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1-3


 夜半、西石国の王太子は長椅子に深く腰を据えていた。与えられた部屋には酒肴が用意されていたが、一切手を伸ばしていない。


 二人の侍女が入室し、「お食事をお下げしてよろしいですか?」と彼の従者に尋ねた。互いに言葉が通じず身振り手振りでもたもたとやり取りをしている。


 王太子はその様子を微笑ましく思いながら、女たちのうち小柄な方に近づいた。片膝をついて胸に手を当てる。


「お待ちしておりました、丹栄公主――桜花様」


 侍女は軽く目を見開くと、一拍置いてくすりと笑った。


「……殿下は本当に眞の言葉がお上手ですね」

「お褒めに預かり光栄です」


 桜花に椅子を勧めた後、向かい合って座ることを許された彼は、無礼にならぬ程度に桜花の様子を窺い見た。


 侍女に扮してやってきた彼女は、化粧をせず擦り切れた衣裳で身をやつしているが、それでも目を惹かれるような魅力を放っていた。楚々とした立ち振る舞い、清らかな眼差しと小ぶりな鼻。東の女性らしい清楚さと、大国の姫に似つかわしい気高さが同居している。これまで会ったどんな女性とも重ならない、不思議な印象を受けた。


 桜花は品よく苦笑した。


「すぐ正体がばれちゃったわね、玉兎」


 もう一人の侍女――こちらは身丈も肩幅も大きい――は眉根を寄せ頷いた。どこか武人然とした女性で、低く落ち着いた声でこう答える。


「おかしいですね、他の者には桜花様だと気づかれなかったのに」


 二人のやりとりを見守って、彼は桜花に微笑みかけた。


「どんな扮装を施そうと、公主様のお美しさは隠し通せるものではないでしょう」


 桜花も如才なく笑みを返す。


「ありがとう存じます。でも、世辞を聞きに来たのではございません」


 なるほど、甘い笑みや言葉ではこの公主を落とせそうにない、と彼は改めて気を引き締めた。


「桜花様、拝顔するのは三度目でございますね。ご挨拶が遅れ大変失礼いたしました。私はフェルゼンシュタイン王国――あなた方が西石国と呼ぶ国から参りました、ユリアン=フェルゼンシュタインと申します」

「ゆ……ふぇ……る?」


 異国の言葉を聞き取れない桜花のために、彼はユ、リ、ア、ン、とゆっくり繰り返した。


「尊い御身をいただく僥倖を慎んで拝受するため、百の山を越え、千の砂漠を渡り、この鎮星宮までお迎えに参じました」


 用意した口上を述べると、桜花は小さくため息を漏らした。


「本当に巧みに眞の言葉をお使いになるのね。それに、演技もお上手だわ――殿下は我が国の言葉を解さぬものだと、すっかり思い込んでおりました」


「驚かせてしまい申し訳ございません。フェルゼンシュタインは商いの国。私も隊商を率いて各地を渡ることが多かったものですから、貴国の商人との取り引きの都合上、眞の言葉を身につけまして」


 そうでございましたかと気のない相槌を挟んで、桜花は小さく頭を下げた。


「殿下、忍び込むような真似をして申し訳ございません――けれど、わたくしが参ることくらい予期されていたのでしょう?」

「様々な事態を想定して動くのが商人の本分でございますゆえ」


 さらりと言ってのけたが、実際には予期したのでも想定したのでもない。桜花がユリアンと会わずにはいられぬよう、彼自身が仕向けたのだ。


 この国の姫を妻として迎え姻戚同盟を結ぶことは、フェルゼンシュタイン王国に莫大な利をもたらすはずだ。

 大眞国は東の大帝国。皇帝直属の常備軍である禁軍は兵力百万と謳われる。それがやや誇張した数だとしても、山間の小国であるフェルゼンシュタインとは比べるべくもない軍事大国であることは間違いない。北の騎馬兵団に脅かされる今、この大国と手を結ぶことができれば、どれほど心強いだろう。


 だからこの結婚は胡散臭い。


 公主の降嫁を打診したのは大眞国側。フェルゼンシュタインは国防上の巨利を見込めるが、大眞国にどんな旨みがあるというのか。裏のある話だろうと踏み、公主を迎える口実でユリアン自ら遥々偵察に来てみれば、皇帝とその姉である公主が衆目の前で喧嘩を始めた。


 なるほど、この降嫁は「賢く人望のある姉を疎ましく思った皇帝による厄介払い」に過ぎないらしい。そんな公主を妻としても、想定していたような利はフェルゼンシュタインにもたらされないだろう。


 ――だが、この公主自体には利用価値がある。


 ユリアンは穏やかに桜花を促した。


「公主様には私に尋ねたいことがおありなのでしょう?」

「えぇ、そのために参りました――先ほど殿下がおっしゃったことを詳しくお聞きしたいのです」

「おっしゃったこと、とは?」


 口ごもる桜花はちらりと西石の従者を見やった。人払いをせよ、という合図だろう。彼の伴った従者は眞の言葉を解さぬのだが、それを桜花は知らないし説明しても信じないだろう。彼女の望み通り従者を扉の外に出してやると、桜花は真っ直ぐユリアンを見据える。


 さぁ来るぞ、とユリアンは表情を崩さぬまま構えた。


「平国公主――香雪お姉様を救うことができる、という話です」

「あぁ」


 そちらか、と彼の頭は忙しく計算を再開した。


 先刻の飛燕殿での混乱に乗じて、彼は二つの情報を桜花に与えた。『皇帝にふさわしいのは桜花様だ』そして、『平国公主をお救いできます』――この二つ。そのうち後者に釣られてやってくるとは。賢明な丹栄公主は情に厚く、権には興味がないらしい。


 大眞国の姫としてはそれが当然なのだろう。この国には『暉禍きか』という言葉がある。かつて時の皇帝に寵愛された暉后が政に手を出し国が乱れたという故事により生まれた語だ。女の政治参与は国を滅ぼす禍――賢明な女性は政に嘴を挟むべからず。『暉禍』とはこの国の女を戒める言葉だった。


「桜花様の姉君は、間者だと疑われ監禁されている、という話でしたね」


「えぇ。昨年、姉上は北の蛮族の王に降嫁いたしました。貴国同様、我が国は彼の国の脅威にさらされておりますから婚姻により盟約を結びまして……けれど姉はあらぬ嫌疑をかけられ、軟禁されてしまったのです」


 平国公主は諜報活動を行い、機密を大眞国の朝廷に漏らしている――大眞国の側には全く覚えのない話だが、北の蛮族は一方的にそのように断じた。加えて突きつけられたのは盟約の破棄だったという。


「あの誠実な姉様が、朝廷の意向もなく諜報などしようはずがございません……姉様は宣戦布告の口実に使われてしまったのです! そして今、草原で虐げられている……!」


 桜花は拳を握りしめたまま黙り込んでしまった。ユリアンは冷えた目でそれを観察する。この公主は姉のこととなると感情が昂る。よほど大切な存在なのだ。


「……姉様をお救いできるのなら、すぐにでも動きたいのです」

「お気持ちお察しします」


 懸命に涙をこらえる桜花に一礼し、ユリアンは切り出した。


「あなたのお姉様はすでに蛮族のもとにはいらっしゃらないようです」

「ど、どういうことです!? 姉様はどこにいらっしゃるのです?」


 身を乗り出す桜花に、ユリアンは優しく微笑んだ。


「それを私があなたにお伝えする必要がありますか?」


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