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6-2


 全身に鈍い痛みを感じて、桜嘉は目を覚ました。


 真っ暗な部屋の中にいるようだった。体が酷く冷えている。固く冷たい床に寝かされているせいだ。両手両足をきつく縛られて身動きが取れず、猿轡を咥えさせられて声も出せない。


(わたしは阿呆か)


 皇帝自ら捕まってしまうとは。


(いったいここはどこだろう)


 どのくらい意識を失っていたのか。ここが暗いのは夜だからか。それとも、地下牢か何かに押し込まれているのだろうか。分からないことばかりで不安が募る。


 身じろぎをしてみるが、冷たい床以外、桜嘉に触れるものは何もなかった。着ているものは、関所を出た時と同じ男物の官服のようだ。


「うー、うぅ!」


 同じ部屋の中から突然唸り声が聞こえて、桜嘉の心臓が跳ねた。

 最初は、桜嘉を捕まえた連中がすぐ近くにいるのだと思って肝が冷えた。だが、そのひどく苦しげな唸り声から、桜嘉以外にも捕えられた者がいるのだと察せられた。


 次第に目が慣れてきて、ここが全くの無明の空間ではないことが分かってきた。粗末な小屋だ。組んだ木の隙間から、薄い光が微かに漏れている。夜が明けようとしているのだろう。


「うぅぅぅ」


(……承固?)


 小屋の隅で唸り声を上げているのは、桜嘉を誘い出した張本人だった。

 彼は桜嘉と同じように手足を縛られ口を塞がれていた。その拘束を解こうとして、彼は必死にもがいている。桜嘉を見るその目から、ごうごうと涙があふれていた。


(承固は騙されたんだな)


 玉兎が承陽に連れ出された後、承固が寝房に桜嘉を訪ねてきた。彼以外にも見知った数人の兵がいて危険は感じなかった。だから、のこのことついて出てしまった。関所を出てしばらく後、山道で黒装束の男に襲われた。


 彼に対する桜嘉の信頼を利用して、彼女を拉致した者がいるのだ。


 せめて猿轡だけでも外せないかと、桜嘉は必死にもがいた。状況を打開せねばならないし、泣いている承固を慰めねば。桜嘉が攫われたのは承固のせいではない。ただ、桜嘉が迂闊で愚かだったからだ。


 軋んだ音とともに、視界に光が射した。


「どうもうるさいと思ったら……おい、公主が目覚めてるぞ」


 開いた扉の前に男が立っていた。背後の仲間に話しかける声がくぐもっている。頭から布をかぶって、全身を黒い装束で覆っているからだ。


 桜嘉はその男を睨みつける。こいつは眞の言葉で彼女を「公主」と呼ばわった。敵兵ではない。大眞国の、桜嘉を皇帝と認めぬ勢力の者だ。


「お嬢ちゃん、怖い顔も可愛いねえ。玉座で皇帝ごっこなんかしなければ、ちやほやされて静かに暮らせただろうに」


 ――皇帝ごっこ、だと……!


「残念だな。お前は謀叛人として、正統なる皇帝、沐伸様に処刑されることになる」

「うぅぅぅ!」


 その宣告に強く反応したのは、桜嘉よりも承固だった。彼は渾身の力を振り絞り、猿轡を外す。


「そんな馬鹿な! 桜嘉様のお命は保証すると言ってたじゃないか! 約束は守ってくれっ!」


 その言葉に、桜嘉の頭の中が真っ白になる。


(承固は、自分の意思で私を攫ったのか……?)


 桜嘉の愕然とした眼差しに気づいた承固は、懸命に首を振った。


「違っ! 違うんです、桜嘉様! 俺は、俺は……!」


 その続きを彼がうまく言葉にできないうちに、黒装束の男は承固に近づいていく。


「鄭承固、お前の役目は終わった。余計なことを話す前に、消えてもらおうか」


 そう言った男は、素早く剣を引き抜いた。承固は叫ぶ。


「や、やめろ!」


 そして男は、動けない承固の首を躊躇なく一突きした。


「っ……――!!」


 桜嘉の悲鳴は声にならない。


 男が刀を引き抜くと、承固の首からどうっと血が溢れ出る。力を失った彼の体が、血の海に濡れていく。


(承固、承固! 承固っ……!)


「じゃあな。もう少し陽が昇ったら移動だ。それまで待っていな」


 男はそれだけ言って扉の向こうに去っていった。

 桜嘉は体を捩ってなんとか承固に近づこうとした。両手を縛った縄をどうにかして外したい。承固の手当てをしなきゃいけない。彼を死なせたくない。死なせるわけにはいかない。


「お、う……か、さま」


 喘鳴に混じって微かに承固の声が聞こえた。


「っ……!」


 その呼び声に必死で答えようと、桜嘉は顔を持ち上げる。

 承固の視点は、定まっていない。


「ごめ……んな、さい……」


 血の海に、涙がぽつとこぼれる。


「俺、は……おう、かさまを……お慕い、して」


(承固、もういい! 喋ってはだめだっ!!)


 声を発するたび、彼の首から血が溢れる。


(お前は何も悪くない。悪くないんだ!)


 せめて声をかけて安心させてやりたかった。それなのに、猿轡が外れない。


「こうしゅ、の、おうか様を、俺は……」


 彼の声が一度そこで途絶えた。


(っ……承固!)


 おそらくその時、彼は己の最期を悟った。


 だから承固は、己の想いを紡ぐのを諦めて、どうしても伝えねばならないたった一つの言葉を、最期に吐き出したのだった。


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