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6-1


 桜嘉の背後で承固が震えていた。


「し、信じられない……」


 眼下の戦場では生き残った狡蒙軍が白旗を掲げている。

 承陽は劇的な逆転勝利を喜んで拳を突き上げた。


「さすが桜嘉様だ! すげぇ!」


 ふぅ、と桜嘉は息をついて微笑んだ。


「二人とも大げさね」


 蒼将軍が憮然としている。


「陛下、策があるのなら、事前に教えていただきたかった」

「ごめんなさい。でもしようがなかったの。こんなに上手くいくなんて、わたくし自身信じていなかったのだもの」


 蒼将軍はふっと息を吐く。大きな傷の横切る顔に、微かに笑みが浮かんでいる。


「それから陛下、どうせなら先ほどのような口調でお話をされては?」


 あら、と桜嘉はとぼけてみせた。


「なんのことかしら? わたくし、変な話し方をしていました?」

「全ッ然、変ではないです! 格好良かったですよ!」


 興奮して会話に割り込んできた承陽に、桜嘉は瞬いた。か弱い公主だからと庇護欲にかられて桜嘉に仕えてくれているのだと思っていたのに。


「承陽、ありがとう。あなたっていつもわたくしに勇気をくれるわ」


 桜嘉が率直に感謝を述べると、承陽は顔を真っ赤にした。


「そ、そんな! 畏れ多い!」

「ううん、本当のことだもの」


 そのやりとりを、虎大が遮った。


「さぁ、戦は勝利の後も忙しいもの。そこの二人、まだ働け」


 はい、と承陽だけが背すじを伸ばした。


          ***


 桜嘉の幕営は慌ただしかった。

 確保した捕虜の対応をいったん虎大に任せ、桜嘉は報告に参じた将軍たちを労う。みな、男装ながらも明らかに女人である桜嘉に一瞬戸惑う――女だと理解していた者も、改めて目にすると驚いてしまうようだった。


 だが、彼らは桜嘉の「天啓」によって大勝利を得たと痛感しているから、畏怖の念で自然と膝をついた。


 しばらくして、西石の将軍が案内されてきた。髭面の大男で、数名の兵と汀緒をともなっている。


「貴国の救援に深く感謝します」


 桜嘉の言葉を、汀緒が訳して伝える。髭面の将軍は、俐安がよくやるように片膝をついて胸に手を当てる礼をした。冑を脱いだ将軍の髪色は、俐安よりももっと明るい金色だ。


「汀緒、賢妃はどうしたの?」


 彼の忠実な従者である汀緒がいるのだ、俐安がここにいないわけがない。

 だが、汀緒は首を振る。


「ユリアンさまは、イマせん。ベツにやることが、ありまス」

「……そう、なの」


 桜嘉は静かに瞬きをする。

 まぁ、そうだろう、と己を納得させる。俐安は約束通り嚴山関に援軍を送ってくれた。別に、本人が戦場に来る必要はない。彼は一応妃で、将兵ではないのだから。


 ただ、西石軍が救援に現れたと知って、桜嘉は俐安が戻ってきたと思い込んでいた。あてが外れたので、調子を乱されてしまったのだ。


 ――やはり俐安は西石国に残ったのだ。


「汀緒、あなたにも感謝します。よくぞ主と離れてまでここに駆けつけてくれました」


 長身の彼は深く頭を下げ、どこか憎らしげに桜嘉を見ると、他の西石の面々とともに幕営を辞去した。


          ***


 その晩、関所の客庁で玉兎が桜嘉の髪を梳きながら言った。


「本当にとんでもない大勝利でした。あぁ、私も間近で拝見したかった。女だから幕営に入れない、というのは全く納得がいきません」

「そうだな、私も玉兎にそばにいてほしかったよ」


 桜嘉は髪を下ろし、衣を夜着に改めていた。とはいえここは戦場だから、夜着とはいっても普段着に近い。


 石造りの城内は、暑気を寄せつけずひやりとしている。


「ありがとうございます。それにしても、史上稀に見る狡蒙への大勝利です。桜嘉様の帝位も盤石なものになるでしょう」

「あぁ」


 嬉々として話しかける玉兎に対し、桜嘉の返答は短い。どことなく表情も沈んでいた。


「桜嘉様、どうされたのですか?」

「あぁ、うん」


 曖昧な相槌を打って、彼女は黙り込む。

 玉兎は不意にまた寂しくなった。桜嘉は己の本当の心の内を見せてくれない。こんなにそばにいて、心から仕えているつもりなのに。


「夜更けに失礼します。玉兎、ちょっと来てくれないか」


 扉の外から呼ぶ声は、承陽のものだった。


「なんでしょう、こんな刻限に」

「急用だろう。行ってやれ」


 桜嘉に促されたが、玉兎は迷った。こんな時間に皇帝の、しかも女人の部屋を訪うなど、いくら承陽といえどあまりにも非常識にすぎないか。


 けれど玉兎は、人を寄せ付けないような今の桜嘉と二人でいるのに、ほんの少しの居心地の悪さを感じてもいた。


(少しくらいなら、ここを抜けてもいいだろう)


 玉兎は、そう思った。


「では、少々行って参ります」


 うん、とどこか弱々しい主人の返答に背を向け、玉兎は部屋を出た。


          ***


 承陽は、どうにも要領の得ない話を持ちかけてきた。


「なんか兄貴が、山の中に湯が沸く泉があるのを見つけたらしくて、それを桜嘉様に教えたいんだって」

「温泉?」


「宮城を出てからまともに湯浴みできてなかっただろうから、ぜひ教えてやってくれって」

「たしかに桜嘉様も喜ぶとは思うが」


 なにもこんな夜更けに伝えにこなくても、と玉兎は訝しむ。そもそも幕営から関所に居所を移したから、簡易な湯浴みは済ませている。常識的な承固ならそのくらいのことには気づきそうなものだが。


「一応、場所だけは聞いておく」


 湯浴みの必要はさておき、水泉の確保は軍にとって死活問題だ。そう気を回し関所を出て承陽とともに山中に踏み入ったが、伝えられた場所に赴くと、そこには水たまり程度の沼があるだけだった。玉兎のかざした灯火に助けられながら、承陽は手を突っ込んでみる。


「冷てぇ。しかもただの泥水だ」


 二人は顔を見合わせた。玉兎は釈然としない気分で関所に戻り、承陽と別れた。


「あれ?」


 桜嘉の寝房を守る衛士が、玉兎の顔を見るなり声を上げた。


「お前、先ほど陛下をお呼びしていたじゃないか。一緒に戻らなかったのか?」

「は?」


 玉兎の背すじが凍った。つかみかかる勢いで衛士を問い詰める。


「どういうことだ! 私は陛下をお呼びしてなどいない!」


 そして真っ青な顔の衛士がした弁明は、玉兎に悲鳴を上げさせた。


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