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7-2


 大眞国の首都・永明は、祭りのような騒ぎだった。


「間もなく親征軍到着! 皇帝陛下凱旋っ!」


 自ら三十万の兵を率いて嚴山関に向かった新帝・桜嘉が、狡蒙撃退と和議締結の偉業を成し遂げて帰還する。


 一月ほど前に狡蒙南下の報を聞いて都から逃げ出した民たちも戻り、永明には明るい声が飛び交う。南では皇太子が反・桜嘉を唱えて挙兵しているという。だが皇太子から狡蒙との盟約を奪い取った新帝ならば、きっとすぐに南部も平定するだろうと、人々は楽観的な気分でいた。


 凱旋する皇帝を一目見ようと、永明中の人が大挙している。永明の南門から、宮城・鎮星宮を結ぶ大街を埋め尽くす人々は、ついに城門が開いて親征軍が入城すると、大歓声で皇帝を迎えた。


「皇帝陛下、万歳!」


 しかし、その歓声はやがて困惑含みのどよめきに変わる。


「あ、あの方が皇帝か? 本当に?」

「そんなばかな。だってありゃあ……」


 大軍を従え、馬上の人となって凱旋した桜嘉帝――皇帝の象徴である冕冠を戴き、腰には宝刀を帯びている。その人こそが間違いなく皇帝なのだが。


 玉飾りの合間からのぞく額には桜の花鈿、瞼と唇にはあでやかな紅。そしてあまりにも華奢な体を包むのは、真紅の襦裙。


「女……だよな?」

「皇帝が、女……?」


 群衆が低くざわめく。軍の威容を前にして、さすがに不敬を口にする者はいなかった。それでも不穏な空気は隠しきれない。


 だが、皇帝は怯まなかった。

 麗しく凛とした面立ちで、動揺した民を見渡す。堂々と背を伸ばす様は、さながら巨大な帆を張った船のようで、なよなよしさは微塵もない。


 その姿は、人心を惹きつけるのに十分だった。


 皇帝を先導していた馬上の将軍が、どよめきを切り裂くような大音声を上げる。


「朱凰、山を繞りて飛び、宛転して花園のうち――!」


 いったい何事だ、と戸惑う大人たちを尻目に、街の子ども達がすばやく反応した。


「朱凰、山を繞りて飛び、宛転して花園の裏!」


 幼い声が続々と、楽しそうに唄い上げる。天をも揺るがすほどの大合唱だ。

 街の人々は気づいた。その歌がどこからともなく湧き出て、一時子どもたちの間に流布されたことを。

 そして朱凰が、雌の神鳥であることを。


「女の皇帝……」


 民はまだ、その存在に困惑している。

 だが、朱凰が宮城に降り立つように、女帝が登極することもあり得るのではないか――そう思った者は、少なからず存在したのだった。


          ***

 

 鎮星宮、外朝の主殿・鎮星殿。

 凱旋行進を終えた桜嘉は、輿に載せられてその階を登った。


「あとは自分で歩く」


 基壇の上、桜嘉は自らの意思で輿を降りた。


 殿内には文官・武官が整然と並ぶ。みな一様に顔を伏し、表情は分からない。

 桜嘉はその間を颯爽と進んだ。視線の先には、玉座のそばで福々とした笑みを浮かべて桜嘉を待ち構える宰相――劉漢忠。その脇を抜け、桜嘉は玉座に腰を下ろした。


「聖上のお戻りをお慶び申し上げます」


 漢忠が袖を合わせて型通りに皇帝を言祝ぐ。


「えぇ、蒼将軍をはじめとする皆のおかげで、無事に戻ることができました」

「狡蒙軍撃退、そして和議締結。聖上は古の名君と比して劣らぬ偉大な業績を成し遂げられました」


 漢忠の追従は続く。

 桜嘉はそれを、微笑みを浮かべて聞いていた――冕服の袖に、握った拳を隠しながら。


 鎮星殿へと赴く直前。桜嘉は襦裙から冕服へ衣裳を改めるよう促された。礼装でなければ龍座に登ることはできません、と言われれば確かにその通り。桜嘉は求めに応じざるを得なかった。

 冕服を用意させていたのは、劉漢忠だ。


(女の姿で玉座に登るな、とは言わないところが巧みだ)


 承固が、最期に伝えてくれた。


 ――桜嘉様の誘拐を依頼したのは……劉宰相です。


 腹に炎がたぎる。


(この男は、承固を利用し、そして使い捨てた)


 目下の漢忠は、素知らぬ顔で桜嘉に笑みを向けている。


 幼い桜嘉に智慧を与えてくれたのは彼だった。何より、己の復権のための手駒としてとはいえ、桜嘉登極の最後の一押しをくれたのもこの劉漢忠だ。


(最初から私は捨て駒だったのかもしれない。狡蒙と戦わせるための)


「親征の最中、陛下の行方が分からなくなったとお聞きした時には、まったく息が止まりかけました」

「心配をかけてごめんなさい」

「しかし、その犯人もすでに目処がつきつつあります」

「は?」


 桜嘉の声が微かに裏返った。


「陛下が不在の折り、この鎮星殿に火を放とうとする者がおりました。捕らえて真意を問えば、陛下への叛意を口にする。嚴山関での陛下の拉致も己の仲間がやったのだと白状しました――どうやら呂妃に唆されたようで。以前にも、何度か陛下の暗殺を企てていたようでございます」


 桜嘉は唖然とした。呂妃は沐伸が寵愛する妃だ。父親の呂元宰相は、漢忠が沐伸に左遷されたのちに宰相の地位についた。漢忠最大の政敵と言っていい。


「もしかしたら沐伸様の挙兵も、呂妃に操られての迷いごとやも」


 漢忠は憎々しげにそう続けた。


 桜嘉はしばし唖然とした。


 なるほど全ての罪を呂家になすりつけ、漢忠は権力の座に留まるつもりか。そして、あわよくば沐伸の謀反の罪さえ掻き消そうとしている。


 ――この男にとって、皇帝はあくまで沐伸なのだ。


 すべての事実がつながって、一つの絵をえがいていく。


 ――私の真の敵は、この劉漢忠だ。


 くすり、と桜嘉は笑った。


「ねぇ、劉宰相?」


 桜嘉はねだるように言った。


「わたくし、新しい衣が欲しいわ」


 漢忠は皇帝の不意の要求に瞬いた。だが、すぐに表情を繕って応じる。


「ほほ。陛下が物を欲するとは珍しい。和議の偉業を成し遂げられた陛下に、我々臣民から贈らせていただきましょう。して、どのような衣を?」

「炎龍」


 桜嘉は不敵に笑う。


「炎龍の刺繍を施した衣をちょうだい」


 漢忠の笑みが絶え、困惑が露わになった。


「炎龍……ですか? この世を焼き尽くすという……」

「えぇ、そうよ」


 南では沐伸が挙兵し、国はいまだ内戦状態。加えて漢忠と沐伸はつながっている。敵は、彼女のもっとも近いところにいる。


「炎龍は、その、あまりにも不吉では?」


 漢忠の問いに、そうねと桜嘉は頷いた。


「でも、不吉なくらいがちょうどいいでしょう?」


 桜嘉の迷いのない笑みの正体を、漢忠は知らない。


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