
「あの方が支えてくださると心強いのだが」
「すでに根回しは行なっているのですか?」
「まさか。私は『天意によってやむを得ず登極する』のだぞ。少しでも私の真意が漏れたらこの計画は失敗だ」
それはそうですが、とユリアンは眉の端を下げた。
「さすがに桜花様と私だけで事に挑むのは博打がすぎるのでは?」
大眞国史上最初の女帝を誕生させるという無謀に挑もうとする割に、桜花の手駒は少ない。彼女の護衛を任されている衛士たちでさえ、彼女の野望を知らないのだ。
「別に俐安と私だけではない……頼りになる方は、まぁ、いる。ただ、表に出てこれない方なのだ」
曖昧な物言いが引っかかったが、彼女はこの話題を打ち切った。
「なんにせよ、この謀叛が博打であることは事実だ。人事を尽くして、天命を待つしかあるまい」
ユリアンはひとまず頷いた。桜花の即位が実現しなければ彼の故郷は救われない。彼女に命じられるまま、懸命に尽くすしかなかった。
「えぇ、やれることは全てやりましょう。半月後の晴れ舞台では、私の最高のパフォーマンスを見せてさしあげます」
「……ぱ……?」
聞き慣れない言葉にしかめ面をする桜花に、ユリアンはにっこり笑ってみせた。
「パフォーマンス――要するに、最高の演技をしてやる、という意味です」
「なるほどな。では私も、完璧なぱふおまんを見せてやろう。その出来栄え次第で、高官たちも巻き込まれてくれるだろう」
悪戯っぽく笑う桜花の瞳には静かに炎がたぎっていた。




