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「なっ……!」
絶句する桜花に構わず、ユリアンはすらすらと続ける。
「あなたにお伝えして何になります? 公主であるあなたに現実的なお力はございませんし、権力者たる皇帝陛下や宰相とは対立なさっている。平国公主を救い出すなど絵空事だ。何より、あなたに情報を提供する利が我々の側にはございません」
拳を震わせ、桜花は俯いてしまった。彼女の背後で彫像のようにしていた侍女が凄まじい形相でユリアンを睨みつけている。
「……ど、どうすれば教えていただけるのです?」
面を伏せたまま、桜花が言葉を絞り出した。
「そうですね、今のあなたに利用価値はないが――帝冠を戴いたあなたなら話は別だ」
ユリアンは立ち上がった。長身に物を言わせて、高みから公主を見下ろす。
「失礼を承知で申し上げれば、貴国の皇帝は愚鈍だ。ほんの数日接しただけの私にも分かるほど。我々は愚かな船頭の操る泥舟に相乗りするつもりはない――だから、あなたが皇帝になればいい」
桜花はびくりと肩を震わせた。ユリアンは続ける。
「女だからといって恐れず、百万の軍を動かす大権を手になされませ。その上で改めて盟約を結ばせていただきたい。姉君を救うお手伝いもいたしましょう」
この公主は皇帝よりもはるかに人心を掴んでいる。だが、女であるゆえ有力な後ろ盾を持たない。ならば国難に乗じてこの女を即位させ、ユリアンが手綱を握ればいい。「愛する姉様」の情報を散らつかせれば、賢いが情に脆いこの女を御すことができるだろう。
重厚な沈黙が室内を支配した。桜花は面を伏せたまま、ユリアンは彼女を見下ろしたまま、時だけがこぼれていく。桜花は迷っている。だが、彼女はユリアンに従うだろうと確信していた。この公主は決して姉を見捨てまい。
「ふふ」
奇妙な声がいずこからか漏れた。
怪しい笑い声に、ユリアンの背がひやりと逆撫でられる。
「ふふ、あはははっ!!」
高く声を上げながら目の前の桜花が立ち上がった。彼女を見下ろすユリアンに顔を突き出す。瞳孔がギラギラと黒く燃えていた――何かに取り憑かれたように。
その変貌に驚き動きを止めた彼の首を、桜花は両手で縊った。そして言う。
「都合の良い小石が転がり込んできたものだ……!」
「ぐっ……」
息ができないわけではない。だが気味が悪かった。咄嗟に桜花を跳ね除けようと手を振り回したが、彼女はするりと後ろに下がって逃れた。
周囲の様子を窺って、ユリアンは肝を冷やした。桜花の侍女が扉に錠をかけている。部下を部屋の外に下がらせたことをユリアンは悔やんだ。
「ふふふ、私を傀儡にしてこの国を操ろうというのか、西石の王太子よ」
まなじりを吊り上げて桜花が笑った。ほんのひととき前まで楚々と振る舞っていた女の面影がない。まるで別人だ。
「己の器もわきまえられぬ愚か者め。私はお前に御せる程度の女ではない」
桜花は懐から扇を取り出し優雅に仰いでみせた。侍女が言う。
「施錠いたしました。そうそう入ってこれぬでしょう」
「さすが玉兎は仕事がはやい」
振り返ると、玉兎と呼ばれた侍女は大胆に下裳を捲り上げていた。太腿に括った短刀を取り出し、その凶器を手にユリアンと対峙する。彼は一瞬応戦を試みたが、玉兎の隙のない構えを前に、丸腰の自分を呪うことしかできなかった。
「座れ」
命じられるがまま彼は椅子におさまり、桜花と向き合った。玉兎が彼の背後に周り、短刀の切っ先をうなじに突きつけている。
桜花の指がユリアンの髪を絡めとった。それを間近に眺めて、彼女は満足そうに笑う。
「お前が現れ、あの言葉を告げた時、魂が震えたよ」
「あの言葉?」
「『――あなたこそが、この国の真の皇帝だ』」
彼女をおびき寄せるために意図して残した言葉の一つを、桜花自身が口にした。
「金の髪に紺碧の瞳。遥か辺境から現れた異形の男が、突如我らの言葉を繰り『桜花こそが真の皇帝である』と告げる――まるで天から下されたようじゃないか……! 実際、あの場にいた全ての者がお前の言葉に呑まれていた」
扇でユリアンの顎を持ち上げ、桜花は恍惚の表情で彼の瞳を覗き込んだ。
「待っていたんだ、お前のような者を」
「それは……どういう?」
桜花はにっこり微笑んだ。
彼女はおもむろに瞳の攻撃的な光を引っ込めて扇を畳み、もとの楚々とした佇まいを見せる。あまりの変わり身のはやさに、驚きを通り越して呆れてしまう。続く桜花の言葉に、ユリアンはさらに呆けた。
「ねぇ殿下、わたくし清楚で美しいでしょう?」
「…………まぁ……はい」
たしかに得も言われぬ魅力があるとは感じていたが、本人に口にされると大いに戸惑う。
「持って生まれた美貌を磨き、学を身につけ智慧を蓄え、弁舌巧みに人心を掌握する術も心得ました。何より帝室の子としてこの鎮星宮に生を受けた――これほど皇帝にふさわしい者が他におりましょうか?」
「いない、でしょうね」
応じると、桜花は再び瞳に炎をたぎらせた。
「無論、私こそが龍座にふさわしい! だが実際はどうだ? お前の言う通り愚鈍な弟がこの国の一番高い場所でふんぞり返っている。無気力に、無意味に、無策のまま。蛮族迫りし国難のさなか、朝廷の一つの過ちが国の存亡を左右すると言うのに。なぜだ?」
ぱしん、と高い音を立てて扇で掌を打ち、桜花は断じる。
「弟が男で、私が女だから――それだけだ」
ユリアンは身じろぎ一つできぬまま搾り出した。
「……先ほどは帝冠よりもお姉様の救済を欲っしていたとお見受けしましたが」
「演技に長けているのはお前だけではない」
桜花はにっこりと笑った。
「姉様は帝室の女。祖国の駒として嫁いだのだ。その先でどうなろうと、耐えるしかあるまい」
はは、とユリアンはかろうじて苦笑した。情に脆い女、と軽々に判断した自分はなんと愚かだったのか。
「女だからといって恐れるなと、お前は私に玉座を示したな。私は恐れてなどいない、恐れているのは私以外の者たちだ。女の皇帝などとんでもない――条理に背くから、『暉禍』の再来となるから、天が許さないから……」
彼女は不敵に笑った。
「ならば、天が私を玉座に据えればいい――『条理に従順な公主』のまま、私は天に望まれてやむを得ず帝冠を戴くのだ」




