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2-3


 承陽たちが見守る前で茶会はごく和やかに進んだ。


 大きな円卓に透き通るような青磁の茶器が並ぶ。皇太后芙蓉は自ら茶を注いで王太子をもてなし、明るい表情で会話を主導した。


 通訳を介してしかわからないが、小国とはいえさすがに高貴な生まれの王太子だ、受け答えは気が利いている。芙蓉の用意した茶をさりげなく讃え、視線を各所に満遍なく配って微笑みかけていた。面立ちも派手で目を引くから、いつか桜花がこの王太子に本気で恋をしてしまうのではないかと、承陽ははらはらした。


「あら、では西石というのはずいぶんな量の銀を産出されますのね」


 王太子が身につけていた見事な銀細工の腕輪から、彼の故郷である西石国の産業に話題は移っていた。朗らかに応じた王太子の言葉を、老年の通訳が眞の言葉に換えていく。


「えー……殿下がおっしゃるには、西石国は山がちで、銀鉱山に恵まれている、ということでございます」

「では公主にも何か贈ってくださらないかしら? この娘の艶やかな黒髪に、銀の髪飾りはとっても映えると思うの。殿下との婚礼衣裳に合わせてあげたいわ」

「お母様……」


 娘を取り立て、強引に話を進める母を桜花は控えめに嗜めた。


 一方、王太子の返答を聞いた通訳がぎょっと目を丸くした。二度ほど聞き返してなお、それを眞の言葉に訳せないでいる。


「どうしたの、はやくしてちょうだい」

「いや、ですが……」


 芙蓉に急かされ、老官は恐る恐る言った。


「で、殿下はこのように仰っております。『私ごときでは、とても公主様を妻にできない』と」

「は……?」


 芙蓉が言葉の真意を捉えられないうちに通訳は続けた。 


「『そもそも自分は王太子ではなく、王位継承権を放棄して聖職を賜った一王子に過ぎません』」

「王太子ではない……? 聖職……?」


 混乱し、ただ彼の言葉を復唱する皇太后の隣で、いちはやくその意味を察した桜花は色を失った。


「どういうことです? わたくしは国主となる方に嫁ぐのではないのですか?」


 狼狽した彼女がふらりと身を崩すのを、侍女の玉兎がとっさに支えた。なんとか椅子から転げ落ちずにこらえた桜花は、涙目で母にすがる。


「お母様、いったいこれは? わたくしは両国の懸け橋になるために嫁ぐのですよね? 王にならぬ方に嫁いで、それが成し遂げられましょうか?」


 娘に問い詰められても、芙蓉が答えられるはずもない。西石は小国とはいえ有力な同盟国になり得、桜花は国王の正妃になると了解していた。そうでなければ可愛い娘を辺境の嫁にくれてやるわけがない。


 母が困惑して目を泳がせるのを見て、桜花はわっと泣き出した。


「あぁ、なんていうこと……帝室の娘がこのように蔑ろにされるなんて!」


 涙をこぼしながら、桜花の嘆きは続く。


「わたくし自身はつまらぬ身――けれどこれでは先帝陛下にもご先祖様にも顔向けができませぬ」

「そ、そんなことはないわ、桜花」


 場を取りなそうとする芙蓉の言葉にも力が入らない。王太子――だと思っていたこの男、聖職にあるということは国政にも関与しないのか。それでは公主を降嫁させる意味がない。


 桜花の嘆きは悲鳴に変わった。


「最初から利のない降嫁だとは思っておりましたが、これほどとは! わたくしは、この国のために何一つお役に立てないのですね……!」


 朗らかな茶席は悲劇の場に一変した。承陽たちも、皇太后の侍女たちも立ち尽くすしかない。皇帝陛下はこの太子の身分を理解したうえで降嫁を進めようとしているのか? そうだとすれば桜花にとってあまりにも酷い仕打ちであり国益にもかなわない。もし知らぬのだとすればあまりにも軽率だ。


 そっと西石の太子が立ち上がり、慰めるように桜花の足もとに片膝をついた。そして優しく首を振る。背を丸めた桜花を見つめる碧い瞳は、泣かないで、と語りかけるようだった。


「『――あなたには、銀の髪飾りよりもお似合いのものがある』」

「……どういうことです?」


 涙を浮かべたまま顔を上げ、桜花が問う。


「『心配なさいますな、天がやがてあなたの道を示すでしょう』」


 誰も微動だにできない張り詰めた空気の中、太子の言葉が厳かに響いた。


 ――天が道を示す。


 承陽の背を冷えたものが下っていった。

 この男が飛燕殿の門を最初にくぐった日、桜花に告げた言葉が否応なく思い起こされた。


 ――あなたこそが、この国の真の皇帝だ。


 あの時だけこの男は眞の言葉を口にした。本来は通訳なしでは簡単な言葉も交わせないというのに。聖職にあるというが、彼は本当に天の声を聞いているのだろうか。今も髪飾りよりも似合う物が桜花にはあると言った。それは、まさか――?


「おい、西石国の殿下!」


 承陽は思わず呼びかけていた。不意をつかれたように顔を上げた太子の碧い瞳と、承陽の視線がぶつかる。


「我が主はたしかに特別な方だ! だけど女であらせられる! 聖職だかなんだか知らないけど、桜花様に帝冠を戴けなど」

「承陽っ!」


 主人の高い声に制されて、彼ははたと我に返った。あ、やべぇ、と周囲を見渡すと、顔面蒼白になった兄と、顔を真っ赤にして噴火寸前の芙蓉と順に目が合った。


「な、なんと不遜な!」


 激昂した芙蓉が壁際の承陽に詰め寄る。


「て、帝冠? 帝冠ですって? それはわたくしの陛下のものよ! 飛騎ごときがいったい何をっ!」

「あ、あの、俺は……」


 承陽は口ごもることしかできなかった。


「お母様、申し訳ございません……っ!」


 桜花がすがるように芙蓉の足元に平伏した。


「その飛騎はわたくしの管理下にある者! この者の不敬は、わたくしの罪でございます!」

「も、申し訳ございませんっ!」


 承陽も床に頭を叩きつけた。自分の迂闊な発言で桜花に膝をつかせてしまった。申し訳ないどころではなかった。


「この者はまだ若く、それに……」


 桜花は言葉を濁した。一瞬西石の太子を見やって、畏れたように視線を逃す。


「何か、不思議な力が承陽に怪しきことを言わせたのかも知れませぬゆえ……」


 結局、桜花のとりなしで承陽の罪は不問とされた。芙蓉としても、この場で交わされたすべての言葉をなかったことにしたかった。

 母と娘の和やかな茶会は、極めて後味悪く終わった。同席した者全ての胸に、ざらつく感触を残して。


          ***


「おい、俐安」


 ユリアンのもとを訪れた桜花は、開口一番不満を突きつけた。今宵も侍女に身をやつしている桜花だが、乱した髪を整えれば、美しい面差しがのぞく。


「馬鹿者が、昼間のあれは危なかったぞ」


 長椅子にふんぞり返って乱暴に扇を突きつけてくる桜花に、ユリアンはかりかりと頭を掻いた。


「昼間はあんなに可憐なお姫様だったのに……」

「何をぼやいている?」

「いや、なんでもないです」


 片眉を吊り上げる桜花からも睨みつけてくる玉兎からも目を逸らして、ユリアンは椅子に腰掛けた。


「申し訳ございません、まさかあの場で発言する衛士がいるとは思わず」


 皇太后主催の茶の席、承陽が「西石国の殿下!」と声を上げた時、ユリアンは反射的に彼と目を合わせてしまった。


「眞の言葉を解するのが露呈するだろうが」

「突然声を上げる者があれば誰しもそちらを向くでしょう? 大丈夫、ばれていませんよ」


 ユリアンは軽く流そうとしたが、桜花は念入りに釘を刺す。


「慢心や油断が計画の破綻を招く。細心の注意を払って行動しろ」

「承知いたしました。なんせ承陽殿は『可憐な女性である丹栄公主様に玉座の重荷を背負わせたくない』と思っていらっしゃるようですし、その主が実はこんな蛮族の馬の骨と簒奪を企てている、なんて知られたら大変ですものね」


 ユリアンの満面の笑みに桜花は毒づいた。


「嫌味な男だ」

「そうですか? おかしいな、事実を言っただけなのに」

「ふん。それで、先ほどの話のどこまでが真実で何が偽りなんだ?」


 あぁ、とユリアンは笑う。


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